COLUMN2018.06.26

京都文芸

瓜生山の夏萩と吉田松陰像 -瓜生山歳時記 #22

edited by
  • 尾池 和夫
  • 高橋 保世

 萩は、早いものは夏咲きはじめるものもあるが、花をつけず青々と茂るものが多く、夏萩とも青萩ともいう。萩若葉という春の季語もある。春の初めに芽吹き、晩春には茂っている。
 「萩」は秋の季語で萩の花をさす。秋の七草の一つで、山野に自生し、庭にもよく植える。自生種も多く、古来秋を代表する花で、草冠に秋と書いた。秋の「萩」の季語には傍題もたくさんあり、萩の花、白萩、紅萩、小萩、山萩、野萩、こぼれ萩、乱れ萩、括り萩、萩日和などとさまざまに詠まれている。
 ハギ属(Lespedeza)は、1年草あるいは多年草で、果実は節で種子ごとに分かれる節果であるが、種子は1個しかない。植栽される場合もあり、荒れ地でもよく育つ。裸地や法面の緑化にもよく使われている。薬草にも利用される。普通に萩というと山萩を指すが、日本に自生する萩の種類は10数種ある。秋の傍題にある白萩、丸葉萩が知られ、仙台市の宮城野にある宮城野萩が古来より有名である。猫萩、犬萩もある。

青萩や志士と呼ばれてみな若き  林 翔

 萩というキーワードから、瓜生山の中腹にある吉田松陰像が連想される。萩市は、江戸時代、毛利氏が治める長州藩の本拠地であった。日本海に面し、三方を山が囲む。司馬遼太郎が幕末を描いた『世に棲む日日』『花神』、大河ドラマ『花燃ゆ』は萩市が舞台となった。
 瓜生山学園の創設者である徳山詳直は、吉田松陰の考えを深く理解し、行き詰まる西欧文明に対して、吉田松陰や岡倉天心のこころを引き継ぐ「藝術立国」を志し、東洋の思想を基盤にする教育を目指した。学園に建つ「藝術立国之碑」に基本理念がある。
 萩は、吉田松陰の誕生地であり、投獄された野山獄、教えを広めた松下村塾があった地である。徳山詳直は、毎年萩を訪れて吉田松陰の墓を清めた。その墓所から見る萩の景色と、詳直の生誕地である海士町の墓地からの入江の景色と、海こそないが瓜生山の松陰像の視線の先にある京都盆地の景色とが、私には同じ地形の景に見える。しかも瓜生山の大地は実に丈夫な地盤の上にあり、この地が学園のために選ばれた意味を、しみじみと考えさせられる。

青萩や天日干しなる海士の塩   和夫

 

瓜生山キャンパスにもたくさんの萩が自生する

瓜生山キャンパス松麟館の屋上からは京都盆地東部を一望できる

徳山詳直をはじめ学園に縁のある物故者を祀る「直心塔」は、京都の街並みを望む瓜生山キャンパスの中腹にある

 

[文:尾池和夫・写真:高橋保世(2018年6月25日 瓜生山キャンパスにて撮影)]

 

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  • 尾池 和夫Kazuo Oike

    1940年東京で生まれ高知で育った。1963年京都大学理学部地球物理学科卒業後、京都大学防災研究所助手、助教授を経て88年理学部教授。理学研究科長、副学長を歴任、2003年12月から2008年9月まで第24代京都大学総長、2009年から2013年まで国際高等研究所所長を勤めた。2008年から2018年3月まで日本ジオパーク委員会委員長。2013年4月から京都造形芸術大学学長。2020年4月大学の名称変更により京都芸術大学学長。著書に、新版活動期に入った地震列島(岩波科学ライブラリー)、日本列島の巨大地震(岩波科学ライブラリー)、変動帯の文化(京都大学学術出版会)、日本のジオパーク(ナカニシヤ出版)、四季の地球科学(岩波新書)、句集に、大地(角川)、瓢鮎図(角川)などがある。

  • 高橋 保世Yasuyo Takahashi

    1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。

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