通信教育課程では全国津々浦々に在学生や卒業生がいることを生かして、2000年度より在学生・卒業生・教員の交流と学びを目的とした「秋の収穫祭」という催しを開いています。その名のとおり、2018年度までは実りの秋に各地より厳選した4会場において実施されてきましたが、2019年度からは秋だけでなく1年を通して8会場で開催しています。
収穫祭では、全国様々な地域の特色ある芸術文化をワークショップや特別講義を通して紹介することや、公立私設を問わず美術館や博物館の社会への取り組みや発信、また開催中の展覧会を鑑賞することなどを行っています。
今回、11月26日に奈良市で行われた収穫祭について、担当した日本画コース・後藤吉晃教員からの現地報告をご紹介します。
最古の墨として、正倉院には中国と朝鮮の墨が保存されています。推古天皇の時代には日本でも写経などが盛んに行われるようになり、輸入だけではなく需要に追いつくための墨の製造が国内でも盛んになったと考えられているそうです。奈良県奈良市で生産されている墨を「奈良墨」と呼び、現在は国内の墨のほとんどが奈良で作られています。
薬師寺の東に位置する西ノ京駅。駅に隣接して本社を構えるのは、墨や書画用品のメーカーである株式会社 墨運堂です。文化2年(1805年)墨屋九兵衛が奈良市の餅飯殿(もちいどの)において墨の製造を始め、現在では伝統技術の上に近代技術を取り入れて、変化する時代のニーズに応じた製品の研究開発をされています。
本学の通信教育課程では今年度から書画コースが新設されました。本学での墨への関心は高まっています。墨作りのシーズンに入った製造の現場にお邪魔して、普段から墨を扱う方もそうではない方も、改めて墨について学ぶ収穫祭を開催しました。
引き継がれる墨色
おそらく誰しもが知らぬ間にでも一度は扱ったことのある奈良墨。実際に墨色を味わう前に、その墨作りの歴史と現在について学びました。本社の隣にある「墨の資料館」では墨運堂が収集してきた資料や作品が展示されており、今回は墨がこれまでどのような歴史を刻み、どのように造られるのかを墨運堂社長の松井昭光氏がご案内くださいました。
松井氏による詳しく丁寧な解説に墨作りへの関心が更に深まりました。墨の原材料に実際に触れたり香りを愉しんだりしながら、展示の一つひとつに参加者から多くの質問が寄せられました。
「墨の資料館」では職人による実際の墨の型入れ作業も見ることができます。原料を練り合わせた墨玉を型に入れ、プレス機で圧をかける。作業中にも関わらず、職人さんは参加者からの質問に気さくにご対応くださいました。参加者からのリクエストに応え、この時点では既に済んでいた作業も実演してくださったり、「なぜこの職人を目指そうと思われたのか?」という少々プライベートな質問にまで及ぶ一幕も。墨作りの工程だけでなく、職人の心意気も直接学べた貴重な機会となりました。
ここでは全員で「にぎり墨」の体験もしてきました。接着剤となる原料のひとつの膠(にかわ)は冷めるとゼリー状に固まってしまいます。それゆえ熱い状態で原料は練り合わせられるのですが、練り上げられた墨玉はまだ温かく、柔らかい。固く乾燥し製品化される前の、この感触を味わえるのも製造の現場ならではの体験です。にぎった墨玉は桐箱に入れて自宅で乾燥させます。ゆっくりしっかりと乾燥させるために、開けずに「忘れた頃までほっとく」のがポイントだそう。
製造工場など、敷地内もご案内いただきました。いたる所に墨・書画用品にまつわる意匠が凝らされており、床が墨の練り込まれた塗装のタイルだったり、併設する試墨庵の「永楽庵」では敷石は全て硯が埋め込まれたものだったりします。午後はこの「永楽庵」にて自身で墨を磨り、墨色を味合う時間としました。
理想の墨色を求めて
「永楽庵」には昭和30年から現在までの約180種類の墨が常時用意されており、試墨して自身の手に合った墨、感性に合った墨色を探すことができます。墨は紙、磨る硯、水が軟水か硬水かによってもその色合いや滲み具合が変わってきます。それぞれ異なるものを数種類ずつ墨運堂さんがご準備くださり、墨香に包まれながら充実した試墨の時間を過ごしました。日常の喧騒から離れ、ただ墨を磨る。贅沢なひとときとなりました。
試墨と並行して、塚下秀峰(つかした しゅうほう)先生を特別講師としてお招きし、運筆の体験授業を行いました。塚下先生は、幸野豊一氏に師事し、その後、中島雲渓(円山派)に運筆を、塚下良雄(塚下塾)にデザインを、里見米庵(院展)に運筆・日本画を学ばれました。日本画家としてのみならず、多くの壁面装飾などを手がけ、現在は京都芸術大学でも後進の指導にご尽力いただいています。
今回習うのは運筆の基礎的要素を多く含んだ「宝珠」。宝珠とは、ほしい物が思いのままに出せるという玉で、縁起の良いモチーフです。塚下先生の実演と手ほどきの後、自身で選び磨った墨で描いていきます。筆への含ませ方や一筆でのぼかしなどはなかなか上手くはいきませんが、それぞれに墨の奥深さや魅力を更に体感していただけたのではないでしょうか。
墨に触れる静謐な収穫祭。始まるまではそう想像していたのですが、ご参加の皆さんは初めてご一緒する方々とは思えないくらいにワイワイと賑やかに、愉しみながら参加されていたのが印象に残りました。もちろん、引き続き感染症対策は講じながらではありましたが、本学の通信教育課程らしい活気ある今年度最後の収穫祭となり大変嬉しく思っています。今回の収穫祭に参加された芸術教養学科の卒業生・橋本博幸さんから感想をいただいていますので、ご紹介します。
去る11月26日、収穫祭in 奈良が開催されました。20人の枠に120人以上の応募があり、人気の高さがうかがえます。今回、創業が1805年の墨運堂様を訪問。最寄駅を降りると近くには薬師寺や唐招提寺もあり、歴史を感じる一帯です。
墨は1400年前の飛鳥時代に中国から高麗を経て、奈良に伝わりました。奈良時代以降、興福寺の燈明の煤(すす)を膠(にかわ)と集めてつくった、黒味の強い光沢の油煙墨が評判。奈良墨として1400年に渡って職人の手によって受け継がれて、現在、国内の墨の約95%は奈良でつくられています。同社資料館では中国や韓国などの海外の芸術的な墨の展示や製造・保存法はじめ、水の種類や温度で書き味が変わる墨の分散表現など“墨は生きている”ことが印象的でした。
さらに「にぎり墨」体験という型に入れる前の丹念に練った墨を、自身の手で握って記念に持ち帰える企画が好評でした。ここまで学習すると一筆試してみたいのが本能。午後から塚下秀峰先生の運筆講座とともに、様々な墨の種類を試し、紙との相性を確かめるなど終始賑やかで有意義な一日でした。
(橋本博幸 芸術教養学科 2015年度生)
この記事をご覧いただいている方の中には、残念ながら抽選によってご一緒できなかった方もおられると思いますが、ぜひ次年度の収穫祭にも期待していていただきたいです。また、今回訪れた墨運堂では普段から見学や「永楽庵」の利用を受け付けておられますので、機会があれば是非足を運んでみてください。
(文:日本画コース 教員 後藤吉晃)
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