11月の中下旬ともなると京都の紅葉の名所は、様々なメディアで紹介されます。京都の住民というと、テレビ中継などで映し出されるその紅葉の美しさに魅せられながらも、それとなく伝わって来る混雑の噂に気圧されて、そういう名所へ足を運ぶことに躊躇してしまう傾向があります。
東山、北山、西山に囲まれている京都では、日常の中でも顔を上げれば、緑に赤黄色が混じるこの時期の山の色に季節を感じることはできますが、東山をくっきりと真正面に望むことができるマンションに住んでいる友人は、毎年11月の中下旬に、前日までとは山の紅葉の色がはっとするほど変わる特別の朝があると言います。カーテンを開けたその時に、ああ今年もその日が来たという感慨を持つのだと。
秋風の吹きにし日よりをとは山みねの梢も色づきにけり 紀貫之
もみぢ葉は己(おの)が染めたる色ぞかしよそげに置ける今朝の霜かな 慈円
平安、鎌倉時代から歌に詠まれた紅葉の風情にも、そうした思いを彷彿とするものがあることに改めて気付きます。
さてこの季節の京都の和菓子としてご紹介したいのが、「山みち」です。これは茶席の上生菓子として作られるもので、私が初めて口にしたのも、高校1年生の時、お茶のお稽古場でのことでした。
お茶のお稽古を始めたのには、少々逸話があります。中高一貫校である同志社で過ごした私にとって、とてもありがたかったのは受験勉強に追われることなく十代を過ごすことができ、自由な校風のなかで、勉強やスポーツなどの成果を目指すだけではない多様なものが何となく許されていたことだったと思います。
私が中学時代を過ごした昭和40年代は、「仏女」や「歴女」などと称される人々はなく、いわゆる「アンノン族」の登場よりも早い時期でしたが、中学生ではなかなか理解しにくい川勝政太郎の『京都古寺巡礼』を手に、わからないまま「お寺巡り」に出かけて、「何しに来たの?」と怪訝な顔をされるような具合でした。ところがこの少々風変わりな趣味に付き合ってくれる得難い友人がいて、中学生にして、毎月、今回はどこの寺に、そしてその帰りには何を食べようかと相談しながら出かけていました。女子中学生ふたりで、湯豆腐屋さんをはじめとする名店を巡っていたのですから、食事のお店でも怪訝な顔をされたこともしばしばありました。
この時の友人が、その後料理研究家として名をはせることになる久保香菜子さん。舌の肥えた彼女は、その後自分の天職を歩むわけですが、私も相変わらずお寺や仏教美術を研究対象としているのには、この十代のそれぞれの嗜好が大きく影響しているように思えます。
さて、わからないままお寺を訪ねていてめぐり合うのは、暗く小さな茶室です。専門用語で解説された当該の案内書だけでは当然のことですが、全くちんぷんかんぷん。でもわからないから気になる存在でもありました。そんな折、高校生になった途端、久保さんが「お茶のお稽古を始めない?」と誘ってくれたのです。同志社高校には当時茶道部がなく、さてどこでお稽古をしたら良いのかと考えた末、自由な校風そのままに大人に相談することもなく、二人で授業の休み時間に書き上げた手紙を裏千家へ直に送ってしまったのです。
すると、程なく丁寧なお返事と分林宗廣先生のご紹介を頂いたのでした。きっと多くの大人の方々の苦笑をかいながらの入門であったと思いますが、分林先生はにこやかに私たちを受け入れてくださり、さまざまな教えを授けてくださいました。私は、二十代の中頃には大学院や仕事との両立が難しく、お稽古も結局フェードアウト状態となってしまったのですが、久保さんは素晴らしいことにその後も弛まず茶道を続けて今日に至っています。
そして入門から半年ほど経った11月頃のお稽古で、初めて出会ったのがこの「山みち」でした。言うまでもなく茶席のお菓子は、四季折々の花鳥風月を見事に表現していますが、「山みち」の不思議な形が気になりました。丸い盛り上がりと凹みで形づくられた曲線の姿を「山みち」と呼ぶ趣向、単純に抽象化されたものだからこそ、見るものが様々なものを思い描けることを感じました。のちに大学で美術史を学ぶようになってから、ようやくその形のもとになるものに気づくことになったのですが、まさに単純化された大和絵の丸い山、京都を取り巻くその山の姿の抽象化にほかなりません。
ところで、この「山みち」に事寄せて、観光地の紅葉ではなく実際の京の山路を歩いてみよう、さあどこへ行こうかと考えているうちに、本学、京都造形芸術大学の建つ「瓜生山」のもみじが美しく紅葉してきました。そこでこの身近な山の秋を歩いてみようと思い立ちました。実は大学に身を置いて20年にもなりますのに、なんと今まで一度も登ったことのないキャンパスの東側に続く山路に分け入ってみたのです。
瓜生山は、東山三十六峰の第五峰ですが、一般の方にわかりやすく説明すると、北の比叡山から少し南に大文字山より少し北にある標高およそ300メートルの山で、京都盆地の北東部に位置しています。その西麓をキャンパスとしているのが本学なのです。
行く人をとどめかねてぞ瓜生山峰立つあらし鹿もなくらん
平安時代中期に太政大臣にも登った藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の瓜生山を詠んだ秋の歌が残されていますが、さすがに現在は鹿を間近に見ることはなさそうです。
現在の瓜生山は、常緑高木のシイや黄色に色づいたコナラ、マツやヒノキなどの雑木林の間をフカフカの落ち葉に覆われた道が続きます。たくさんの団栗が落ちて、それを食している動物のものかと思われる糞も見られますが、どんぐりから芽吹いた小さな下生えが愛らしく次の生命を育んでいます。そして鬱蒼と生える大きな木々の合間に赤く燃えるもみじが色を添えて、とりどりの色に覆われたこれこそが秋の山路なのでした。
うち群れて散るもみぢ葉をたづぬれば山路よりこそ秋は行きけれ 前大納言公任
もみじ葉に道はむもれてあともなしいづくよりかは秋のゆくらむ 素性法師
さて、お菓子の方に話を戻しますと、食いしん坊の私は、お茶でのお菓子もお稽古の大きな魅力の一つとなっていましたが、饅頭やきんとん、餅、琥珀羹、ういろう系のものは、なんとなく食べたことのある範疇に入るお菓子でした。ところがこの「山みち」は、初めての独特の食感がとても印象的で、毎年秋になるとこのお菓子が出てくるのを心待ちにしていたのを憶えています。
今回取り上げた嘯月(しょうげつ)は、昨年の10月に京の和菓子探訪で、その繊細な「きんとん」を取り上げましたが、この「山みち」も代表的な菓子として知られています。嘯月に限らず「山みち」は、ことに京都の和菓子の代表的技法とされる「こなし」で作られているものです。「こなし」とは餡に小麦粉と餅粉を混ぜて強く蒸しあげて、熱いうちにこなすので、「こなし」というと言われています。
羊羹よりも柔らかくもちっとした食感で、甘味は控えめにあっさりとした独特の風味です。嘯月の「山みち」は、山の曲線が特に大きく湾曲したところが造形的で、黄色、緑、赤に色付けられた「こなし」を上部に重ねることで、まさに山路のとりどりの葉の色を表しています。
もう近付いている冬の足音。今頃の京都は山際に時雨が続き、そしてそれが初雪へと変わっていきます。嘯月では雪に見立てた白いこなしで覆った「山みち」もこれからの季節のものとして上製されます。
秋を惜しみつつ、来月には初雪の「山みち」もいただこうと、身近な友人にも声をかけての注文の計画を今から目論んでいます。
<文:栗本徳子(歴史遺産学科教授)/嘯月製「山みち」 写真:高橋保世(美術工芸学科4年)>
追伸:文中でご紹介いたしました友人で料理研究家の久保香菜子さんの活動は、以下ブログでご覧いただくことができます。
久保香菜子Official Blog:Cooking Paradise
御菓子司 嘯月
住所 | 京都市北区紫野上柳町6 |
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電話番号 | 075-491-2464 |
営業時間 | 9:00〜17:00 |
定休日 | 日曜・祝日 |
価格 | 山みち 430円(税込) |
※ご購入の際は、事前の予約が必要になります。
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栗本 徳子Noriko Kurimoto
1979年、同志社大学文学部文化学科卒業。1980年より3年間、社団法人 日本図案化協会 日図デザイン博物館学芸員として勤務。『フランス染織文化展 ―ミュルーズ染織美術館コレクション―』(1981年)などを担当。1985年、同志社大学文学研究科博士課程前期修了。1988年、同博士課程後期単位修得退学。1998年より京都芸術大学教員。著書に『文化史学の挑戦』(思文閣出版、2005年)(共著)、『日本思想史辞典』(山川出版、2009年)(共著)、『日本の芸術史 造形篇1 信仰、自然との関わりの中で』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)、『日本の芸術史 造形篇2 飾りと遊びの豊かなかたち』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)など。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。