甘藷(さつまいも)は薩摩薯とも書き、甘藷(かんしよ)とも読む。仲秋の季語である。ヒルガオ科の多年草で、塊根を肥大させて食用として改良された。原産は中南米で、16世紀に南アメリカ大陸からスペイン人あるいはポルトガル人によって東南アジアに導入され、ルソン島から中国を経て、1597年に宮古島へ伝わった。17世紀の初めころに琉球、九州、その後八丈島、本州と、かなり速い伝わり方であった。私が子どものころ住んでいた高知では、もっぱら唐芋(からいも)と呼んでいたが、中国(唐)から伝来したことによる名である。
関東に普及させたのは青木昆陽で、彼は甘藷先生と呼ばれた。徳川八代将軍吉宗が、飢饉の救荒作物として甘藷の栽培を昆陽に命じた。小石川薬園などで試作した結果、享保の大飢饉で役立ち、関東などで栽培が普及した。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる天明の大飢饉では、多くの人々の命を救った。天明3年3月12日(1783年4月13日)に岩木山が噴火、7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰が降った。そのための日射量低下による冷害が農作物に壊滅的な被害を与えたのである。
ほつこりとはぜてめでたしふかし藷 富安風生
食用にはおもに塊茎の部位が利用されるのであるが、私は子どものころから葉や茎も食べていた。茎を油炒めに、芽をお浸しにするととても美味しい。私の娘が小学校での甘藷の収穫の時、藷でなく蔓を持ち帰って、先生が気遣って電話してきたこともあった。
根には澱粉が豊富で、エネルギー源として最適である。また、ビタミンCや食物繊維が多く、加熱してもビタミンCが壊れにくいという大きな特長がある。米に比べると保存性に劣り、運搬に向かないなどの理由と、タンパク質で米に比べて不利であるために米に勝てなかったが、薩摩藩の不毛の地と言われたシラス台地の開発などで大いに活躍した。
根は摂氏60度でじっくり加熱すると、デンプンを糖化する酵素が働いて甘味が増す。そのため石焼き芋やふかし芋という独特の調理法が冬の名物となり、天ぷら、大学芋、栗金団などに加工される。焼藷、石焼藷は冬の季語である。
おしやべりの止まりて石焼藷の声 和夫
[文:尾池和夫・写真:高橋保世(11月8日、瓜生山農園にて撮影)]
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尾池 和夫Kazuo Oike
1940年東京で生まれ高知で育った。1963年京都大学理学部地球物理学科卒業後、京都大学防災研究所助手、助教授を経て88年理学部教授。理学研究科長、副学長を歴任、2003年12月から2008年9月まで第24代京都大学総長、2009年から2013年まで国際高等研究所所長を勤めた。2008年から2018年3月まで日本ジオパーク委員会委員長。2013年4月から京都造形芸術大学学長。2020年4月大学の名称変更により京都芸術大学学長。著書に、新版活動期に入った地震列島(岩波科学ライブラリー)、日本列島の巨大地震(岩波科学ライブラリー)、変動帯の文化(京都大学学術出版会)、日本のジオパーク(ナカニシヤ出版)、四季の地球科学(岩波新書)、句集に、大地(角川)、瓢鮎図(角川)などがある。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。