INTERVIEW2026.07.22

プロデュースデザイン

地に足のついた研究で、一歩ずつ築いた新潟県浦佐地区とのつながりから「大和まちづくり研究所」の開設へ。――学際デザイン研究領域の卒業生高塚苑美さん、教員の野村朋弘先生へインタビュー

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  • 京都芸術大学 広報課

2020年、京都芸術大学大学院 通信教育課程に誕生した100% e-learningの修士課程、学際デザイン研究領域。

その修了生である高塚苑美(たかつか・そのみ)さんが、新潟県南魚沼市浦佐地区で、「大和まちづくり文化研究所」を立ち上げました。浦佐地区の歴史文化の調査・研究に加え、地域に眠る資源を活かしたビジネスを通じて、地域活性化に取り組む拠点です。
今回は、大学院卒業後も本学の芸術研究科で研究員として研究と実践を積み重ね、拠点をひらくに至った高塚さんと、ゼミの指導教員として修了後も研究活動を見守ってきた野村朋弘先生に、立ち上げに至るまでのお話を伺いました。

高塚苑美(たかつか・そのみ)さん

大和まちづくり文化研究所 所長
京都芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻学際デザイン研究領域を2022年度修了。
これまでブランディングや人材育成などに携わる。京都芸術大学大学院で学んだ研究と実践を活かし、地域資源の掘り起こしやまちの活性化に取り組む。

野村朋弘(のむら・ともひろ)先生

京都芸術大学 教授・松尾大社文化研究所研究員
日本中世史・神社史の専門家として活動中。

 

地域の文化や歴史的な背景をひもとくため手法を学びたかった

――高塚さんは「学際デザイン研究領域」を経て研究員となり、その後も新潟県南魚沼市浦佐地区での活動を続けてこられました。ビジネスパーソンとしてもキャリアを着実に積まれてきた高塚さんが、そんな研究者としての道をひらいた「学際デザイン研究領域」とは、どのような特徴があるのでしょうか?
野村朋弘先生(以下、野村先生):学際デザイン研究領域では“「旧きを知る文化・伝統の探究力」と、「現在~未来を構想するデザイン思考の創造力」を両軸に、地域や社会の課題を解決し、創造的に働きかけられる人材を育成します。”と掲げているように、教員の中には、環境デザイナーとして活躍してきた領域長の早川克美先生をはじめ、人文系の研究をしている僕、社会学やランドスケープを専門とする先生など、いろんな分野の研究で業績を上げている教員がいます。
それぞれ異なる手法で研究を行ってきた教員の経験を役立てながら、研究とはどういうものか、アカデミックスキルを身につけていただける領域になっています。
基本はe-learningをベースにしていますが、高塚さんが所属していた僕のゼミでは、合宿として僕自身関わりの深い函館にみなさんをお招きして、フィールドワークや研究発表を行うこともありました。
幸いにも多くの方に志願していただいて、子育て中の方から、広告代理店やテレビ業界で働かれている方、会社の役員を務められている方など、さまざまなキャリアを積まれてきた方が所属されています。
高塚苑美さん(以下、高塚さん):芸術大学だからなのか、本当に幅広い年代・職種の方がいらっしゃって、多彩だなと感じましたね。


――高塚さんご自身は、なぜ学際デザイン研究領域への入学を考えたのでしょうか。大学院へ進む必要性を感じられたエピソードなどがあれば、教えてください。
高塚さん:自身の会社で事業支援やコンサルティングをする中で、クライアントさんが本当に多種多様で、企業や自治体の方、農家の方、伝統工芸に携わる方など、いろんな方からご相談をいただきます。その中で、「自分のコアをどう形作っていけばいいか」ということは以前から考えていましたし、学生時代には経済学部で地域の歴史や地場産業を研究していたりと、20代の頃から「地域の課題をどうにかしていきたい」という思いもありました。
工芸や伝統文化に関しては、自治体の委託事業や企業のブランディング支援を通じて、地場産業や伝統産業、農業など地域に根ざした事業者に携わる機会が多くあります。ブランドの価値を育てていくには、その土地の歴史や文化といった背景への理解が欠かせません。
けれども、地域のことをどう調べればよいのか、本を読んで歴史や文化を学ぶことはできても、そこから地域の課題をどう抽出し、現場の課題をどう捉えていけばよいのかが分かりませんでした。コンサルティングをしていても、どうしても表層的な提案になってしまうことがあり、アカデミックなスキルがなければ本質的な支援はできないと実感する場面が多かったんです。
地域の方に対して、綺麗なプレゼンテーションや、多様なフレームワークを持っていくことはできるけれど、私がやりたいのはそういうことではないなと。そんな時、コロナ禍で出張が減ったタイミングで学際デザイン研究領域の存在を知って、今ならと2期目に出願したんです。


――学びたいという思いに、時間的な余裕が重なったタイミングだったんですね。
高塚さん:周囲にはMBA(経営学修士)を取っている友人がたくさんいるんですが、ビジネスに関しては経験も積んできて、これからMBAを学ぶ気にならなかった、というのも大きな理由でしたね。


地に足のついた研究から生まれた、地元青年団とのつながりが研究を深めるきっかけに

――在学時の共同研究から新潟県南魚沼市の地域を対象に研究をされていたそうですが、なぜ南魚沼市を?
高塚さん:共同研究では対象地域を決める際にそれぞれの希望をすり合わせて、南魚沼市がいいんじゃないか、と私から提案したんです。私自身、鎌倉に住んでいるので川端康成の文学に馴染みがあって、越後湯沢を舞台にした『雪国』の「トンネルを抜けると雪国であった。」という一節がとても印象に残っていました。調べていくと、歴史もあるし、山岳信仰もあり、文化的にも非常に興味深いところだったんですが、スキー場があるから越後湯沢のことは知っていても、隣の南魚沼となるとお米以外のイメージがまったく湧かないんですよね。内陸を研究したいというメンバーもいましたし、新幹線で東京からも行きやすいしいいんじゃないかと、南魚沼市の八海山麓地域を共同研究の対象としました。

 

――たしかに、南魚沼といえばコシヒカリ、というイメージが強いですよね。
高塚さん:メンバーがグルメな人たちだったこともあって、お酒やおいしい食べ物もあるしと、そういう邪な動機もありました(笑)。

 

――観光先としてしか縁がない土地だったところから、研究対象として出会い直し、研究所を立ち上げるまで、どのような道のりがあったのでしょうか。
高塚さん:ゼミでは個人研究も行ったのですが、その時に私が取り上げたのが「浦佐多聞青年団」で、後から考えると、彼らの強いネットワークの中に入ったことが大きかったなと思います。
この青年団は地元の19歳から29歳の男性で構成されていて、浦佐駅近くの浦佐毘沙門堂で1200年ほど続いていると言われているお祭り「裸押合大祭」を執行している団体なんですね。外から見ると閉鎖的・排他的に捉えられがちですが、そんな強いネットワークの中にひとりでポツンと入っていったところ、私、お酒が好きで強かったこともあって、地元のみなさんと大変気が合いまして(笑)。すると「次はいつ来るんだ?」といろんな地域のお祭りやイベントに誘ってもらえるようになったんですね。呼んでいただいたら、それは行かなきゃいけないなと、気がついたら頻繁に通うようになっていました。

 

――青年団の方との出会いが大きなきっかけになったんですね。
高塚さん:野村先生はよく「地に足のついた研究を」と仰るんですけど、地域の人たちにも応援されている青年団の現役団員やOBの方にインタビューをしたり、イベントにも全部行かせてもらって、一年間一緒に行動したからこそ段々認めてもらえたのかなと思います。
野村先生:先ほどお話があったような共同飲食は通過儀礼としても大事で、同じ釜の飯を食った仲間だからいろんな話ができる、みたいなことはどこの土地も共通ですね。縁のあるお寺や神社にはきちんと奉納したり、身銭を切る。そういう関係性が一過性ではなくずっと続くから、信用されて関係を結べる。それは研究であっても仕事であっても同じことです。高塚さんもそうですし、学際デザイン研究領域はキャリアを積み重ねてきた方々ばかりで、教わらずともそれができるので、地域に入り込むのが上手な方々が多いんですよね。

 

――そうした場面で社会人としての経験が研究にも活かされるんですね。修了後は、研究員としても研究を続けられたそうですね。
高塚さん:そもそもお祭りが3月に開催されるということもあって、本番を見ないまま修了研究のレポートを書くというスケジュールになってしまったので、これは研究を続けるしかないなとは考えていて。ただ、続けるのであれば当然、地域の人への恩返しとして何か形にしなきゃいけないし、学会で発表するのはもちろん、論文化もしていきたかったので、研究員という形で続けさせていただきました。
同時に、地域に入り込んで一緒に活動をしていくと、当然人間関係もできてくるんですよね。そうすると地域の人たちが困っていることとかを相談してくれるようになって、これは、研究が終了したからといってさよならとか言えないなっていう思いがあったりして。
やってきたことを地域の方へ還元するという意味でご相談を受けたり、講演のご依頼に応えていくうちに、今の活動が形になっていったという感じがしています。

 

地域住民の強いつながりを価値・資源と捉えたまちづくり

――そんな関係性の積み重ねがあった中での、「大和まちづくり文化研究所」の拠点設置だったんですね。
高塚さん:はい。駅からも徒歩5分くらいで、かつては門前町としても栄えた場所にオープンしました。現在は当時の面影はなく寂れてしまっている場所ですが、お祭りの時はここが中心になるので、この地域に賑わいをつくることが地域の誇りにもつながるんじゃないかと。研究をしてきた中で地域の人に知ってもらいたいこともたくさんあるし、この場所のシャッターを下ろしたままにするべきではないという思いで、「私が使わせてもらってもいいですか?」と名乗り出たんです。地域の人たちも快く動いてくださって、この春に無事研究所をオープンすることができました。

研究内容の発信や、住民の方の作品展示、ワークスペースとしても利用できる「大和まちづくり文化研究所」

 

――オープンしてから、何か浦佐のみなさんからの反響はありましたか?
高塚さん:本当にありがたいことに毎日声をかけてもらって「人が増えてきたね」「いい風が吹いてるね」と言っていただいています。つい数日前にも大学生のフィールドワークの受け入れをしたりと、実際にたくさんの方が来てくださって。

地元の写真家、酒井さんとの一場面

 

――研究所の取り組みとして、大学生の受け入れも。
高塚さん:そうなんです。私は修士の時に、人と人との繋がりがこの地域の価値財産だと結論づけて、今もそう思ってやっているんですね。そう考えた時に、お客さんをホテルに泊めるのは簡単なんだけど、それでは今後続くような交流はなかなか生まれない。
どうしたらいいだろうとみんなに相談すると、ガイドをしてくださったり、近所からお布団をお借りして集会所を宿泊施設にさせてもらったり、調理師の方が「ご飯つくるよ」と言ってくださったり、作っているお米を持ってきてくれる人もいて、しかもそれを学生さんもすごく喜んで「また来たいです」と言ってくれたんですね。
そうして、強い紐帯の中にあえて外から入ってもらうことで関係人口を創出していくという、このまちのネットワークを通じた課題解決のひとつのモデルができつつあると感じています。

武蔵野大学の学生からインタビューを受けることも

 

――大学生にもなかなかない経験をしてもらうことができて、まちに人が滞在することで新しい風が通っていくような、住民の方にとってもいい循環が生まれているんですね。

研究所、地域住民、旅行者のつながりをつくる仕掛けも

 

――研究所としての活動をされる中で、今も役立っている大学院での学びはありますか?
高塚さん:例えば最近だと、山林が荒れていることや、河川の手入れが行き届かなくて鳥獣被害が出てきてしまっていることなど、本当にいろんな分野のご相談をいただくんですが、そうした大きな課題をミクロまで落とし込んで、この地域に関してはこういう問題があるから……と、内にある課題を捉えていく過程で、大学院で学んだことが生きているなと思いますね。
あとは、野村先生がゼミの中で「地域の人は本当にそれを求めているんですかね」とおっしゃったことがすごく印象に残っていて、「地に足のついた研究を」という、本当にその言葉に尽きるなと思っています。

 

地域住民の強いつながりを価値・資源と捉えたまちづくり

――6月20日には、野村先生を普光寺(浦佐毘沙門堂)にお招きしてのトークイベントも行われたそうですね。

野村先生:修了生の方にこうして何かやってほしいと言ってもらった時には、教員の使命としてちゃんと引き受けたいなと思っているんです。
今回は高塚さんが浦佐地区に研究所を立ち上げられたということで、普光寺にあるたくさんの歴史資料についてお話をする、ということでお邪魔しました。と言っても、古い歴史の話だけしてもつまらないので、いかにその資料が地域と繋がっているのか、文化財として優れているかをわかりやすくお話しすることを心がけてお話をさせていただきました。そうしたことを地域の方に知っていただくのも、研究者としての僕の仕事だろうと思っているので。

野村先生の講演会の様子

高塚さん:お願いしたかったお話は、まさに今先生に話していただいた通りです。普光寺はお祭りを通して関わってきたお寺なんですが、豊かな歴史や収蔵物があっても、伝わる形になっていなかったんですね。住職や総代のみなさんも展示内容に困っておられて、私の中でも「もっとこうしたら魅力が伝わるのに」という思いがあったので、今回、老朽化した展示室をリニューアルするというタイミングで手を挙げて、その展示を企画・監修させてもらったんです。そうしたせっかく価値あるものがありながら、地域の人たちがそれを知らず「ここには何もない」と言う状況って非常に悲しいので、今回のトークイベントでは先生にはそういったところをお話しいただきたいなと、お願いしました。

 

――修了してからもこうして関係性が続いていくのは心強いですね。
野村先生:学際デザイン研究領域では、研究を続けていく個人やチームがいくつもあって、僕自身としてもすごく嬉しいことですね。やっぱり、修了した時点で研究者としては2年目ですから、その時点で研究が形になるってあり得ないわけで、もっとこうしたらよかったと後悔の方が先に来る。けれどそこを楽しいと思っていただけるように、教員も自分の研究者としての背中を見せていこうとしていて。その中でも、高塚さんは着実に地に足をつけて活動されているなと感じますし、だからこそ何かあればお手伝いしようと思っています。

 

――高塚さんは、ご自身で会社もされながらの研究活動で、体力的にも時間的にも厳しい場面があったかと思いますが、どのような思いで研究と仕事を両立されたのでしょうか。
高塚さん:実際社会人をしながら研究もするっていうのは、寝不足以外の何者でもない、という感じで(笑)。ですが、ビジネスの世界では着実にキャリアが積み上がっていくかもしれないけれど、それはあくまで自分が想定した範囲のなかでのことなんですよね。そういう意味で研究は、仕事では触れなかった世界に触れられるというおもしろさがありますし、研究を通してでなければ出会えなかった仲間や、出会えなかった自分に出会うことができたと思っています。
人からも「なんで研究を続けているの?」とよく聞かれるんですが、私は「趣味です」って答えているんです。研究って資格がいるわけでもないし、誰でも続けられるし、論文として残せばその地域や世の中への大きな貢献になる。大学院の魅力は、そんな研究者としてのスタートラインに立てることだな、と思います。

研究者として、何よりひとりの実践者として。積み重ねた経験と、温かい人々とのつながりを推進力に、新しい拠点を動かしはじめた高塚さん。今後のご活躍にも注目です。

 

(文=出射優希)

 

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