REPORT2024.11.07

教育

明治から令和まで、佐賀発の芸術文化を堪能する[収穫祭in佐賀県佐賀市]

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  • 京都芸術大学 広報課

長引く残暑も終盤に差し掛かった2024年9月21日、佐賀県佐賀市にて今年度5回目の収穫祭が開催されました。収穫祭は通信教育課程の在学生・卒業生、教職員の交流の場であると同時に、全国各地の芸術文化を学ぶ機会ともなっています。今回は佐賀を中心とした芸術文化に触れることを目指し、佐賀県立博物館・佐賀県立美術館を見学しました。

佐賀市城内にある佐賀県立博物館・佐賀県立美術館は通りを挟んで佐賀城跡に、敷地の南面はお堀に面しています。館名から分かる通り、1970年開館の博物館と1983年開館の美術館が隣接しています。敷地内には縄文時代の遺跡から出土したアラカシの実から育った「縄文アラカシ」が移植されたアラカシ広場、古賀忠雄彫刻の森、茶室などもあります。屋内外に見どころが多くあるため、今回は美術館の常設展示と特別展「ジパング―平成を駆け抜けた現代アーティストたち―」、そして2018年に博物館の東側に移築・復元された岡田三郎助アトリエを中心に見学することとなりました。

 

写真の手前が博物館、右奥が美術館

今回の収穫祭は岡田三郎助アトリエからスタートです。アトリエ内にある「女子洋画研究所」をお借りし、今回の見学のポイントなどのガイダンスを行いました。ガイダンスの中心となるのは、やはり今回の見どころの一つである「アトリエ」の移築の経緯や岡田三郎助についてです。本稿でもアトリエの説明を兼ね、ガイダンス内容を簡単にご紹介します。

博物館側から見た岡田三郎助アトリエ
女子洋画研究所でのガイダンスの様子

岡田三郎助(1869-1939)は明治2年(1869)、佐賀城下(現佐賀市)八幡小路生まれの洋画家です。岡田は18歳の時、曾山幸彦のもとで洋画を学び始め、明治27年(1894)、同じく佐賀城下出身の久米桂一郎を介して黒田清輝と出会います。黒田との出会いを通して外光派(註1)の技法を修得した他、黒田や久米が中心となって進めた明治29年(1896)の白馬会(註2)の創立にも加わります。

註1.外光派とは屋外の光や色彩の効果を重視して描く画家を指します。日本では黒田清輝や久米桂一郎がフランスから持ち帰り、広めました。
註2.明治29年(1896)に黒田清輝や久米桂一郎が中心となって創立した美術団体。明治期最初の洋風美術団体である明治美術会の画家たちの画風と比べると、明るい外光派の表現が目立ちます。

 

同じく明治29年(1896)、東京美術学校に西洋画科が新設されます。東京美術学校は日本の伝統的な美術・工芸育成を目的として、明治22年(1889)に開校された官営の美術学校です。開講当初、「絵画科」では日本画の、「彫刻科」では木彫の教育が行われていました。西洋画科の開設によって、東京美術学校でも西洋美術教育が行われることになったのです。岡田はこの西洋画科に助教授として着任します。翌年の明治30年(1897)には第1回文部省留学生として渡仏し、黒田清輝同様、ラファエル・コランに師事しました。

フランスからの帰国後は東京美術学校(現 東京藝術大学)、女子美術学校(現 女子美術大学)などで教鞭を取り、後進の育成にあたりました。さらに、明治41年(1908)頃には東京恵比寿にアトリエを建てます。アトリエは制作の場所であっただけでなく、芸術家同士の交流の場ともなっていました。

 

西側の「女子洋画研究所」入り口
東側のアトリエ入り口

教育者としての岡田の特筆すべき点は、女性の美術教育を推進したことでしょう。前述の通り、岡田は文部省留学生として4年半ほどフランスに留学し、ラファエル・コランのもとで学びました。コランのもとにはアメリカの女性画家やパリの美術愛好家の女性たちが野外写生のレッスンに訪れていたそうです(註3)。この様子に感銘を受けた岡田は、女性の洋画教育に力を入れていくことになります(註4)。

註3.松本誠一「岡田アトリエ3題—妻と少女と女性画家—」『アトリエ移設記念「岡田三郎助と女性画家たち—はじまりはここから—」』佐賀県立美術館、2018年、4頁。
註4.ただし、当時の東京美術学校で女性の入学が認められるのは1946年になってからです。

 

岡田は大正5年より女子美術学校(明治34年(1901)創立)で教育を行う傍ら、アトリエに女性のための画塾「女子洋画研究所」を開設します。大正末期頃に増築された「女子洋画研究所」では多くの女性が学び、有馬三斗枝、森田元子、三岸節子、いわさきちひろなど、多くの女性画家が巣立っています。

博物館から見下ろす岡田三郎助アトリエ
アトリエから見た「女子洋画研究所」

このように美術教育の場としても重要な役割を担ったアトリエは岡田の没後、洋画家辻永に引き継がれ、その後2018年に佐賀県立博物館敷地内に移築・復元がなされます。渋谷の丘陵地に建てられていたため、アトリエと女子洋画研究所の間には段差がありました。上の写真の通り、この段差もそのまま復元されています。また、今回美術館で展示されていた《縫いとり》(1914)は、アトリエ内部が細かに描かれている作品だそうです。このような作品も、復元時の資料になったと言います。

《縫いとり》が描かれたという、アトリエの応接スペース

岡田三郎助やアトリエについてのガイダンスを終えると、館内の自由見学のスタートです。美術館には岡田三郎助作品の常設展示スペース「OKADA-ROOM」がありますが、今回は当該展示室にて美術館コレクション「吉岡徳仁作品特別展示」が開催されていました。佐賀出身の吉岡徳仁が「SAGA2024」(国民スポーツ大会および全国障害者スポーツ大会)で使用される炬火台とトーチのデザインを担当したことを記念しての特別展です。吉岡徳仁はデザイン、建築、現代美術など幅広い領域で活躍しています。本展示では《東京オリンピック 2020 聖火リレートーチ》の他、ガラス、紙、金属、鉱物結晶など、様々な素材で作られた作品を鑑賞することができました。

岡田三郎助の作品は《縫いとり》(1914)、《矢調べ》(1893)、《薔薇》(1931)、《裸婦》(1935)の4作品を博物館の展示室で鑑賞しました。それぞれアトリエとの関連が深い作品、黒田清輝と知り合う前の作品、好んで描いた植物の作品、成熟期の作品と言えます。岡田の画業の中から選りすぐりの作品を堪能しました。

 

さて、今回の見学の中で参加者に最も好評だったのが特別展「ジパング—平成を駆け抜けた現代アーティストたち—」(2024年8月24日〜10月20日)です。今回の展覧会は2011〜2012年にかけて東京、大阪、京都を巡回したジパング展を再編・発展させたものだそうです。「日本の」現代アートの魅力を再発見するという趣旨を引き継ぎつつ、旧「ジパング」から令和の現在に至るまでに新たに発表された作品も展示されています。

展示会場に入ってすぐに目に入るのは300cm×700cmの大画面、会田誠《灰色の山》(2009-2011)です。遠目に見るとモノクロームの山が連なり、巨大な山水画のように見えます。会場内部へ進み、作品に近づくと、サラリーマンらしき無数の人々が山となっていることがわかります。旧「ジパング」のカタログを見ると、本作は前回のジパング展にも展示されていたようです。

宮永愛子《suitcase -key-》(2019)
岩崎貴宏《リフレクション・モデル(羅生門エフェクト)》(2015)

作品の形態は絵画、立体、映像と幅広く、よく知られた作品から近年発表されたものまでバランスよく展示されています。

3つの展示室を使い、作品の間隔を十分に確保して展示されているので、気になる作品の前に立ち止まり、教員と参加者で意見交換をする様子も見られました。

作品タイトルと作品の関係を考える参加者と教員

展示室の最後を飾るのは、池田学《誕生》(2013-2016)です。池田学は佐賀県多久市出身の画家で、ペンを用いた緻密な描写で有名です。出口付近に展示された大きな画面と、これを構成する緻密な描写に圧倒されます。

写真や書籍の印刷版でも非常に緻密な表現であることはわかります。ですが、全ての細部を接写したような緻密さ、これによって感じられる奥行きや立体感は、写真や印刷された図版になるとたちまち消え去ってしまいます。

参加者からは作品前に階段等を設置して、上部までしっかりと見たいという感想もありました。一同、画面上部は見上げるしかないことが惜しく感じられると頷き合います。

《誕生》に隣接する壁面には、《予兆》(2008)を立体的にプリントしたものが展示されていました。この作品は旧「ジパング」の出品作でもありますが、当時は東日本大震災の直後という状況に配慮し、展示を諦めたという経緯があったようです。

旧「ジパング」展の出品作品《灰色の山》から始まり、当時の状況を契機に制作された《誕生》で締めくくられた新「ジパング」展。平成から令和にかけて生まれた多様な作品、表現とじっくり向き合う時間となりました。以下に参加した学生のレポートをご紹介します。

 

参加学生のレポート

「百花繚乱 ~岡田三郎助&ジパング展~」

曇り時々雨のなか、佐賀県立博物館・美術館敷地内にある岡田三郎助アトリエの北側にある女子洋画研究所に集合した。洋風建築なのに親近感があったのは木造だからだろうか。まだまだ暑い季節なのに雨がちらついていたからか、中に入ると天窓からの柔らかい光が目に映る。大正後期に増築された当時の窓を髣髴とさせるすりガラスが心地よい空間を演出していた。この部屋は岡田三郎助が主催した画塾で、多くの女性たちがここで学び巣立っていったのだそうだ。
いつもなら多くの作品に花を描いた岡田三郎助の作品が常設展示されているはずのOKADA-ROOMには、佐賀県出身のデザイナー吉岡徳仁氏の作品が展示されており、桜がモチーフになっている東京五輪のリレートーチを見ることができた。
そしてジパング-平成を駆け抜けた現代アーティストたち-の特別展へ。ミヅマアートギャラリーが企画協力したとあって現代を代表するアーティストの作品が展示されているなか、目を奪われたのは佐賀県出身の画家・池田学氏の≪誕生≫だった。豊かな花々に吸い込まれるように近づくと、自分の目線の高さにある描写に圧倒され無になった。作品に共鳴したかのように波動が体中を駆け巡ったのは言うまでもない。

(扇﨑友子 芸術学科芸術学コース 2024年度生)

自由見学の後は再び女子洋画研究所に集まり、質疑応答を経て解散です。様々なタイミングが重なり、思いがけず明治から令和までの佐賀にゆかりのある作家の表現を堪能する機会となりました。今回、博物館の見学は駆け足となりましたが、これらも合わせると、佐賀の文化や歴史をより深く知ることができそうです。機会があれば、ぜひ佐賀県立博物館・美術館を訪ねてみてください。

博物館で目を引くティラノサウルスの生態模型。もとは国立科学博物館に展示されていたものだそうです。
1960年代の制作ということで俊敏さは感じられず、現在のイメージよりもかわいらしい姿でした。

(文:芸術学コース 教員 江本紫織)

 

 

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