REPORT2023.03.06

文芸

今を生きる妖怪たち ―大将軍商店街から見る妖怪の可能性― 文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信

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  • 京都芸術大学 広報課

京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会Ⅴ」は、学生が視て経験した活動や作品をWebマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。

本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。

(取材·文:文芸表現学科 2年 石田花梨)

 

みなさんは妖怪の存在を信じていますか。

科学の進歩などによって妖怪は現在、実在しない生き物として扱われています。かつて恐れられていた妖怪も江戸時代以降、徐々に絵巻などの娯楽的要素が強くなっていきました。妖怪は絵巻や造形物などの芸術として、今も社会の中で生きているのです。この記事では、京都にある大将商軍店街を通し、芸術の中で「今を生きる妖怪たち」に焦点をあてていきます。
なお、本取材では妖怪文化研究家の河野準也さんに調査協力をしていただきました。

 

大将軍商店街で発見「今を生きる妖怪たち」

京都市の北に位置し、西大路から中立通りまでのおよそ400メートルの大将軍商店街。北野天満宮から歩いて5分ほどの位置にあります。商店街の中を歩いていると、さっそく「豆腐小僧」を発見。豆腐小僧はその名の通り、豆腐を持った小僧の妖怪です。豆腐をうっかり食べてしまうと体にカビが生えてしまうというので要注意。

豆腐小僧の飛び出し注意看板。
うさぎのような妖怪。


その他にも、様々な妖怪の造形物がお店の前に並んでいました。大将軍商店街では、なぜこんなにも多くの妖怪が存在しているのでしょうか。実はここは、夜に妖怪たちが行列をなすという「百鬼夜行」の通り道だったのです。2005年から商店街活性化のために妖怪に焦点を当て始め、「一条妖怪ストリート」とも呼ばれるようになりました。

 

百鬼夜行とは?

みなさんは「百鬼夜行」についてどれだけ知っていますか。初めて聞くという方もいらっしゃるのではないでしょうか。『今昔物語』などでは、百鬼夜行は夜、鬼たちが歩くことであるとされています。しかし、室町時代から明治時代まで数多く制作された『百鬼夜行絵巻』では少し考えが違います。

百鬼夜行絵巻※1


絵巻に描かれている妖怪は鬼というよりは琵琶や器物の妖怪が多く、これらは付喪神と呼ばれています。付喪神とは、作られてから99年以上経った道具たちが妖怪化したもので、人や動物にも魂があるように道具にも魂があるだろうというアニミズム的な思想から誕生した妖怪です。なぜ、絵巻を描いた絵師たちは鬼ではなく付喪神を描いたのでしょう。諸説あるのですが、『百鬼夜行絵巻』が参考にしたといわれているのが『付喪神記』です。

『付喪神記』の中で、百年近く経った古道具たちは、陰陽が反転して物が形を改める時である節分の日に造化の神に魂のある存在になれるように祈り、妖怪化することに成功した古道具たちは、付喪神となります。古道具たちは造化の神に感謝し、「変化大明神」と号し、山奥に社を建てます。そして4月初めの5日の真夜中、一条通りを東に向かって祭礼行列を行いました。※2

『百鬼夜行絵巻』は、この祭礼行列を参考にして描いたのでしょう。この二種類の百鬼夜行から、『百鬼夜行譚(上)』で伊藤昌広は百鬼夜行のことを「諸々の人間とは異類異形のものが市中なり山中を夜半に徘徊するもの」と定義づけています。※3
大将軍商店街では、『付喪神記』の話を元に、商店街活性化を行っています。

 

一条妖怪ストリート「妖怪資料館」

大将軍商店街や百鬼夜行についてもっと知りたいという方におすすめなのが、妖怪ストリートの中にある「妖怪ビルヂング」。小さな妖怪資料館で、百鬼夜行絵巻に登場する付喪神の説明や、妖怪の造形物を見ることができます。

「妖怪ビルヂング」入り口。


この空間は薄暗く、室内に入った瞬間ピリッとした空気が漂っているのを感じました。妖怪のリアルさやこちらを見つめる不気味さにぞわぞわしました。みなさんも生でこの空間の怖さを味わってみてください。

百鬼夜行絵巻の屏風。
妖怪の造形物の展示。

 

妖怪たちの行列が見られる「一条百鬼夜行」

2022年10月15日(土)に大将軍商店街(通称「一条妖怪ストリート」)にて、「一条百鬼夜行」が開催されました。普段は閑散とした商店街もこの百鬼夜行の夜だけは多くの人で賑わいます。

平日の昼の商店街。
イベント当日、賑わう商店街。


一条百鬼夜行は2005年に商店街活性化のために、商店街の中にある大将軍八神社の秋祭りで行った「妖怪仮装行列」から始まりました。妖怪に扮して町を歩くという、いたってシンプルなお祭りです。2008年には、嵯峨芸術大学のOBや学生を中心に構成された妖怪芸術団体「百妖箱」がプロデュースに関わることで、さらにクオリティの高い百鬼夜行へと変化していきました。当初の2005年の時点では妖怪を造形化して行列するイベントは全くなかったらしく、妖怪研究家 兼「百妖箱」の代表でもある河野準也さんは「妖怪の仮装イベントっていう点ではうちが一番最初と言えるかなと思います」と語りました。

3年ぶりの開催ということもあって、多くの人が商店街に集まりました。例年は妖怪行列を一般の人からも募集していたそうなのですが、今年は行列する妖怪は「百妖箱」のメンバーのみになりました。会場の規模も3分の2くらい縮小したそうです。そのため、コロナ前と同じくらいの人数が少し小さくなった会場に集結しました。

地元の人だけでなく、海外から来た人もたくさんいて、商店街では様々な国の言葉が飛び交っていました。私は商店街に訪れていた子どもたちから「百鬼夜行」という言葉が出てきたことにまず驚きました。彼らはこのイベントがなければ、「百鬼夜行」という単語は知らなかったのではないでしょうか。「一条百鬼夜行」は子どもたちが妖怪に興味をもつきっかけにもなりそうです。

 

商店街を練り歩く妖怪たち

「一条百鬼夜行」当日、商店街では「モノノケ市」というフリーマーケットが16時半から20時まで開催され、18時から19時の間で妖怪たちが百鬼夜行をします。フリーマーケットでは、妖怪をモチーフにしたイラストやアクセサリーなどの妖怪グッズが販売されており、妖怪ファンならついつい足を止めてしまいます。現在は新型コロナウイルスの影響もあり、疫病退散の意味が込められたアマビエなどの商品が数多く並んでいました。こういった妖怪たちも「今を生きる妖怪」なのです。

写真撮影に応じてくれた烏天狗さん。


百鬼夜行が始まるまで妖怪たちは街で写真撮影などに応じてくれます。上の写真は街で出くわした烏天狗さん。高い身長に厳めしい顔つきと迫力はあるのですが、一緒に写真を撮っていた子どもたちに「マスクは外していいよー」などと声を掛けている場面もあり、見た目に反してとてもフランクで少し笑ってしまいました。

18時になると、大将軍八神社から妖怪たちが百鬼夜行を始めます。鳥居の近くでは、多くの人が行列が始まるのを今か今かと待ち構えています。妖怪たちは、「百妖箱」の代表である河野さんを先頭に太鼓や笛の音と共に登場しました。妖怪たちも「百妖箱」のメンバーで、30名ほどの妖怪が行列をなしていました。河野さんのすぐ後ろに続いていたのは一条妖怪ストリートのオリジナル妖怪である夜行童子。三つの目に獣のような口元が印象的で、どこか可愛らしさもあります。夜行童子の他にも、鬼や河童や山姥や天狗、アマビエなどと知名度の高い妖怪も登場していました。

行列に参加する夜行童子。
行列に参加する青鬼。


こちらの写真の妖怪は、妖怪の総大将ともいわれているぬらりひょん。上等な着物、異様に後頭部が長いお爺さんの姿で描かれることが多いとされています。ぬらりひょんは妖怪の総大将といわれていますがその理由はよくわかっておらず、人が忙しい時に勝手に家に入ってきて座敷でお茶を飲んだりするだけの無害な妖怪です。しかし、家の中の人間は忙しさで中々ぬらりひょんの正体を見極めることができません。「一条百鬼夜行」では、その姿がとてもリアルに再現されていました。堂々とした足取りや仕草までもが、徹底されています。

行列に参加するぬらりひょん。


泣いている子どもは意外と見当たらず、みんな嬉しそうに妖怪をみつめていました。というのも、行列に参加している妖怪たちはリアルでおどろおどろしさもあるのですが、テーマパークの着ぐるみのような愛嬌もあったのです。妖怪たちの仕草について河野さんに伺ったところ、基本的な動きは決めているが、細かい動きは個々で編み出していったそうです。
このように「一条百鬼夜行」では、仕草までもその妖怪らしさが徹底されているので、ぜひ生で妖怪たちの百鬼夜行を体験し、生き生きとした妖怪たちに実際に会ってみてください。

 

今を生きる妖怪たちの活躍

これまで、大将軍商店街を通し、「今を生きる妖怪たち」を見てきました。伝えられてきた妖怪の逸話は数多く、そのどれもが土地に根付いた逸話です。だから妖怪たちは、一条妖怪ストリートのように地域復興の協力者として大きな力を持っています。また、現在はゲームや小説などの題材にされることも多く、妖怪の娯楽面での活躍は江戸時代から続いています。

そして、近年妖怪たちの活躍を顕著にしたのが「アマビエ」という妖怪です。アマビエは、疫病を予言する妖怪です。アマビエが「自分の姿を絵に描いて広めよ」と言ったことから、人々は疫病退散の意味を込めてアマビエの絵が描いたお札を作るようになります。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、多くのイラストレーターがアマビエの絵を描き、疫病退散のシンボルとして社会に貢献してきました。しかし、今と同じようにコレラが流行した明治時代、アマビエの貼り札は「愚鈍をまどわすもの」として官憲の取り締まりの対象でした。今とは扱いが真逆です。これは妖怪が現在は、陰の存在から陽の存在に変化したことを指しています。

そんな陽の存在として今も生き続ける妖怪は、今後も地域や娯楽など様々な面で活躍していくでしょう。妖怪の可能性について河野さんにお聞きしたところ、「妖怪って言うのは外国人観光客についても楽しいコンテンツになるんじゃないかなと思っています。海外の人に妖怪を楽しんでもらうことで日本の魅力を発信するきっかけにもなります。妖怪文化が日本から世界に普及していったら面白いなと思っています」と語りました。

妖怪は日本人にとっても、歴史を知るきっかけになります。これからの妖怪の活躍に期待です。

 

※1 兵庫県立歴史博物館公式ホームページ(百鬼夜行絵巻 | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会)
https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/ebanashi/sakuhin/ka0014/
※2 田中貴子、花田清輝、澁澤龍彦、小松和彦(1999)『百鬼夜行絵巻をよむ』(河出書房新社)34ページから45ページ。
※3 田中貴子(1994)『百鬼夜行の見える都市』(新躍社)44ページ
※4 日本博識研究所(2008)『「日本の妖怪」100 』(リイド文庫)533ページ

参考文献
・田中貴子(1994)『百鬼夜行の見える都市』(新躍社)
田中貴子、花田清輝、澁澤龍彦、小松和彦(1999)『百鬼夜行絵巻をよむ』(河出書房新社)
・日本博識研究所(2008)『「日本の妖怪」100 』(リイド文庫)
・水木しげる(2014)『決定版日本妖怪大全』(講談社文庫)
・朝日新聞(2020、6月4日)「天声人語」
・堤邦彦(2019)『京都怪談巡礼』(淡交社)
・久保智祥(2020)「妖怪文化 世界に誇れる奥深さ」(朝日新聞)
・大将軍商店街振興組合 一条妖怪ストリート | 大将軍商店街振興組合 百鬼夜行の通り道 一条妖怪ストリート 
http://kyoto-taisyogun.com/youkai-event/
・妖怪藝術団体 百妖箱 http://www.kyotohyakki.com/
・兵庫県立歴史博物館 https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/

 

取材協力(インタビュー・写真提供) 

河野準也さん

嵯峨美術大学芸術学部講師。観光デザイン領域担当。妖怪文化研究家、妖怪造形家、妖怪企画プロデューサー。1982年生まれ。京都府出身。同大学大学院観光デザイン修了。幼少期より妖怪が好きで、大学進学後は京都の妖怪伝説の観光利用についての実践的研究を行う。2005年に「妖怪×アート×地域振興」をテーマに活動する「妖怪藝術団体百妖箱」を立ち上げ、一条百鬼夜行やモノノケ市など、様々な妖怪イベントを手がける。(河野準也(2020)『きみのとなりにいる リアル妖怪図鑑』195ページより)

 

石田花梨

2002年生まれ。京都芸術大学文芸表現学科2021年度入学。大学では主に小説を書いている。妖怪について研究するのが好き。

 

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