EXTRA2017.12.26

京都歴史

千本釈迦堂の大根焚き(だいこだき)と京の冬野菜 —すずな(千本玉寿軒)[京の暮らしと和菓子 #7]

edited by
  • 栗本 徳子
  • 高橋 保世

 京都の師走は、さまざまな伝統行事が行われます。大根焚き、終い弘法、終い天神。一年を終えるこの月の忙しさの中にも、今年のうちにしておくべきことを確かめるように、無事の越年を願うために、そしてひとときの楽しみを味わうために、京都の人々は寒空のなか出かけて行きます。

 その代表格ともいうべき行事が、大根焚きです。12月を通じて京都各所で行われますが、今年は12月2日、3日が鳴滝の三宝寺、7日、8日が千本釈迦堂、9日、10日が鳴滝の了徳寺、10日が岩倉の妙満寺、23日、24日が鈴虫寺、そして大晦日が蛸薬師堂での大根焚きです。寺院によってその謂われは少しずつ異なりますが、いずれも大鍋で炊き上げた大根を食すると、無病息災、厄落としなどのご利益があると言われます。

 12月7日、久しぶりに千本釈迦堂の大根焚きに出かけました。この行事の折りが千本釈迦堂の最もにぎわう日とも言えますが、じつは同寺は、正式には「大報恩寺」と称し、知る人ぞ知る洛中最古の国宝本堂を有する名刹です。

千本釈迦堂
国宝のご本堂

 鎌倉時代の承久(じょうきゅう)3年(1221)、比叡山で修行した義空上人が創建したとされ、昭和26年(1951)、解体修理時に発見された義空の願文によって、本堂は安貞(あんてい)元年(1227)に上棟された建造物であることが判明したのです。まさに応仁・文明の乱(1467〜77)の際に、山名宗全(そうぜん)率いる西軍の陣が構えられたことから「西陣」と呼ばれるようになった地域にある大報恩寺が、鎌倉時代の建造物を遺しているということは奇跡とも言えるでしょう。

 さらに鎌倉時代の重要文化財の仏像が多数遺されていることも特筆すべきことです。仏師快慶の弟子である行快の作になる本尊釈迦如来坐像(秘仏)ほか、霊宝殿には、建保6年(1218)から承久2年(1220)にかけて快慶とその一門によって造像された木造十大弟子立像10躯、および貞応(じょうおう)3年(1224)肥後別当定慶の墨書銘がある准胝観音像を含む六観音像6躯などが並び立ち、鎌倉彫刻の世界へいざなってくれる稀なる空間を作り出しています。

 そして早くから「千本の釈迦堂」として親しまれる寺院であったことは、鎌倉時代の『徒然草』228段に「千本の釈迦念仏は文永の比(ころ)如輪上人これ始めけられけり」とあることからも知られます。

 また寺伝によると、鎌倉時代の僧、第3世慈禅上人が始めたのが「成道会(じょうどうえ)」とされます。ブッダガヤの菩提樹の下、坐禅による修行中の釈迦は、悟りを妨げようとする魔王によって次々と誘惑の魔の手に襲われたのですが、ことごとく降伏させて、12月8日の夜明け前の明星出現と同時に「悟り」を開かれたのです。これに因んで行われる法要「成道会」では、大根の切り口に釈迦の種字(しゅじ)(梵字)を墨書して供え、参詣者に授けて「悪魔除け」とされたと言います。その後、「悪魔除けの大根」を、他の大根と炊き上げて参詣者に振る舞われたのが「大根焚き」の初めとされます。

 今では、これを食せば、「中風除け」「諸病除け」の効があると言われて、善男善女の参詣で賑わいます。

 初めて千本釈迦堂の「大根炊き」に行った日の思い出があります。土日という曜日を選んで行われるのではなく、釈迦の成道に合わせて必ず12月7日、8日に行われる年中行事は、高校生までの学校のある身には、縁のないに等しい行事でしたが、一度ぜひお参りしたいと思っていました。

千本釈迦堂の大根焚き

 そうこうするうち授業の合間というものが生まれる大学生となり、確か2回生の頃だったと思うのですが、同志社大学の美学専攻の先輩と後輩と私の3人で誘い合わせて出かけたのでした。昨今より、人の出は多くなかったように記憶していますが、普段、家で食べる「大根の炊いたん」とどこがどう違うのか、精進のだしをタップリはった大鍋でしっかり炊き上げた大根とお揚げ(油揚げ)は、格別の美味しさでした。お釈迦様へのお詣りもソコソコに、赤い毛氈を敷いた床几に座って熱々の大根をふうふう吹きながら頬ばっていたのですが、ふと隣の床几を見ると、あの有名な今東光(こんとうこう)師と瀬戸内寂聴尼が座っておられたのです。

 ご存じの方も多いかと思いますが、今東光師は天台宗の僧侶であり、作家、参議院議員も務められた人物ですが、その破天荒な言動でとみに有名な僧侶であり、まさに1973年には、師僧として瀬戸内晴美女史の得度を自身が管主を務める中尊寺で行い、寂聴の法名を授けておられたのです。私の記憶が間違っていなければ、大根炊きでお見かけしたのは1976年の12月のことで、翌年9月には79歳で遷化されていますので、最晩年のことだったということになります。

 皆が少し遠慮してかお二人の近くに座る人はなく、たまたますぐ横にいた私たちを見て、今東光師が、「若いお嬢さんらは………、私らのようなヤクザとは違うて………」などと、あまり聞き取れなかったのですが、どうやら若い人が多いとは言えないこの行事に来ている私たちのことに触れながら寂聴尼と談笑されているご様子で、聞くとはなしに聞こえてくるガラガラ声の迫力にドギマギしながら、残りの大根を慌てて口にほうりこんだ覚えがあります。お供の方もなく師弟二人で楽しまれている大根炊きでのお姿でした。

 さて、千本釈迦堂では、大鍋で炊いて境内で供される大根とは別に、釈迦、観音、不動の種字(梵字)を墨書して祈祷した丸大根が、持ち帰ってお家で炊く人のために授与されています。

 今はその産地も城陽や久御山、亀岡などが有名になっていますが、これは聖護院大根という京野菜のひとつです。近畿農政局のホームページによると

 文政年間(1818~1830)に、愛宕郡聖護院(現在の左京区聖護院)に住む篤農家が尾張の国から黒谷の金戒光明寺に奉納された長だいこんをもらい受け、採種を続けるうちに丸形の固定した品種が育成されたのが始まりと言われています。
 煮崩れしにくく、また、甘くて苦みが少ないので、主に煮物用に利用されます。 

と解説されています。

 京都の冬の根菜といえば、この聖護院大根と聖護院かぶらを外すことができません。どちらもぷっくりと丸く、見かけは似ていますが、性質が全く違います。

聖護院かぶら(左)と聖護院大根

 生家では冬になると「聖護院大根の炊いたん」を、よく母が作っていました。すぐに柔らかくなり、味がしみて聖護院大根特有の甘味と出汁の旨味を含んでなんとも言えない美味しさに炊き上がります。くたくた煮すぎると青首大根より煮くずれしやすいのですが、短時間で炊けてしっかり味がつくので、始末をモットーとする京都の庶民には、誠に嬉しい冬野菜です。

 一方の聖護院かぶらは、生食のためのかぶらで、千枚漬けの材料となります。千枚漬けはお漬物屋さんでも味に違いがあり、京都の人は好みのお漬物屋さんを選んで買い求めます。聖護院かぶらのできる冬場、そして傷みやすいので、本当に寒い時期にしか出回らない、少し値のはる贅沢な漬物ですから、特に正月に食卓に上ることが多い漬物と言えます。

 お漬物屋さんで買うものと思っていた千枚漬けですが、左京区に住むようになり、西賀茂の農家の方が、振り売りという習慣の名残で、軽トラックで採りたての野菜を売りに来られるのを買うようになってから、聖護院かぶらの自家製千枚漬け用の調味料の配合を教えてもらいました。

 大きめのかぶらを包丁だけで扱うのに丸ままは無理なので、縦4等分にして、厚めに皮をむいてから銀杏切りに薄く薄く切ります。これが難しく、どうしてもやや厚めになりますが、そこは目をつむって、塩をして重石をして漬けます。水分が出てきたら、酢カップ1、煮切り酒50cc、煮切り味醂50cc、水50cc、砂糖80g、塩大さじ1杯とお昆布を入れた調味液に漬け、軽く重石をしますと1日、2日くらいで漬け上がります。買ったものとは違うフレッシュ感が取り柄の少々不細工な千枚漬けの出来上がりです。これもご参考までに、お味は好みで酢や砂糖の分量をおかげんください。

 さて、この時期に千本釈迦堂のすぐ近くにある千本玉寿軒では、羽二重餅製の「すずな」という和菓子が作られます。これは正月7日の七草粥にも入れる春の七草の「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」の「すずな」で、かぶらの別名です。けれども京都の住人なら、そのふっくらとした姿を見ると、ただのかぶらではなく、あの丸い聖護院大根か聖護院かぶらを重ねてしまいます。

 お店で聞いてみますと「『すずな』というてますが、聖護院大根の『すずしろ(大根)』としていただいてもかましまへん。」とのこと。

 「大根焚き」の帰りに「聖護院大根」のつもりで求めてみました。

千本玉壽軒製「すずな」

 その形は、羽二重餅をかなり慎重に扱わないとできないと思われる聖護院大根やかぶらを写すように微妙な丸みで、少し覗く緑の茎がまたいっそうの愛らしさを加えています。こういうあどけなさとも言える愛らしさも京都の人の好みのひとつと、私は思っています。

 そして口にすると、本当にこれほど柔らかな羽二重餅に出会ったことがないと思えるぐらいの、卵白を含んだしっとり粘りのある食感に驚きます。さらに中に包まれたキメの細かい白餡のなめらかで上品な甘味、姿のあどけなさとは真逆のどこまでも洗練された大人のお味でした。

 やはり、京都ならではのこのギャップに、思わずまいりましたと呟いてしまう、師走の疲れを癒してくれるやさしい上生菓子でした。

 

<文:栗本徳子(歴史遺産学科教授)/千本玉壽軒製「すずな」・聖護院かぶらと聖護院大根 写真:高橋保世(美術工芸学科4年)>

京菓子司 千本玉壽軒

住所 京都市上京区千本通今出川上る上善寺町96
電話番号 075-461-0796
営業時間 8:00~18:00
定休日 水曜日
価格 「すずな」378円(税込)

http://sentama.co.jp/

 

※お求めの際は、あらかじめお電話でお申込みください。

※「すずな」の販売は12月29日頃までの予定です。

  • 栗本 徳子Noriko Kurimoto

    1979年、同志社大学文学部文化学科卒業。1980年より3年間、社団法人 日本図案化協会 日図デザイン博物館学芸員として勤務。『フランス染織文化展 ―ミュルーズ染織美術館コレクション―』(1981年)などを担当。1985年、同志社大学文学研究科博士課程前期修了。1988年、同博士課程後期単位修得退学。1998年より京都造形芸術大学教員。著書に『文化史学の挑戦』(思文閣出版、2005年)(共著)、『日本思想史辞典』(山川出版、2009年)(共著)、『日本の芸術史 造形篇1 信仰、自然との関わりの中で』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)、『日本の芸術史 造形篇2 飾りと遊びの豊かなかたち』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)など。

  • 高橋 保世Yasuyo Takahashi

    1996年山口県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科 現代美術・写真コース2014年度入学。フォトグラファーを目指して学内、外での撮影活動を行っている。

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