お彼岸のおはぎと精進のお膳 <二年坂のおはぎと相国寺彼岸法要のお斎(とき)> ―三色萩乃餅(かさぎ屋)[京の暮らしと和菓子 #4]
- 栗本 徳子
- 高橋 保世
9月の下旬にさしかかっても気温30度を超える日も多い京都ですが、草むらの虫の声に、南の窓から差し込む光が延びてきたことに、そして日の暮れがめっきり早くなったことに、ようやく秋を感じ始めるころでもあります。
父がこの季節になると、自室の床の間に相国寺 大津櫪堂禅師の墨跡「光陰惜しむ可し」を掛けていたのを思い出します。
そして、忘れがちなことを思い出させてくれるのが、鴨川や高野川の土手や道端に咲いてくれる彼岸花です。この花に教えられて「ああ、もうすぐお彼岸」とカレンダーの秋分の日を確認しなおすのが、昨今の私です。
しかし、生前の母はそんな呑気なことは許されない生活を送っていたと思われます。6月の本コラムにも少し書きましたように、昭和60年頃まで、在家でありながら仏事神事で明け暮れるような習わしであった我が家では、お大師さん、観音さん、お不動さんはじめ諸尊の縁日には仏間にお祀りをして膳を供えていました。これに加えて先祖代々の祥月命日として、月4回お寺さんのお参りがあり、さらに念のいったことにお盆には、檀那寺だけでなく、北は建仁寺さん、東福寺さん、南は宇治の萬福寺さんをはじめ、伏見近隣の諸寺を合わせて10カ寺以上から、宗派に関係なくご住職さまや雲水さんなどのお参りを頂いていました。
この過剰なほどの仏事には、とてつもなく信心深い先祖がいたのかとも思えますが、下京で呉服業を営んでこられた旧家の方のお話でも、昔は13か所も神様をお祀りするところが家の中のあちこちにあったということですから、「お商売」という不確実性を伴う家業を守るために、京都の商家に共通の切実な祈りがあったように思えます。
さて、こうした仏事のたびごとに精進のお膳を作っていたのが母であり、大きな仏事では、母より長年のことを心得ている女子衆(おなごし)さんたちが前日から手伝っての支度でした。こうしたお膳作りの台所を横目で見ながら、さほど手伝いをした覚えのない私ですが、飛龍頭(ひりょうず)や芋茎(ずいき)、おかぼ(かぼちゃ)の炊いたん(煮もの)などが懐かしく思い出されます。出汁は、昆布と干し椎茸でとった精進のものを使い、それぞれ別々に炊いたものを盛り合わせていました。
そして私たち子供の何よりの好物だったのがお彼岸の「おはぎ」でした。前日から炊いた小豆の粒餡をたっぷりと纏ったものと、餡を包み込んできな粉をまぶしたもの、それから甘いきな粉をまぶしただけのものが、うちの定番でした。
こうした生家の特殊な環境から離れても、お彼岸におはぎという組み合わせは私の中では切っても切れないものとなっています。そして近年は「おはぎ」をいただきに尋ねる決まったお店ができました。それが二年坂の石段が始まるすぐ脇にある「かさぎ屋」さんです。近くに暮らしていた竹下夢二の色紙がさりげなく掛けられ、多数の千社札が天井に貼られた、清水寺参詣道にふさわしい茶店の姿をそのままに残した大正3年創業の甘味処です。
このお店とのご縁は、十数年前、千日回峰行の在家信者として阿闍梨様にお力添えをされていた大阪の篤信家の方から、義母が、たまたまのご縁で回峰行満行のお札をかさぎ屋さんにお届けするお遣いを頼まれたことに始まります。土地に不案内な義母に二年坂を尋ねられ、案内役を務めたものの、私もお店に伺ったのは初めてでした。
突然の来訪にも、少し足どりのご不自由そうな年配のご主人がわざわざ奥から出てこられ、「ありがたいことでございます。」と、まるで私たちが尊いものであるかのようにお礼をおっしゃったことを、今でも鮮やかに憶えています。
比叡山延暦寺の千日回峰行では、行者は比叡山山中を廻るほかに、とくに満行が近づくと、京都市中84㎞を一日で廻る京都大廻りという壮絶な難行を続けられます。その中で八坂神社から清水寺へと廻られる時に通られるのが、ちょうど二年坂の石段を上がったところの八坂通りです。日々おそらく阿闍梨様のお姿を拝し、お加持をお受けになっていたことと思います。生き仏とも称される千日回峰行の阿闍梨様への一方ならぬ信心のご様子を垣間見る思いがしました。
そして、ただお札をお預かりしてきただけの義母と私に「ほんにありがたいことでございます。どうぞゆっくりしていってください。」と、なんとお店の「おはぎ」や「おぜんざい」をふるまってくださったのでした。
お言葉に甘えて初めて口にしたその「おはぎ」は生家で作っていたものとは、やはり全く別物でした。小豆の美しい艶やかさと小豆本来の味が生きている粒あんのもの、中に餡を包んで香ばしいきな粉をまぶしたもの、なめらかな漉し餡のものの三種。その品の良い甘みと程よくほどける餅米の感触が絶妙でした。お店の方に伺うと小豆は丹波大納言だけを使い、毎朝おくどさんで炊き上げておられるとのこと。まさに阿闍梨様の御利益のおかげを蒙って、思わぬことから口福を味わうことができたのでした。
こうして、代がかわった今もあの小豆の味とお店のほっこりとした佇まいをそのまま守っておられるかさぎ屋さんは、自前の「おはぎ」を作ることのない私にとって、お彼岸の墓参帰りに家族と立ち寄るありがたい場所となったのです。
ところで今年の秋は、とくに格別のお彼岸の日を迎えることができました。友人のご縁を通じて9月23日に執り行われる相国寺の彼岸法要に臨座させていただけたのです。
相国寺は、先にもあげていた墨跡を書かれた当時の管長、大津櫪堂禅師と父のご縁がかつてあったお寺です。家の代々の信仰とは関係なく、禅の思想に関心を持っていた父は、足繁く櫪堂禅師の元に通い、幾つか墨跡を頂戴しては掛け軸に仕立て、自室に掛けて毎朝坐禅をしていました。父には父の悩みがあり、厳しい禅家として知られていた櫪堂禅師にお出会いすることや、その墨跡を前にすることで、何かを求めていたのだろうと想像します。とはいえ、今の私は承天閣美術館に出かけることくらいしか縁がなく、お彼岸の法要に参列できるとは望外のことでした。
修行道場として普段は世俗の人間を謝絶している僧堂で行われる法要であり、初めてその中に足を踏み入れることとなりました。午後9時半頃から信者の方がたが三々五々集まられ、広間に座ると雲水さんがお茶とお菓子をお運び下さいます。
10時からの天龍寺永明院 国友憲昭師による京都の信仰と伝統についての法話のあと、いよいよ中央仏間で法要が始まりました。仏壇に対するように下座に設けられた先祖供養の壇と縁の外側、庭に設けられた施餓鬼(せがき)壇に向かって、老師と11人の僧によってお経が唱えられます。大鏧(だいけい)が打ち鳴らされ、禅宗ならではのふり絞るような大音声による読経が響き渡ります。この力強さ、潔さが父を惹きつけたのだろうかと思いながら座していますと、これもまた禅宗独特の行導が始まりました。
行導は仏陀に敬意を表するために、囲繞三匝(いにょうさんそう)することですが、天台宗や真言宗などのように中央壇の周りをぐるりと回るのと違い、仏前に曲折しながらへめぐり歩く形をとります。この曲折の数は、堂宇の大小や、僧侶の数によって異なるそうですが、この法要では八回の曲折という複雑な形で、たっぷり身を覆う禅宗ならではの大きな袈裟をつけた僧が一斉に仏前をへめぐる行導は壮観でした。
そして今回特別に、法会に出仕された僧侶の方々にお斎(とき)として出されるお膳を支度されている庫裏(くり)を拝見することができました。土間の黒いタイル張りのおくどさんは、大きさは比べ物にならないとはいえ、生家にあったものとよく似ていて、お台どこの懐かしい景色です。おくどさんの燃料はガスに変わっていましたが今でも現役で、大鍋には精進の煮物、汁物がたっぷりと用意されていました。
この日のために、夏にはもう芋茎(ずいき)や昆布を干すといった準備より始め、前々日から本格的な支度が始まるということです。時間をかけて胡麻をなめらかに擦って手作りされた胡麻豆腐、早朝からの煮炊きのすべては、修行中の雲水さんによるものです。盛り付けられた膳を見ると、品数の多さ、仕上がりの美しさに目を見はりながら、「ああ、おかぼやずいき、ひりょうずもある」と、母のささやかな精進の膳を思い出しました。
庫裏での作務(さむ)は、雲水さんにとっても厳しいものであるらしく、素足に草履で立つ土間での調理を続けていると、冬にはあかぎれて足が割れてくると聞きました。禅の教えでは、坐禅のほかにこうした作務も大事な修行として捉えられています。食事の時に唱えられる五観の偈(げ)の最初には、「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」とあります。「この食を頂くのに値する功を果たしているのか、この食がどこから、どのようにしてこの膳の上にやってきたのかを考えよ」という意味であろうと思うと、豊かで簡単に手に入る食が当たり前になった今日、忘れがちなことに気づかされます。修行道場の雲水さんとは比べものにならないけれど、黙々と台所に立って愚直に家事をし続けた母が、いかなることを成していたのかを改めて思い直す彼岸の中日となりました。
<文:栗本徳子(歴史遺産学科教授)/かさぎ屋・相国寺 写真:高橋保世(美術工芸学科4年)>
かさぎ屋
住所 | 京都市東山区高台寺桝屋町349 |
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電話番号 | 075-561-9562 |
営業時間 | 11:00〜18:00 |
定休日 | 火曜日(祝日以外) |
価格 | 三色萩乃餅 650円(税込) |
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栗本 徳子Noriko Kurimoto
1979年、同志社大学文学部文化学科卒業。1980年より3年間、社団法人 日本図案化協会 日図デザイン博物館学芸員として勤務。『フランス染織文化展 ―ミュルーズ染織美術館コレクション―』(1981年)などを担当。1985年、同志社大学文学研究科博士課程前期修了。1988年、同博士課程後期単位修得退学。1998年より京都芸術大学教員。著書に『文化史学の挑戦』(思文閣出版、2005年)(共著)、『日本思想史辞典』(山川出版、2009年)(共著)、『日本の芸術史 造形篇1 信仰、自然との関わりの中で』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)、『日本の芸術史 造形篇2 飾りと遊びの豊かなかたち』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)など。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。