サムネイル画像(撮影:白井 茜 色調補正:川合匠)
2026年4月1日から19日にかけて、京都芸術大学のギャルリ・オーブで本展は開催された。企画者は同大学情報デザイン学科教授であり、映像作家ユニット「カワイオカムラ」の川合匠氏である。「のちの_____である Pre-X: Before we knew what to call it」と題されたこの展覧会は、評価や命名が定着する前の強度を持った制作を提示することを目指した。ここでの「Pre-X」とは、まだ名前のつけられていない前史的な状態を指す言葉だ。Xと呼ぶこともできない、けれど確かにそこにある状態である。
本稿ではそれぞれの作品を追いつつ、「のちの」という構文の中で、各作家の持つ時間軸や原動力、「Pre-X」を構成する要素について、各作家へのインタビューで得られた情報を元に考えてみる。なお、本展覧会レビューについては、川合氏が本展用のアーカイブサイトを立ち上げているので、そちらも参照されたい※1 。
※1 Exhibition Archive 「のちの_____である Pre-X: Before we knew what to call it」
作品の詳細も、上記アーカイブサイトに掲載されている。
「のちの_____」を考える
本展ではカワイオカムラを含む、7組のアーティストが作品を展開している。企画者の川合以外は全員が1990年代生まれで、京都芸術大学の卒業生・在学生であり、年齢も30代前後。アーティストとしての方向性、キャリアが定まりきる前の過渡期の中にいる。その不確かさの中で作られた作品を大学の空間に持ち込むことは、学生たちにリアルな射程距離にある「未来の姿」を見せることになる。在学生たちは「のちの自分」をそこに重ね、鑑賞を通して自己の現在に立ち返るという構造も組まれている。
本展のコンセプトである「のちの_____」を考えるためにはふた通りの方法がある。一つは過去から「のち(=現在)」を考える振り返りとしての方法であり、もう一つは現在の視点から「のち(=未来)」を想像する方法である。これらふたつは一見して別のもののように見えるが、同一性と重なりを持っている。なぜならどちらの視点で語っていたとしても、実は現在をどう生きるかという問いに立ち返るからである。
「のちの_____」という問いは、学生に向けられていると同時に、出品作家たちにも過去と未来を再考する契機として等しく跳ね返っているのである。
現在の_____
「のちの_____」を語ることが現在地を提示することなのだとすると、その現在地をどう見せるのか。
例えば倉知と米村は、直近の数年という短い時間軸の中から自身の現在地を提示しようとした。
日常生活の中で脈絡なく発生する「可笑しさ」に着目し、映像を軸としたインスタレーションの制作を続ける倉知は今回、彼の代名詞とも言える「ベラベラ語」における初期的作品、《ムシ図鑑》(2022)を出品している。その名の通り、断片的な昆虫図鑑のイメージを複数のシーンとして構成した映像インスタレーションであり、テレビドラマあるいはYoutube番組を思わせる構図と短いカットの連続、激しいブレ、奇声などが衝突・混在し、処理しきれないまま刺激が積み重なって図鑑の「情報」が鑑賞者に届く。この作品は、2022年に布施琳太郎がキュレーションした製本印刷工場跡地でのグループ展「惑星ザムザ」※2 のために制作されたものである。
「ザムザ」といえばカフカの『変身』を想起するが、倉知の作品にはその言葉がよく似合う。演者たちは与えられた配役に変身し(しかしそれは強制されず、常に演者に委ねられている)、倉知も現実を巨大な作品世界に変化させながら徹底的に自身を作品のピースへと変化させる
※2 「惑星ザムザ」は、アーティスト・布施琳太郎の企画により、2022年5月に新宿区の製本工場跡地ビル全6フロアで開催されたグループ展。17名の作家が参加し、廃ビルを一棟まるごと使用した特異な空間構成で鑑賞者を魅了した。
倉知の独創性が、彼が影響を受けてきたYoutuberやお笑い芸人、映画などのコンテンツから形成されてきたことはよく知られているが、実はダイレクトにこの形式に行き着いたのではない。特に大学卒業後に感じていた、アーティストとして生きていくことへの気概と不安から、自己を形成する「笑い」に真っ直ぐ立ち返ったこと、それをアートに「昇華」しようとするのではなく、そのままアートの空間にどう持ち込むかを、突き詰めて考えたゆえの表現である。「現在」の倉知の表現の萌芽がよく見える作品となっていた。


倉知と同世代の米村優人の展示では、ここ数年の米村の変化点や挑戦の断片がよく見える構成となっていた。米村は今回、《2024〜2026年にかけて制作した人体像による群像、あるいはfuzzy 人 navel》という、ここ2年の活動をインスタレーションで表現している。作品は、それぞれのセクションに分かれているが、地続きで見ることで群像になる。超人的なモチーフというある種偶像的な存在から始まり、等身大の人体、近しい身体像を作ることにシフトしていった制作の変遷は、自分がいわゆる「彫刻家」ではないというところから出発した探索の軌跡である。米村は彫刻という言葉そのものに着目して制作を続けているが、彼が学んだのは総合造形コース※3 であり、彫刻の専攻ではない。本人もある種の劣等感を抱えていたというが、年齢を重ねる中でそこに拘らないマインドが、直近の表現に結実している。
作品にある2024年〜2026年という期間は、米村にとって自身が問い続けていたことが明確になった期間であると言える。個展やグループ展に数多く参加し、京セラ美術館ザ・トライアングルでの「BAROM(あるいは幾つかの長い話)」※4 やグランフロントでのコミッションワークなど、米村という作家の認知度が高まっていた2020年からの4年を経て、彼なりに考えていた彫刻への向き合い方が、直近の2年で明確になってきたことがよくわかる。米村が今、彫刻について思うことは「それ以上でも以下でもない」という考えだ。作品に明確なコンセプトや考えは持ちつつも過度な演出・意味の付与をしないという姿勢は倉知とも似ている。本展ではその制作の軌跡のようなものがよくわかった。
※3 京都芸術大学 総合造形コース
※4 米村優人:BAROM(あるいは幾つかの長い話)



趙とR E M A、そしてジダーノワは、自身のキャリアにとって分岐、あるいは象徴となるであろう作品を出品することで現在地を可視化している。
中国出身の趙は、写真・映像・インスタレーションを横断的な表現媒体として、人間の持つ不安さや不気味さ、そして暴力性と美しさなどを共通の主題としている。今回の出品作《優しい銃(Gentle Gun)》(2023-2025)は、2022年から日本の狩猟団体と共に生活しながら行ったフィールドワークを基にした写真・ライトボックスのインスタレーションだ。薄暗い空間の中で写真が光を帯びて浮かびあがり、天井からは狩猟の縄を思わせるものが垂れ下がっている。断片的な狩猟の記憶と体験が空間に散りばめられている展示構成であった。
この作品を作る時、趙は「代償」について深く考えたという。それは単なる犠牲・代価のシステムと結果の話ではなく、そのプロセスによって作られてきた社会のあり方そのものに向けられる。我々は資本主義社会というものに慣れきり、享受している側面も大きいが、その裏側で深刻な貧富の格差、労働問題、環境破壊、引いては戦争までと、代償を負っている人たちが数多くいる。この代償のサイクルがバタフライエフェクトのように黒く広がる状況を意識・実感するには、趙が狩猟で体験したような生殺与奪のプロセスを身体的に理解することが最も効果的かもしれない。そうすることで我々は資本主義社会の傍観者ではなく、ミクロかつ自覚的な視点での「当事者」になることができるのだ。
趙にとってこの作品、そして制作の過程は、自身のコンセプトを凝縮できたことを感じたものであり、自身の方向性を明確に理解したものだったという。「終着地点でもあり、出発地点でもある作品」と趙は話すが、終着点と出発点が同じ場所にあるという感覚は、Pre-Xという往還的な時間そのものの感触に近い。


R E M Aは今回の出品作《地上病の女 "LEM"》を「独立記念日的なもの」として位置付ける※5 。
経済的に自立できなかった状態から、本作のコミッションワークを機に新しいスタジオ・会社を設立したこと※6 、家族から独立したこと、自身を支えてくれた祖父への成長のメッセージ——そうした複数の要素が、この作品の背景には重なっている。
本作は、FRP・銅・ステンレスで制作された高さ4mの人魚像であり、安部公房の小説『第四間氷期』に登場する水棲人間※7 をモチーフにしている。このモチーフは、日本の戦後文学が内包してきた「生き延びることの代償」という主題を引き継ぐ。ここで注目したいのは素材の選択だ。表面は軽量素材を銅でコーティングし、錆びさせることで緑青にした。軽いのに重く見える。内側は空洞に近いのに、外皮だけが時間の経過によって変容する。遺伝子改造によって外見だけを変えて生き延びる水棲人間の構造と、この素材の選択は一致している。文学的なモチーフと作家個人の歴史が一つの像に重なることで、この作品は説明しきれない複層性を持つ。
R E M Aの作品は、強い精神力・想像力で一気に作られ、できたものの意味を長い時間をかけて考えてコンセプトにするというアブダクション的な過程を経て出来上がる。つまり彼女にとって「のちの_____である」という命名行為は、制作の出発点ではなく到達点であり、その空白は他者が語ることができるものではなく、彼女、あるいは作品自身が意味を持たせるまで誰にも埋められないのだ。
※5 この作品はEXPO2025大阪・関西万博のパブリックアートとして、「フューチャーライフゾーン」に展示されたものである。万博自体、非常にメモリアルなものだったが、そこに本作が展示されていたことは作品の象徴性をより顕著なものにしている。
※7 水棲人間とは、安部公房のSF長編小説『第四間氷期』に登場する、人類が環境適応進化した未来の姿


映像作家・キュレーターのジダーノワ・アリーナの今回の出品作《In Dialogue》(2025-2026)は、ジダーノワの新たな一面を見せるもので、言葉を介さない対話の可能性を探る映像インスタレーションとなっている。IAMAS滞在制作中に撮影した素材をもとに制作したこの新作では、友人のダンサー・大歳芽里との身体の動きだけで交わされるやりとりが、まだら模様のペインティングを施した3面の透過性の布スクリーンに投影される。360度カメラで記録された映像と、場のイメージとなるアニメーションが重なりあい、鑑賞者の位置によって像は絶えず揺らぐ。
これまでのジダーノワといえば、柔らかなアニメーションと架空の言語「ルーシェ語」で構成される映像作品が有名だが、それらは彼女自身のルーツや記憶の影響を強く受けている。モスクワで生まれ、1歳で来日したジダーノワは、幼少期にロシア語を話せなかった。そんな中親と交わしていたぎこちなさを伴う対話の実体験は、言語に頼らない意思疎通への根本的な関心として彼女の中に内面化されていき、彼女の代名詞とも言える架空の言語「ルーシェ語」として結実した。柔らかなペインティングによるアニメーションに、ルーシェ語を読み上げるジダーノワの言葉が重なり、他者との対話によって得られた物語が映像作品として構成される。複数の地域圏や文化圏にまたがるトポロジーを体験を通して身体に刻み、そこから作る彼女の作品は、誰しもが持つアイデンティティへの不安や個人の物語をある種体現する。
講師の仕事でIAMASに関わり、現在、拠点を岐阜に移すようになってから、ジダーノワの中で、「対話」とは何かという問いと共に、制作にも変化が訪れているそうだ。彼女は現代において言葉というものばかりが先行していることを感じており、ノンバーバルな対話が開く、共存や共生のポイントにヒントを探している。彼女の表現の根底にあるのは、記憶や文化間の相違を対話を通して並列にしてみることだ。拠点や役割が変わっても、その問いを手放さないこと——それが、ジダーノワがこれから作っていく現在地になる。


一方、中国出身の張嘉原の《芳》は、これまで見てきた現在地のあり方には当てはまらない、独自の立ち位置にあった。
《芳》は2022年に亡くなった叔母の人生を基にしたインスタレーションである。中国の祖母の家で発見した家族アルバムに端を発し、そこには一部切り取られたページがあった。それは中国東北部の一部地域に残る習俗によるもので、亡くなった人の写真を切り取り燃やすことで像を死者の世界へ送ることができるという。張は欠けたイメージの中から叔母の痕跡を拾い集め、「家族」の記憶を形容するオブジェと共に断片的に配置し、《芳》として再構成した。
この作品を貫くのは「写真の消去」という習俗への応答だ。中国東北部の一部地域のその慣習は、日本の写真史が長らく自明視してきた「保存」という写真の本質を問い直す。彼女の実践はこの消去に対して、「欠けたイメージのなかから痕跡を拾い集め、もう一度組み立てる」という対抗的アーカイブの論理に基づいている。
この作品の核心は過去の人物の「のち」を、現在から遡及的に構成するところにある。叔母は軍人になりたかったが、社会のジェンダー構造の中で叶わなかった。張はAIで「軍人になった叔母」の姿を生成することで、実現されなかった「のちの」を仮設する。これはまさに展覧会タイトルの構文を、作家自身ではなく他者の人生に向けて使った実践だ。さらに言えば、張嘉原はこの語法が持つ暴力性そのものにも触れている。誰かの人生を「のちの何々である」と命名することは、その人が持っていたはずの複数の可能性を一つの物語に集約させる行為でもある。叔母の人生はまさにその集約を強制された歴史だった。写真を切り取り燃やす習俗は、文字通り「のちの記録から消去する」行為だ。張はその消去に抗って断片を集め、叔母が持っていたはずの「のちの」を別の形で現前化しようとした。


なにが現在をつくってきたか
作家の「のち」を考える時、重要なのは、その時間軸である。そしてその時間軸は、「制作を続ける」という共通認識の元に成り立っているが、彼らは何を原動力にここまで制作を行い、これからも続けようとしているのか。制作上のコンセプト、あるいは行為そのものが作家の背中を押すのはもちろんだが、本章ではそれ以外の、作家の個人的な感情や体験から、「のち」を形成する要素をつかんでみたい。
米村、R E M A、倉知は、大学・大学院を卒業して数年の位置にいる。キャリアの出発点から少しずつ次の表現が見えてきた三者は、ここまでを振り返り、周囲のアーティストとの関係性なしには、現在地は語れないと話す。
R E M Aの場合は自身のキャリアは、多くの先輩たちに影響を受けてきたと語る。とりわけ、大学時代の先輩、檜皮一彦から学んだ制作への向き合い方、本学教員のヤノベケンジから教わった責任の背負い方と取り方はキャリアを歩む中で重要視しているそうだ。そうした先輩たちから与えられたチャンスを形にし続けてきたことが、R E M Aのキャリアの土台になっている。
R E M A「大学院時代や卒業後は、どうやって生きていけばいいのか分からない気持ちでいっぱいでした。 そういう時にヤノベさんやお世話になった企業さんがとにかくチャレンジを用意してくださって。与えられたものに対しては倍で返したいと、めげずにやってきました。 」
米村も同様だ。学生時代から、京都と滋賀の県境にある共同スタジオ「山中suplex」に出入りし、小宮太郎や小笠原周をはじめとする先輩作家たちと関係を深め、また彫刻と言う領域のあわいを手繰り寄せるように、彫刻そのものを問う展示を先輩美術家の熊谷卓哉などと度々開催している。
米村「先輩をはじめ、周囲のアーティストが昔からすごく面白くて、こんな風になりたいと思っていました。ただこの人たちと喋ろうと思ったら、自分も面白くならないといけないし、そういう人たちと集まれるコミュニティを作りたいとかが結構原動力になっていて。だからとにかくたくさん作って、言語化する方法を学び、たくさんフィードバックをもらってここまで来れた気がします。」
そういったことも背景にあってか、米村とR E M Aは今回特に、後輩にあたる現在の大学生、院生たちに自分たちの現在地を見せたかったと語っていた。
倉知の場合は、同世代との協業が多い。米村も倉知の映像作品に何度か出演しているし、アーティストの伊藤颯や、映画制作にも携わる小島翔などが頻繁に出演している。倉知はそんな同世代の仲間とともに今、映像だけではなく、パフォーマンスなどにも挑戦し、まさに「のちの_____」を作っていこうとしているところだ※8 。倉知の独創性や特異性はいうまでもないが、常に友人たちとの関係性の中でそれをアップデートしてきたのかもしれない。
※8 倉知は現在、映像の世界を飛び出し、舞台での表現も始めている。昨年はKYOTO EXPERIMENTのプログラムの一環として、堤拓也のキュレーションで『SOFTBOYS〜だってまだまだ今来たばっか!〜』を上演している。人前に出ることは得意ではないと語る倉知だが、常に自身の表現行為を突き詰めていく中で、自身も周囲も変化するということを体現している。
倉知「バイトなどで美術とは関係のない場所に行ったりすると、美術のことなんて誰も気にしていないんだなと感じることがあります。普段、自分がいかに美術の内側で過ごしているのかに気づかされるというか。でもそういう時にアーティストと話すと、自分のやっていることが通じる場所がちゃんとあるんだと思えます。自分の作品やSNSを見てくれている人もそうですが、自分のやっていることを面白いと思ってくれる人がいると感じられることが、モチベーションになっています。」
本展に、学生として参加している趙と張は現在、どちらも京都芸術大学大学院博士課程に所属しており、アカデミックなキャリアも見据えながら研究をしている。2名とも作家として生きることだけに重きをおいていないが、それはアーティストのキャリアかそれ以外かと言う二者択一ではなく、どちらも選択できるというポジティブなものである。しかし同じキャリアラインにいながらも、二者の制作視点は異なる。まず張の視点は常に家族というものと、それを媒介にして見える人間を取り巻く環境に視点が注がれる。
張「私は博士課程にいますが、年齢的には30代にさしかかり、人生の中で様々な選択に向き合っています。 そういう中で、叔母の結婚式の写真を見つけました。 それをきっかけに、人生の中で、特に女性の場合はどのような選択・経験が幸せとつながるのか考えるようになりました。叔母の人生を紐解くことは、私のこれからの人生を考えることになると思っています。 」
一方の趙の視点は社会へと常に向いている。彼女は、アーティストという存在そのものを社会の「器」であると形容し、そこに時代の要素を詰め込むことで「作家性」というものが形成されると信じている。しかし一方で、その「器」から出てきた作品が一種のナルシシズムになっていないかという危機感も、自身に持っていると話す。
趙「まず外を観察し、その後に内を観察するというアプローチは、私が現時点で見出した比較的優れた方法です。これによって、自身の存在を実感できると同時に、自己満足など誤った方向に迷い込まずにすみます。もちろん何年も経ち、より多くの経験を重ねた先には、新たな創作スタイル、例えばより内面を深く掘り下げていくような方法に出会っている可能性もありますが。ただ、まずは外、つまり現代社会の問題について考えなければ、自分が薄っぺらい存在になってしまう気がしています。しかも今は、明らかに思考を放棄していい時代ではありませんから。」
二人の視点は、個から世界を考えるか、世界そのものから個を考えるかの違いである。博士課程まで在籍し、自己や他者について考え続けている二人だからこその視点が瑞々しい。
そんな二人にとって、教育者としてのキャリアも積みながら制作を続けるジダーノワの姿は、一つの先行例のように見える。アーティストとしてキャリアを重ね、現在はIAMASで教鞭をとるなど、キャリアのフェーズが表現者と同時に教育者でもあるという段階に移行しており、それによって前章で述べた通り、表現も新たな側面を見せ始めている。彼女はスピーディーに変わっていく環境や人間関係の中で、軸足を失わず、それらをポジティブに表現に落とし込もうとしている。その姿勢はジダーノワが、ここまでのキャリアの悲喜交々の中で培ってきたものだ。彼女は制作することそのものの喜びを説く。
ジダーノワ「コロナ禍の時に、週5日別の仕事をしていた時があったんですけど、その時に忙しさもあって全く作品を作れなくなって、すごく苦しかったんです。それで 働く時間を減らして制作を再開したら、すごく元気になって。私は作らないとダメなんだなってその時に気づきました。だから作ることそのものが私の拠り所なんだと思っています。」
のちという空白について
カワイオカムラは本展の企画者であると同時に、出品者でもある。30年以上制作を続けてきた二人の現在地は、他の出品作家たちの「のち」を考える上での一つの参照点になっている。最後にこの二人との対談を通して、本稿を締めくくりたい。
川合匠と岡村寛生が京都市立芸術大学大学院在学中の1993年に結成したこのアートユニットは、国際的な映画祭で多数の受賞歴を持つ一方、30年以上にわたり意味や物語に回収されない映像表現を一貫して追求してきた。両者はともに現在、京都芸術大学情報デザイン学科の教授を務めている。
二人が初めて共作を行ったのは、修士2年の頃だったが、その後数年は個人の制作を続けていたという。川合はヤノベケンジの後輩としてアシスタントを行っており、ヤノベの熱量を直に感じる中で、自身はどうしていくべきか考え続けていた。しかし岡村との共同制作を再開してからは「音楽でもなくコンテンポラリーアートでもない新たなジャンルを自分たちなら作れるのでは」と信じられたという。今回の出展者の中では、唯一ユニットとして創作を行う二人だが、二人であることというのは、カワイオカムラがここまで制作を続けてこられた重要なファクターだったと想像する。
川合「二人で作るものに関しては、どちらかが停滞してきた時も、どちらかが何か新しい興味を持ってくるみたいなことがあったり、それにつられてまた作ろうかみたいな。 なんかその辺で続けてきているという感じはあるのかなと思うんです。二人の興味の関心が組み合わさって一定のアベレージになってるってことはちょっと考えたりしますね」
今回展示された《Mood Hall》(2019)と《Mood Hall [side B]》(2022)は、全8章・33分33秒の3DCGアニメーション映画だ。滅びかけた地球を舞台に「リトルピープル」「砂漠」「プールの底」「反復する昼と夜」といった断片的な情景が連鎖する実験的な作品で、2019年版は映画『国宝』で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した原摩利彦が音楽を担当し、2022年版は同大学情報デザイン学科OBでもある音楽家・美術家のKazumichi Komatsuが音楽を全面的に再構成した。
二人にとって《Mood Hall》は、「一本の映画を作りたい」という意識から全編3DCGで制作した初めての作品であり、それまでのストップモーションアニメーションや造形物ベースの制作から、時間的・場所的制約を乗り越えるための転換点となる作品だった。しかし一定の評価を得た後も、二人はこの作品が、まだ何か別の見え方、見せ方ができるのではと模索し、Kazumichi Komatsuと再制作するに至っている。


岡村「完成形を目指してやっているというより、競技やゲームのようにプレイしながらある種の一つの結果になったものが作品になっていく感覚で、区切りはありません」
岡村のこの言葉は、「のちの_____である」という構文が前提とする「結末の確定」を、制作の哲学として否定している。また一度評価を受けた作品を、他者によって更新しようとする行為は、確定した物語への収束を、自らの手で解体することに等しい。《Mood Hall》とそのside Bは、特に本展においては「評価という名の終止符を打たせないための装置」だったとも言える。
通常キャリアというのは年齢とともにバラバラの線が一本になっていき、それにともなってアウトプットも固定化されがちであるが、カワイオカムラが常に自らを楽しみながらアップデートし、変化しようとする姿勢には学ぶところも多い。一方の二人も、今回の出品者たちと一緒に展覧会を作ることによる気づきが多かったと話す。
岡村「昔、自分たちがちょっと考えていたようなものを、今の人たちがやっていてすごいなと。米村くんにしても倉知くんにしても、あの時僕らが本当はやりたかったけど追いつかなかったことをやってくれているような部分があります。」
川合「空間やものを作ることへのひたむきさ、生きることと作ることが結びついている熱量が似ていて、この人たちと一緒にやれてよかったと思いました。学生時代から知っている人も多いのですが、生きることと作ることが結びついてる感覚は共通すると思っています。」
展覧会タイトルにある展覧会タイトルにある「のちの_____である」の間の空白には、まだ何も書かれていない。それは欠落ではなく、可能性として機能している。保留されたまま強度を持つもの、名前がつく前の状態で放たれるものとは、未来の保証を持たない行為だ。だがここに参加したアーティストたちの仕事を見ていると、その保証のなさこそが、何かを始めてしまう理由なのだということが伝わってくる。
Pre-Xとは、単に未来の評価を待つ前史ではない。過去と現在が互いを照らし合い、問いが問いのまま強度を帯び続ける——そういう往還的な時間のことだ。横線のついた空白は、まだ空白のままでいい。そのことの意味を、本展は丁寧に問い返していた。
展覧会:のちの______である Pre-X: Before we knew what to call it
会期:2026年4月1日(水)〜4月19日(日)会期中無休
開場時間:10:00~17:00(4/15-17は19:00まで)
会場:Galerie Aube ギャルリ・オーブ
アーティスト:ジダーノワアリーナ・R E M A・米村優人・倉知朋之介・張嘉原・趙彤陽・カワイオカムラ
展覧会企画:川合匠
デザイン:中家寿之
アートプラクティス:齋藤凪沙
主催:京都芸術大学
運営:ギャルリ・オーブ運営委員会(川合匠、岩永忠すけ、上原英司、佐藤博一、高橋耕平、廣瀬敏史、前川志織、箭内新一、大久保玲子、薦田祐子、長田侑加 ※2026年度委員会メンバー)
(文=桐 惇史 写真=白井 茜)
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