メインビジュアル:出版記念に開催された写真展を見る 山本太郎さん(左)、茂山逸平さん(右)、中村純さん(後)
(文:文芸表現学科 2年生 貝谷真奈)
狂言とは猿楽から発展した伝統芸能であり、古典的な喜劇である。そんな狂言を題材にした本『茂山逸平 風姿和伝』(監修:茂山逸平、構成・文・編集:中村純、写真:上杉遥、出版:春陽堂書店)の出版を記念したイベントが9月20日に京都岡崎 蔦屋書店で行われた。
イベントを手がけるのは京都造形芸術大学 文芸表現学科卒業生で、現在、京都岡崎 蔦屋書店のコンシェルジュを務める鵜飼慶樹さん。それから、今回の主役である本『茂山逸平 風姿和伝』の構成・文・編集をした、京都造形芸術大学 文芸表現学科専任教員の中村純さんだ。今回は出版記念イベントを企画者の面からレポートしていきたいと思う。
そもそも『茂山逸平 風姿和伝』がどのような本なのかをご紹介しよう。大蔵流〈茂山千五郎家〉に生を受けた狂言師・茂山逸平さんが考える「現代で狂言を楽しむこと」や「狂言のこれから」について書かれた著書である。逸平さんの息子・慶和くん(小学五年生)の成長記録にもなっている。監修は茂山逸平さん、執筆者は中村純さん、メイン執筆者は中村純さん、茂山逸平さんご自身も、最終章とコラムを執筆している。また、書籍に掲載されている写真は、能楽写真家の上杉遥さんが担当している。
ここでは、文芸表現学科と最も関わりの深い「編集者」という仕事について掘り下げていこうと思う。今回の書籍は、Webの連載記事を編集したものだ。中村さんは春陽堂書店から依頼を受け、毎月一回ほど茂山千五郎家に通いWeb記事の執筆・構成をした。記事執筆のため、事前に狂言の公演を観に行ったり、茂山家に関する資料を集めて調べたりする。取り上げる作品やインタビューテーマを決めて、実際に逸平さんや慶和くんにインタビューして記事を執筆する。同時に、記事に適切な写真を能楽写真家の上杉遥さんや逸平さんに相談しながらセレクトする。
「著述業でない人々が伝えたいことを、取材を通して聴き、言葉を補い再構成するのもライター(構成作家)の仕事なんだよね。」と中村さんはおっしゃった。
そして書籍化にあっては、各記事の文体を揃えたり、Web記事特有のタイムリー性を排除したりして一冊の本としての完成度を高めてゆく。このような編集作業を経て、WEB連載開始からおよそ1年半後、書籍『茂山逸平 風姿和伝』を春陽堂書店より上梓した。
出版記念イベントは京都各地で開催された。中村さんが京都岡崎 蔦屋書店コンシェルジュの鵜飼さんに企画を持ちかけたそうだ。同店は平安神宮のに近くで、能楽堂も側にある。奉納狂言等を通じて能楽師ともゆかりのある地域だ。「若い世代に和の文化を伝えたい」という中村さんの想いと一致する場所でもあった。鵜飼さんは、「京都岡崎 蔦屋書店には三つの柱があるんです。アート・日本の暮らし・ON JAPAN。僕は、その中でも『アート』をもっと広い意味で捉えています。日本でいうアートには伝統文化などの無形のものが含まれています。そんな伝統文化を書店で、しかもワンコインで買えることもある雑誌や文庫で気軽に触れ合えるっておもしろいことですよね。」と話してくださった。
イベントの開催期間、同店では能楽写真家・上杉遥さんの写真展が開催された。本に掲載された写真の中から十点ほどの写真が展示されていた。親近感の湧く狂言師の日常を写したものから舞台上の真剣な姿まで、いくつもの表情が飾られている。中には慶和くんが幼かったころの写真も。私はほっこりすると同時に、幼いころから狂言や能楽に触れている子がどのように生活をしているのかと興味を持った。写真の飾られている棚の近くでは、能・狂言本の関連書籍を集めたコーナーが設置され、『茂山逸平 風姿和伝』も置かれていた。私が展示を見ていると、外国人のお客さんも足をとめて写真の展示や書籍を見ていた。仮に日本語が読めなくとも写真なら伝わる。文芸だけでは越えられない壁を写真を取り入れることによって乗り越え、多くの人に届けられるのだと実感した。
少し日が傾いた頃、同店の上階にあるロームシアター京都の会議室で出版記念イベントが行われた。会場には、狂言に興味をもつお客さんや、ふらっと立ち寄った人など多くの方が集まっていた。逸平さんと慶和くんが登場し、中村さんと鵜飼さんも二人の横に腰かける。中村さんは「慶和くんにもイベントに参加してもらうことに意味がある」と教えてくださった。「慶和くんは次世代の狂言の担い手。若い世代にも伝統芸能を伝えていきたいから。」と続けた。
なるほど。慶和くんの可愛らしさは、私たちの世代が伝統芸能に対して抱いているイメージとは大幅に異なった。私たちが持つ先入観を慶和くんはすぐに払拭してしまうくらいの明るさを持ち合わせていた。その中で私が印象に残ったトークがある。それは源義経の話。
『船弁慶』という狂言にでてくる義経が大好きだという慶和くん。中村さんから「どこが好きなの?」と質問が飛ぶと、すぐにマイクを握り「超人、発想とかも、かっこいいなぁ。すごくね義経、おわ~すげ~大好き~って感じ。」と声を弾ませた。が、間髪入れず「うすい。」と逸平さんからのダメ出しが入る。
実は逸平さんも義経が好きなのだそう。「まあ、僕の方が義経のこと好きなんですよ。義経にずーっとなりたくてこの職業をしてきました。三十歳の時にこの子が生まれて、僕が義経の死んだ年齢を越えて——。義経になるのは諦めなきゃなと。それで、無理やり慶和に夢を託したんです。」
私もあこがれの小説家とエッセイストがいるから、小説を書くし文章をやめられない。自分とは遠い存在と思い込んでいた狂言の世界も、人のあこがれで動いているのかもしれない。
また、逸平さんがトークショーの最後に話してくださった、「伝統」や「古典」についての話も実に興味深かった。
「伝統は守らないといけないもので、それだけは受け継いでいかなきゃいけないんですけど、お客さんに対して『これが伝統だから、これで満足しろ!』みたいな姿勢ではいたくない。お客さんが楽しんでくださるエンターテイメントとして舞台で披露する時と、伝統的な部分をみせる時と、それぞれの機会があるべきだと思ってます。」
逸平さんはご自身の強みを、古典芸能の伝統と基礎をしっかり押さえた狂言と、エンターテイメントとしての狂言ができるという、芸人として振り幅の大きいところだとおっしゃった。現代の日本は、物事に対して時代に即していることを重要視していると私は思っている。小説や雑誌の世界でも、それらが時代とともにあるのが常である。伝統は受け継いでいくことと、同時代に合わせて革新しつづけるもの。そんな考え方を、私も忘れずにいたいと思った。
トークが終わると、逸平さんと慶和くんが『花争』という狂言を披露してくださった。この演目は、「花見に行こう」という主に対して、「鼻を見るなら何も出かけなくてもこの自分の鼻を見れば」と太郎冠者がとんちんかんなことを言い出す。そして、桜花のことを「花」と言うか、「桜」と言うか、古歌を引いての争いとなってゆく。慶和くんが主を、逸平さんが太郎冠者を演じた。約十分のとても短い狂言で、子どもが歌を覚えるための演目でもあるという。堂々と演じる二人は、トークの時とは違う凛々しさがあった。どの世界でも、本気で何かに打ち込む姿は人間らしいかっこよさがあると感じた。
中村さんは、茂山逸平さんの取材をするうちに、茂山千五郎家の大ファンになったという。「編集者って、その人の一番のファンだから。イベントの利益よりも、その人のことを考えるようになるのよ(笑)。」と中村さんは話す。編集者は、本を編む仕事だが、本で過去・現在・未来を繋げる仕事でもあるそうだ。編集者も狂言師も何か大切なものを繋ごうとしているのだろう。
では、私は何をつなげるのだろうか。
アート、特に文芸にまつわるイベント企画にとても興味がある。今回の取材を通し、アートや文芸をどう定義するかは私次第なんだと気づくことができた。人間らしいかっこよさを引き出せるようなイベントができたら、なお良いなぁとも考えている。
最後に、今回の出版記念イベントを担当された鵜飼さんにお話を伺った。
「本とイベントって相性がいいんですよ。結局は『人』だというところで。人がつくったものを人がしゃべる。そして、人が聴いて人が読む。」
鵜飼さんは「人」の話が楽しかったから、今もイベントを続けているとおっしゃった。たしかに、今回のイベントを通して、知らない世界があるということが非常におもしろいなと胸が高鳴った。自分や相手の世界を覗いて、覗いてもらって、話してみる、というところにイベントの本質が眠っているのかもしれない。
「きっかけがないと人って出会わない。行きつけのバーが一緒とか。そんなんでいいはずなんよなぁ。」イベントはそこかしこに眠っている。そのおもしろさをどんな形にするか、それが企画者に求められることなのかもしれない。
「僕がおもしろいと思ったことを、もし他の誰もおもしろいと思わなかったら、僕は特殊な人になる。でも僕は特殊な人じゃない。同じように、おもしろいと思ってくれる人がいるんですよね。出発点はそこだと思う。」これは、今回の『茂山逸平 風姿和伝』のイベントを引き受けた鵜飼さんの想いにも近い部分があるのかもしれないと私は思った。中村さんが「いい!」と思ったことに、鵜飼さんも「おもしろそうだ!」と話に乗る。そういった個人の中にある「おもしろそう!」が繋がって、イベントは作りあげられていくのだろう。
私も、大学の中や外にある「おもしろそう」を大切にしたいと思う。そして完璧でなくてもいいから、文芸関連のイベントを立ち上げよう。京都造形芸術大学だからできることを探して、人間らしいかっこよさを伝えようと思う。
(メインビジュアル撮影:上杉遥)
<プロフィール紹介>
僧名:樹道 京都裏寺 極楽寺・副住職、京都岡崎 蔦屋書店・コンシェルジュ、京都造形芸術大学 文芸表現学科・非常勤講師
芸術表現アートプロデュース学科クリエイティブライティングコース2008年入学(CW2期生)、辻仁成ゼミに所属して、小説創作を学ぶ。過去の経歴に、文芸表現学科 副手、webメディアの編集・ライティング。ベンチャー企業の告知業務などがある。
京都造形芸術大学 文芸表現学科・専任講師、編集者、執筆業、詩人、詩誌『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の編集委員として詩と思想研究会関西を主宰し、若年詩人育成を目指している。2004年詩と思想新人賞、横浜詩人会賞受賞。慶應義塾大学文学部在学時に『三田文学』編集に携わる。文化出版局、三省堂出版局等を経て、東京から京都移転により独立。企画編集、執筆、講演活動、国家資格キャリアコンサルタントとして、企業講師、キャリア講師なども実施する事業代表である。
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貝谷 真奈Mana Kaiya
1999年生まれ。文芸表現学科へ2018年度に入学。小説・詩・短歌・俳句・エッセイ・コラムなど、ことばに関することすべてが好き。それとおなじくらいに人と話すことが好き。