REPORT2022.04.25

文芸

連作短編「天に翔ける階段」前編 ― 文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信

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  • 京都芸術大学 広報課

京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会Ⅱ」は、学生が視て経験した活動や作品をWebマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。

本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。今回は「瓜生山聖地化計画」を企図した掌編小説です。男性の視点、女性の視点の双方から見た、京都芸術大学の正面にある大階段での「状況」を描いた作品。まずは男性目線で書かれた前編からお届けします。
※後編:https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/987

(文:文芸表現学科 3年 中村快)
 

 決めた。俺が通っている京都芸術大学の大階段――「天に翔ける階段」で告白しよう。
 天に翔ける階段はレンガ調のデザインをされており、上の大学校舎と下の四車線道路を繋げている。山の斜面に沿っているため角度は急で、50段くらいありそうだ。入学当初は上る度に息を切らしていたけど、1年半が経った今では難なく上れるようになっていた。週に何回も上っていれば、自然と体力がつく。  大通りに面した階段を告白の場所に選んだのは、天に翔ける階段が告白スポットだからだ。二回生の間で広まっている噂によると、「この階段で好きな人に告白すると必ずうまくいく」らしい。いかにも学生が作ったような、信じるのもばからしい内容だとは思う。だけど、困ったときにはほとんど参拝もしていない神社に行きたくなるもので。それと同じ感覚で、俺はこの噂に頼ることにした。
 さて、問題はどうすれば告白する相手――綾乃と自然に階段へ行けるかだ。綾乃の連絡先は知ってるし、学年が違うだけで学部も同じだから連絡する方法はいくらでもある。でも呼んだ時点で気づかれてしまうかもしれない。それは嫌だ。気づかれているとわかった状態で告白する勇気はない。なにより、告白する前にさりげなく断られたら最悪である。
 ベストは「綾乃の授業が終わるタイミングで会って、一緒に大学を出る途中で階段を通る」だ。けどこれは無理だろう。最近、綾乃の大学に行く時間と帰る時間が変わったみたいで、ちゃんと会えないのだ。学内ですれ違ったときに「よう」とあいさつするくらいしかできていない。だからこのプランは不可能だ。
 ……アパートを出る前からずっと考えているのだが、どうもうまい手段が思いつかない。結局ノープランのまま、件の階段の前にまで来てしまった。今日中に必ず告白したいというわけでもないから、機会が訪れるのを待ちつつ考えよう。
 偶然ここにいてくれたらなー、と思いつつ階段の付近にいる学生を見ていくと――いた。綾乃がいた。階段の一段目に足をかけようとしているところだ。運がよすぎて逆に怖くなってきたが、幸先がいいんだと解釈しよう。
「よう、久しぶりだな」
 綾乃の背中に声を投げた。久しぶりにちゃんと話せると思ったからか、声が上ずってしまった気がする。恥ずかしい。だがそれよりも大きな嬉しさのおかげで気にならなかった。
 綾乃が階段を前に止まり、ちらと顔を向けてくる。目が合った。けどそれだけだ。綾乃は無言で階段へ顔を戻す。
 嫌われているわけではない。俺もそうだが、綾乃は口数が少ないタイプだ。さすがに一言も返してこないとは思わなかったけど、おかしくはない。
 綾乃と並んで、「天に翔ける階段」を上り始める。
 俺と綾乃の関係はただの「先輩と後輩」だ。顔を合わせたら雑談したり、黙って一緒にいたりする。そう、黙っているだけ。普通なら気まずくて適当に移動するが、綾乃相手にはそうなったことがない。むしろ黙って一緒にいるだけなのに、居心地のよさすら感じた。
 不思議だったから、以前妹に話してみた。そのときだ。自分の気持ちに気づいたのは。
 俺は綾乃が好きなのだ……と。
 そう、好きだ。微妙に近寄りがたい雰囲気も、でも話しかければ普通に話してくれるとこも、会話がないのに一緒にいてくれるところも好きだ。小型犬すら怖がるところとか、意外でかわいい。本人は「小型犬のどこに怖さが?」って怖いのを認めなかったけど、強がりだってわかっている。綾乃は嘘をつくときに左耳を撫でるのだ。多分、その癖には俺しか気づいてない。自分だけが知っているという幸福感のせいで、まだ綾乃に癖のことを言っていなかったな。
 俺は階段を上りながら袖をまくり、手首につけたヘアゴムを見た。ヘアゴムは、焼けた肌に合わせたかのような濃い茶色だ。「うまくいくお守り」と妹がくれた。
 綾乃が好きなんて教えてないのになんでわかったのか尋ねると、返ってきたのはたった一言、「女子は鋭いから」。
 綾乃も鋭いのだろうか。まさか、俺の好意を察している? わからない。わからないことだらけだ。綾乃が俺をどう認識しているのかも、綾乃に恋人がいるかどうかすら。
 けど俺はもう意志を固めている。きちんと綾乃に会えなかった時間が、俺の想いをより強固にしたのだ。
 告白のセオリーは知らない。調べなかった。適切な言葉もタイミングも、何一つ知らない。顔も知らない他人が作った恋愛の理論なんかなくたって、気持ちは言葉で伝えられる。言葉を学ぶ学科にいるからこそ、自分が生み出した言葉を信じることができるのだ。
 わずかな間を置いて、覚悟の最終確認を終えた。
 意識的に呼吸し、手首のお守りを一瞥した。ああ、これがあるとないとじゃまるで違う。つけているだけなのに、支えられている気がする。女子がヘアゴムで髪をくくるのは、支えてもらうためでもあるのかもしれない。
 ちらと、後ろ――階段の下側を見た。近くに人はいない。階段を上ってくる人はいるが、少ないし離れている。綾乃にだけ聞こえる声量で言うことは可能、最高の状況だ。


 一足先に階段を登りきった綾乃が振り向いてきた。普段下の方にある綾乃の顔が、俺の顔と同じ高さにある。立つ段がずれているからだ。
 拍動が加速。心臓が痛い。肺に鼓動が響くみたいだ。緊張する、綾乃の表情が鮮明に見えないくらいに。でも関係ない、やるぞ。段に差があるまま脚を止め、言葉を音にするための空気を吸った。直後、今さら綾乃の表情を認識した俺は目を見開いた。
 嫌悪。それ一色に塗りつぶされた、普段の綾乃とはまるで結びつかない表情。愛しい双眸を囲う目の縁は歪み、口端は小刻みに揺れていた。憎悪すらにじみ出るようなその顔は――俺に、向けられて、いて。
 血が冷える。恐怖すら感じた。こんな顔、よほど嫌いな相手にしか向けない。俺はそのよほど嫌いな相手なのか――?
 綾乃に背を向けて逃げ出したくなる。だけど意地でその場に留まって、気づいた。
 ――違う、と。それは本心じゃない、と。
 この否定は、ただの望みかもしれない。だが承知のうえで否定する。だって本気なら、その嫌悪の表情に微かな違和感を覚えるわけがない。ただの感覚を拠り所とするのは、幻とも知れない基礎を信じて城を建てるようなものだろう。でもこの感覚は幻じゃない。俺は綾乃の僅かな揺らぎを、確かに捉えた。捉えたはずだ。捉えたと思いたい。なぜなら、綾乃が好きだから。
 血はすでに温度を取り戻していた。俺は沈黙して、綾乃の次の動きを待つ。
 無限と感じられるほどの刹那が経過。
 やがて、
「先輩のこと、実はすっごい嫌いなんです。だからもう二度と会いたくない、です」
 綾乃の口から発せられたのは、予想外な言葉だった。明確な、拒絶の内容。
 言われたことを理解すると同時、心の深部が茨に蹂躙されていくような心地がした。あまりにも痛い。目端に涙が浮かびそうになる。だけど必死にこらえた。意地でも綾乃の前で泣くものか。
 綾乃が俺へ背を向ける。その動作が、決定的な死刑宣告に見えた。
「待って」
 声だけが冷静に綾乃を引き止める。あんなことを言われたのに待ってくれるものか、と思ったけれど、綾乃が微かに振り向いてくれた。顔はよく見えない。
 何か言わないと。でもだめだ。思いつかない。拒絶のセリフを言われた瞬間の映像が、頭の中で際限なく繰り返されているからだ。一度の再生ごとにショックが浸透していくようで、思考能力も奪われていく。
 引き止めたのに俺が何もしないからか、綾乃が前へ向いた。俺から離れていこうと一歩踏み出す。足音が鳴った。
 ――その瞬間、気づいた。幾度となく再生される記憶映像の中、俺の視界の端の端で。
 綾乃が、自分の左耳を撫でていた。いつもの癖だ。
 一気に落ち着きを取り戻す。頭がクリアになった。綾乃はこういった冗談を言う人間じゃない。さっきのセリフを言ったことにも理由があるはずだ。でもわからない。推測すらできない。
 だけど、どんな意図があったとしても、そんな、そんな――
「嘘つくなよ」

後編へ続くhttps://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/987

中村 快
2002年京都府生まれ。文芸表現学科2020年度入学。羊羹などの和菓子が好き。運動不足解消のため、晴れている日は散歩に出かけることを心掛けている。

 

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