まだ朝夕寒い日が続きますが、街には梅の香りが漂い、あちらこちらに春の訪れを感じる季節になりました。そんな3月の「京の和菓子探訪」では、京都のひな祭りと京都で生まれたひな祭りの和菓子「ひちぎり」にスポットをあてます。
まずは、ひな祭りの原点を探ってみましょう。
ひな祭りは、中国から伝わった「上巳(じょうし)の節供」、平安時代にはもう存在していた人形あそび「ひいな遊び」、そして日本古来の祓いの文化から生まれた、穢れを人形に移して厄除けにする風習などを主だったルーツに、それらが融合し、長い歴史の中で変遷を遂げてきたようです。
まずは「上巳の節供」について。古代中国では、3月の最初の巳の日を上巳と言い、川で沐浴などをして不浄を祓い、お酒をいただく風習がありました。この風習は後に曲水の宴に発展し、前漢・後漢時代には盛んに行われるようになり、また上巳の日も魏の時代に3月3日に固定します。中でも、中国の書聖 東晋の王羲之(おうぎし)の主催により、永和9年(353年)3月3日、会稽山陰の蘭亭に文人41人が会し、曲水に觴(さかずき)を浮かべて詩を詠んだということが、王羲之が残した詩集『蘭亭』の序文に記されていて曲水の宴の故事として有名です。また、日本にもこの風習が伝わり、日本書紀第15巻にも、第23代顕宗天皇元年(485年)に「三月上巳、幸後苑、曲水宴」の記述があります。
また、桃の花とのつながりも、原点は中国にあるようで、室町中期の学者一条兼良(いちじょうかねよし)が記した年中行事の書『世諺問答(せげんもんどう)』には、「3月3日に桃の花のお酒を飲むのはどういういわれか」の問いに答える形で、中国の西晋武帝の太康期(西暦280年頃)に、桃の花が水に流れてきたものを飲んだところ、気力さかんになり、命も300歳以上に及んだという故事によることを説明しています。
次に「ひいな遊び」について目を向けてみましょう。『源氏物語』や『枕草子』、『蜻蛉日記』ほか多くの平安期の書物に、人形遊びのこととして「ひいな遊び」が登場します。この「ひいな」の語源について、江戸時代の国学者本居宣長(もとおり のりなが)は、随筆集『玉かつま』十巻(寛政7 (1795) ~文化9 (1812) 年頃刊)で、小さなもののイメージから鳥の「雛」になぞったのではないかとしています。また、浮世絵師で考証の仕事もしていた山東京伝が文化12年(1815年)に出した考証随筆『骨董集』の中で、「家業の事も、ひいな遊びにてそのまねびをなし、手馴ならはしむるを本意」としたと解釈をしています。言ってみれば、現在で言うところのお人形さんごっこのようなものだったのでしょうか。いずれにしても、平安時代の「ひいな遊び」は季節に関係なく行われたものでした。
一方、日本には紙や土、木などを人の形に模り、その「ひとがた」を身代わりに人の穢れを移して厄除けにする「かたしろ」の風習が古くからありました。たとえば、『源氏物語』の「須磨」の巻にも、3月の最初の巳の日に、海岸で陰陽師のお祓いをさせた後、舟に「ことごとしき人形をのせて流す」さまを源氏が眺める様子が描かれています。
このように「かたしろ」として「ひとがた」を水に流す風習が、流し雛となります。
また、平安時代の貴族階級の間では、幼児用の「かたしろ」として「天児(あまがつ)」と呼ばれる、より人形に近いものを用意し、幼児にふりかかる凶事を代わりに負うように身近におきました。その様子も、『源氏物語』の「若菜上」などに登場します。また、庶民の間でも「這子(ほうこ)」と呼ばれるぬいぐるみのような人形が幼児のお守りとして使われます。
これら「かたしろ」として身近に置く人形と「ひいな遊び」、上巳の節供の風習が融合して、ひな祭りの形が出来上がっていきます。特に15世紀頃に中国から新しい人形製作技術が伝わり、流し雛と飾り雛の区別が生まれはじめ、飾り雛が大きく発展するのは江戸期。段飾りが生まれるのも、その中盤以降のようです。ただ、いずれにしても、娘の嫁ぎ先に持たせたり、女児が生まれた時に贈られたりというように、人々の守り役としての要素は引き継がれてきたようです。また、現在でも3月3日を過ぎても雛人形を飾り続けることを戒めるのは、元来の祓いの要素があるからという説もあるようです。
さて、京都のお雛さまを取材するため、明治3年(1870年)に建てられた京都最大の京町家を守る公益財団法人 奈良屋記念杉本家保存会で特別一般公開される「雛飾り展」をお訪ねしました。
「京都のお雛さまは、有職飾り(ゆうそくかざり)というのが基本なんですね。京都の町衆は御所や公家方と近しい分、やはり御所の中の天皇であり皇后であり、公家方の文化というものへの強い憧れがありました。それが公家方の装束なり色々なしつらえごとをそっくりそのまま写し取った京都の有職人形というものに現れるわけです。」とお話を聞かせてくださったのは、同財団の常務理事で料理研究家の杉本節子さん。
そして見せていただいたお雛さまの美しいこと。古いものなのに、その品の良い輝きが失われていません。
また、杉本家に伝わる『天保十二年丑年改 歳中覚(さいちゅうおぼえ)』の3月のページを見せていただきました。大変興味深いことに、このひな祭りのタイミングで、火鉢を片付け、蔵の窓を開けるようにと書かれていました。
11月の「亥の子餅」の回で、京都では11月の亥の日に火鉢を出すことをご紹介しましたが、そのしまうタイミングは、3月の上巳。水の気の「亥」に出した火を、火の気の「巳」でしまう・・陰陽五行のリズムが息づいているようです。
また、杉本さんが子どもの頃、お雛さまの時におばあさまが作ってくださったお菓子は「草餅」だったと教えていただきました。
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『ものと人間の文化史89 もち(糯・餠)』<法政大学出版局>によると、草餅が文献に初出するのは平安期の『文徳実録』(879年)で、2月に芽が出てくる「母子草(ははこぐさ)」を3月3日に婦女が採って、蒸し搗いてお餅にしたとあります。当時はこの「母子草」で草餅が作られていたようですが、そのうち、体の邪気を祓う草とされる蓬(よもぎ)に変わっていきます。そして、お雛さまのお餅菱餅は、江戸期に登場するのですが、江戸後期の『守貞漫稿』には「女児の初めての上巳には上下青(蓬餅)、中白の三枚の菱餅を配る」と記されて、現在見かける3色の菱餅ではなく、2色が原形だったようです。安政2年(1855年)に京都の公家 三条家の奥向きの年中行事がまとめられた『三條家奥向恒例年中行事』にも、上巳の節供用の菱餅のため、青と白の2色のお餅を準備することが記述されています。上巳の節供には、古より「草餅」が欠かせないものだったようですね。
さて、今回ご紹介する京都のひな祭りの和菓子「ひちぎり(引千切)」に話題を移しましょう。
宮中への出入りを許された粽・餅菓子専門の老舗 15代川端道喜が記した『和菓子の京都』(岩波新書119)によると、江戸時代前期、徳川家より後水尾(ごみずのお)天皇の中宮となった東福門院の頃に、女院御所に来客が多いので、お餅を丸めるひまが無くて引きちぎったことが由来とのこと。3月の節供のときのみのお菓子で、引きちぎったシッポの部分をデフォルメすると、阿古屋貝に似ていることから「阿古屋」の別名があり、また最初の頃は草餅に山椒味噌を塗っただけのものが、小豆餡に変わり、さらにその上からきんとんを載せるようになったのだそうです。
今回は京菓子司末富製の「ひちぎり」を、瓜生通信編集部の小池ひかりさんに紹介してもらいましょう。
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その名の通り、餅をひきちぎったようなちょこんと角の生えた容姿です。元来の「ひちぎり」は草餅が土台になっていたのですが、お内裏さまの風情を出すためでしょうか、末富製の「ひちぎり」は、土台の部分は蓬のこなしでできています。ピンクの「ひちぎり」は、白小豆と手亡(てぼう)の合わせ餡をピンクに染めたきんとんの中に小豆のつぶ餡がひそませてあります。また白の方は白小豆のつぶ餡の上に山芋で作ったきんとんが載っています。
緑、ピンク、白の色合いはとても美しく、上品なお味には、女性らしい気品のようなものを感じます。特に白の「ひちぎり」は、口どけの良い繊細なきんとんから山芋の香りが口の中にひろがり、とても感激しました
特に気になったのは、このお菓子が真珠を抱くあこや貝に似ていることから「あこや餅」とも呼ばれることです。あこや真珠が美しいのは日本海の寒暖差の影響でキメが整い、輝くからだと言われています。まるで女の子が大切に守られ、そして磨かれて、素敵な女性になっていくようで、この和菓子に対する思いが強くなりました。
ただちぎったように見えながら、実に繊細なつくりのこのお菓子は、簡単なようでなかなか難しい職人技が必要なことでしょう。この丁寧に作られた「ひちぎり」を、今後お雛さまの季節には、自分自身も素敵な女性に成長したいと願いながら、味わっていただきたいと思いました。
小池ひかり(情報デザイン学科1年生)
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ところで、上巳の節供は、当然のことながら旧暦のタイミングが本来の形です。今回は新暦に合わせて撮影をいたしましたが、用意した桃の枝はハウスもののため、春のエネルギーが満ち、命も300歳以上に伸ばすほどの霊力みなぎる本来の桃とは少々違うもののようです。
今年の旧暦の上巳の節供は、3月30日とのこと。末富製の「ひちぎり」も数によっては応じますとのことですから、本来のタイミングでお雛さまを楽しんでみるのはいかがでしょうか?
なお、今回取材させていただきました公益財団法人 奈良屋記念杉本家保存会の春の特別一般公開「雛飾り展」は、3月19日(日)まで開催されています。とても美しい京都の有職雛を拝見できる貴重な機会。ぜひお運びください。(詳細は以下をご参照ください)
<写真(「ひちぎり」):高橋保世(美術工芸学科3年生)>
【参考図書】
◇『ものと人間の文化史89 もち(糯・餠)』<渡部忠世・深澤小百合/法政大学出版局>
◇『ひな人形』<斎藤良輔/法政大学出版局>
◇『雛祭新考』<有坂與太郎/建設社>
◇『京の歳時記今むかし』<別冊太陽 日本のこころ139>
◇『「まつり」の食文化』<神崎宣武/角川選書382>
◇『和菓子の京都』<川端道喜/岩波新書119>
◇『裸形と着装の人形史』<岡本万貴子/淡交社>
◇『日本の年中行事百科 民具で見る日本人のくらしQ&A 2春』<河出書房新社>
◇『日本庶民生活史料集成 第23巻 年中行事』<三一書房>
公益財団法人 奈良屋記念杉本家保存会
平成28年度春の特別一般公開「雛飾り」展
住所 | 京都市下京区綾小路通新町西入ル矢田町116番地 |
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電話番号 | 075-344-5724 |
時間 | 12:30〜17:00 |
会期 | 2017年3月3日(金)〜3月19日(日) |
定休日 | 月曜日・火曜日休館 |
料金 | 維持保存協力金として大人ひとり1,500円(高校生以下800円) 同保存会会員、ご招待券ご持参の方は無料 |
京菓子司 末富 本店
住所 | 京都市下京区松原通室町東入 |
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電話番号 | 075-351-0808 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | 日曜日・祝日 |
価格 | ひちぎり 540円(税込) |
※3月3日以降の「ひちぎり」につきましては、お店とご相談ください
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小池 ひかりHikari Koike
1997年広島県生まれ。京都造形芸術大学情報デザイン学科2016年度入学。主にグラフィックデザイン全般を学んでいる。好きな事は週に1度の映画鑑賞。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。
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瓜生通信編集部URYUTSUSHIN Editorial Team
京都造形芸術大学 広報誌『瓜生通信』編集部。学生編集部員24名、京都造形芸術大学教職員からなる。