京都造形芸術大学 文芸表現学科2年生の中村純ゼミでは、SDGs(※)の認知拡大を目的に、学外で行われるイベントなどの調査に出かけ、レポート記事にまとめ発信する活動を行っています。今回はそのグループの一つをご紹介します。大阪市生野区にあるNPO団体が地域の子どもたちにむけて開催したイベントに参加し、学び得たこととは……
※SDGs(Sustainable Development Goals)
2015年9月の国連サミットで採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」において記載されている2016年から2030年までの国際目標。地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットからその目標は構成されています。
※京都造形芸術大学SDGs推進室:https://www.kyoto-art.ac.jp/info/research/sdgs/
(文・撮影:文芸表現学科 朝倉みなみ(2年)尾崎悠大(3年)小山浩暉(3年))
わたしたちが通う京都造形芸術大学には様々な学科があります。それらの共通点はアートを学ぶことです。文芸表現学科 中村純先生のゼミでは、2019年度後期に文献精読とフィールドワークをとおした調査取材を主とするインプット、2020年度前期は執筆編集など様々な媒体で言葉で表現するアウトプットを実践します。
2019年度後期は多文化共生と言葉と文芸について考えることがテーマでした。10月27日、わたしたちは「特定非営利活動法人クロスベイス」が企画する体験活動事業DO/CO(どこ)の一環として実施される「私たちのまち『猪飼野』を案内する、猪飼野ナビゲーターになろう!」というイベントに参加しました。クロスベイスは、あらゆる子どもが多様性を尊重され、公正に認められる社会、差別と貧困のない社会を創るために立ち上がった団体です。
大阪市東成区と生野区にまたがる「猪飼野」という地域は、朝鮮半島の百済時代から日本と交流のあるところです。もうその地名は残っていませんが、現在の大阪の鶴橋・生野コリアタウンエリアにあたります。日本で最も先進的な多文化共生の街です。
生野コリアタウンには班家食工房というお店があります。このお店の二階がクロスベイスの事務所です。今回のイベントは、猪飼野ナビゲーターをつとめる大阪市立御幸森小学校などの子どもたち、大阪府箕面市にあるNPO法人「暮らしづくりネットワーク北芝」に関わる子どもたち20名と、わたしたち学生や大人など総勢30名で進行していきました。
全員の自己紹介の後、それぞれの名前を覚えるために「名前数珠つなぎ」というオリエンテーションがスタートしました。名前数珠つなぎとは、一番目の人が名前を言い、二番目の人は一番目の人の名前と自分の名前を言い、三番目の人は一番目の人と二番目の人と自分の名前を言い…… と、文字通り名前を数珠つなぎにしていくものです。
名前数珠繋ぎで緊張がほぐれた頃、クロスベイス代表理事の宋悟(そん・お)さんから生野区のことや生野コリアタウンの成り立ちなどについてのお話を聞きました。
生野区は全住民13万人のうち2割(約2.8万人)が外国人で、60か国以上の方が住んでいる多文化の街であることや、その外国人のうち8割(約2.2万人)が在日コリアンで、その比率は日本で1位であること、そして近年はベトナム人が増えてきていることなどを子どもたちと一緒に学びました。
そして「なぜ生野区にはたくさんのコリアンの方が住んでいるのか」というお話が続きます。日本による「韓国併合」が強行された1910年頃、土地を奪われ働き場所を求めた農民たちの日本への移入が増えました。その後も日本の植民地政策による徴用や徴兵によって、労働力として多くの朝鮮人が日本に移り住みました。当時の大阪はアジア最大の工業都市で、朝鮮・済州島と大阪を結ぶ船「君が代丸」が出航し多くの人を大阪に運びました。
1945年の日本の敗戦で「日本人」にされていた朝鮮人は解放されました。しかし同時に日本国籍もなくし無権利状態に。1948年の朝鮮戦争により半島が南北に分断され、母国に帰りたくても帰れなくなった人も多く、大阪に留まることを決めたコリアンが多かったそうです。また同年に起きた「済州島四・三事件(※)」から逃れた人たちが、たくさん生野区に渡ったとされています。
※「済州島四・三事件」朝鮮分断の進行する済州島で、アメリカ軍政下の南朝鮮単独選挙に反発した民衆蜂起に対しての、アメリカ軍や朝鮮本土の警察隊による弾圧事件。約3万人の住民が犠牲になった。
<猪飼野ナビゲート スタート>
宋さんのお話のあとは2班に分かれ、いよいよ子どもたちによる猪飼野ナビゲートがスタートしました。今日のために準備と練習をしたという子どもたちが、真剣な表情で親切丁寧にナビゲートしてくれました。子どもたちがナビゲートしてくれたのは、どこも猪飼野というまちを象徴する場所でした。
生野区桃谷エリアにある「御幸通商店街」に大きくそびえ立つ百済門をくぐり、やって来たのは平野川。平野川はかつて百済川と呼ばれ、その流域は百済野と愛称されていました。元々は蛇行し氾濫する川でしたが、1932年の開削工事によって真っ直ぐな川になります。開削工事には多くの朝鮮人が従事しました。
この平野川について詩を書いたのが金時鐘(きむ・しじょん)です。彼が書いた「へだてる風景(『猪飼野詩集』岩波書店より)」という詩からは、川とまちの関係、そして当時の人々の生活が浮かび上がってくるように感じました。『へだてる風景』のなかには、このような記述があります。
川は
暮しをつらね
暮しは
川をへだてる。
川をへだてて
集落があり
集落をへだてて
街がひろがる。
(中略)
澱んだ運河に集落はとぎれ
川を求めた人たちの
行方を知らず
運河だけが
地を割った末裔たちの
かたえで
黙る。
――「へだてる風景(『猪飼野詩集』岩波書店より)」p.194
たびたび水害に見舞われたために平野川の開削工事が行われ、旧平野川は埋め立てられました。工事により生まれ変わりたあと残ったのは、川底がコンクリートで真っ直ぐな平野川です。作者はこの事実を、詩というかたちで表現しました。
「人間性を際立たせるものに詩があるという確信はゆるがない。詩は元からして、本性的に人の生き方に根ざしているものだからだ。」
――(『猪飼野詩集』岩波書店より)p,228
このように作者は詩を捉えているようです。作者にとって、平野川は猪飼野に住む人々の暮らしをかたち作っていたものだったのでしょう。では、現在の平野川は人々とどのような関係であるのでしょう。子どもたちに案内してもらい、その土地の文学に触れることで、さらなる興味を引き出されました。
続いて向かった御幸森神社(大阪市生野区)には、百済の王仁(わに)博士が伝えた難波津の歌碑があり、そしてつるのはし跡には平安時代の歌人・小野小町がつるの橋を詠んだ歌の歌碑があります。猪飼野は古くから文芸にゆかりのあるまちだったことが分かりました。
最後に訪れたのは東大阪朝鮮第四初級学校と御幸森小学校。学校同士は距離が近く交流も盛んに行われています。韓国や朝鮮にルーツのある子どもたちが、どちらの学校を選択するかは自由。そのため御幸森小学校にもさまざまなルーツを持つ子どもたちがおり、毎年民族学級の発表会があります。
子どもたちによるナビゲートが無事に終わり、事務所まで無事に送り届けてくれた12時頃からお昼休憩となりました。私たちも美味しいグルメを探して生野コリアタウンを巡りました。太字で派手な看板を掲げたトルネードポテト、トッポギ、チーズドッグや、近頃流行りのタピオカなどをたくさん堪能しました。
午後はナビゲートをともにした子どもたちと一緒にこのエリアのオリジナルせんべい「猪飼野せんべい」のお店を出すことに。
「猪飼野せんべい」について説明を受けたあと、どうすればこれを買ってもらえるかをみんなで考えました。各班にひとつずつ大きな看板やペンと画用紙などが配られ、自由にPOP広告やイラストを描きました。「イラストを増やすことで、よりお客さんの目を引くのではないか」「値段などの数字を大きく書いて、確実な情報をアピールした方がよいのではないか」など、そのユニークな意見はさまざま。時折、大人たちからのアドバイスを耳を傾け、更に広がっていくアイデアをまとめることに悩みつつ作業は進みます。この共同作業を通して子どもたちとの距離感はぐっと縮まったように感じられました。
A班とB班に分かれて生野コリアタウン内の別々の場所にお店を設けました。A班は人通りが多くスペースの広い道に、B班は人気店の多い激戦区に。どちらの班も長机の上にせんべいを置き、商品紹介のビラを持って販売を始めました。課せられた目標は30分で1袋(6個入り)500円のものを10個売ること。
どちらの班もお客さんの注目を集めるのに苦労しました。子どもたちは初めこそ友だち同士で声を出すことを恥ずかしそうに笑い合っていましたが、まわりのアドバイスや支えを受けるうちに視線を人通りに向け、集中していく様がカッコよかったです!わたしたち中村ゼミも、班の一員として子どもたちと息を合わせ、一生懸命に声を出してきました。
そして、ついにひとりのお客さんが猪飼野せんべいを買ってくれる瞬間が!お客さんは子どもたちの耳元に寄り「ウリにできることがあるなら、もっとそれを宣伝したほうがいいよ」とアドバイス。お客さんの言う「ウリにできること」とは、せんべいによる収益の一部が子どもたちの活動資金に役立てられるということ。子どもたちはこのアドバイスをいただいたあと、せんべいを買ってくれたことに精一杯のお礼を言って改めて工夫し直しました。その結果、1袋6枚入りの猪飼野せんべいをバラ売りで1枚80円とするなどのアイデアが子どもたちから生まれました。
制限時間いっぱいまで活動し、Aチームは完売、Bチームは少し売れ残る結果となりました。これはお店を出した場所や賑わう時間帯など様々な要因が重なった結果であり、決して売れた数ばかりが重要ではないと宋さんは話してくれました。
最後にみんなで感想を話しあう時には、オリエンテーションでの「名前数珠つなぎ」をしたことで覚えたお互いの名前を呼びあい一つになって笑いあう様を見て、わたしたちが本当に目指すべき多文化共生を教えてもらったように感じ、とても有意義な時間となりました。
参考:
・『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(編者:「歴史教科書 在日コリアンの歴史」作成委員会)明石書店 2006年
・『ニッポン猪飼野物語』(編者:猪飼野の歴史と文化を考える会)批評社 2011年
・『猪飼野詩集』金時鐘 岩波書店 2013年
・大阪市生野区HP(閲覧日:2019年12月26日)
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朝倉 みなみMinami Asakura
1999年滋賀県生まれ。京都芸術大学 文芸表現学科2018年度入学。書くことと描くことを学んでいる。行ってみたい国はオランダ。
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尾崎 悠大Yudai Ozaki
1999年京都府生まれ。文芸表現学科2017年度入学。考えすぎて学生から愚か者にジョブチェンジを果たした。心根は優しい普通人。普段は絵描いたり好きなことをやっている。教えられるより独学の方が身につくタイプ。
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小山 浩暉Koki Koyama
1998年大阪府生まれ。文芸表現学科2017年度入学。話すのは好き、話しかけるのは苦手。学んだことばの力を使い、話しかけたくなるようなゲームを開発中。