EXTRA2017.01.13

京都

梅の花びらを模ったお餅で新年を寿ぐ ―御菱葩(川端道喜)[京の和菓子探訪 #8]

edited by
  • 瓜生通信編集部
  • 小池 ひかり
  • 高橋 保世
  • 地田 圭織

新年あけましておめでとうございます。

本年もWebマガジン「瓜生通信」をどうかよろしくお願いいたします。

さて、新年最初の[京の和菓子探訪]ですが、京都で新年の和菓子をご紹介するならば、葩餅(はなびらもち)をはずすことはできません。

茶室「颯々庵」にて〔撮影:高橋保世(美術工芸学科3年生)〕

葩餅は、丸く薄く延ばした白いお餅(お店によっては求肥)の真ん中に、薄紅く染められた菱餅と白味噌の甘い餡、そして甘く炊かれた牛蒡を載せて、半分に折ったもので、白いお餅から透けて見える薄っすらした紅の風情が、新春を寿ぐお菓子としてぴったり。それだからでしょう、京都では多くの方が新年の和菓子として楽しんでいるようです。

また幕末に、当時茶道裏千家のお家元11世玄々斎が、宮中に呼ばれて頂戴したことを機に、お初釜でいただくお菓子として許されたことから、明治以降裏千家のお初釜で欠かせないものとなり、茶道を嗜まれる人々を通じて広まって、日本各地の和菓子屋さんでも求められるようになりました。

しかし、その原形は、宮中で行われてきた「歯固め」の行事で食された菱葩(ひしはなびら)であり、葩餅として市中に出した元祖は、宮中への出入りを許された証「御粽司」の称号を持つ粽・餅菓子専門の老舗 川端道喜です。

『ものと人間の文化史89 もち(糯・餠)』<法政大学出版局>によると、「歯固め」は、「歯」には「齢(よわい)」の意味があり、正月に堅いものを食べて歯の根を強くし、延命長寿を願う行事で、古くは6世紀に中国の揚子江中流域の年中行事がまとめられたという『荊楚歳時記』に、正月に堅い飴の「膠牙餳(こうがとう)」をすすめたことが記されているそうです。

日本では、927年に完成した法令集『延喜式』や、土佐の国守として赴任していた紀貫之が、934年12月21日に土佐を出発し翌年2月16日に京都にもどるまでの日記『土佐日記』の中で、大湊で過ごす元旦の記述に「芋茎、荒布、歯がためもなし」と出てくるので、平安中期には正月の行事になっていたようです。『源氏物語』の第二十三帖「初音」にも、「歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて」と登場します。

それでは、この「歯固め」で食されたものは、どのようなものだったのでしょうか。この源氏物語の記述にもあるとおり、餅鏡(=鏡餅)は歯固めのアイテムのひとつだったようで、1146年頃に記されたという平安期の儀式・行事の調度の図『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』には、歯固めの品々を載せた台に鯛や鯉、鹿、押鮎などとが並んで鏡餅が描かれています。

 

『類聚雑要抄』より。手前左端の台に御鏡餅の表記〔画像提供:東京国立博物館/http://www.tnm.jp/

その後、室町時代に入り、足利将軍家では、紅白12枚の菱餅を歯固めの餅として食されたようです。

梅の花を模ったという白く丸いお餅、すなわち花びら餅が登場するタイミングがはっきり分からないのですが、『ものと人間の文化史89 もち(糯・餠)』では、白く丸い花びら餅の上に、小豆で赤く染めた菱餅を載せる菱葩の形になったのは、江戸時代の桜町天皇の代(1735~47)としています。一方、15代川端道喜が記した『和菓子の京都』(岩波新書119)では、道喜が宮中に出入りするようになる室町時代の終わりよりも以前から花びら餅はあったのではないかとしています。

川端道喜に伝わる宮中の行事御用品を表した絵巻物『御定式御用品雛形』より〔画像提供:川端道喜〕

同書には、道喜が毎年末に御所にお納めした正式な鏡餅の図が紹介されていますが、白木の三方の上にウラジロとゆずり葉を敷き、白い鏡餅1枚と赤い鏡餅1枚を載せ、その上に花びら餅(薄い丸餅)12枚、さらに赤い菱餅12枚を載せて、昆布、ほんだわら(海草)、串柿2本、「くれない」という水引で括った砂金餅・伊勢海老と飾っています。また、正月2日に「御買物始(おかいものはじめ)」として、三方に白い花びら餅12枚、赤い菱餅をそれぞれ載せて、押し味噌、竹の皮で包んだ飴、野老(ところ)という山芋、搗栗、榧の実、年魚(あゆ=鮎)などをトッピングに納められたことが、絵図で紹介されています。菱葩にはお酒の肴としての役割もあったのでしょう、まるで和製カナッペのようです。

『三條家奥向恒例年中行事』に伝わる図を元に再描画〔画:地田圭織(美術工芸学科3年生)〕

さて、安政2年(1855年)に京都の公家 三条家の奥向きの年中行事がまとめられた『三條家奥向恒例年中行事』の正月の行事を見てみると、元旦の朝、清めて装束を調えた後、四方拝、御仏殿拝を済ませてから、家族揃って「御歯かための御祝」をすることが書かれています。その様子は、三方に杉原紙2枚を敷き、白い花ひら餅の上に赤い菱餅、ごまめ2つ載せて、お箸一箭添えてお出しすることが図で描かれており、新年のご挨拶でお越しのお客様にも、その形でお出ししたとか。

また、前出の『和菓子の京都』によると、花びら餅や菱餅、ごぼう、味噌などを大量にそれぞれ別の桶に入れて、禁中(=御所)に納めたそうで、これらは禁中にお勤めの方々ひとりひとりに、花びら餅に菱餅、ごぼう、味噌をのせて配られ、それぞれふたつに折ってその場で食べたり持ち帰ったりしたのだそう。これを公卿など堂上方は「宮中雑煮」と呼び慣わしていたとのこと。

その後、明治の東京遷都の際に京都に残ることを選択した道喜は、御所に納める仕事を失う一方、代々培ってきた技を茶道用の主菓子に工夫するのですが、「御菱葩」もその流れの中で生まれました。そのいきさつは、川端道喜製「御菱葩」を求めた際にいただいた説明書きに詳しいので、ここに一部転載いたします。

今日の「御菱葩」は、茶道裏千家の初釜用主菓子に使われるようになってのことで、天正13年秀吉の亭主役として、正親町天皇に点前した利休居士以来、禁中献茶の再興を夢見ていた、裏千家11代玄々斎宗室宗匠(1810~1877)が、慶応元年の八朔と、明けて慶応2年正月に望みが実現し、その二度目の献茶を首尾よく奉仕し終え、これ以降恒例献茶となり、喜びを流儀一統にわかつため、御所より持ち帰った正月恩賜の「御菱葩」を、砕いて寿饅頭の原料に混ぜ、初釜用主菓子として祝いました。そして、明治3年天皇東行後、宮中献茶を記念して玄々斎宗匠は、道喜に初釜用「御菱葩」創作を依頼、様々試行の末に12代道喜が現在の製法をあみだして調進いたしました。これが後に正月の季節菓子として全国に広まり定着し、各地の和菓子店で各々に製造されておりますところの、様々な「はなびら餅」の、すべてのおこりでございます。(「『御菱葩・おんひしはなびら』と『試餅・こころみのもち』の事」より)

 

それでは、川端道喜製「御菱葩」を「瓜生通信」編集部の小池ひかりさんに紹介してもらいましょう。

 

私にとって「葩餅」をいただくのは、今回人生で初めての経験です。

梅の花びらを模ったという薄くて丸いお餅の中に、薄いピンクに染めた菱餅が忍ばせてあるのですが、白いお餅を通してほのかに透けて見えるその加減がとても上品です。優しい甘さで弾力のあるお餅の中に包まれているのは、とてもなめらかでトロリとした甘いお味噌の餡。そしてその中には、柔らかくホクッとした食感のごぼうが隠れていて、その豊かな香りが口に広がり、とても幸せな気持ちになりました。

ポイントは、トロリと流れ出てくる餡をいかに垂れないようにしていただくか。御懐紙に包み、その端を少し折り曲げて、餡が垂れないように気をつけながら食べてみてください。きっと宮中のお正月気分を味わえること請け合いです。

小池ひかり(情報デザイン学科1年生)

***

なお、川端道喜製「御菱葩」をお求めになりたい方は、毎年12月1日より電話予約を受け付けているとのこと。当たってみてください。

<写真:高橋保世(美術工芸学科3年生)、描画:地田圭織(美術工芸学科3年生)>

 

【参考図書】

◇『和菓子の京都』(川端道喜著/岩波新書119、1990年

『ものと人間の文化史89 もち(糯・餠)』<渡部忠世, 深澤小百合著/法政大学出版局、1998年

◇『日本庶民生活史料集成 第23巻「三條家奥向恒例年中行事」』<三一書房、1981年>

川端道喜(かわばたどうき)

住所 京都市左京区下鴨南野々神町2-12
電話番号 075-781-8117
営業時間 9:30~17:30
定休日
価格 御菱葩 1,500円(税込)

※ご購入の際は、事前の予約が必要になります。

※御菱葩は、毎年12月1日より予約を受け付けます。

 

京都芸術大学 Newsletter

京都芸術大学の教員が執筆するコラムと、クリエイター・研究者が選ぶ、世界を学ぶ最新トピックスを無料でお届けします。ご希望の方は、メールアドレスをご入力するだけで、来週水曜日より配信を開始します。以下よりお申し込みください。

お申し込みはこちらから

  • 瓜生通信編集部URYUTSUSHIN Editorial Team

    京都造形芸術大学 広報誌『瓜生通信』編集部。学生編集部員24名、京都造形芸術大学教職員からなる。

  • 小池 ひかりHikari Koike

    1997年広島県生まれ。京都造形芸術大学情報デザイン学科2016年度入学。主にグラフィックデザイン全般を学んでいる。好きな事は週に1度の映画鑑賞。

  • 高橋 保世Yasuyo Takahashi

    1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。

  • 地田 圭織Kaori Chida

    1995年静岡県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科日本画コース2014年度入学。日本画専攻だけど西洋美術史を勉強するのが好き。

お気に入り登録しました

既に登録済みです。

お気に入り記事を削除します。
よろしいですか?