京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会Ⅱ」は、学生が視て経験した活動や作品をWebマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。
本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。今回は「瓜生山聖地化計画」を企図した掌編小説です。男性の視点、女性の視点の双方から見た、京都芸術大学の正面にある大階段での「状況」を描いた作品。女性目線から書かれた後編をお届けします。
※前編:https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/986
(文:文芸表現学科 3年 田中秀平)
私は結構残酷な決断をしたと思う。私の通う京都芸術大学、その大階段。「天に翔ける階段」で、先輩の恋と、私の恋を破滅させるという決断を。
お気に入りのピンクのスニーカーが、煉瓦を模したデザインの大階段を踏んだ。入学する前はこの大きさにワクワクを隠しきれなかったものだが、今となって疲れからくるドキドキの方が私の心の多くを占めるようになってしまった。
「よう、久しぶりだな」
まだ一段目を踏んだばかりなのに、心臓が跳ねたのを感じた。いくら私が体力不足の現代っ子だからといってそこまで体力がないわけではない。久しぶりに聞いた先輩の声に、心臓が嘘をつけなかっただけ。
……タイミングバッチリ。水曜日、大体この時間に先輩は大学に着く。教室で会ったって意味がない、ここで会うことに意味がある。
返事をするつもりはなかったけれど、一瞬だけ先輩の方に顔を向ける。嬉しそうで、でも不安そうな先輩と目が合って、私はすぐに顔を前に戻した。
……彼女がいるくせにずるいよ、そんな顔。女ったらし。
横目で先輩の腕を見る。少し焼けた肌に隠れるように、茶色いヘアゴムが付いていた。
小さくため息をついて階段を上り始める。足元から私を見上げるピンクのスニーカーは、どこか濁った色のように感じた。
こいつには女がいます、って彼女が周りを牽制している以外の理由で、ロン毛でもない男がヘアゴム腕に付けてる理由ってなに?
私は先輩が好き。妹に優しいところとか、コーヒーが飲めないところとか、よく寝癖がついてるところとか。何がきっかけだったかなんてわからないほど、好きなところはたくさん思い浮かぶ。
だから、先輩の腕にヘアゴムがついた日にはこの世の終わりかというくらいに落ち込んだ。『好きな人に女の影が見える』。恋する乙女にはこれ以上ないくらいの精神攻撃だ。あの日から、私は先輩に話しかけられなくなった。会うのを避けてすらいた気がする。
あの日から先輩がどうやったら私を選んでくれるのか、いくつもの作戦を考えた。でも何
をしたって上手くいくビジョンが見えないし、考える日数が経てば経つ程取り返しがつか
なくなりそうで辛かった。先輩が私の知らない女と付き合っているのは何よりも辛い。
だから藁にも縋る思いで、「天に翔ける階段」に伝わる迷信に頼ることにした。
曰く、「この階段で嫌われると、あなたを嫌った人は破局する」。私達一回生の間で広まっている迷信だ。 何でそんな呪いじみた迷信があるんだよ、こういうのって普通ポジティブ効果の迷信だろ、迷信があなたって語りかけてくるなよ、そもそもそんなことしたら選ばれなくなるだろって色々冷静にツッコむ私より、先輩の彼女がいなくなることを願ってしまう私の方が強かった。そのくらい、先輩に彼女がいるって事実は辛かった。
好奇心は猫だけでは足りず、純粋な乙女をも殺した。今の私は、きっと醜い。それでも好きな人を奪われるよりマシだって思ってしまう私のこと、誰が責められるの?
もうすぐ階段が終わる。目の奥が熱い。こういう悲しい日は曇っているべきで、パルテノン神殿みたいな校舎に青空が映えている場合ではないのだ。
少し駆け足で階段を上って、先輩より先に階段を上り切る。幸い周りに人はあんまりいなくて、泣いてしまっても醜い魔女だとバレることはなさそうだった。
心臓が何かのせいでドキドキとうるさい。このまま世界が終われば最高だけど、現実は残念ながら平和だ。
軽く息を吸う。少し下の段に立つ先輩の、妙に強張った表情が愛おしい。
言うんだ。心の底から憎く思ってそうな声で、殺したいくらい嫌ってそうな声で、ナイフなんか取り出しそうな勢いで。
先輩がとられるくらいなら、嫌われ者の魔女になってやる。
「先輩のこと、実はすっごい嫌いなんです。だからもう二度と会いたくない、です」
……この迷信を実行するなら、私はとことん悪い女になると決めていた。選ばれたいなんて希望は捨てて、八つ当たりみたいに別れさせてやろうと思っていた。私のエゴで先輩が不幸になってしまうのだから、被害者ヅラだけはしたくなかった。悪には悪の矜持ってものがある。やるからには思いっきり嫌われてしまいたかった。
でもさ、ズルいんだよ、先輩。女がいる癖に私に優しかったり、彼女でもない女に嫌われたくらいでそんな悲しそうな顔してさ。
諦めきれなくなっちゃうよ。そんなんじゃ。
目の奥はずっと熱かった。出るはずの涙が、呪いでせき止められているみたいな感覚。
私は先輩に背中を向けた。このままだと、あまりにも先輩に気を遣わせてしまう女になってしまうから。
もう先輩に会うのは辞めよう。連絡先もブロックして、他人になろう。
さようなら、先輩。迷信、効かないといいね。
「待って」
先輩の声は怒っているわけでも、焦っているわけでも、困惑しているわけでもない声だった。大声じゃないのに、やけにハッキリと聞こえる。
情けない表情が見えないように、ほんの少しだけ振り向いた。やっぱり空はムカつくくらい晴れていたし、先輩の髪の毛は跳ねている。
ごめんね先輩。先輩のこと好きだったはずなのに、嫌いって言うのおかしいよね。そんなので先輩が別れるわけないし、子供みたいに迷信信じて馬鹿みたいだね。
ねえ、ちゃんと嫌ってよね。じゃないと私、化けて枕元に立ってやるから。
前を向く。
一刻も早く階段から逃げたくて、もう見たくもないスニーカーに目線を落として、一歩踏み出した。
先輩が、大きく息を吸う音が聞こえた気がする。
「嘘つくなよ」
京都芸術大学校歌『59段の架け橋』
https://www.kyoto-art.ac.jp/student/life/song/
田中秀平
京都芸術大学文芸表現学科に2020年入学。高校生まではモテるために吹奏楽を続けた。モテることはなかったが、音楽の世界を知れていい経験だったと思っている。
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