(文:文芸表現学科4年生 尾崎悠大、鹿島愛唯里、原田美菜、水原優、保田蒼大、3年生 大西将揮、西村瑠花)
京都芸術大学 文芸表現学科 中村純ゼミ(編集・取材執筆)では、「ことばと芸術で社会を変革する-SDGs(※)の実践」をテーマに取材執筆をして、発信する活動を行っています。今回はフリーライターの李信恵さんの特別授業をきっかけに考えたことを報告します。
※SDGs(Sustainable Development Goals)
2015年9月の国連サミットで採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」において記載されている2016年から2030年までの国際目標。地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットからその目標は構成されています。
※京都芸術大学SDGs推進室:https://www.kyoto-art.ac.jp/info/research/sdgs/
2019年度後期は、多文化共生に美術・文芸の力でアプローチしました。2019年10月25日に、ヘイトスピーチと人権について活動されている在日朝鮮人・フリーライターの李信恵さんからお話を聞きました。
偏った知識と言葉の暴力
「今日はヘイトスピーチの話をするんですけど、ヘイトスピーチとはなんでしょう?」その問いから始まった、李さんの授業。問われた学生は「差別であったり、そういうある特定の人に対してのデモ運動ですか?」と返答しました。
その答えを聞いて李さんは頷き、「なかなかいい答えです。付け足すなら、よく新聞でヘイトスピーチのことを憎悪表現とか書かれているんですけど、憎悪表現ではないです。直訳するとヘイトというのは憎悪という意味ですが、別に憎しみあっているわけではないんです。ヘイトスピーチっていうのは差別発言であって、差別を煽動する行為です」と、ヘイトスピーチの説明を補足してくれました。ヘイトスピーチとは、人種、出身国、民族、宗教、性的嗜好、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、個人または属する集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言のことです。
日本では、憎悪表現の他に、差別的憎悪表現、憎悪宣言、差別的表現、差別煽動などと訳されています。たとえ言葉遣いが丁寧であったとしても、そこに差別の意識や排除の意思があれば、ヘイトスピーチになることを覚えておいて欲しいと李さんは念押ししました。
思想や表現の自由を免罪符や武器に換え、不満のはけ口、主張の拡散のための手段として、社会的に弱いもの、少数派に属するものを生まれや性別といった変更の利かない弱点を理由に徹底的に貶め侮辱する、人として最低な言動だと私たちは考えます。李さんの言うヘイトは「憎悪とは違う」というのが引っかかりました。
私たちのような第三者からすると、ヘイトスピーチをする側はされる側を憎んでいるように見えるのです。「本籍地を朝鮮半島に持っている外国人が、外国人であることを堂々と明かしながら日本人の血税を使い、優遇された生活を我々の国で送っているのが許せない」とヘイトスピーチをする側は主張しているそうです。これは、在日コリアンに対する偏見に基づいた不満ですが、彼らに向けても解決はしません。そもそも朝鮮半島にルーツのある方たちが日本にいるのは、日本がかつて朝鮮半島を植民地にしたという歴史的背景があるからです。在日コリアンは法的には特別永住外国人です。この国で生まれこの国で生活し納税する市民として、地方参政権を求める運動もあります。名指しでヘイトスピーチを受けたのは李さんだけではありませんが、「在日」という漠然とした属性を攻撃されるたびに、在日コリアン一人ひとりの尊厳が斬られたように痛むそうです。
そもそも、なぜヘイトスピーチが広まったのでしょうか。それは、インターネットの普及という環境要因が関係しています。2002年のサッカーW杯の日韓共同開催、拉致問題の発覚以降、インターネットではヘイトスピーチが広まっていきました。インターネットの普及に伴い、ヘイトスピーチをする人の声がどんどん大きくなり、とうとうインターネットから路上へと飛び出していきました。元々は個人で2ちゃんねるなどに書き込みをしていた繋がりのなかった人たちが、SNSの発達につれて新しいコミュニティやブログを開設して仲間を増やしていきました。
李さんは1世の父と2世の母との間に生まれた2.5世の在日コリアンです。日本で生まれ育ち、差別とは離れたところで生きているふりをしてきたといいます。2009年に起きた京都朝鮮学校襲撃事件に関わった上瀧浩子弁護士と出会い、ヘイトスピーチへのカウンター活動やライターとしての執筆活動をするうちに、民族を理由とした差別、インターネット上での誹謗中傷を受けるようになりました。
私たちは在特会(在日特権を許さない市民の会 以下、在特会)がヘイトスピーチをする場面を間近で捉えた5分間の映像を見せてもらいました。映像の内容は激しいもので、人々が寄り集まって一人の在日コリアンに対して暴言を吐く場面があったり、ヘイトデモで横行している人々の一部が楽しそうに笑って歩く姿もありました。
「ここで泣き寝入りしたら、別の誰かが同じ思いをする」その思いに駆られた李さんはヘイトスピーチを繰り返す「在特会」と、まとめサイト「保守速報」を相手取り裁判を起こしました。在特会へ裁判を提訴した李さんの活動背景に、同じ思いを後世に続く子どもたちにしてほしくないと心に決める、ハートフルな母親の姿がありました。
今まで私たちは差別問題やヘイトスピーチについてあまり意識せずに生活してきた節があります。今回の話を聞いたことにより日本で実際に起こっている問題について何も知らないということを痛感したのです。民族差別、女性差別、その二つが密接に絡まる複合差別。マイノリティであるということで受ける差別。李さんが向き合ってきたのは、そうした問題でした。
『#黙らない女たち』の出版
2018年には『#黙らない女たち』(著者 李信恵 上瀧浩子 かもがわ出版)を出版しました。本書には「対在特会」「対保守速報」の李さん提訴の反ヘイトスピーチ裁判の闘いの記録(6-7頁 補足記事) として、インターネット上や社会での誹謗に苦しむ人、マイノリティの立場にいる人、今黙らされている人に届けたいという思いが詰まっています。
心に残ったのは、これまでネットや路上でヘイトスピーチを繰り返して来たが改心して謝りたいという人に対して、李さんが手紙を書く場面です。「(あなたの)謝罪を受け入れて許すというのはちょっと違うと思います。ヘイトスピーチの被害者がこんなことをいうのはおかしいかもしれませんが、私はあなたを許す代わりに、二度とあなたがヘイトスピーチをせずに、誰かを差別せずとも幸せに生きられるように応援し、そして見守っていきたいと思います。これからも一緒に生きましょう」(70頁7-12引用) 一番目指すべきは差別のない世界であり、彼女自身がそれを体現しています。
この本を企画、編集した編集者の中村純先生(京都芸術大学 文芸表現学科)に、『#黙らない女たち』ができるまでの経緯を取材させていただきました。
中村先生は「この裁判に勝ったからといって、ヘイトスピーチがすぐになくなるわけではない。だからこそ、この裁判の判例を多くの人に知ってもらう必要があると思いました。李さんが起こした裁判と人生をより多くの人に伝えたいと考えました。私ができることは出版することだと思ったんですね。法律に関わる人だけでなく、若い人たちに知ってもらいたいと考えました。読みやすさを重視し、図書館に入れてもらえるような編集にして出版する運びになりました。」と話し、李さんとの関係性について以下のように語ってくれました。
「李さんの講演会に訪れた際、彼女の人柄に惹かれました。人間として魅力的で、エレガントです(笑) 。李さんの裁判に関わっていた上瀧浩子弁護士は原発事故避難者の支援活動で2012年頃知り合った方です。李さんと上瀧さんの講演会に行った際に、ふたりの掛け合いがとても面白くて。ふたりの関係は女性同士の姉妹のような関係(シスターフッド)に見えました。
韓国語では年上の女性をオンニ(お姉さん)といいます。信恵さんは、上瀧さんのことを「浩子オンニ」と呼び、私のことを「純オンニ」と呼びます。日本人の弁護士と在日コリアンの女性が深い友情で繋がって一緒に裁判を戦ってる姿に、実は一番の希望があると思うんですね。このふたりの関係に未来があるように思えました。
編集者は著者に共感や愛情を持たないと、信頼関係をつくって本を作ることはできません。
一冊本を編むと、使い果たすように疲弊するのが編集者の仕事。他者のためにこれほどエネルギーを使うのですから、リスペクトがない仕事はしません。私は、ふたりの矜持と人柄に共感し、ふたりを信頼しました。
私自身の祖父が在日コリアンだったということを20歳の時にたまたま知ったことで、語られなかった戦後史、ひとりひとりの無名の人生や歴史に関心を持つようになりました。それが、私自身の企画・創作や教育活動のアンカー(錨)や源泉のひとつになっています。私は日本人だけれど、4分の1の源流は「鮮やかな朝の国」にあり、韓国の詩人たちとのご縁もできました。でも在日コリアンにはなれない。エッジ(端っこ)にいるからこそ、双方を行き来して「結ぶ仕事」ができます。
裁判の判決が出るころ、私は京都の市民放送局三条ラジオカフェの「おはようさんどす」という番組でインタビューや詩のコーナーを担当していました。李さん、上瀧さんをそれぞれゲストとしてお呼びし、番組内で裁判についてインタビューしました。
番組を創ることがリスナーと話者をつなぐことならば、本を創ることも著者と読者を繋ぐ役割です。本は時空を超えることもできます。まだ見ぬ未来の世代の人たちに伝える役目を担うことができます。次の世代の人が悩んだときに、かつての人たちがどのように生きて闘ったか、経験と知恵と愛情を言葉にして編み、遺すこともできる。そういう思いで私は本を作っています。」
最後に
今回の在日問題やヘイトスピーチについてお話を伺ったことによって、身近に起こっているこれらの問題に対して正しい知識を得て、その時に自分たちは何が出来るのか、どういった行動を起こすことが出来るのかを考える力がこれから先必要だということを身をもって感じることができました。今までテレビでしか触れることのなかった情報が、いざ自分たちに直接降りかかったとき、他人事ととらえずに真摯に向き合わなければ何も変えることはできないんだと考えさせられるきっかけになりました。言葉を使う者、発信、表現する者として、もっと視野を広くもち、情報に流されず自分の頭で考えていこうと決意しました。
【李さん提訴の反ヘイトスピーチ裁判の概要】
1. 「在日特権を許さない市民の会(在特会)」と同会の桜井誠元会長に対する損害賠償訴訟
事案の概要:在日の朝鮮人のフリーライターである李信恵氏(原告)が、在特会及び同会の桜井誠元会長(被告)に対する提訴。桜井氏が「インターネット上の生中継動画配信サービス、街頭宣伝及びツイッターにおいて、李氏の名誉を毀損、侮辱し、脅迫及び業務妨害に当たる発言や投稿を行った」ことに対し、不法行為(民法709条)に基づき、550万円の損害賠償請求を求めた裁判。
大阪地裁判決 2016年9月27日
大阪高裁判決 2017年6月19日
最高裁判決 2017年11月29日
2. まとめサイト「保守速報」運営者に対する損害賠償訴訟
事案の概要:在日朝鮮人のフリーライターである李信恵氏(原告)についての「2ちゃんねる」等、ネット上の差別的な投稿を、被告が約1年間にわたり編集し、まとめサイト「保守速報」のブログに40本以上の記事として掲載したことに対し提訴。これら行為は、原告に対する名誉毀損、侮辱、人種差別、女性差別、いじめ、脅迫及び業務妨害にあたり、これら不法行為により被った精神的苦痛について、被告に対し2200万円の損害賠償請求を求めた裁判。
大阪地裁判決 2017年11月16日
大阪高裁判決 2018年4月24日
大阪高裁判決 2018年6月28日
(本書6-7頁引用)
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尾崎 悠大Yudai Ozaki
1999年京都府生まれ。文芸表現学科2017年度入学。考えすぎて学生から愚か者にジョブチェンジを果たした。心根は優しい普通人。普段は絵描いたり好きなことをやっている。教えられるより独学の方が身につくタイプ。
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原田 美菜Mina Harada
1998年大阪生まれ。文芸表現学科2017年入学。話すことが好きで、よく長電話をして夜更かしをしている。趣味は友達とのドライブとショッピング。
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水原 優Yu Mizuhara
1998年大阪生まれ、大阪育ち。文芸表現学科2017年度入学。
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保田 蒼大Sota Yasuda
1998年京都府生まれ。文芸表現学科2017年度入学。文章を書くことと編集を学んでいる。本とファッション、音楽が好き。
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大西 将揮Masaki Onishi
大阪府出身。21歳。2018年京都芸術大学入学。趣味は音楽鑑賞とバスケ観戦。最近サボテンを育て始めた。
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西村 瑠花Ruka Nishimura
1999年三重県生まれ。文芸表現学科2018年度入学。文学を通して自分に何ができるか模索中。猫が大好きで、実家の猫に会えない寂しさをよく猫カフェで埋めている。