
2024年11月30日(土)に今年度最後の収穫祭が、神奈川県小田原市の「江之浦測候所」で開催されました。収穫祭としては異例のことですが、毎回定員を超える多数の応募があるため、三年連続の同施設での開催となりました。さらに今年度からなるべく多くの方に参加してもらえるように午前と午後の2交代制になりました。
施設を案内していただくのは、昨年までと同じく榊田倫之先生です。榊田先生は当施設を設計された新素材研究所の共同代表であり、また本校の客員教授でもあります。その他にも空間演出デザインコースの上田篤副学長、芸術教養学科の宮信明先生、事務局の高木さんと、ランドスケープデザインコースの稲田がサポートしました。
「江之浦測候所」は、皆さんご存知のとおり現代美術作家の杉本博司さんの私設美術館でもあります。榊田先生のお話は、その杉本さんとの出会いから始まりました。親子ほども年齢の違う美術作家と建築家のパートナーシップと、その後の紆余曲折を経て「江之浦測候所」が生まれたプロセスを、実際の空間を廻りながらお話しいただきました。またこの施設は今も日々更新されていて、昨年は見られなかった多くの要素が追加されていました。榊田先生からは現在進行形のプロジェクトについての解説もありました。
「江之浦測候所」の詳細な解説はさまざまなところでされていますので、ここでは今回私がとくに惹かれた視点から振り返ってみたいと思います。それは 「古いものに新たな価値を見出す」作法です。社名を「新素材研究所」としながら、実際には古い素材を発掘して新たな使い方を見出す、榊田先生と杉本さんの思いに通じるものではないかと感じました。

榊田先生の後ろに見える「明月門」は、元は鎌倉の明月院の正門として室町時代に建てられたものでした。それが関東大震災や東京大空襲などさまざまな災禍を潜り抜け、最後は根津美術館の改修に伴う消防法の規制で行き場を失っていたものを、この地に移設したそうです。行き先が見つからない間は解体し部材としてまで保管していた当時の目利きたちのおかげで、今はこの施設の正門として建っています。

「円形石舞台」の中央の丸い石は、かつて大名屋敷の庭で灯籠の台座として使用された「伽藍石(寺社など建造物の礎石)」で、またその周囲を囲む短冊状の石は、昭和50年代に廃止になった京都市電の敷石だったものです。そして皆さんの背後に据えられた巨石群は、箱根火山に由来しこの地域に産する安山岩(根府川石)で、江戸城築城の際に石垣用に切り出された後にそのまま残されたものが、近年になって道路工事の邪魔になり破砕撤去されそうになったところを、榊田先生たちが駆けつけ救い出したものだそうです。石の割面には岩盤から切り出す際に削られた楔のための「矢跡」がはっきりと残りますが、榊田先生は江戸初期当時の矢跡と現代のものとの違いを嬉しそうに説明してくれました。

こちらの「石舞台」も、敷地を造成する際に出土した地域産の安山岩(根府川石や小松石)により組まれたもので、四隅の巨石は「円形石舞台」と同様に江戸城築城のために切り出された当時の石を据えているそうです。ちなみに橋懸りの巨石は福島県産花崗岩(滝根石)、左に見える建築内外の壁面に貼られた石は栃木県産凝灰岩(大谷石)で、この施設の骨格の多くは石材によってつくられていました。

「江之浦測候所」がある小田原市の旧片浦町は、箱根火山に由来する良質な安山岩を産出する古くからの石の産地でしたが、その他にも日本一のブリの漁獲量を誇った定置網漁に加えて、温州みかんなど柑橘類の栽培も盛んな地域でした。相模湾に面した比較的温暖なこの地は温州みかんの北限栽培地でもあり、東京など大消費地に最も近い産地としてたいへん栄えたそうです。その後1970~80年代にかけて柑橘類の輸入自由化に伴い需要も減り、また就農者の高齢化もあってあちこちのみかん畑が放棄されている現状があります。写真でも一見緑が濃い場所は放棄農地ですが、「江之浦測候所」の運営に合わせてそれら周辺の遊休農地の耕作も進め、みかんの段畑が広がる風景を守る取り組みもされているそうです。
当日は冬の快晴で施設の方も驚くほど視界がよく、写真奥の真鶴半島や、さらにその先の伊豆大島までとてもよく見えました。


「江之浦測候所」が広がる敷地の多くは「農地」のため、新たに建築物を作ることはできません。その中にあるこうしたギャラリーは、元からあったみかんや農具を保管した倉庫を再利用したものです。この地に限らず古くから利用されてきた「みかん倉庫」は単なる小屋ではなく、屋根や壁、床下から自然の風や光を取り入れる「パッシブソーラー」によって、冬から春の約半年ほど電気がない状態でもみかんを保管できる機能をもっています。そのおかげで、最適な(市場価格が最も高い)時期に出荷することができたそうです。ですが冷蔵技術が発達した今ではあまり利用されず、みかん畑の中で朽ちていく姿もよく見かけます。そんなみかん倉庫を利用したギャラリーに展示されているのは5億年前の化石群。杉本さんによると「化石は生物の時間を止めたものとして写真に通じる」そうです。
ちなみに敷地内にある「雨聴天(うちょうてん)」という名の茶室の屋根も、廃みかん小屋のトタン板を再利用して拭かれていました。これは「トタン屋根を叩く雨音を聴く」といった趣向のようです。


奈良の春日大社から勧進された「春日社」を山上に望む地には、その春日大社で400年育った後に近年の台風で倒れた御神木が鎮座していました。ありがたいものではありますが、その運搬や据付にかかる費用は当然ながら全て「江之浦測候所」を運営する小田原文化財団が負担したそうです。倒木のウロには新たな杉の芽生えが多数見られるので、いずれは御神木を栄養にしてここに子世代の杉林が育っていくかもしれません。

この施設では自然石はもちろん、石灯籠や五輪塔など多くの石造美術品を収集・展示していますが、その中で最も多く並んでいるのがこの「春日燈籠」でした。その名の通り奈良の春日大社に見られる型で、火袋(中央の灯りを灯す部分)には春日大社の神の使いでもある「鹿」が彫られています。一方この春日燈籠は昭和の時代の住宅庭園で大流行して、かつては奈良に限らず全国のお庭に据えられていました。その住宅の持ち主が代替わりする中で、元の庭が維持されずに廃棄されることも多い石材の一つです。私自身も住宅のお庭をリノベーションするとき既存庭にこの燈籠があると、使い途に困るものとして考えていました。それらは徐々に石材店の資材置き場に集まっていくのですが、榊田先生と杉本さんはその中から型の良いものを選りすぐってこの地に据えているそうです。これらはもちろん「春日社」へ向かう参道の添景として並んでいるものですが、デザインの流行と衰退の中で消費されてきた古い素材に新たな居場所を見つけてあげているような暖かさを感じました。

みかん畑の中、皆さんの視線の先に見える単管パイプが組んである場所は、建築家の白井晟一が晩年に設計した住宅「桂花の舎(けいかのいえ)」を移築する予定の場所です。「桂花の舎」は神奈川県大和市にある住宅ですが、なるべくオリジナルのデザインを残しつつこの地の環境や眺望に合わせた宿泊施設にコンバージョンするために、現在詳細設計をしているところだそうです。また一年後に伺うときには実際の空間を目の前にしながらそんな苦労話しが聞けるかもしれません。この「桂花の舎」の他にも敷地内には現在建設中の新しい美術館もあり、「江之浦測候所」がこれからも変化し続けていくことを実感できました。
アートやデザインに限らず「ものづくり」の現場では新しい技術や素材にひかれ、それらをいち早く取り入れることを良しとする風潮がありますが、榊田先生の仕事やお話しにはそんな態度への批評も感じられました。いま「江之浦測候所」で見られるさまざまな施設や要素もいずれは別の場所に移されていくかもしれませんが、それをも受け入れ準備していくようなものづくりを見せていただき、今年も充実した収穫祭となりました。
参加者からもたいへん好評な「江之浦測候所」の見学は、2025年度の収穫祭でも開催したいと思います。今回当選しなかった方も次回の案内をお待ちください。


午前のメンバーと、午後のメンバーと。朝早くから陽が傾く夕方まで、広い敷地の端から端まで案内していただいた榊田先生、ありがとうございました。
(文=ランドスケープデザインコース 教員 稲田多喜夫)
「アートの起源に立ち戻り、杉本博司の記憶をたどる旅—江之浦測候所」
海に向かってせり出したギャラリー。みかん畑の下に広がる太平洋。竹林の先には灯篭が並び神社が現れる。広大な敷地に、懐かしさを覚える日本的な風景と「古代から現代までを概観する」建造物が同居している。小田原から日本文化の精髄を世界に発信するとともに、アートの起源に立ち戻り、天空を測候する場所として設計された建造物群が「江之浦測候所」だ。榊田倫之先生は、杉本博司氏とともに建築設計事務所「新素材研究所」を設立し、この地が「荒れ野だった」頃から設計に携わってきた。地産の根深川石・小松石や、解体修理をへて再建された明月門(室町時代)など、素材の「来し方」に関する話題は尽きず、冬至の日の体験談—海へ向かう《冬至光遥拝隧道》の内部が朝日で真っ赤に染まる—に魅了された。
縁あって杉本氏の元に集まった品々が各所に配され景色が生まれる。隧道の枠で切り取られた海景、化石を収める小屋の扁額「古美術 杉本」、舞台や茶室に用いられた光学ガラス、春日大社の分社である「甘橘山 春日社」……それらとの出会いは杉本氏の記憶をたどる旅のようでもあった。
本企画に感謝するとともに、みなさんも一度訪問し、体験することをお勧めする。
(綾仁千鶴子 芸術学科アートライティングコース 2019年度生)
「時間と空間を壮大なスケールで表現」
杉本作品と出合った最初は、2020年当時、京都市京セラ美術館の庭に設置されていた《硝子の茶室 聞鳥庵(もんどりあん)》だった。なぜ茶室を、なぜガラスで? 頭の中に浮かんだそんな疑問を何年も放置していた。今回、千利休作の茶室《待庵》を”本歌取り”して作られた茶室《雨聴天(うちょうてん)》を前に解説を聞き、杉本氏の著書にも触れるうちに、氏が本作をきっかけとして有楽斎、織部、遠州と歴代の茶人の美学をたどったこと、それらを自身の解釈によって昇華させた結果が光溢れる茶室であること、またこうした空間、時間を意識した作品が氏の特徴であることが今更であるが理解できた。江之浦測候所には、1万坪の敷地に「価値のなくなった」考古遺物と古材が再びの意味を与えられ、散りばめられている。杉本氏の興味と思想を途方もないスケールで表現した美術館といえる。見学の終盤、建築家の白井晟一氏が設計した個人住宅《桂花の舎(けいかのいえ)》がこの地に移築され、ゲストハウスとして生まれ変わる計画を聞いた。今回見学した《冬至光遥拝隧道》のなかには採光のための「光井戸」が設置されていたが、桂花の舎の屋内にもトップライトから自然光を採り込む「光庭」が存在することなどに共通の美意識を感じる。この家の”本歌取り”を杉本氏がどう表現するのか、興味深い。
(武藤理佳 芸術学科アートライティングコース 2023年度生)
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