私は、京都造形芸術大学の通信教育部歴史遺産コースで教鞭をとり、日本美術史や宗教文化史を専門に研究しているものですが、生家が酒造りをしていることもあり、なかなか食にうるさい家族のもと、すっかり食いしん坊に育ってしまったことがご縁で、昨年、京都造形芸術大学のWebマガジン「瓜生通信」での連載企画に、誘い込まれてしまいました。
「京の和菓子探訪」と銘打たれた月1回の企画で、季節の年中行事と結びついた銘菓を中心に紹介するもので、広報担当の職員と瓜生通信の学生さんが中心に運営される記事でしたが、お菓子の推薦や撮影のための食器などのアレンジ、時々執筆なども担当してまいりました。
1年間、私の好みで推した和菓子もいろいろ取り上げいただき、若い学生さんが京都の年中行事と和菓子の歴史に驚き、目を輝かせながら口にして、繊細なそのお味を若々しい感性で紹介してくださったことが、とても嬉しく幸せでした。
ところが「その和菓子を買った時にね」などと、自分の昔話や思い出を口にしていたことが、周りの方々に面白がられていたらしく、このたび、和菓子にまつわるエッセーを書いて欲しいとのご依頼を受けることになってしまいました。
なんで私がと思いつつ、京都の生活の中に深く結びついてきた和菓子の楽しみを、ささやかな個人的経験を通してですが、ほんの少しお伝えできればと、お引き受けすることといたしました。改めて、よろしくお願い致します。 栗本徳子
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子どもの頃、弟と妹と私の3人で床をのべていた部屋の隣が仏間で、毎朝、父の大きな読経の声によって目を覚ますという環境でした。布団の中で3人が覚えたのが、何度も唱える「光明真言」と「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」のくだりでした。布団をたたみながら、面白がってふざけながら3人で唱えたのが「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウーン」という光明真言です。意味なんてまるでわからないけれど、何か不思議な呪文という感覚で、門前の小僧、経を憶えるよろしく「いや『オンノボキャベール』に聞こえる」だとか言いながら、唱えあっていたのでした。
私の家では、基本的に昭和60年頃まで、かなり極端なほど、代々続けてきた仏事神事を守り続けていたので、母は相当そのことに家事の時間を割いていたように思います。母の里は、西本願寺の門徒でしたから、朝からこんな不思議な真言陀羅尼を唱える真言宗の家に嫁いできて、おそらく戸惑っていたのではないかと思いますが、黙々と仏事神事を支えていました。
毎月、観音さん、お不動さん、訶梨帝母(かりていも)さん、お大師さんの縁日には、仏壇以外にも、それぞれ観音さんの厨子を開けたり、お不動さんや訶梨帝母さんの画像を仏間にかけたりして祀り、燭台を灯し、お膳を上げることなどを欠かしませんでした。
そういう日には、必ず「おさがり」も食卓に登ります。仏飯などにはお香の匂いが移り、精進の料理はあっさりとしていて、子ども心に、ああまたかと、一番先にさっさと食べ終えて、早く普通のご飯とおかずを食べたいと思っていました。
しかし、こうした仏様の中でも、子ども心に不思議に惹きつけられたのが、お不動さんでした。暗い仏間に掛けられたその絵像の顔は、黒ずんでよく見えません。朧げに見えるのは火炎と足元の制咜迦童子(せいたかどうじ)、矜羯羅童子(こんがらどうじ)くらいで、拝するものをまるで闇へ引き込むような不気味さです。それは、たかだか在家の仏間に掛ける粗末な絵像であっても脳裏に焼き付いてしまう迫力を持っていました。
それに影響されたわけでは無いと思いつつも、やはりどこかに通じていたのでしょうか、大学院では、不動明王を中心にした五大尊の研究をすることになってしまい、それは今も続いています。
この不動明王を日本に伝えたのは、空海(774〜834)です。空海は、遣唐使船で唐に渡り、長安の青龍寺で恵果から教えを受け、体系的な密教を初めて日本に伝えました。
不動明王は、密教の教主である大日如来が衆生を救うために化身した姿とされます。現存最古の不動明王像は、空海がその造像に関わったと考えられるもので東寺講堂内に安置されています。その怒りに満ちたお顔、右手に剣、左手に羂索(けんじゃく)という投げ縄のようなものを手にして、炎の中に坐す青黒いお姿は、これまで誰も見たことのないほどの怪異なものではなかったでしょうか。
おそらくその新しさと異様な迫力が、人々に決定的なインパクトを与えたと思われるのですが、インドや中国では、それほど造像例が確認されないこの不動明王は、日本において、密教の諸尊の中で最も広い信仰を集める存在となりました。
比叡山延暦寺でも天台密教が発展し、ここでも不動明王は重要な信仰を生み出しました。中でもよく知られているのが、千日回峯行の根本道場、比叡山東塔無動寺谷(むどうじだに)の明王堂です。回峯行を創始したとされる相応和尚(そうおうかしょう)(831〜918)は、比良山系の葛川(かつらがわ)に籠り、滝で修行中に生身の不動明王を感得したと言われます。その感得像を自ら刻んで安置したのが、比叡山無動寺と伝えられます。まさに相応和尚、そして回峯行の信仰の中核に不動明王があったことがわかります。
さて、ひょんなことから、ちょっと癖になる変わったお菓子があると聞いて、祇園石段下の《亀屋清永》を訪ねたのです。
「注文してました『清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)』取りに来ました。」とおっしゃる方と、たまたま店先でご一緒になりました。私が求めようとしていたお菓子でした。寺院名を名のられた時、なにやら不動明王をお祀りされているお寺の方らしいことがわかりました。歓喜団とは、歓喜天つまり聖天さんにお供えする唐菓子(からくだもの)で、唐から伝えられた最も古い加工菓子の一つと思っていたのですが、お不動さんにも供えられるのかと、初めて知ったのです。そういえば、お不動さんの縁日、28日のちょうど3日前でした。
《亀屋清永》では、かつて比叡山の阿闍梨よりその製法を伝えられたといいます。今も精進潔斎して作られる「清浄歓喜団」は、米粉、小麦粉の生地を独特の金袋型に包み、その先端の襞は八つにたたまれて、八葉の蓮華を表しているといいます。そういえば、お不動さんの頭頂には、八葉蓮弁が戴かれています。
そして中に肉桂、白檀、丁子、竜脳など七種類の「清め」の香を練り込んだこし餡を入れて、これを胡麻油で20分揚げると言います。かつては、栗、柿、杏の実を、甘草、甘葛(あまづら)などの薬草で味付けしていたのが、江戸時代中期以降に小豆餡を用いるようになったということです。
お店の方に伺うと、ほかにも不動明王をお祀りするお寺に納めておられるとのこと。そのお話を頼りに、今は蔵われてしまって、お祀りすることも久しくなくなっていた生家の不動明王を、今回、28日の縁日に「清浄歓喜団」を供えてお祀りし、その「おさがり」をいただくことにしたのです。
「かなり硬いので、底の方から割ってください」というお店の方に教えていただいた食べ方で口に入れると、ツンと抜けるお香の香りと味が広がりました。胡麻油の香ばしさと相まって確かに不思議な癖になるお味なのです。
それとともに、かつて生家で食べていた「おさがり」の香りが懐かしく、鮮やかに蘇ってきました。
6月初め、スクーリングのために宿泊していた比叡山延暦寺で、深夜、皆で宿を抜け出して、お加持を受けるために東塔大黒堂前で千日回峯行の阿闍梨様をお待ちしました。無動寺谷から上がってこられた、まさに今年7年目の満行を遂げようとされている阿闍梨様は、お加持の前に、抹香を取り出しその手にお清めの塗香をされ、低く不動真言をお唱えになりながら、私たちの頭と肩に数珠を当てて、次々にお加持を授けてくださいました。
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」
阿闍梨様が、白い袖を翻して根本中堂へ駆け降りていかれた後も、甘い香りが私たちを包んでおりました。
<文:栗本徳子(歴史遺産学科教授)/写真:高橋保世(美術工芸学科4年)>
亀屋清永(かめやきよなが)
住所 | 京都市東山区祇園石段下南 |
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電話番号 | 075-561-2181(代) |
営業時間 | 8:30~17:00 |
定休日 | 水曜日 ※その他臨時休業有り |
価格 | 清浄歓喜団(せいじょうかんきだん) 1個 500円(税別)/1個箱入 550円(税別)/5個箱入 2,600円(税別) |
※お求めの際はあらかじめ予約されることをお勧めいたします。
※全国発送もされているようです。詳細はお店にお問合せください。
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栗本 徳子Noriko Kurimoto
1979年、同志社大学文学部文化学科卒業。1980年より3年間、社団法人 日本図案化協会 日図デザイン博物館学芸員として勤務。『フランス染織文化展 ―ミュルーズ染織美術館コレクション―』(1981年)などを担当。1985年、同志社大学文学研究科博士課程前期修了。1988年、同博士課程後期単位修得退学。1998年より京都芸術大学教員。著書に『文化史学の挑戦』(思文閣出版、2005年)(共著)、『日本思想史辞典』(山川出版、2009年)(共著)、『日本の芸術史 造形篇1 信仰、自然との関わりの中で』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)、『日本の芸術史 造形篇2 飾りと遊びの豊かなかたち』(藝術学舎、2013年)(栗本徳子編)など。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。