街道の木々が色づき、秋も深まってきた2024年10月13日(日)、京都東山にある粟田神社の粟田祭で「夜渡り神事」が行われました。本学の学生が制作した10基の大燈呂も、地域の方々に見守られながら三条通を巡行。多くの方が足を止め、色鮮やかな大燈呂に見入っていました。
今回の記事では、巡行した10基のうち『須勢理毘売命』と『青不動明王』の2基を制作した本年度の「粟田大燈呂プロジェクト」のメンバーにインタビューしました。26名の制作メンバーを代表して、MS(マネジメント・スチューデント)の中野萌々子さん(美術工芸学科・3年)、須勢理毘売命(スセリヒメノミコト)の制作を担当した松口ゆずさん(こども芸術学科・2年)、青不動明王の制作を担当した枇杷木強真さん(環境デザイン学科・3年)、そしてプロジェクトを率いる森岡厚次先生に粟田大燈呂プロジェクトならではの特徴や制作プロセスなどについてお聞きしました!
大燈呂プロジェクトの魔力
粟田祭は毎年10月に粟田神社で行われる祭礼行事で、体育の日前々日の「出御祭(おいでまつり)」体育の日前日の「夜渡り神事」、体育の日の「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭(かんこうさい)」、15日の「例大祭(れいたいさい)」からなります。
「ねぶた」の原型ともいわれる長い歴史を持ちながらも、大燈呂の巡行は江戸時代から途絶えていました。しかし、平成20年の夜渡り神事にて復興し、本学の学生たちがその制作・巡行を担うようになって今年で17年目を迎えました。
プロジェクトのキックオフは4月で、半年間をかけて現地フィールドワークやデザインプレゼン、ねぶた制作を行います。学科やコースの垣根を越えて1年生がチームを結成し瓜生山ねぶたを制作する本学の名物授業「マンデイプロジェクト」と同時期に行われるプロジェクトですが、メンバーの約半数は1年生です。「せっかく京都の大学に進学したので、京都のことを知りたい」「作品を学内だけでなく、地域の人に見てもらいたい」といった理由から「マンデイプロジェクト」を選ばずに本プロジェクトを志望する学生が多いのだとか。
お話を伺った3人は以前にも大燈呂プロジェクトに参加し、今年も参加したいと希望した面々です。大変なプロジェクトだとわかっていながらも再度参加する上級生が多いのも、大燈呂プロジェクトの特徴。その理由を、3人は口を揃えて「大燈呂プロジェクトの魔力」だと言います。実はこの魔力は、在学中だけでなく卒業後も続いていきます(詳しくは記事の後半で!)。
プロジェクト始動
4月にはチームメンバーとの共同制作に向けて、学内で協働思考をトレーニングするワークショップを行い、メンバーと打ち解けてきたところで粟田地域のフィールドワークに出掛けました。粟田祭実行委員会の方にご案内いただき、粟田地域にある尊勝院や青蓮院などの神社仏閣に足を運び、お話を伺いました。青蓮院は天台宗の寺院で、日本三不動の1つ「青不動」のあるお寺として知られます。
フィールドワークから戻ると、さっそくねぶたのデザイン案を一人ひとつ考え、メンバー同士で考えを固めていきます。速佐須良比売神(ハヤサスラヒメ)、櫛名田比売(クシナダヒメ)、須勢理毘売命(スセリビメ)、青不動明王の4案を粟田実行委員会の方々にプレゼンし、須勢理毘売命、青不動明王の2案が選ばれました。クライアントからモチーフを提案される年度もありますが、今年度は制作したいモチーフをフィールドワークで見つけ、デザインを考えました。
ワンチームで制作に挑む
デザイン案が決まると、夏期集中授業中の本制作に向けてミニチュアや10分の1サイズの模型を作ります。こちらの模型をもとに、木組みをし、2種類の針金を使ってねぶたのアウトラインを作っていきます。針金の内側に電球を設置し、和紙を貼り、着彩。手順だけを聞くと単純そうですが、制作するのは高さ4メートルにもなる灯籠です。2基それぞれの制作リーダーを務めた松口さんと枇杷木さんは制作について「難しいことも多かった」と語ります。
松口さん「和紙の着彩の前に『蝋入れ(ろういれ)』という作業があって、これが大変でした。蝋を湯煎して溶かして、着彩する前の白い和紙に筆で乗せていくんです。蝋で和紙に紋様を描いておくことで、紙の繊維に蝋が染み込んで光が綺麗に通ったり、絵の具を弾くのでその部分だけ色を抜いたりすることができます。でも、和紙の裏に浸透するまで塗れずに着色したときにうまく紋様が浮かばなかったり、蝋がすぐに乾いてカスカスになったりと、作業の難易度が高かったです。わたしは何度も繰り返すうちに上達して、それをみんなが褒めてくれてうれしかったです」
枇杷木さん「ぼくはチームビルディングに苦労しました。今年は過密なスケジュールで制作を行なっていて、みんな余裕もなく、『2週間で制作しなきゃいけないなんて、無理じゃない?』と嘆いていました。でも、そんな短い期間でも完成できたのはチーム一人ひとりが自分ごとにできたからだと思っています。大人数の制作だと自分ひとり抜けてもいいんじゃないかと甘えてしまう学生もいると思うんですけど、そういう学生もプロジェクトのメンバーががんばっているのを見て『自分もやらなくちゃ』と奮起してくれて、ワンチームで作ることができました」
ねぶたへのこだわり
そして、完成したのがこちらの2基のねぶたです。それぞれのねぶたのこだわったポイントについて、松口さんと枇杷木さんは次のように話します。
松口さん「須勢理毘売命は琴の弦をピンと張るために針金を14本使って、1本1本和紙で巻いて貼り付けました。あとは首の部分が、完成間近のときに『ちょっと太すぎる』と問題になって、慌てて変更しました。正面から見たら違和感がなかったんですが、斜めの角度から見ると太すぎて、どうしよう……と。頭を外すことは難しかったので、着彩で髪の毛の影をつけたりして、どの角度から見ても違和感がないように仕上げました。それと、実は蛇の首が動くギミックもあります。子どもたちが見てお祭りを楽しんでくれるように工夫しました」
枇杷木さん「青不動明王は顔と迦楼羅(背後の赤い炎)にこだわりました。青不動が持っている三鈷剣は、フィールドワークで実際に青不動が持っているのを見て、デザインに取り入れました。今回は針金の組み方で魅せるというよりは、和紙に描く線で表現する部分が多かったんですが、青不動の表情については、針金を使って立体的に表現しました。あとは、迦楼羅などの部分は紙の質感をくしゃくしゃした感じに変えて、青不動を際立たせました」
細かいギミックにもこだわった2基ですが、巡行前日の搬入日には「大回転のギミックが完成していない」というアクシデントもあったそう。土台につけられたねぶた部分が回転するギミックは、沿道の人も盛り上がる毎年大人気の仕掛けですが……。
枇杷木さんは「例年、粟田祭実行委員会の方が大回転の機構を作ってくださっていたので、今回も同様だと思っていたら当日に『学生が作るんじゃないの』と言われて、慌てました。実行委員会の方からは『いまから大回転の機構を作るとなると安全上の問題もあるし、諦めませんか』と言われて、でもぼくは青不動明王を制作したチームの学生たちのことを思ったら、諦めることはできなくて。結局、先生方に間に入っていただいて、急遽機構を設置することができました」とそのときの様子を語ります。
同じ現場にいた松口さんは「わたし、実行委員会の方が『もう諦めてくれへんか』って言うのを聞いていたんです。枇杷木くんが第一声で『やらしてください』って食い下がっていて、本当にすごいと思いました。『やる、絶対にやるんや』って気持ちがあることが伝わってきて尊敬しました」と、枇杷木さんの熱意を感じたと話します。こうした学生の熱意が地域の方々にも伝わり、巡行当日の熱気を生んだのかもしれません。
大燈呂で広がる輪
巡行当日は晴天。巡行が開始される18時には粟田神社の参道入り口や大通りの沿道に大勢の人が集まっていました。ずらりと並んだねぶたは、これまでに大燈呂プロジェクトで制作した8基と今年度制作した2基の合計10基です。こうして見ると壮観ですね。
粟田祭は年に一度の行事として地域に根付いたお祭りで、雰囲気は厳かというよりは、地域の方々が一丸となって作り上げる和気藹々としたものです。
夜渡り神事では、大燈呂の行列は粟田神社を出発し、瓜生石の周りを三度巡拝する「れいけん祭」を経て、粟田神社周辺の道を巡り、約4時間かけて粟田神社に帰着します。大通りはもちろん、住宅街や商店街の細い道も通るため、沿道の木や電線にねぶたが引っかからないように気を使います。
住宅街を通るときには地域住民の方々に非常に近い距離でねぶたを見てもらうことができます。窓から顔をのぞかせる人や、玄関で行列を待っている人も。この大燈呂の巡行が、毎年の行事として地域に根付いていることがわかります。
こちらの「青不動明王」は細い道を抜け、大通りへ。交差点で大回転を披露すると、沿道の人々は大盛り上がり! 歓声を上げ、みなさん熱心にカメラを向けていました。
巡行の様子を振り返って、松口さんは「大きい輪が広がるのを感じた」と話します。
「キックオフミーティングのときは1人1人だったのが、制作を一緒に行ううちに繋がっていって、最終的にはみんなで大きな1つの塊というか『ワンチーム』になったと感じていました。そして、本番でさらに地域の方々とも繋がって、大きな輪が広がるようなイメージで、それがすごくうれしかったです。やっぱり、1人じゃできないことがみんなと一緒だからできたと思って、それがすごく大事だと感じました」
巡行当日には、現地に歴代のプロジェクトメンバーが大勢駆けつけていました。1年生から3年生まで何度もプロジェクトに携わる学生も多い、いわば「リピート率の高い」プロジェクトだからこそでしょうか。縦のつながりも強く、「制作中も先輩が駆けつけてくれた」と中野さんは話します。
「わたしは大燈呂プロジェクト3年目で、昨年は『先輩たちがつないできたものを、どう先につなげられるか』を考えて活動していました。そして今日、プロジェクトの最終授業があって、後輩たちに『しっかり伝わっている』と実感できました。1年生のときはものづくりが楽しくて参加して、2年目は伝統を守りたいと思って制作リーダーをやって、今年は次世代に繋げていくことを考えていて。だから、後輩たちの姿を見て感動しました。粟田祭の当日には去年まで一緒にやってきた同期や先輩方も集まってくれて、そこで新しい交流も生まれました。大燈呂プロジェクトは、世代を超えた繋がりが特徴的なプロジェクトで、そこにみんな惹かれていくのかなと感じました」
そうした学生たちの繋がりが地域にも根付き、粟田祭における大燈呂という伝統を引き継いで、学生と地域のチカラでその輝きが継承される。その輝きこそが、世代を超えて学生が繋がり、苦労しても最後にはみんな「また大燈呂プロジェクトをやりたい」と言う大燈呂プロジェクトの魔力なのかもしれません。学生と地域が協働して継承する大燈呂の輝きを、ぜひ来年も見にきてくださいね。
(文=上村 裕香、写真=吉見 崚)
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上村 裕香Yuuka Kamimura
2000年佐賀県生まれ。京都芸術大学 文芸表現学科卒業。2024年 京都芸術大学大学院入学。