REPORT2022.12.19

記憶の海光/うみやまの磁場 ―江之浦測候所―[収穫祭 in 神奈川]

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  • 京都芸術大学 広報課

 通信教育課程では全国津々浦々に在学生や卒業生がいることを生かして、2000年度より在学生・卒業生・教員の交流と学びを目的とした「秋の収穫祭」という催しを開いています。その名のとおり、2018年度までは実りの秋に各地より厳選した4会場において実施されてきましたが、2019年度からは秋だけでなく1年を通して8会場で開催しています。

 収穫祭では、全国様々な地域の特色ある芸術文化をワークショップや特別講義を通して紹介することや、公立私設を問わず美術館や博物館の社会への取り組みや発信、また開催中の展覧会を鑑賞することなどを行っています。

 今回、10月22日に神奈川県小田原市で行われた収穫祭について、担当した写真コース・勝又公仁彦教員からの現地報告をご紹介します。

  • 2018年度「秋の収穫祭」リーフレット(表面)
  • 2018年度「秋の収穫祭」リーフレット(裏面)

 

 写真や映像で見てきた「小田原文化財団 江之浦測候所」は広大な敷地の緑に囲まれ、遠く漣の音を響かせる静けさと陽光に包まれた端正で壮麗な古代と現代が融合した施設という印象だった。しかし、駐車場で車を降りた我々は激しく吹き寄せる風に襲われた。吉川左紀子学長も参加の収穫祭にしてはいささか荒っぽい歓迎だ。

施設内の石材は古材を基本とし、『作庭記』(橘俊綱)で重視された石の垂直性を改め、石の水平性を全体の布石の基本原理としている。江之浦周辺は小松石、根府川石といった石材の産地でもある。
(写真撮影:奥田輝芳先生)

 
 一行は嵐を避けるため「甘橘山」という山号の扁額と「江之浦測候所参道」と刻まれた石碑の出された樹々の間に逃げるように走り込んだ。小田原文化財団設立者で現代美術作家の杉本博司氏と「新素材研究所」を設立し、杉本氏が構想した江之浦測候所の実施設計と監理を担当されている講師の榊田倫之先生は登りながら「全体が禅寺の構造をもっています」とおっしゃった。ここより先は聖地霊地ということか。参道の左右には灯籠や石像が配されている。

「不許葷酒」のうち酒の字は半分埋まっている。このようなユーモアのある表現や命名が随所になされていて一つ一つ確認するのも楽しい。(写真撮影:奥田輝芳先生)


 榊の樹々が途切れ、参道が左方に折れると「赤沢蜂巣観音」と名された小さな御堂があり円空仏がさりげなくも異様な存在感とともに祀られている。形式は神道式の社にも見える。祓い戸社の役割であろうか。すでに神仏習合である。

江之浦の集落にあった赤沢観音堂には室町時代の観音像が祀られていたが放火により焼失。その復活として御堂を再建し円空仏を祀っている。
登り切ると海に面したカフェ「ストーンエイジ・カフェ」がある。石を積むことから始まった文明への想いを馳せる場所。「甘橘山」で収穫された柑橘の果実を搾りたてでいただける。扁額には「万事汁す」杉本氏の揮毫である。


 風は強くなるばかり、施設のスタッフの方もこんな嵐の日は今までなかったとのことで、開会の挨拶もそこそこに榊田先生の解説による施設見学へと移る。杉本氏が写真からスタートした作家であるため、作品についてのレクチャーを私が少しする予定であったが、それも中止。卑小なものは口を噤めということか。神風に逆らい、お話する予定であったことの一部をこのレポートの中に差し挟むこととしよう。

 

記憶の Lightning

明月門は鎌倉にある明月院の正門として室町時代に建てられた。関東大震災での被災を契機に仰木魯堂、馬越恭平と持ち主を変えながら移築され、根津美術館の正門としての使用を経て、江之浦測候所の正門として解体修理され再建された。


 待合棟の入り口には杉本氏の著作や展覧会カタログなどが置かれている。そこにあるDVDの一つが私が初めて江之浦測候所の構想を知った資料であった。そこでは杉本氏がこの場所を選んだ理由として、家族で東京から伊豆へ遊びに行った帰りに、トンネルを抜けた先に広がる海の記憶を挙げておられた。それを聞いて私にも年代は違えど同様の記憶があることが呼び覚まされた。幼少期に旧小田原藩領にある実家から東京に向かう列車の中で、トンネルの向こうから差し込む光と抜けた先に広がる海に強い印象を覚えたのである。私の場合はその後に大船駅に停車中の車内から見上げた白い大船観音の巨大さも記憶に残っているのだが。それはともかく、待合棟の地下には杉本氏の写真作品「Lightning Fields」からの1点が掛かっている。これはいわゆるカメラレス(カメラを経由しない)フォトグラフィーで、放電現象を直接フィルムに感光させてプリントしたものだ。ちょうどこの収穫祭が開催された日(2022年10月22日)と会期が重なっている姫路市美術館における『本歌取り展』での「Lightning Fields」の展示では木彫の雷神像と併せて展示されていた(以前の展覧会でもその組み合わせを複数回観ている)。

待合棟の地下。


 してみると、この大風は雷神ばかりがフィーチャーされていることへの風神のアピールというか抗議なのではないかと夢想してしまった。京都もまた北野や北山、賀茂を中心に雷の多い地域であり、俵屋宗達の「風神雷神図」のある建仁寺にも塔頭の一つに「Lightning Fields」の襖がある。しかし杉本氏はそのような片手落ちはしていない。少し目立たないだけなのだ。そのことを別の施設内の展示から後に見てみよう。

 

海へ突き出す大ガラス「夏至光遥拝100メートルギャラリー」

夏至光遥拝100メートルギャラリーへ(写真撮影:奥田輝芳先生)
移動しながらインカムでの解説が続く。100メートル離れていてもクリアに聞こえることが実証され、運営サイドも安心。


 明月門から「夏至光遥拝100メートルギャラリー」へと移る。その名の通りの長大な空間で、長さ100メートル海抜100メートルの高さに据えられている。構造壁は大谷石が大量に使われているが通常は裏側となる自然剥離肌を表にしてあり、野趣溢れる仕上がりとなっている。これにより榊田先生は「宇都宮市公認大谷石大使」に任命されたとのこと。反対面は柱の支えなしに自立する37枚の硝子板でなっており、北側の柔らかい自然光が空間を満たしている。杉本氏は当初一枚の硝子板を希望していたとのことで、アーティストの発想を現実や図面に落とし込んでいかれた榊田先生のご苦労と工夫が偲ばれた。

夏至光遥拝100メートルギャラリーの突端は相模湾を一望できるテラスになっている。
海に向かって12m突き出す夏至光遥拝100メートルギャラリー。この張り出しを支える杭が地中深くまで埋め込まれているとのこと。


 眺められるのは海や陽光ばかりではない、長手の壁面には杉本氏のよく知られた「海景」シリーズが展示されている。


 静まり返る海景が続く中、そのうちの一点には海面の一部にわずかな白波が立っている。これこそが風を捉えた作品である。その撮影地は隠岐なのだ。本年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもラストのハイライトである承久の乱に敗れ、流罪となった後鳥羽上皇は「我こそは新島守よ隠岐の海のあらき波風心して吹け」と歌った。杉本氏は上皇がこの歌を詠んだであろう地を探し、撮影をしている。それはさらに言えば、学園の創設者である徳山詳直前理事長が少年時代に眺め、感じていたかもしれない「あらき波風」なのだ。

 

くらやみから光へ ー死と再生のシンボル・冬至の太陽光が貫く「冬至光遥拝隧道」

 「冬至光遥拝隧道」へと向かう。当初から杉本氏の構想にあったというこの施設の核となる箇所だ。気がつけば、あれだけ激しかった風はいつの間にかやみ晴天が広がっている。風神のご機嫌も直ったようだ。

円形石舞台にて説明を伺う。放射状の敷石は京都市電の敷石を擦り合わせたもの。


 コールテン・スティールによる70mの「冬至光遥拝隧道」はその名の通り冬至の朝に相模湾から昇る陽光に貫かれる。一年で最も力が弱まる冬至の太陽は死と再生のシンボルとして循環する時間概念とともに意識化され、世界各地の古代文明で祀られてきた。その中でも杉本氏は5000年前に造られたアイルランドの古代遺跡ニューグランジの石室墓の隧道に深く差し込む冬至の光について言及されており、石組みの共通性も感じられた。

榊田先生の熱心な解説とそれを聞き漏らすまいと真剣にメモを取る参加者のみなさん。
隧道の中ほどにある採光のための「光井戸」。水平に差し込む光と垂直に差し込む光が交差する。
トンネルから差し込む光は杉本氏の幼少期の記憶に結びつくとともに、氏の「劇場」シリーズの開口部に見えるスクリーンをも想起させる。

 

インストールされ、増殖し、変容する施設群「5000年後の竣工」を目指して

 間に茶室「雨聴天」を見学し、隧道を出る頃にはすでにお腹いっぱいになっていた我々であるが、まだ半分も回っていない。施設は名のついているものだけでも60箇所ある。全てはご紹介しきれないため、一部の写真のみ見学の順を追ってご覧いただこう。

「光学硝子舞台と古代ローマ円形劇場写し観客席」にてしばし休憩。清水寺と同じ懸造で冬至の軸線に沿って設置されている。俳優、能役者、舞踏家、ミュージシャンらのパフォーミング・アーティストたちから、この舞台に立ちたいとのオファーが多々寄せられているとのこと。
明月門エリアから竹林エリアへ降りる。
「化石窟」は蜜柑栽培の作業小屋を整備。5億年前の化石をはじめ、青銅器や楔形文字陶板とともに小屋に残されていた蜜柑栽培の各種道具も残されている。化石はネガポジ法の写真を想起するとともに、過去の実在の痕跡というインデックス性においても写真の構造に通じる。
「硝子舞台」のあたりから朱塗の春日社を遠望。あそこまでまだまだ歩く。
「数理模型 0004」数学上の理論模型を高精度で可視化した杉本氏の彫刻作品も竹林に静かに佇む。
「甘橘山 春日社」現存する最古の春日造りの奈良・円成寺の春日堂を採寸し写した社殿。春日大社の御霊を勧請したのは令和では初めてとのこと。武甕雷命や神鹿の春日大社と鹿島神宮との間の御旅所でもある。
畑と山林を抜けながら、戻り道。左から「光学硝子舞台」「冬至光遥拝隧道」「夏至光遥拝100メートルギャラリー」を見上げる。
登り切り、再度しばし休憩。「古代ローマ円形劇場写し観客席」にて語り合う吉川学長と榊田先生。
蜜柑畑の石組みを再利用した「野点席」にて質疑応答。多くの質問に丁寧にお答えいただいた。


 写真をご覧になってお気づきの方も多いと思うが、施設にはほとんど柵や手すりはない。美観は保たれるが、管理や法規の面で気苦労は絶えないようだ。多才な杉本氏は建築や料理においては敢えてアマチュアに留まることを宣言しているという。そうすることで自由な発想を失うことがない。親子ほど歳が違う者同士のパートナーシップが産んだ感嘆すべき施設は今も「5000年後の竣工」を目指して拡張中である。杉本氏から榊田先生への世代を超えた協働と継承を賞賛した吉川学長は、入り口で渡されたパンフレットに各施設の詳細な解説が記されている丁寧さ緻密さにも感じ入っておられた。古物商でもあった杉本氏はそのもの自体の素晴らしさと同様に、来歴や物語こそがモノの価値を決めることを知悉しておられるのだろう。学長はまた、1人の人間が意思を強く保って大きな事業を成し遂げたことに、学園の前理事長との共通性についても語っておられた。比べるべくもないことだが、大望を失いつつある自らを省みるとともに、その道の果てしなさに目眩を覚える。心地よく歩き疲れた身体を撫でる夕方の風は皆の背を押しているかのようだった。

これは建築なのか 壮大なアートなのか

 2022年10月22日、根府川駅からバスで「収穫祭」の場所 江之浦測候所に向かう。現代アートの巨匠 杉本博司が携わるプロジェクトということで、定員20名のところ279名の申込がある中で、ラッキーにも参加できることになった。江之浦測候所に着くと、洋画コースの奥田先生、写真コースの勝又先生、事務局の方、そして吉川学長の出迎えを受け、この江之浦測候所の建築開始当初からの建築家榊田倫之さんにこの場所に造るに至った経緯、夏至光遥拝100ギャラリー、冬至光遥拝隧道、光学ガラス舞台の構築物の特徴、そしてそれが持つ意味合いを詳しい説明を、また杉本博司のかねてからの思いであった春日社勧請の話も聞かせて頂いた。

 杉本博司のコンセプトを、榊田以下が現実化する。そこには、アートと現実の鬩ぎ合いがあり、多くの葛藤が今もあるようだ。一方、美術館としての役割「美術品の収集・調査研究」を充実させることも今後の視野に入っているとの事。

 今、手元に杉本博司が、小田原に江之浦測候所を作った顛末を書いた『江之浦奇譚』という本がある。そして杉本自身による写真も多く掲載され、杉本博司の世界を知る一助になるのではと思う。

 

(小泉均 美術科写真コース 2019年度生)

光と風と時間を感じるアート空間

 「5000年後に遺跡としていかに美しく残るか」

 雄大な相模湾を望む小田原・江之浦の地に、現代美術作家・杉本博司氏が長年かけてその構想を形にしてきた「江之浦測候所」。

 海沿いの根府川駅からみかん畑の間を登りバスを降りると、箱根外輪山から強い風が吹き下ろしていた。杉本氏の写真作品『海景』は、古代から変わらない世界各地の海の風景を写している。ここ江之浦に暮らしたあらゆる年代の人が感じてきたのと同じ海と風を今、感じていることに胸が躍った。

 夏至と冬至それぞれの光が通り抜ける隧道、石と硝子の能舞台、歴史を刻む巨石、時を止め後世へ伝えるものとしての化石。杉本氏の世界観を表す様々なアートについて、設計を手掛ける建築家・榊田倫之氏に案内していただいた。現代の数寄者を自称する杉本氏の芸術を建築として具現化するための試行錯誤をはじめ、興味深い裏話を拝聴した。

 自然の美しさと、人の営みに対する愛しさが感じられる場所だった。5000年後には、ここにあるあらゆるものが歴史という価値をまとい、古く美しいものになっているのだろう。

 

(猪股美沙貴 芸術学科アートライティングコース 2021年度生)

 

(文・写真:写真コース 教員 勝又公仁彦)

 

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