収穫祭レポート 「分からない」という余白を生きる。能登・真脇遺跡に4000年の定住と祈りの跡を辿る【収穫祭 in 能登町】
- 京都芸術大学 広報課
※冒頭写真:海を背景に立つ復元環状木柱列の全景
通信教育課程では全国津々浦々に在学生や卒業生がいることを生かして、2000年度より在学生・卒業生・教員の交流と学びを目的とした「秋の収穫祭」という催しを開いています。その名のとおり、2018年度までは実りの秋に各地より厳選した4会場において実施されてきましたが、2019年度からは秋だけでなく1年を通して8会場で開催しています。 収穫祭では、全国様々な地域の特色ある芸術文化をワークショップや特別講義を通して紹介することや、公立私設を問わず美術館や博物館の社会への取り組みや発信、また開催中の展覧会を鑑賞することなどを行っています。 今回は2025年10月25日に石川県能登町で行われた収穫祭について、担当した写真コース・勝又公仁彦教員からの現地報告をご紹介します。
『「分からない」という余白を生きる。能登・真脇遺跡に4000年の定住と祈りの跡を辿る』
2025年10月25日、私たちは能登半島の先端に近い、石川県能登町の「真脇遺跡縄文館」を訪れました。能登の地は、2024年1月1日に発生した最大級の地震、そしてその後の記録的な水害という、二重の過酷な困難を経験してきました。震災から1年10ヶ月。車窓から見える風景には今なお爪痕が残りますが、今回の収穫祭は、この地の豊かな文化に深く触れるとともに、災害を経てなお立ち上がる能登の現状を直接目にし、私たちが芸術や歴史を通じて何を感じ、どのように寄り添えるのかを問い直す、重みのある機会となりました。

穴水駅から始まる、時空を超える旅
旅の始まりは、のと鉄道の終着駅である穴水駅。そこから貸切バスに揺られること約40分、私たちは内浦の穏やかな海に抱かれた真脇遺跡へと降り立ちました。

到着後、最初に行われたワークショップは、縄文の美意識に直接指先で触れる「アクセサリー作り」です。素材として用意されたのは、赤や黒といった鮮やかな「色付きの粘土」でした。

縄文時代の装飾品といえば、私たちは土や石の自然な色彩を想起しがちですが、実際には彼らは漆の赤やアスファルトの黒を自在に操る、豊かな色彩感覚の持ち主でした。

参加者の皆さんは、色とりどりの粘土を捏ね合わせ、自らの手で形を作り上げていく過程で、数千年前の人々がどのような願いを込めて自らを飾ったのか、その造形と思考のプロセスを自身の身体感覚として追体験しているようでした。

出来上がった色鮮やかな作品たちは、どこか現代的でありながら、縄文の力強いエネルギーを確かに宿していました。

高田館長が説く、4000年の定住という奇跡
続いて、開館前からこの遺跡の調査に携わってこられた高田秀樹館長によるレクチャーを受けました。

高田館長のお話は、私たちの固定観念を根底から揺さぶるものでした。かつて縄文人は「移動する民」と考えられていましたが、この真脇遺跡は約4000年という驚異的な長期間、人々が同じ場所に住み続けたことを証明した、考古学史上極めて重要な拠点なのです。

約7000年前、地球温暖化によって海面が現在より3.5mも高かった「縄文海進」の時代。この地は入り江が深く入り込み、背後には豊かな森、目の前には恵みの海が広がる、絶好の生活の場でした。


遺跡からは大量のイルカの骨が出土していますが、その8割は人懐っこい性質を持つカマイルカとマイルカ。人々は回遊してくる彼らを湾内に追い込み、共同体で分け合って食べていたそうです。この安定した食料基盤こそが、数千年にも及ぶ「定住」を可能にしたのでした。


「分からない」という知的な喜び
館長のお話の中で最も印象深く、そして参加者の心を捉えて離さなかったのは、質問に対する「そこは、分からないんですよね」という微笑み混じりの言葉でした。日本初確認となった「板敷土壙墓(いたじきどこうぼ)」に眠る遺体が、なぜ足を強く曲げられていたのか。鮮やかな赤い顔料(ベンガラ)を塗られた装身具や漆喰を塗り込めたような不思議な土器は何のために作られたのか。科学的な調査によって導き出された「事実」を誠実に提示しながらも、その先にある縄文人の精神性については安易に断定せず、解明できない謎を「分からない」ものとして大切に留め置く。その誠実な「余白」こそが、参加者たちの想像力を否定するのではなく、むしろ「もっと知りたい、考えたい」という知的好奇心を強く刺激していました。この「分からない」からこそ生まれる対話の種こそが、歴史や芸術と向き合う醍醐味なのだと感じ入りました。

復元環状木柱列に立ち、大地と呼吸する

講話の後は、館長のガイドで屋外の遺跡公園へ。

なだらかな丘を登った先に現れたのは、真脇遺跡のシンボルである「環状木柱列」です。

巨大な栗の木が円形に並び立つその光景は、圧倒的な存在感で私たちを迎えました。同じ場所で5~6回も建て替えられたというこの柱列は、縄文人にとって極めて神聖な、あるいは社会的・政治的に重要な象徴だったのでしょう。

科学的な根拠に基づき、岩手県産の栗の木を用いて復元された高さ7mの巨柱の間に立つと、スマホで方位を確かめたり、柱の向きを観察したりする参加者たちの熱気と、海から吹き抜ける潮風が混ざり合い、時空を超えた不思議な一体感が生まれました。


震災の記憶と、復興への祈り
そして今回の訪問で避けて通れなかったのが、2024年元日の震災の影響です。高田館長からは、地震の瞬間、展示ケース内の土器が散乱し、その復旧に半年を要したというお話がありました。遺跡周辺の道路は損壊し、水や電気が止まる過酷な生活の中で、館長たちはこの遺跡と出土品を守り続けてこられました。幸いにも、屋外に復元された巨柱たちは支えがあったために倒壊を免れたといいます。荒ぶる自然の力と、それを畏れながらも立ち向かう人間の営み。それは4000年前の縄文人も、そして現代の能登の人々も同じなのかもしれません。


結びに代えて
今回の収穫祭を通じて感じたのは、発掘された事実と「謎」が絶妙に同居するこの遺跡が、現代を生きる私たちに「不確かなものと共に生きる」ことの豊かさを教えてくれている、ということです。大きな災禍を経験した能登の地で、4000年前から続く定住の記憶を、未来へと繋ぐ方々の情熱。それに触れることで、私たちは歴史の連続性の中に新たな希望を見出したように思います。土器類や装身具、銛先などの繊細な出土品を一生懸命探すような細やかな観察眼から、悠久の時の流れを俯瞰する視点まで。この日、能登の地で交わされた数々の対話は、参加者一人ひとりの心の中に、消えることのない思索の灯をともしてくれたことでしょう。

参加学生レポート
縄文を談義する
収穫祭の会場となった真脇遺跡縄文館は、縄文人が約4000年にわたって定住した場所にある。そのため、年代ごとの多彩な土器や装身具、縄など生活を想像できる様々なものが出土し、館内には実物が多数展示されていた。
開館前から調査に携わる高田館長から出土品や震災についてお聞きして、私たちは遺跡に向かって外へと歩き出した。後ろに手を組みながら歩いていく館長を、ずらずらずらと追いかけていく。
「そこは、分からないんですよね。えぇ」歩きながらの質問へ、館長はたびたびそう返された。この言葉が多くの参加者をワクワクさせて、縄文の魅力に気づかせたように思う。やがてなだらかな丘を登りきり、私たちの背丈をはるかに上回る木柱が円環状に並んだ復元環状木柱列を前にして、その意味を探すのに夢中になった。
丘から遺跡全体を眺めて海へと目をやり、縄文時代のイルカ漁を思う。柱の木目を観察して、柱の向きや意味を考える。スマホで方位を調べ、遺跡との関連性を想像する。そして、みんなで館長へ質問しながら談義する。楽しい。縄文って楽しい。発掘された事実と「分からなさ」が絶妙に同居するこの真脇遺跡には、現代を生きるヒントがあるように感じた。
この遺跡を維持してくださった皆様への感謝を胸に、このレポートを締めくくりたい。
(亀井 泰世 芸術学科アートライティングコース 2023年度生)
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