SPECIAL TOPIC2024.11.28
工人たちが打ち立てた刀剣が、銀座に誕生した宇宙の天と地を繋ぐ 刀剣展「天地以順動 河内國平・ヤノベケンジ 至高の共創」
- 京都芸術大学 広報課
銀座に現出する宇宙と命の旅の始まりとなる巨大インスタレーション
ヤノベケンジ《BIG CAT BANG》(2024) GINZA SIX中央吹き抜け巨大インスタレーション
2024年4月から、GINZA SIXの中央吹き抜けで展示されているヤノベケンジ(美術工芸学科 教授・ウルトラファクトリーディレクター)の巨大インスタレーション《BIG CAT BANG》(2024)は、地球外から「生命の種(sperma)」が隕石などによって飛来したというパンスペルミア説を元にした壮大な世界観と、巨大な吹き抜けを宇宙に見立て、岡本太郎の《太陽の塔》(1970)のような宇宙船「LUCA号」から、ヘルメットを着用した「宇宙猫」が四方八方に爆発的に飛翔するという奇想天外な構成で大きな評判になっている。特設ショップで販売された関連グッズやGINZA SIX内の店舗とのコラボレーション商品も飛ぶように売れ、その反響は開館一人目のアーティスト、草間彌生以来であるという。
2025年、1970年以来ふたたび大阪で開催される万国博覧会、大阪・関西万博も見越し、岡本太郎や《太陽の塔》のオマージュの意味も込められると同時に、ヤノベが少年時代から万博の解体現場を遊び場とし、妄想=イマジネーションの源泉でもあった《太陽の塔》や丹下健三の《大屋根》に対する大いなる挑戦でもあるだろう。《太陽の塔》が、地下(過去)、現在(地上)、未来(空中)の三層構造となっており、全体としてマンダラ=宇宙を表していたように、GINZA SIXの吹き抜け空間を使って、宇宙を描き出そうとしている。
GINZA SIXと対をなすように、《BIG CAT BANG》に込められた壮大な世界観の秘密は、岡本太郎記念館で2024年7月12日から2024年11月10日まで、「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」展によってヤノベ自身によって解き明かされていた。岡本太郎記念館での展示は、2011年、岡本太郎生誕百年事業として開催されたTARO100祭 「ヤノベケンジ:太陽の子・太郎の子」展以来のことになる。その年の3月11日、東日本大震災・福島第一原発事故が起きる。ヤノベが1997年のチェルノブイリ探訪以来、さまざまな作品を通して警鐘を鳴らしていた事態が日本で起きてしまい、それらの困難から立ち直る姿として、「太陽の子・太郎の子」である全長6.2mの子供像《サン・チャイルド》(2011-2012)を岡本太郎記念館の庭に建てたのであった。
それから13年の月日が経ち、新型コロナウイルス感染症によるパンデミック、ウクライナとロシア、イスラエルとハマスの戦争・紛争、さらに地球規模の気候変動と災害が頻発し、残念ながら世界の状況はより深刻になっている。今回、ヤノベはそれらの事態に心を痛めながらも、個別の社会問題や政治問題ではなく、宇宙スケールの時空間を現出し、命がどこから来てどこへ行くのか、人々とともに旅をするために、今回のインスタレーションをすることを思い立ったのだ。それは、岡本太郎が《太陽の塔》に内包させた原生生物からクロマニョン人に至る「生命の樹」をさらに遡り、宇宙、そして生命の始まりにまで至るものだ。
1970年当時は地球の中の物質から、生命が生まれたと考えられていたが、近年の研究では、太陽系の最古の隕石から、DNAやRNAに含まれる核酸塩基5種類(ウラシル、シトシン、チミン、アデニン、グアニン)が含まれていることがわかり、「宇宙人」とまで言わなくとも、隕石に含まれている物質と地球内の物質が組み合わさり、地球の環境によって生命が誕生した可能性が高くなってきている。ここからは、ヤノベ独自の妄想の世界といってもよいが、実は使命を帯びた「宇宙猫」が宇宙船「LUCA号」に乗って「生命の種」を地球にもたらし、5度の絶滅の危機を乗り越え、人間が誕生するまで見守り、そして力尽きて地上に残った子孫が現在の猫であり、宇宙船の残骸が《太陽の塔》であるという、壮大なストーリーを創作し、その「爆発」の瞬間を表すインスタレーションとして制作したというわけである。
現代アートと千年の歴史を持つ日本刀の共作への道
そのような空間インスタレーションと対極的なコラボレーションが、銀座 蔦屋書店内のFOAM CONTEMPORARYで2024年11月23日から12月10日まで開催されている。それが「天地以順動 河内國平・ヤノべケンジ 名匠たちの至高の共創 」である。刀剣界の最高峰の技を持つ刀匠、河内國平との共作で、ヤノベが《BIG CAT BANG》で展開した世界観を刀剣と漆芸によって表現しようというのである。
確かに近年、刀剣は『刀剣乱舞』のようなゲームやそこから派生したアニメや舞台によって、新しいファン層が誕生するようになっている。あるいは、大ヒットした『鬼滅の刃』も刀や刀鍛冶が重要な役割を占めている。しかし、『刀剣乱舞』に登場するのはすでに知られている名刀で、博物館や宝物殿で所蔵されているものが中心である。そこにゲームの由来となった名刀を見に、観客が押し寄せるというわけである。
必ずしも現在の刀匠がつくる「現代刀」の人気が高まっているというわけではない。それらを愛好し、その良し悪しを判断できるのはごく一部といってよいだろう。しかし、現代刀をつくって生計を立てているものは限られており、材料である玉鋼(たまはがね)や炭といった鍛刀する環境も含めて維持できなければ、刀剣界は廃れてしまうし、名刀の見る眼や修復する人々もいなくなってしまうだろう。
人を殺傷するための道具である刀剣が、今日まで生き残り、なぜゲームや漫画、アニメの創作物を生み出す力があるのか。やはりそこには道具だけではなく、美術工芸品としての精度や人の魂を揺さぶる精神性があるからであろう。刀剣は、明治時代の武士という身分制の廃止や、廃刀令によってなくなっていてもおかしくはなかった。しかし軍刀として復活し、第二次世界大戦後、再びGHQによって禁止されても日本美術刀剣保存協会が設立され、美術工芸品として残ってきた。現在でも国宝の中で、刀剣類は工芸品の中で4割以上、全体でも約10%に相当するのだ。しかし、古くからの型を守っているだけでは廃れてしまう。銀座 蔦屋書店の吉村恵美は、刀剣担当となった5年前からいつか現代アートなどとのコラボレーションをしたい、そしてそれができるのはヤノベケンジしかいないと考えていたという。一方で、河内國平とその子息で展示企画をしているSTUDIO SHIKUMIの河内晋平や河内夫人に刀剣のイロハを教えてもらっていた。
河内國平は、江戸時代に遡る大阪新刀の創始者の一人、河内守國助の15代目にあたるが、河内家は、軍刀をつくっていた父の代で刀鍛冶としては廃業していた。しかし大学時代、人間国宝、宮入昭平の自叙伝『刀匠一代』を読み、感銘を受けて長野県坂城町に鍛刀場を構える宮入に弟子入りする。宮入は、野鍛冶の息子として生まれたが、刀鍛冶に憧れ、政治家としても知られた栗原彦三郎に入門した。栗原は、日本刀鍛錬伝習所や日本刀学院を開設し、戦前・戦後にわたり衰退の危機にあった日本刀文化の継承に尽力した人物である。刀剣は長い歴史の中で日本美術の中心にありながら、明治以降の美術学校(アカデミー)や官展(サロン)から外されてきたからだ。宮入は栗原がコレクションしていた一級品を見て眼を養い、刀剣造りに関するさまざまな職人と交流をし、当代随一の技量を持つようになった。その技量により、兵役にとられるも軍刀の依頼を受け、自身の鍛刀場で終戦まで軍刀をつくった。戦後は、軍刀はつくれなくなり、美術工芸品として刀剣をつくり続けることになる。そういう意味では、宮入は「武器」として刀剣をつくった最後の世代ともいえる。
宮入は、「刀の難しさは単純で無駄がないことであり、刀の美しさも実用から出た美しさである。名刀と思うものは、実用的にも最高のものである」と述べている。一方で、今日まで残っている名刀は、みんな「守り刀」であり、日本刀が神社のような神聖な場所に奉納されているように、「信仰に似た愛着や信頼、尊敬心を持っている」と指摘し、「その良さ、立派さ、崇高さを知ったら、離れなくなる」と語っている。しかし、伝統ある日本刀をいかにして将来に伝えていくか案じていた。そのために、その知識と技術を惜しみなく、弟子に伝える高い人間性でも知られた。その技術と精神を受け継いだのが河内である。
河内の知識と技術も並外れている。法律を学んでいた大学時代、文学部には考古学の泰斗、末永雅雄がいた。末永は、後に高松塚古墳を発見し、橿原考古学研究所の所長になる人物である。河内は末永の研究室に出入りし、宮入の弟子になった後も交流を続け、独立後は七支刀などのさまざまな上代の刀剣の復元にも協力することになる。また、宮入の没後、備前伝を継承する人間国宝、隅谷正峯に師事し、異なる伝法を習得している。1988年に無鑑査刀匠に認定され、2014年には、無鑑査刀匠らが出品する「新作名刀展」に、太刀「國平河内守國助」を出展。現代の玉鋼(たまはがね)ではできないといわれた、古刀の特色である「乱映り」を再現し、「正宗賞」を受賞している。平成30年間において、受賞した刀匠はわずかに3人しかおらず、令和になってからはまだ受賞者はいない。技量・精神ともに本物の刀匠といえるだろう。
河内は、1972年に奈良県東吉野村平野に鍛刀場を構える。公共交通機関では気軽に行ける場所ではない山中に位置するが、自然に囲まれた鍛刀場だからこそ刀を1日中叩くことができる。そこで50人以上の弟子を迎え、現在も活躍する7人の刀匠を育てた。遊びに行くのも一苦労する場所であるが、河内は酒も飲まず、遊びもせず、刀剣をつくることが一番好きだから籠っているという。職人の中には、少し成功すると、外側の誘惑に負けて、道を踏み外して続けられなくなるものもいる。そのために、節制することが求められるが、河内の場合、そのような欲望のコントロールや精神性の向上を意図しているわけではなく、まさに「自然体」で成し遂げているといえる。
その点は、ヤノベと似ているといえる。1971年、大阪万博跡地の近くに引っ越したヤノベは、現代アートという分野にサブカルチャーの要素を取り入れたパイオニアという位置付けされているが、その実態は純粋にものづくりが好きであり、分野が違ってもものづくりを極めた人物への深い尊敬心を持っているということである。ヤノベも京都芸術大学の中に「想像しうることは何でも創造できる」という理念を掲げた共通造形工房ウルトラファクトリーを2008年に設立し、今日もディレクターを務めている。そして、一番先頭に立って、工房でつくり続けることで、学生にその面白さ、喜び、そしてプロになることの厳しさを伝えているといってよい。
現在、刀剣だけで生計を立てている刀匠は、おそらく30人程度ではないかという。刀鍛冶の数は170人程度いるが、専業者は多くはない。しかし、刀剣をつくる環境を維持するためには、刀匠に加えて、研師(とぎし)、鞘師(さやし)、柄巻師(つかまきし)、金工(きんこう)、白銀師(しろがねし)、そして刀剣の原材料である玉鋼(たまはがね)をつくる「村下(むらげ)」といったさまざまな職人が生計を立てられる環境を維持しないといけない。それを維持するのは、至難であることは言うまでもない。
そのために、刀剣の魅力をアピールし、新しい愛好者を増やす必要がある。河内は彼らが仕事を続けられるように、さまざまな活動を続けてきたパイオニアでもある。しかし、もっとも格調高い伝統工芸の世界でもあり、反発もあったことだろう。その矢面に立つことができるのは、河内が有無を言わさぬ技量と、それを見せるだけの環境を維持しているからでもある。それは、現代アートに関しても同じである。今でこそ増加しているが、日本において、アーティストの専業者は多くない。ヤノベは、デビュー当時からアーティストとして活動を続け、誰にも出来ない完成度の高く動かすことのできる彫刻や巨大な作品をつくりつづけてきた。それは後に続くもののために、道を切り開くという使命があるからでもある。
天と地をむすぶ刀剣と拵え、新旧のアーティストの出会い
ヤノベと河内との出会いは、世代や分野は違えども、生き様や創作姿勢において類似している二人がスパークする刺激的なものであったという。そして、わずか約半年の準備期間で、二人の刀剣展「天地以順動」が開催されることになった。「天地以順動」とは、『易経』の一節で、「天地は順を以て動く」ので、日月や四季もたがうことなく循環するように、聖人もまた道理に順って動けば万民も悦服するという意味である。
しかし、前段階として銀座 蔦屋書店の吉村恵美が思い描いてから約5年の月日が流れている。その当時はヤノベの「船乗り猫」をモチーフにした、福を運ぶ守り神《SHIP’S CAT》のシリーズはここまで注目されていない。また《SHIP’S CAT》を漆芸品に仕上げた最初の1作《黒漆舟守祝猫》を始めたばかりの頃である。河内も別の仕事で忙しかった時期であるという。今回、GINZASIXで大々的にインスタレーションが展示されたタイミングに、まさに二人の共作する準備が整ったのである。河内夫人は、今までもそのようなすべてが合致するタイミングが何度も訪れたことがあると語る。まさに二人は出会うべくして出会ったといえるだろう。
二人の「天地以順動」の構想はこうだ。工人の工は、天と地をつなぐという意味があるという。その中でも匠の中の匠ともいえる刀匠の技を象徴するように、天と地をつなぐ形で刀剣を垂直に立て、それを猫が抱いて支える。刀剣の展示方法として、垂直に立てることはほとんどないが、刀剣を手にもってみるときは垂直に立てて、その姿を見る。その意味では、もっとも刀剣の映える見せ方でもある。
そして、《BIG CAT BANG》の世界観に合わせて、刀身の柄(つか)に覆われた部分である茎(なかご)に、隕鉄を埋め込んだ。隕鉄とは、地球に落下する隕石のうち、主成分が鉄とニッケルとの合金を指す。隕鉄は、人類が最初に出会った鉄であるという説があるという。
かつて、榎本武揚は、富山県に落下した隕鉄から刀匠、岡吉國宗に刀をつくらせたことがある。それを「流星刀」と名付け、その内の長刀一振りを当時の皇太子であった大正天皇に贈っている。まさに隕鉄は、鉄や刀の起源といってもいいかもしれない。見えない茎に金工装飾を施すのは異例であるが、隕鉄とそこから飛び散るような線と金と銀を嵌め込んで、命の始まりの世界観を表現した。刀身彫刻は、当代随一とも称される金工作家、柏木重光である。銘には、「國平作之、ヤノベ画之、柏木重光彫之、隕鉄嵌之」と刻まれている。
そこから刀身の柄に近い部分に地から天に向けて、太陽を目掛けて駆け上るように「宇宙猫」が刻まれている。通常、刀身彫刻は龍や梵字が彫られることが多く、虎は彫られたことがあるが、猫は初めてであろう。しかも単なる猫ではなく、「宇宙猫」であり、ヘルメットをかぶっている様子も周囲のくり貫き方と照らされた光で表現されており、見事と言うしかない。また、雲海のように見える刃文によって、まさに「宇宙猫」が雲の上を突き抜けているように見える。会場設計や什器も今回のために特別につくられ、白い壁は黒く塗られ、白と黄色の2種類のライトによって、刀剣と漆芸の質感の違いを見せている。
大地で支える猫は、《SHIP’S CAT》シリーズの眠り猫の形状をしており、生命を育む夢を見ているようであるが、ガラスに入った眼は角度によって緑から青に輝き変える。そして、黒漆で塗られたボディには、蒔絵師がヤノベがAIを使用して創作した絵を元に、「宇宙猫」が「生命の種」を植え、さまざまな命を育てる姿を施している。さらに、前身には船に乗って旅をしている姿も描かれ、それが《SHIP’CAT》であることも暗示されている。
今回、さらに二振りの短刀も出品されている。その一つが《護猫神》(2024)である。邪気を払い、身を守るために傍に置く「守り神」の役割を果たす。《護猫神》には、具象的な刀身彫刻は彫られていないが、添樋(そえび)という、刀身に沿って太い溝を彫った棒樋に平行に、細い溝が1本彫られている。刃文は、うねりは少ないが、神々しい光を反射している。ヤノベは京都の職人たちと協力して、この短刀用に、オリジナルの柄と鞘を制作した。京都の金工作家、漆芸作家とも、日本刀制作に関われることを誇りに思い、制作に挑んだという。それだけ刀剣の地位は伝統工芸の中でも特別なのだろう。柄は、ヤノベが制作した猫の頭部を元に銀細工で制作され、《SHIP'S CAT》の細部に似せて顕微鏡を見ながら金の鋲を打っていったという。さらに鞘は、魔除けのために朱の漆が塗られ、表には大海原を龍が泳ぎ、裏には船に乗る《SHIP’CAT》の蒔絵が施されている。鞘の鐺(こじり)にもネズミの彫刻が嵌め込まれているところもユニークだ。
しかしこれでは普通の鞘袋には収まらない。河内は何も言わなかったという。細かなルールを言えば、刀剣造りの作法で縛ってしまう。あえて言わないことで、新しい創造性を喚起させたというわけである。その辺の度量の大きさも河内ならではであろう。もし河内ではなく、若い作家が同じようなことをすれば、批判されることは免れないかもしれない。
もう一振りの短刀は、「八卦連環」というシリーズに属する一振り目である。「八卦連環」もまた、《天地以順動》の世界観を表現している。八卦は易における八つの概念で、太極から両儀(陰陽)、四象、八卦に至る。自然現象では、天・沢・火・雷・風・水・山・地に相当し、八振りの短刀の鞘にはそれらを象徴する、ヤノベの作品の蒔絵が施される予定であり、ヤノベはその原画を掛け軸にして八幅並べて展示した。
展示された短刀《八卦連環 天》は、天を象徴し、柄は《護猫神》と同じく猫の銀細工、黒漆が塗られた鞘には《スター・アンガー》の光る球体の上で咆哮する龍と、その天頂に光り輝く北斗七星が施されている。ミラーボールで光り輝く様子を螺鈿細工によって再現する恐るべき技量である。実は、《八卦連環 天》の刀身彫刻にも、北斗七星が刻まれており、7つの金を嵌め込み、線を刻んでいる。刃文はややゆるやかな曲線を描いており、雲の隙間から覗く夜空に輝く北斗七星のように見える。ちなみに、かつて聖徳太子が所持していたと伝わる直刀「七星剣」も、北斗七星の金象嵌が施されている。
残りの七振りの構成はこうだ。沢には《アンガー・フロム・ザ・ボトム》の化け物が、月夜を背景に滝壺に水を吐き、沢に流れていく様子、火には《ジャイアント・トらやん》が口から火を噴く様子、雷には《ウルトラ–黒い太陽》の黒い球体から稲妻が駆け抜ける様子、風には《風神の塔》のモンスターが強風を起こしている様子、水には《ラッキードラゴン》が口から水を噴く様子、山には《フローラ》が深山幽谷を背景に花々の中で佇む様子、地には《サン・チャイルド》が大地を踏みしめ、太陽に向けて手を挙げている様子が施される。まさらに、ヤノベの作品で、《天地以順動》の世界観を表しているのである。
そして、これらの短刀は、河内の薫陶を受けた4人の刀匠によって鍛刀される。髙見太郎國一は、河内の一番弟子であり、2018(平成30)年に「現代刀職展」(日本美術刀剣保存協会主催)において高松宮記念賞(最高賞)に選ばれ、刀剣界における最高位である「無鑑査 認定者」に最年少で認定されている。づく小宮六郎國天は「現代刀職展」での2度の特賞を受け、金田七郎國真は「新作名刀展」に初出品の2015(平成27)年に特賞、2024(令和6)年の「現代刀職展」では高松宮記念賞(最高賞)を受賞している。さらに河内一平は「新作日本刀 研磨 外装 刀職技術展覧会」(日本刀文化振興協会主催)において経済産業大臣賞(最高賞)を受賞している。まさに、世界観と匠の技術が継承されるのである。
未来へ継承される工人の技術と精神
今回、今までにない伝統工芸の核心ともいえる職人たちのまさに真剣勝負を見て、ウルトラファクトリーのスタッフや学生たちは、大いに刺激を受けたようだ。美術大学のカリキュラムには、伝統工芸はあったとしても、その中心にあった刀剣にふれる機会はないからだ。しかし千年前の姿をそのまま留め、数多くの国宝のある刀剣こそ、日本美術の核心と言ってよいだろう。もっとも新しい現代アート、もっとも古いといってよい刀剣の世界のコラボレーションこそ、もっとも対極的なクリエイティブな爆発を生むのではないか。
今回は、もう一つのコラボレーションも展示されている。ヤノベはクリスマスシーズンに合わせて、GINZA SIXの正面に、巨大なスノードームを設置し、サンタクロースとトナカイとなった《SHIP’S CAT》をアレンジして展示した。まさに、旅をして福を運ぶ猫である。飾り付けられた大小の《SHIP’S CAT》のフィギュアの中には、宇宙に行くためにクラウドファンディングの特典としてつくられた「コスモレッドカラー」の特別バージョンも見られる。《SHIP’S CAT》のステンレス片の貼り付けなどには、学生も参画している。さらに、エントランスやエスカレーターのガラスには、イラストレーター・グラフィックデザイナーの伊藤圭司(大学院 芸術研究科教授)がコラージュ作品を貼り付けた。
そして、屋上の特設スケートリンクには、岡本太郎記念館に展示されていた巨大な《SHIP’S CAT(Ultra Muse)》(2024)が中央に設置された。羽の生えた《SHIP’S CAT》は、まさに天から降りてきて、生命を育て、天に帰っていく《BIG CAT BANG》の世界観を象徴しているともいえる。その周りでは子供たちが楽しくスケートをしており、まさに天国のような世界を、《SHIP’S CAT》が見守っている。GINZA SIXの吹き抜けを突き抜け、銀座全体を巻き込む巨大な宇宙的な広がりを持たせた巨大インスタレーションといってもよいだろう。それは、地下・地上・空中で世界観を表現した岡本太郎の先のビジョンでもある。《SHIP’S CAT(Ultra Muse)》の巨大な羽やボディなどの制作にも、プロジェクトに参加した学生たちが関わっている。このような日本随一の場所で、多くの匠とそれを継ぐ者たちが、協力して理想的な世界を見せることこそ、工人のパラダイスといってもよいだろう。
二人の匠によってつくられた刀剣は、天と地、過去と現在を結び、世界の災いを払う願いが込められている。せっかく育まれた生命が、戦争で奪われ、気候変動による自然災害によって奪われているなか、工人による共創は、改めて天地人の在り方を見直す機会となるのではないか。そして、地球環境が存続し、千年後の人々がもし「天地以順動」を見ることができたらならば、その精神が伝わるに違いない。まさに未来へのタイムカプセルでもあるのだ。
(文=三木 学)
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