京都の7月は祇園祭のひと月。7月1日の吉符入り(きっぷいり)から31日の疫神社での夏越祭(なごしさい)まで、毎日のように行事が続きます。とはいえ、多くの人にとっては山鉾巡行こそが祇園祭との思いが一般的かと思います。
私のような八坂神社の氏子でないものにとって、やはり祇園祭といえば山鉾巡行という感覚は拭えません。ただこの山鉾の魅力に取り憑かれて、どうしたわけか高校生、大学生の頃、10日からの鉾建て、11日からの山建てが始まると、毎日のように山鉾町をうろつき、17日の巡行は長刀鉾が動き始める最初から、北観音山が新町に戻ってくるまで山鉾の見どころを追っかけながら、見物していました。
当時まわりの人から「鉾キチ」と呼ばれるほどになっていたのは、親戚の家が伯牙山(はくがやま)の出る町内にあったことも大きかったのですが、決してそれだけではなかったと思います。
この時期の山鉾町は、美的センスと財をあらん限りにつぎ込んだ山鉾の懸装品を町会所に飾り付け、家々も街路に面した部屋などに所蔵の屏風を立て並べて、道行く人を迎えてくれます。当時の私は、その趣向の凝らされた染織品や金工品、絵画に飽くことなく見入って、果ては町会所の方々に拙い質問攻めをして回るというありさまでした。
よそ者を受け入れない京都というイメージで語られがちですが、この時ばかりは、町全体がこうした変わった来訪者をもじつに鷹揚に受け入れてくれる解放的な高揚感に包まれています。この祭にかけられた尋常ではないエネルギーとその完成度は、やはり他では味わうことができないものと今でも思っています。
限られた祭の日々、その非日常の特別な時間が、この祭の随所に現れるのですが、その中でも知る人ぞ知るという行事が幾つかあります。今回はその中の一つをご紹介しましょう。それは巡行を控えた前日、いわゆる宵山(よいやま)の日に行われますが、平成26年に祇園祭を本来の姿に戻すべく49年ぶりに17日の前祭(さきまつり)と24日の後祭(あとまつり)の巡行が復活してからは、前祭の宵山は16日、後祭の宵山は23日となりました。その後祭に巡行する室町通三条上ルの役行者山(えんのぎょうじゃやま)でのことです。この山は、祇園祭の山鉾の中でも古い由緒を持ち、応仁の乱以前からあったことがわかっています。
奈良時代、葛城山(かつらぎさん)にこもって修行した修験道(しゅげんどう)の開祖とされる役行者が、山伏たちの修行の山である葛城山と大峰山の間に一言主神(ひとことぬしのかみ)に橋を架かけさせたという伝説にちなむものです。中央に役行者、向かって左に鬼形の一言主神、右に女神の葛城神の3体が御神体として安置される舁山(かきやま)です。
後祭宵山の23日午後、修験道本山派の聖護院から山伏が修験道ゆかりの各山を巡ったあと、最後に役行者山で、護摩焚きを行います。
午後2時、導師に朱傘をさしかけて山伏装束のおよそ二十人が法螺貝を吹きながら室町通を三条通から進みます。山の南側の路面には檜葉を盛った護摩壇を中央に、結界の締めが張られた一角が設けられており、導師が護摩壇の前に着座されると、いよいよ行事が始まります。
山伏問答に続いて、東西南北の四方と中央の護摩壇に、真言を唱えながらそれぞれ矢を1本高く射る所作を行い(実際には、矢を下に向けて放ちます)、そして最後に鬼門の方角(北東)へ上空に向けて放たれた矢は、放物線を描いて役行者山会所の屋根に届くのです。
そして山伏の宝剣、斧などによって護摩壇を清めた後、いよいよ火がかけられます。護摩壇の檜葉から白く柔らかい煙が立ち上り、真言や読経の声が高まります。祈祷の護摩木が次々に投げ入れられると、一気に護摩の火の勢いが増し、瞬く間に辺り一面に白い煙が広がります。法螺貝の音の高く低く響きわたる中、民家やマンションの立ち並ぶ室町通は、目を開けているのも難儀なほど護摩の煙にすっぽり包まれてしまうのです。
この聖護院の護摩焚きに合わせて供えられたのが柏屋光貞製「行者餅」です。この菓子の由来書きを引用してみますと
文化三年の夏、京の都に大疫病が流行し、ちまたは忽ち大混乱をきたしました。丁度、柏屋の先代が山伏として大峰山廻峰修行中に霊夢を授かり、帰洛後、その夢中のお告げ物を造り 祇園祭りの山鉾の中なる「役行者山」にお供えし、古知縁者にも頒配したところ、その人々は悉く疫病から免れ、無病息災の霊果であると喜ばれました。その故事に倣って、これを「行者餅」と銘付けて、毎年難修苦行の大峰修験を終え、斎戒沐浴、独自の法をもって謹製し、年に一度「役行者山」巡行の前夜即ち、宵山一日に限り、発売する佳例と定め、尊家の御繁栄を祈って、この霊果を貢ぐことに相成りました。
とあります。
京都庶民に長らく深く信仰されてきた大峰修験の一端がよく伝わってきます。うちの生家近くでは、伏見ということもあり当山派醍醐寺の行者講の旗を門先に差し掛けているお家もあったことを思い出します。
さて、じつは現在「行者餅」は、長らく17日の巡行の前日、16日のみに販売してこられた関係で、一般への販売は変わらず前祭宵山の16日に続けておられます。後祭が復活してからは、その宵山23日には、改めて斎戒沐浴して謹製した「行者餅」を役行者山と御旅所各所にお供えされているということです。
そこで今年16日、「柏屋光貞」さんの開店30分前に店先に並びました。すでに列は、東山通りから東側に曲がり100メートルくらいに伸びていました。1時間半くらい並んでようやく手に入れることができた「行者餅」。
小麦のかおる薄皮で包まれた求肥はもっちりとして、この間に白味噌餡の程よい甘さと塩みが絡みます。そしてこの餡には驚くべきものが潜まされているのです。山椒。そのほのかな香りとピリッとした刺激が、口の中で爽やかに広がります。
今なら冷たいお菓子もたくさん出回っている夏場に、ああ、なるほど暑気払いとはこういうものかと気づかせてくれる味覚、昔からの知恵で生まれた他では絶対に味わうことができない格別のものです。「常ハ出ませぬ一日限り 例年七月十六日宵山限り 發賣仕(つかまつ)る」との筆文字に、精進のたまものを頒けていただく1年1度のありがたさも頂戴する、祇園祭ならではのお菓子です。
<文:栗本徳子(歴史遺産学科教授)/行者餅写真:高橋保世(美術工芸学科4年)>
京菓子司 柏屋光貞
住所 | 京都市東山区東大路松原上る四丁目 毘沙門町33−2 |
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電話番号 | 075-561-2263 |
営業時間 | 9:00~18:00 |
行者餅販売日 | 7月16日(祇園祭の前祭宵山) |
定休日 | 日・祝(ただし、節分、祇園祭の前祭宵山の場合は営業) |
価格 | 行者餅 370円(税込) |
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栗本 徳子Noriko Kurimoto
1979年、同志社大学文学部文化学科卒業。1980年より3年間、社団法人 日本図案化協会 日図デザイン博物館学芸員として勤務。『フランス染織文化展 ―ミュルーズ染織美術館コレクション―』(1981年)などを担当。1985年、同志社大学文学研究科博士課程前期修了。1988年、同博士課程後期単位修得退学。1998年より京都芸術大学教員。著書に『文化史学の挑戦』(思文閣出版、2005年)(共著)、『日本思想史辞典』(山川出版、2009年)(共著)、『日本の芸術史 造形篇1 信仰、自然との関わりの中で』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)、『日本の芸術史 造形篇2 飾りと遊びの豊かなかたち』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)など。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。