1 YANOKEN PROJECT(ヤノケン・プロジェクト)とは
2026年5月、大阪中之島美術館。ここで、ある風変わりな彫刻作品が、訪れる多くの鑑賞者たちの視線を釘付けにしていた。金属の光沢を放ち、どこかレトロでありながらも未来的なその造形物は、現代美術作家であり、本学教授のヤノベケンジ氏が制作した、世界にたった一台しか存在しない一点物のアーケードゲーム筐体である。そして、その重厚な筐体の内部で躍動していたのは、三つの大学が足掛け一年半の歳月をかけて共創し、完成させたゲーム『宇宙猫の大冒険(The Great Adventure of Ship’s Cat)』だ。

The Spaceship of SHIP'S CAT
撮影:Omote Nobutada
作品:Kenji Yanobe
ピクセルアート:BAN8KU / thePIXEL
「YANOKEN PROJECT」と名付けられたこの挑戦は、単に高名な現代美術家のキャラクターや既存のアート作品を、流行りのデジタルコンテンツやスマートフォンのアプリへと変換して普及させるといった次元の安易な試みではない。その企画意図の根底にあるのは、ヤノベケンジ氏が30年以上のキャリアの中で培ってきた壮大な作品世界と、そこに通底する人類への批評的な哲学を、ビデオゲームという今や国境や世代を超えた世界共通言語となったメディアに乗せ、時間と空間のすべてを飛び越えて100年後の未来へと運ぶための「宇宙船型の箱舟」を構築することだった。
このプロジェクトでは、三大学合同プロジェクトという領域横断的な形態がとられた。京都芸術大学キャラクターデザイン学科の学生たちがゲームの世界のディテール構築、キャラクターアニメーションの作画を担当。大阪電気通信大学デジタルゲーム学科の学生たちがシステム設計とエディタの開発、そしてゲームのプログラミングを担当した。さらに相愛大学音楽学部の学生たちがサウンドデザインを担い、ゲームの世界に奥行きを与えた。
これら三大学の学生たちを指導したのは、私(村上聡)と、大阪電気通信大学の森善龍先生、相愛大学の髙木了彗先生だ。そして、このプロジェクトの監修・ディレクションを行ったのがヤノベケンジ氏であり、ゲーム世界の原画を担うアートワークをピクセルアート作家・BAN8KU氏(the Pixel)が担当している。
また、ゲーム開発を社会実装へと繋げる枠組みとして、京都を拠点にBitSummitの運営等を行うSkeleton Crew Studio代表の村上雅彦氏、ホテルアンテルーム京都のマネージャーでありartbit展の企画によってゲームと現代アートの橋渡しを担う豊川泰行氏がプロデューサーとして並び立ち、プロジェクトを支えた。そして現代アートとインディーゲームカルチャーを融合させる、世界に類を見ない産学連携のクリエイティブ・チームを結成した。
私が学内で主宰している「あそびラボ」では、ゲームというメディアを単なる商業的な娯楽として捉えてはいない。遊びという人間の根源的な行為の研究・実践を通じて、そのシステムの中にどのような思想やメッセージを組み込むことができるのか、そしてプレイヤーにどのような情緒的・身体的体験を提供できるのかを探求している。本プロジェクトは、その「あそびラボ」の理念を「現代アートとの融合」という未踏の表現領域で実証するための野心的で壮大な社会実験といえる。
すべては豊川氏のこの一言から始まった。
「100年遊べる現代アートとしてのゲームを作りましょう」
2 「宇宙猫の大冒険」とは
このゲームでは、画面を斜め上から見下ろすクォータービューの視点を採用した、往年の名作シューティングゲームを彷彿とさせるアクションゲームである。1980年代から90年代にかけて世界中のゲームセンターを熱狂させたクラシックなゲームへの深いリスペクトとオマージュでもある。コンセプトアート及びドット絵の原画を担当したBAN8KU氏(the Pixel)によるグラフィックの質感は、古き良きドット絵でありながら、現代的な色彩感覚と高密度の空間設計による唯一無二のものとなっている。

何よりも特筆すべき、そしてゲームに馴染みのない人々をも驚かせる本作の革新性は、そのゲームシステム(メカニクス)自体に、ヤノベケンジ氏のアート思想がダイレクトに組み込まれている点にある。一般的に「シューティングゲーム」や「アクションゲーム」と聞けば、多くの人は「銃や魔法を使って、襲いかかってくる敵を次々と撃破していくゲーム」を想像するだろう。しかし、本作においてプレイヤーに与えられた武器は、敵を殺傷するための弾丸ではなく、世界を美しく彩るための「洗浄弾」であり「生命の種」である。
本作の物語は、人類が絶滅して毒々しいヨゴレに塗れ、「ぬすっとマウス」たちが支配する廃墟の遊園地から幕を開ける。主人公である宇宙猫(SHIP’S CAT)のミアは、宇宙船の動力源であり、世界の希望そのものである「小さな太陽」をネズミたちの親玉に盗まれてしまい、それを取り戻すために地球に降り立った。
プレイヤーがコントローラーのボタンを押し、画面の中のミアが洗浄弾を発射すると、弾が当たった場所のヨゴレが除去されていく。さらに、マップの至る所に配置されている花壇に種を蒔くと、そこに花が咲く仕様になっている。つまり、ゲームをプレイしてボタンを押し続けるという行為そのものが、従来のゲームのような「破壊や死」を意味するのではなく、世界の「再生(リバイバル)」に直結しているのである。

ヤノベ氏が作り上げたアーケード筐体型の彫刻作品「The Spaceship of SHIP’S CAT」もまた、本作を語る上で欠かすことのできない芸術要素である。筐体の金属が持つ重厚な質感、荒々しくも美しい溶接の痕跡、そして内部の液晶画面から放たれるピクセルの光。これらが一体となることで、筐体そのものがひとつのSF的な宇宙船のコックピットとして機能する彫刻作品となっている。
ゲームのステージを進めていくと、ヤノベ氏がこれまでの半生で制作してきた現代アート作品たちが数多く登場する。ゲームは3ステージで構成されるが、ステージ1ではヤノベ氏の創作の基盤となった「廃墟の中の観覧車」がボスキャラとして登場する。ステージ2では、雪原を高速で突進してくる「ロッキング・マンモス」、ステージ3ではウルトラファクトリーを舞台に「ジャイアント・トらやん」が最後の大ボスとして立ちはだかる。その他にも、ミュトスやアトムカーなど、ヤノベ作品のキャラクターが主人公の行く手を阻む。ヤノベ氏の30年有余に及ぶ創作活動のアーカイブが、一つのデジタル空間の中でクロスオーバーを果たした、まるで映画『アベンジャーズ』や『怪獣総進撃』のようなお祭り騒ぎが展開されるのである。



そしてエンディングでは、世界に平和を取り戻し、ヨゴレに塗れた世界に緑と生命エネルギーを取り戻す。そして地響きと共に「サン・チャイルド」「サン・シスター」が復活し、壮大な第二章の始まりを予感させるような謎の余韻を残してエンドロールが流れる。

3 ゲームは現代アートたりえるのか
これは現代アートとゲームを融合するプロジェクトであると前述した。しかし、ヨハン・ホイジンガの提唱する遊びの定義として「遊びは文化よりも古い」という言葉があるように、人間の行いには全て遊びの要素を孕む。制限と自由、言語伝達と他者理解、競技と駆け引き、試行と歓喜。その要素は、法廷や戦場、教育現場、そしてアートの中にも含まれる。
現代アートとゲームは、ともすれば全く性質の異なる媒体として映るかも知れない。現代アートは高尚なものでビデオゲームは低俗なものと揶揄する人もいることだろう。そのような見えない壁に対し、本プロジェクトは極めて破壊的かつ論理的なカウンターを提示している。表現があり、問いかけがあり、その作品を通して対話と理解が生まれる。我々が本作を通じて伝えたいのは、「ゲームと現代アートは地続きであるどころか、ゲームは現代アートそのものである」という事実に他ならない。
ヤノベケンジという作家の芸術表現の核にあるテーマは、一貫して「サバイバル(生存)」と「リバイバル(再生)」であった。1970年に開催された大阪万博が掲げた「人類の進歩と調和」という輝かしい未来像、それが後に「未来の廃墟」として取り残されていったことへの批評的な眼差しからヤノベ氏の表現はスタートしている。チェルノブイリの地を、「アトム・スーツ」を身にまとって歩いた初期の活動から、震災後の希望を象徴する「サン・チャイルド」に至るまで、ヤノベ氏は常に「いかにして絶望の極限から、人類の生き残る希望とイマジネーションを紡ぎ出すか」を問い続けてきた。我々はこのヤノベ氏のシリアスな思想を、単にゲームのストーリーとしてなぞるだけでなく、プレイヤーへのナラティブ体験として再解釈した。

そのゲームの背景となるストーリーはこうだ。
時は流れ、西暦2080年。人間が未来のテクノロジーに浮かれる中、突如発生した巨大な太陽フレアによって世界中の電子機器が停止し、経済及び全ての社会活動が麻痺。究極のサバイバル生活の末に人類は死滅。「ぬすっとマウス」として進化したネズミたちに支配される。
一方その頃、宇宙の果てでは、5億年ほど寝坊をした一匹の宇宙猫が目を覚まし、地球へやってきた。そこは、仲間の宇宙猫も彼らが生み出した人類も滅びた廃墟の世界。遊園地の跡地であり、生き物を模した鉄のアートが蠢く奇妙な世界である。そこへぬすっとマウスのボスが現れ、宇宙船の動力源であった「小さな太陽」を奪われてしまう。そして、小さな太陽を取り戻すための攻防戦が幕を開ける。
この物語の中で、ヤノベ氏の作品のオマージュとして、「小さな太陽」が登場する。チェルノブイリの幼稚園の壁に描かれていた希望の象徴である。ゲームの中では、人類が恩恵を受け続けた太陽からの攻撃によって世界が崩壊している。太陽の力によって繫栄し、驕り、しっぺ返しを食らったのである。
サバイバルとリバイバルの要素はゲームデザインの中にも反映されている。黎明期のゲームは、単純ながら「遊びとしての面白さ」を追求し、試行と歓喜を繰り返して心を満たしていた。本作では「遊びの原点に立ち返る」というリバイバルの精神から、最新3DCGではなくピクセルアートを採用し、作業的な画面のタップではなく強い意志をもってボタンを連打する仕組みにした。また、ゲームの元祖がシューティングであることも原点回帰の一つの要素である。
ここで、20世紀の美術史における最重要人物の一人であるヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」という概念に触れたい。ボイスは、「すべての人間は芸術家であり、自らの創造的な行為によって、我々が生きるこの社会という壮大な彫刻作品の形成に関わる権利と義務がある」と説いた。つまり、アートとは美術館の中で特権的に完結する物質ではなく、人間の能動的な関わりによって社会を変容させていくプロセスそのものだ、という主張である。この「社会彫刻」の思想を、21世紀の現在、最も完璧に体現できるメディアこそゲームなのである。
ゲームの本質はインタラクティブ(双方向的)とナラティブである。プレイヤーがコントローラーを握り、自らの意志で入力を試みなければ、画面の時間は永久に停止し、世界は崩壊したまま一歩も前に進まない。プレイヤーがレバーを動かし、自らの指先でボタンを叩いて洗浄弾を放ち、目の前の荒廃した世界に花を咲かせていくこと。このとき、画面の中で起こる劇的な世界の「リバイバル」は、クリエーターが設計した世界を、観客が「自らの介入という意志によって完成させる」という、極めて高次元な芸術的達成を意味している。クリエーターによる問いかけがあり、プレイヤーが考え、アクションを返す。この双方向性のループは、歴史を遡れば、1980年代のビデオゲーム黎明期の『ドンキーコング』や『パックマン』の時点で、すでに現代アートとしての構造的な美学が完成していたと言えるのだ。
ゲームがアートとして正当に評価されない風潮があるとするならば、それはゲームのインターフェースがあまりにも親しみやすく多くの人に開かれているため、人間の意志と行動を変容させうるゲームの本質に対する理解や、アート界の評価システムが未だに追い付いていないからだといえる。
4 ゲームの開発現場
前述の通り、本プロジェクトは京都芸術大学、大阪電気通信大学、相愛大学という、異なる文化と専門性を持つ3つの研究機関で進められた。
私はゲームデザインの基本設計とストーリー、世界設定の統括を、森先生はゲームデザインの仕様作成及びプログラミングの統括を行い、髙木先生はサウンドデザインの統括を行った。そしてそれぞれの受け持つゼミの学生が中心となってゲームのデータを作成し実装していく。
定期的に合同作業日を設け、試遊会や意見交換を行った。そこにはヤノベ氏もBAN8KU氏も加わり、ブラッシュアップの方向性についての議論を行った。


ピクセル単位での修正や、僅かな挙動の違和感を見つけてバグを修正していくという細やかな作業に、学生たちはプロの世界の圧倒的な「壁」を体感した。自分たちが作っているものが単なる「学生の課題制作」ではなく、「美術館に展示されるアート作品」なのだという強烈な当事者意識を叩き込まれていったのである。
同時進行で、京都芸術大学の共通工房「ウルトラファクトリー」では、ヤノベ氏自らがアーケード筐体の制作に取り組み、そこでも学生たちはアーティストの圧倒的な背中を通して、デジタルゲームと物質的な彫刻が融合されるプロセスを間近に感じていた。

こうして1年半の血と汗と涙の結晶として完成した作品が、2026年5月2日、大阪中之島美術館の華やかなステージでお披露目された。公開記念イベントでは、ヤノベ氏とともに開発の中心を担った各大学の学生が堂々と登壇し、大勢の観客の前で完成品の試遊及びトークショーを開催。ヤノベ氏をはじめとする関係者がゲームの実況解説を行い、会場は美術館とは思えないほどの熱狂と爆笑、そして大きな感動に包まれた。



5 これからのゲームとは
これからの未来において、ゲームというメディアは、単に消費され、数年後には忘れ去られていく使い捨てのエンターテインメントであってはならない。それは、今回のプロジェクトのように、優れたアーティストの哲学や、時代に対する批評的なメッセージを内包し、次世代の感受性と衝突させるための社会の写し鏡となるべきである。
「宇宙猫の大冒険」は、大阪中之島美術館での発表に端を発し、今後はホテル アンテルーム 京都での「artbit展」や、渋谷サクラステージの「404 not found」、フランスの芸術祭「Octobre Numérique」などで公開される予定であり、100年の船旅は始まったばかりである。


筐体はartbit仕様にアレンジされている
(文:村上 聡)
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村上 聡MURAKAMI, Satoshi
株式会社スクウェア(現スクウェア・エニックス)で、ゲームデザイナーとして「FINAL FANTASY」シリーズやその他のコンシューマゲームの開発に携わり、その後はフリーランスでのゲームデザイン、脚本執筆、アニメーション制作、PV制作等を行う。
現在はゲーミフィケーションやシリアスゲームの研究を行い、「京都を面白くする」を主軸に、関西でのゲーム系カリキュラムを持つ教育機関と連携した合同プロジェクトを実施している。