中之島に再び集結した大阪・関西を代表するアーティストたち
現在、大阪中之島美術館で開催されている「驚異の部屋の私たち、消滅せよ。— 森村泰昌・ヤノベケンジ・やなぎみわ —」(2026年4月25日〜7月20日)は、開館5周年を目前に、大阪・関西万博後の展覧会として企画された。大阪・関西を代表する国際的に活躍する現代美術家、森村泰昌、ヤノベケンジ(ウルトラファクトリーディレクター)、やなぎみわが揃って見られるということもあって、国内外で注目されている。


特にヤノベケンジは、開館にあたって《SHIP'S CAT (Muse)》(2021)を大阪中之島美術館の北側の芝生広場前に恒久設置し、今や美術館だけではなく、大阪のシンボルとして知られるようになっている。また、全長7.2mもあるヤノベの最初の大型彫刻《ジャイアント・トらやん》(2005)も美術館の4階に展示されており、今回、満を持して展覧会の企画に招聘されたこともあり、期待が高まっていた。
この展覧会が一風変わっているのは、最初から学芸員が企画したわけではなく、森村泰昌が発案し、美術館に持ち掛けてはじまったことだろう。森村は、もちろん国内外で多くの展覧会に出品しているが、2014年に開催された横浜トリエンナーレでは芸術監督に就任するなど、展覧会の企画をすることでも知られている。やなぎは、この横浜トリエンナーレで、台湾の南部で現在も使用されているステージトレーラー(移動舞台車)をクラウドファンディングによって特注して持ち込み、その後、野外劇を行うようになった。
特に関西のアートファンにとって記憶に残っているのは、1998年10月30日から11月8日まで大阪市中央公会堂で開催された「テクノテラピー」だろう。森村泰昌プロデュースと銘打たれたこのイベントは、大規模修復前の大阪市中央公会堂を全館使用して、13名のアーティストを招聘し、ある種のアトラクションのように現代美術を見せたのだった。現在ならば「キュレーション」という言葉が使われていたかもしれないが、90年代の日本の現代美術界ではまだ馴染みの深い言葉ではなく、むしろ小室哲哉やつんくのような音楽業界の用語の転用として「プロデュース」という言葉が使われていた。森村はまさに大阪市中央公会堂で若手作家をプロデュースしたのだった。その中にいたのが、まだ若き日のヤノベケンジであり、やなぎみわだったのだ。
1990年に人型の隔離タンクで瞑想できる体験型の《タンキング・マシーン》(1990)でデビューしたヤノベは、その後続けざまに国内で展覧会をこなし、1994年にはベルリンに移住する。その時期、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、戦後史の中でも衝撃的な出来事を体験しなかったリアリティの欠如と、「サヴァイヴァル」をテーマにした自身の作品が美術館やギャラリーといった制度に守られた機能しないものであることを実感した。それらの複合的な動機をもとに、放射線を感知するスーツを制作して原発事故後のチェルノブイリを探訪することになる。それが《アトムスーツ・プロジェクト》(1997–2003)のはじまりである。
1998年に帰国したヤノベはチェルノブイリの経験をもとに制作を開始し、原発従事者が住んでいた廃墟の街プリピャチにあった遊園地のゴーカートをモデルにしたのが《アトム・カー》(1998)だった。その複数台が「テクノテラピー」で出品され、実際に観客が乗ることができた。「テクノテラピー」はまだマイナーな芸術ジャンルであった現代美術が大阪の中心部にあった大阪市中央公会堂で開催されたことに驚きを持って迎えられた。森村は、あまり評判がよくなかったと述懐するが、いまだに語られることがそのインパクトを物語っている。
それから30年近い月日が過ぎて、森村・ヤノベ・やなぎは、それぞれ華々しいキャリアを経て中之島に凱旋した。それが本展「驚異の部屋の私たち、消滅せよ。」ということになる。
対話しながらつくる展覧会

しかし、森村は今までの展覧会と違って、展示内容・展示構成に対して明確なビジョンがあったわけではなかった。ヤノベとやなぎを加えた3人で展覧会をするということだけがアイディアとして浮かんできたという。
ただ、森村が発案したのが2024年であったことは重要である。当時、賛否両論あり、むしろ否定的な意見の方が多かったにせよ、2025年に開催された大阪・関西万博に向けて都市が大きく変わる時期であった。万博という期間限定で局地的なイベントだけではなく、インバウンド需要を見込んで大勢の外国人が大阪を訪れ、街が急速に整備されていた。その中で、大阪で生まれ育った森村にとっては、自身が馴染んでいた風景が「未来」の名のもとに消えていってしまうという喪失感と感傷があったに違いない。風景が失われるだけではなく、自身が制作したロケ地が喪失していく出来事でもあった。
そのような未来を召喚するのではない「もう一つの万博」として企図されたのが本展だった。その中でヤノベややなぎを招聘したのは、ヤノベが大阪万博の解体現場を「未来の廃墟」として自身の創作の原点に捉えていたことが大きい。やなぎもまた、失われたもの、忘れられたもの、虐げられたものへの眼差しにおいて、森村と重なるものがあったからだといえる。
3人の合意形成を重視し、2024年から毎月1回会議を開催しながら、時間をかけて展覧会をつくりあげていった。初期の頃から「驚異の部屋」という、美術館成立以前の王侯貴族による博物学的なものも含めた雑多なコレクションのイメージは提示されていたが、具体的な形式にはまだ結びついていなかった。「消滅」というキーワードも早くから出ていたが、「驚異の部屋」との整合性はついていなかった。
構成が決まりかけてはひっくり返り、脇道や迂回を繰り返した話し合いの結果、開幕ぎりぎりの段階で、ヤノベ、森村、やなぎそれぞれの個室(第1〜3室)、3人の合同室(第4室)、そして消滅の部屋(第5室「絶望するな。では、失敬。」)という5部構成が確定したのだった。ヤノベが制作した大量の物量で見せる第1室、森村の作品をもとにした巨大な看板絵画が覆う第2室、やなぎの舞台と物質が交錯する第3室、三者が船をめぐってつくった第4室を経て、この世からあの世へ行くように、第5室ではついにものが消滅し、「エア展示」としてパフォーマンスのみとなる。3人の個性がぶつかりながら収まるところに収まった圧巻の構成である。
展示室に入る前、5階の展示室外の空間で三者による立体作品が観客を出迎える。三者三様の旗を掲げ、「私」の宣言として並立するプロローグである。



ヤノベが、「世界最速の彫刻」と銘打って、ウルトラファクトリーで学生たちとともに6年以上かけて制作した電気自動車型の作品《SHIP'S CAT (Speeder)》(2023)の周りに三者の作品が置かれる。森村泰昌は、松本竣介の《立てる像》(1942)に倣い、自身の透明な自刻像を《SHIP'S CAT (Speeder)》のフロントに立たせ、透明な旗を手にもたせた。旗が透明であることは「戦わずして何事かを語る」という姿勢の表明にある。やなぎみわは、白銅鋳造の《Mirror & Hammer》という旗を車の後部に掲げる。それはシェイクスピアの「舞台はこの世の大鏡」とブレヒトの「芸術はこの世に対してのハンマー」という相反する2つの芸術観を一枚の旗に鋳込んだものだ。

ヤノベは100歳の自身を模した老人像を運転席に乗せ、右手には白旗を上げている。その白旗は降伏ではなく、宇宙的な時間軸の中で個の創造を相対化した者だけが到達できる静けさの表明でもある。何も主張しない透明な旗(森村)、達観の白旗(ヤノベ)、相反する芸術観を鋳込んだ重い旗(やなぎ)の3つが並ぶマシンは、それぞれが誘うものを象徴している。
おもちゃ箱のような、あるいは寺院のような部屋
ヤノベは、最初の部屋Room1を担当することになった。ヤノベに期待されたのは、まさに「驚異の部屋」の精神である。「博覧会は子供の領分」と森村によって題されたこの第1室は、ヤノベの1990年代から現在までの作品を集められる限り集めたという、かつてない規模の展示である。近代美術館の展示は、それ以前のサロンのように壁面いっぱいに作品を並べるのではなく、視線の高さに水平に展示するモダニズム的な方式に移行した。万博の初期の展示もある点では似ていたが、万博はむしろ美術館とは異なり、「驚異の部屋」の精神を継承して文物を壁面いっぱいに展示したり、今日でいう没入型の展示へと発展したりしていった。

ヤノベは万博の廃墟を創作の原点としながら、その展示方法はある意味で万博をなぞるものでもあるため、現代における「驚異の部屋」といえるかもしれない。しかし、その構造は単純ではない。森村が西洋美術の名画や、ハリウッド映画の往年の女優、歴史上の人物に扮してきたように、また、やなぎが《マイ・グランドマザーズ(My Grandmothers)》において、 女性たちに50年後の自分の姿を仮装させて撮影してきたように、ヤノベもまた100歳の自分に扮装した。映画『国宝』で著名になったAmazing JIRO(アメイジング・ジロー)の特殊メイクによって100歳になったヤノベが、《ヤノベケンジ 100歳の肖像》(2026)として、今までつくってきた自作を一堂に集めて自身の創作人生を解題する、という設定のもとに展示が構成されているのだ。突き当りの壁面には、額装されたモニターから100歳のヤノベが、まるで映画『ハリー・ポッター』のホグワーツ城に掛けられた絵画のように語りかける。

部屋に入ると、《サモトラケのニケ》のような翼の生えた《SHIP'S CAT (Ultra Muse/Red)》(2024)を中心に、2019年に比叡山延暦寺の「照隅祭」にて奉納展示された《KOMAINU―Guardian Beasts-》(2019)が両脇に並ぶ。3メートルを超える彫刻が眼前に連なる光景は圧倒的であり、まるで寺院の門前のようでもある。
中央には、寺院の内陣のように《ウルトラ―黒い太陽》(2009)が鎮座している。それは従来の物語性の強い作品とは異なり、彫刻として超越的なものを目指したもので、フラードームを変形させた構造体の内部に、人工的な雷を発生させるテスラコイル(高周波高圧装置)を組み込んでいる。その後、《ウルトラ―黒い太陽》はヤノベ作品を展示する際に欠かせない装置として、様々なインスタレーションに取り入れられてきた。今回、その内部には、デビュー作《タンキング・マシーン》を2019年に再制作した《タンキング・マシーン (リバース)》をはじめ、2016年の高松市美術館での個展「シネマタイズ」の際に映画『BOLT』の舞台美術ともなった放射線防護服、2024年に岡本太郎記念館に展示した《太陽の塔》を模した《宇宙船「LUCA号」》や、GINZA SIXの吹き抜け空間で展開された巨大インスタレーション《BIG CAT BANG》に飾られた「宇宙猫」のフィギュアなどが飾られ、あたかも寺院のご本尊のように展示されていた。ちなみに映画『BOLT』は、映画監督の林海象が脚本・監督、俳優の永瀬正敏が主演を務めて、高松市美術館内にセットを組んで実際に撮影された画期的なもので、展示されているスーツは永瀬ら着用したものと同型のものである。





「おもちゃ箱をひっくり返したような」と形容されることもあるが、ある種の秩序がある。日本の寺院における仏像展示、立体マンダラのような構造になるのは、ヤノベが鎌倉時代の仏師・運慶を敬愛しているからかもしれない。
創作の歴史をたどる壁面

また、壁面を囲うようにヤノベの作品で埋め尽くされている。それらは、ヤノベの制作年代ごとにある程度分類され、《アトムスーツ》、《トらやん》、《サン・チャイルド》、《サン・シスター》、「ゲームスカルプチャー」、《SHIP'S CAT》と緩やかにブースが分かれて展示されている。その上には、今回ヤノベが編み出した「鉄板ドローイング」と称したステンレス板をバーナーで切り抜いた作品が、それぞれのアイコンの看板が吊るされている。

そして奥の壁面には《ヤノベケンジ 100歳の肖像》や《アトムスーツ》、《トらやん》などが組み込まれている。さらに、《稲妻絵画》(2026)が飾られている。しかし、それは単なる「絵」ではない。実際の稲妻を見るのだ。額は窓になっており、その奥には空洞の空間が設けられている。そこに《ウルトラ―黒い太陽》の中に組み込まれていたテスラコイル(共振変圧器)が置かれている。1日に2回(11時・16時)電源が入れられ、稲妻が雷鳴とともに約20秒にわたって発生する。空気を媒介にして下から光の樹木が生育していくようなその様子は、まさに超自然的としか形容しようがない。それはもともとヤノベが企図した超「彫刻」であり、壁越しに見えることにおいて超「絵画」でもある。
奥の壁の左脇手前には、「福島ビエンナーレ2020 風月の芸術祭 in 白河」を機に、ご当地ヒーロー「ダルライザー」と《KOMAINU—Guardian Beasts—》が融合したものとして、制作した鉄鎧と大刀が展示されている。こちらはある意味で日本の甲冑のような恰好である。その際、制作された特撮映像も上映されている。
右脇手前には、対比するように西洋中世の甲冑のような彫刻がある。実は『ガリバー&スウィフト〜作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法』の舞台美術であり、ほとんど展示される機会もないので必見である。奥の壁面には舞台公演の映像も上映されている。これは1982年、劇作家の小池博史を中心に結成された、演劇・ダンス・ミュージカル・マイムに加えて音楽・美術・映像などの異分野も取り込んだハイブリッドなパフォーミング・アーツ集団「パパ・タラフマラ」の公演の一つである。

2008年にヤノベケンジが京都芸術大学ウルトラファクトリーのディレクターに就任した際、最初の「ウルトラプロジェクト」で手掛けた作品がその舞台美術だったのだ。舞台美術を手掛けるのは初めてだったが、もともと機能性の高い堅牢な作品を制作してきたヤノベは、激しいパフォーマンスをするパパ・タラフマラの俳優の身体能力を最大限に引き出した。もっと言えば、舞台美術自体がもう一つの俳優のような役割を担っていたといえる。今回はその際制作した西洋中世の甲冑のような《スーツマン》(2008)、中に入ったり上に昇ったり回転させたりできる《球体カプセル》(2008)など、2008年の舞台公演以来、初めて出展された作品も多い。
《解体婦人》(2008)は奥の壁をくり抜いて入れられており、まさに「驚異の部屋」といった面持ちである。そして、《球体カプセル》の中に《スーツマン》や猫が透明なヘルメットをかぶっている《猫人形》(2008)が置かれており、公演の際は、目が光り、尻尾がランタンの役割も果たした。

「ガリバー&スウィフト」は、ミュージカル『キャッツ』のように全員が猫として登場するパフォーマンスである。小池はバリ島にこもって脚本を考える際、多くの猫がいたという。生と死、神と人間をつなぐ媒介者のように猫を感じ、猫をストーリーの軸にしたのだった。その要素を引き継いだ《猫人形》(2008)は、舞台公演が終了した後もヤノベのインスタレーションに繰り返し登場するようになる。
特に2010年に大原美術館で開催された「幻燈夜会」展では、ヤノベが創作の原点とする1970年の大阪万博跡地の解体現場をモチーフにしたインスタレーション《未来の廃墟》に、生と死の間、創造が現れる瞬間に立ち会うものとして《ランプ猫》が登場し、展覧会場にも数多く設置された。富山県入善町の下山芸術の森・発電所美術館で開催された「ミュトス」展でも、「序章」「放電」「大洪水」「虹のふもとに」という4章すべてにわたり、創造を見守るものとして《猫人形》が登場している。それは、大量絶滅の後に生まれる人類の誕生を見守る《BIG CAT BANG》の原点ともいえる。

ここで気づかれた方もいるかもしれないが、この《猫人形》こそが直接・間接的に《SHIP'S CAT》の原形なのである。《SHIP'S CAT》は2017年に博多にできた若者向けのホステルのために制作されたパブリックアートとして最初につくられた。その際、若者の旅を導くシンボルとして、古代オリエント時代以来ネズミを退治するために人間と共に船に乗り、大交易時代以降は世界中を旅して「SHIP'S CAT」と称された船乗り猫をモチーフとした。その造形は《猫人形》と同様にヘルメットを着用している。2作目の黒く塗られた《SHIP'S CAT(Black)》では目が光るようになっており、まさに《猫人形》を巨大化したものといえる。ほかの作品でも、航海の暗闇の中で人々を導けるよう、ヘルメットのリングが光ったり、照明的な役割を担っていることが多い。
2019年には、ヤノベがFRPでつくった躯体に京都の漆芸職人が蒔絵や漆を施すシリーズが始まり、本展でも展示されているが、その2作目の作品《赤漆舟守祝猫》(2019)は《ランプ猫》の躯体をそのまま流用している。つまり《猫人形》は、《SHIP'S CAT》の観念的な原形であると同時に、造形的な直接の原型でもあるのだ。このように過去と現在、さまざまなシリーズが折り重なりながら、ヤノベ作品は展開していく。
また、2011年に東日本大震災・福島原発事故を受けて制作された《サン・チャイルド》、2015年に阪神・淡路大震災20年の節目に制作された《サン・シスター》の原型が展示されているのも貴重である。さらに2012年にビートたけしと共作した《アンガー・フロム・ザ・ボトム》の原型も反対側の棚に展示されている。
これらを元に拡大して巨大な彫刻が制作されているので、まさに原型と呼べる作品である。ただし、《サン・シスター》は、兵庫県立美術館で恒久設置されている《サン・シスター》より以前に制作した手を広げて昇降するタイプの作品で、ある意味でオリジナルともいえるものだ。その顔の部分も展示されている。昇降するタイプの《サン・シスター》は、増田セバスチャンとの共作で 衣装を着せ替えて《フローラ》としても展示されている。




また、アニメーター・イラストレーターの米山舞が、《サン・シスター》にインスピレーション受け、ヤノベと共作した《SHIP'S CAT (Sun Carrier)》(2024)と《SUN SEEKER》(2024)も展示されている。《SHIP'S CAT (Sun Carrier)》は、漆芸が施された《SHIP'S CAT》の背中の上に太陽のメタファーである円形のモニターを載せ、米山のアニメーションを上映するという作品だ。そのアニメーションは、《サン・チャイルド》が右手に持つ「太陽」を《サン・シスター》に受け渡し、また《サン・チャイルド》に受け渡す、という循環を描いたものである。ある意味で2次創作的ともいえるが、ヤノベのメッセージを受け取りながら、米山の線と《サン・チャイルド》、《サン・シスター》、《SHIP'S CAT》が一つの作品に凝縮されている。
さらに、《SUN SEEKER》は、手描きのドローイングを複数のアクリルに描くことで、徐々に太陽を求めて、起き上がって見つめていく様子を、アニメーション的に表現している。その線のエッセンスを生かして、ヤノベも背負っている《SHIP'S CAT》のボディを即興的にステンレスで制作した。時代の異なるヤノベの複数の作品が異なるクリエイターを通して融合していく様子も見どころだろう。
さらに、《SHIP'S CAT》は、GINZA SIXでのインスタレーション《BIG CAT BANG》(2024)において、地球に生命を運ぶ「宇宙猫」へと展開された。地球上の生命がどのように発生したのか。地球内部の物質から生まれたのか、隕石などの外部からもたらされたのかは、いまだ正確にはわかっていない。外部から生命の起源がやってきたとする「パンスペルミア説」にヒントを得て、ヤノベは銀座の吹き抜け空間を宇宙に見立て、大量の「宇宙猫」が地球に降り立ち生命をもたらす瞬間を、巨大バルーンによるインスタレーションとして構成した。
銀座に現れた宇宙。岡本太郎の遺伝子を受け継ぐ、生命誕生の爆発!ヤノベケンジ「BIG CAT BANG」
「宇宙猫」が乗っていた宇宙船は、1970年の大阪万博で岡本太郎が設計した《太陽の塔》そっくりだが、頂部に耳がついていたり、正面の顔が猫になっていたりと随所が異なる。《太陽の塔》が内部に「生命の樹」があり、生命誕生と進化の物語を表していることから、その前編として展開したのが《BIG CAT BANG》である。そして、あらゆる生命の共通祖先を意味するLUCA(Last Universal Common Ancestor)から名付けられた宇宙船「LUCA号」から大量の「宇宙猫」が爆発的に飛翔する瞬間を、「BIG BANG」ならぬ《BIG CAT BANG》と名付けたのである。ヤノベが創作した新たな創生神話では、「宇宙猫」が地球に降り立ち「生命の種」を撒き、育み、5度の生命大量絶滅の危機を乗り越えて人類の誕生を見守ってから、力尽きて天に召される。
このストーリーに別のエンディングを与えるべく立ち上がったのが、「宇宙猫を宇宙に還す」プロジェクト《RE:VERSE PROJECT》(2026)である。GINZA SIXで使用された《SHIP'S CAT》のフィギュアをコスモレッド色に塗装し、クラウドファンディングで費用を調達して実際にバルーンを成層圏まで打ち上げた。2026年2月15日に決行された打ち上げでは、成層圏に到達して折り返し着陸に向かう際、パラシュートが開く衝撃で2体の「宇宙猫」が飛び去ってしまったが、その一部始終はカメラに収められており、ヤノベが新たに制作した帰還カプセル作品《SHIP’S CAT (Cosmo Pod)》(2025)のモニターにも上映されている。

ゲームという名の社会彫刻 ヤノベケンジ『宇宙猫の大冒険』のデジタル変容とリバイバルの試み
さらに、遠い未来に地球に戻ってきた「宇宙猫」がすっかり汚れ、人類が絶滅した後の地球を「ぬすっとマウス」を倒しながらきれいにしていく、そんな設定のアーケードゲーム『宇宙猫の大冒険』が、アンテルーム京都の豊川泰行が発起人となり、京都芸術大学・大阪電気通信大学・相愛大学の三大学合同プロジェクトとして開発され、ヤノベが新たに制作した一点物のアーケード筐体型彫刻《The Spaceship of SHIP'S CAT》(2025)とともに展示されている。
BAN8KUのアートワークによって、ヤノベの作品がピクセル画のキャラクターとなり、各大学の教員や学生の尽力により、シューティングゲームとして展開されている。こちらもまた、ヤノベの彫刻からキャラクターやストーリーが異なるクリエイターによって、別の形で開花した例であろう。まさに生命をもたらす《BIG CAT BANG》のように、クリエイターの創造性を活性化させる力がヤノベ作品にはあるのだ。会期中にはゲームイベントも開催された。


ゴールデンウィーク期間には、ハイパーミュージアム飯能での個展「宇宙猫の秘密の島」(2025)で制作された巨大バルーンが「猫之島美術館」として公開された。宮沢湖に浮かぶ人工浮島の上に設置されたバルーン内部には、《BIG CAT BANG》のサイドストーリーとして、地球に不時着した「宇宙猫」の中の創造性の高い一匹が独自に芸術を生み出していったという設定のもと、古代エジプト風からポップアート風まで芸術史全体を一匹で創造した作品群が展示されていた。生命の起源だけではなく、人類の芸術の起源もまた「宇宙猫」にあるという《BIG CAT BANG》の世界観をさらに展開するもので話題となった。「宇宙猫」が創作したという作品は、美術館内部にも展示されていた。絵画だけではなく、デュシャンの《泉》の上に「宇宙猫」が置かれているのは笑いを誘う。「猫之島美術館」にも多くの人が訪れ、行列ができていた。
「宇宙猫」から始まる芸術の歴史とAI時代の創造力 ヤノベケンジ「宇宙猫の秘密の島」



極めつけは、第4室の3人の合同空間に飾られている、刀匠・河内國平との共作《天地以順動》(2024)だろう。《BIG CAT BANG》の世界観を漆芸と刀剣で表現した作品だ。眠り猫タイプの《SHIP'S CAT》の躯体に黒漆が塗られ、その上に「宇宙猫」が生命の種を植え育む様子が鮮やかに描かれている。《SHIP'S CAT》が抱くように垂直に立てられた刀剣の、雲海のような刀文の上には天に飛翔する「宇宙猫」が彫られており、役目を終えた「宇宙猫」が宇宙へと還っていくように見える。茎(なかご)の部分にはヤノベと河内、彫師の銘が刻まれると同時に、隕石由来の鉄である隕鉄が八方に飛ぶように埋め込まれている。これが宇宙猫のもたらしたアミノ酸などの「生命の種」を象徴しているのだ。
さらに、天地のバランスを説いた『易経』一節である《天地以順動》の世界観を展開し、易経における八卦を表す天・沢・火・雷・風・水・山・地をそれぞれ象徴するヤノベの作品をモチーフにした八振りの短刀シリーズ《八卦連環》も展示されている。河内とその弟子たちが打ったこれらの刀は、柄に漆芸が、柄の先端である鐺(こじり)にはヤノベの作品を象徴した金工が施されている。ヤノベは自身の創作神話を場所や人に合わせて、さまざまな系譜をつくりながら新たな創造物を生み出しているといえるだろう。
工人たちが打ち立てた刀剣が、銀座に誕生した宇宙の天と地を繋ぐ 刀剣展「天地以順動 河内國平・ヤノベケンジ 至高の共創」
ウルトラファクトリーという創造の場が未来をつなぐ
それらはヤノベの京都芸術大学ウルトラファクトリーにおける創作の歴史でもある。ヤノベが1990年にデビューしてから2026年の現在、すでに35年以上が経つ。2008年からウルトラファクトリーを創設しているので、キャリアの半分はこの場で創作してきたことになる。
特にパパ・タラフマラからビートたけし、増田セバスチャン、林海象、米山舞、河内國平に至る、ジャンルの異なる様々なアーティストとのコラボレーションは、まさにウルトラファクトリーから始まったといえる。それは自身の制作に新たな刺激をもたらすと同時に、学生に実践的な機会を与えるためでもある。その縁から直接仕事を得ることもあるし、学生が創作に対する姿勢を間近で知る機会にもなっている。

本展においてやなぎみわの部屋を形成する作品の多くも、ウルトラプロジェクトの参加によって生まれたものだ。やなぎはウルトラプロジェクトとの関わりが15〜16年に及ぶ最古参のディレクターの一人で、美術家としてのキャリアから出発し、2011年以降は原案・演出・舞台美術まで包括した総合的な舞台芸術を手掛けてきた。本展の第三室Room 3「坂道のオード(賛歌)」の中心作《飛礫と瓦礫》(2026)の白銅鋳造による作品群や、本展でも上映されている六甲ミーツ・アートにおいて水上野外劇として公演された《大姥百合》(オオウバユリ)の舞台美術や運営、5月末に大阪中之島美術館の大ホールで上演された舞台作品『黄泉平坂 〜排斥と遊戯〜』の舞台美術も、ぎりぎりまでウルトラファクトリーで学生とともに制作されたものだ。今年「ウルトラプロジェクト」に参加した学生たちは、ヤノベとやなぎのプロジェクトを通じて早々に大舞台の裏側を目撃することになった。
ヤノベの本展に対する思いは並々ならぬものがあった。《SHIP'S CAT(Muse)》や《ジャイアント・トらやん》が収蔵されているということだけではない。現代アートが多くの人にとって魅力的なものに映らなければアーティストの将来はないと考えているからだ。そのためには自分の最大限の力を発揮し、あらゆる機会にあらゆる人々に来てほしいという思いがある。森村は3人の特徴として「過剰性」を挙げているが、過剰でなければ乗り越えられないことがある。森村はそれぞれの過剰性を引き出し、まさに過剰な創造性があふれた展覧会となった。

かつて2009年に大阪中之島で開催された「水都大阪2009」では、橋下徹大阪府知事の就任に伴う予算枠の再編で規模が縮小されるなか、芸術の力を示すために《ラッキードラゴン》をウルトラファクトリーで約1か月で制作し、国内の自作を中之島に全部集めて橋下府知事を驚かせた。感銘を受けた橋下府知事はヤノベに大阪文化賞を授与することになる。




「水都大阪2009」で大阪の街中を回遊する《ラッキードラゴン》(2009) [撮影:塚正玲子]
後に橋下が大阪市長になった時代には、30年越しの計画であった大阪中之島美術館の実施にあたって民間の力を入れることが求められ、美術館では初めてとなる民間資本と公共が組んだPFIコンセッション方式が採用された。その結果、実現した大阪中之島美術館は、地方独立行政法人に属する学芸員と事業を担う特定目的会社が組んで、企画と動員のバランスがとれた美術館運営が行われるようになったと評価され、今後の日本における美術館運営の先行モデルとして注目されている。
今回、ヤノベは動員に対して自身の役割が大きいことを自覚し、それを全力で実現しようとしている。やなぎは反対のアプローチでエア展示の演出と舞台をつくりあげている。その意気込みと過剰性は、必ずや学生たちに伝わるはずだ。そしてその経験が、これからのクリエイターやアーティストの将来を少しずつ変えていくのではないだろうか。
(文:三木学)
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