INTERVIEW2022.08.08

文芸教育

映画『BOLT』に込められた原子力発電所の怖さ ― 文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信

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  • 京都芸術大学 広報課

京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会Ⅴ」は、学生が視て経験した活動や作品をWebマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。

本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。

(取材・文:文芸表現学科 3年 松村昂樹)

 

2022年3月27日(日)、大阪市の十三にあるシアターセブンにて、特集上映&避難者トーク企画「3.11を改めて考える~原発問題を中心に~」が開催された。東日本大震災から今年で11年が経ったが、原発事故や被ばくといった問題は今でも明らかになっていないものが多く、そのまま風化されてしまっているのが現状だ。
3.11関連の作品をもう一度観ることで、改めて東日本大震災について考えようという思いから数作品が特集上映され、その中のひとつ、『BOLT』の上映に訪れた。

大地震の振動によって原子力発電所のボルトがゆるんでしまい、高放射能冷却水が漏れだしてしまった。それを止めるために、命をかけてボルトを締めに行くという物語。上映が始まると同時に緊迫した音楽が劇場中に響き渡り、一気に世界に引き込まれる。終始、この先どうなってしまうのかと緊張感のある作品だった。
今回、『BOLT』の脚本・監督を担当した林海象さんにお話を伺い、制作にあたった経緯や様子について話していただいた。

 

 

ボルトがいっぱい落ちたんですよ、重要なボルトも

「京都市左京区の高野で原発写真展というのがちっちゃくやっていたんですね。そこでいろんな話を聞いたんですけど、あの時原発が物凄く揺れて、内部のボルトが欠損して汚染水が漏れ出したそう。それを止めにいった人がいたんですよ」。

汚染水を止めるのは命がけで、彼らは酸素ボンベを担ぎながら、高濃度の放射線の中ボルトを締めに行ったという。そこには、松の廊下と呼ばれる直線300メートルの通路が存在し、廊下を直角に曲がったところにとても分厚いコンクリートの壁でできた避難場所がある。放射線はまっすぐに突き抜ける性質を持っているため、横に曲がって分厚い壁で囲まれた場所にいることによって、放射線の濃度がかなり軽減されるのだ。
作品の中では、1人あたり10分間、死と隣合わせになりながらボルトを締める主人公たちの姿が描かれている。10分を超えると身体に多大な影響が及ぶ可能性があるが、ボルトを締めなければいけないという強い責任感から10分を超えてもなお締めようとする描写も。直ちに避難しなければいけないけどボルトを締めなければと葛藤する姿が印象的だった。

2014年から林さんは、本校の姉妹校である山形県の東北芸術工科大学の映像学科で教員をされている。山形県には津波や原発などの被害によって避難してきた人がたくさんいて、学生から話を聞いているうちに、林さんの中で津波や原発が近くにやってきたように感じたそう。
しかし、原発事故の話を撮影しようと思うと大きなスケールになってしまい、実行するのがどうしても難しい。林さんは東北芸術工科大学に勤める以前は京都芸術大学(当時:京都造形芸術大学)の映画学科に勤めており、その頃から美術工芸学科の教授のヤノベケンジさんと交流があった。2人はこの撮影を前々から意欲的にやりたいと話していたようで、ある時、ヤノベさんに高松市美術館(香川県)で大きな個展をやる予定ができた。美術館の個展で『BOLT』のセットを作るから撮りませんかとヤノベさんから声を掛けられ、話が進んだという。

 

お客さんが見ている中で撮影できたのは面白かった

『BOLT』の巨大なセットや防護服をヤノベさんが自らの作品として展示し、そこで撮影が行われた。観客がいる中での撮影は世界でも初めてのことだと林さんは語る。
高松市美術館のすべてを撮影場所として使用しており、ヤノベさんの作品展示スペースだけでなく、外にある倉庫やエレベーター、配電所などでも撮影を行ったそう。また、美術館のすぐ近くに製紙の廃工場があり、そこでも撮影を行えたことでよりリアルな演出が作られている。

「お客さんを邪魔だとは全然思わなかったです。撮影をずっと見てくれている人も結構いっぱいいたんですよ。お客さんが退屈しないように、これから撮るのはこういうシーンですよっていうのを説明していました。わかっていないと面白くないからね」。

トンネルの中での撮影は観客から見えなくなってしまう。観客を退屈させないために、撮影しているカメラを観客席のモニターと直結させて、そのまま撮影シーンを見てもらえるようにしたそう。

「映画って楽しく撮らないと。もうこのような経験はないでしょうけど、本当に新鮮で、出来上がった映画を自分で見ても美術館で撮影したというのをまったく忘れるぐらいにわからなくて、映画って面白いなと思いながら観ていました」。

 

京都市にひとりも人がいないって、想像できないでしょ

『BOLT』は3部作で構成されており、エピソード2のLIFEでは福島県の避難地区半径20キロメートル以内で撮影されているシーンもある。3回ほど中に立ち入り、実景を撮影したそう。

「線量計という放射能を測る機械があるんです。山形県を出発する時から線量計を持っていたんですね。国道16号を車で走っていて、撮影しようと思った時にいきなり線量計がレッドゾーンまで反応したんです。ちゃんと調べて良いものを買ったのにそれまでずっと微動だにしなかったから、インチキなのかなって思っていたぐらい。それが急に危険を示すものだからとても怖かったです」。

放射能は目にも見えなければ、においもしない。五感で感じることのできない放射能はどれだけ濃度が高くてもまったくわからないわけで、そのため、長くその場にいると雰囲気に慣れてしまうのだと林さんは語る。

「結構長い時間避難区域の中にいました。すると、帰った次の日に、一緒に撮影していた助監督から電話がかかってきて、身体に異変は無いですかって聞かれました。特に異変は無かったのでどうしたのかと聞くと、鼻血が出たのだと言っていました。よく都市伝説として耳にはするけど、本当に鼻血が出たと言うものだから、やっぱり放射能は人に影響があって怖いものなのだと実際に体験しました」。

福島第一原子力発電所がある福島県双葉郡は津波の被害も酷かった。津波は宮城県や岩手県を中心に甚大な被害を及ぼした。縦7メートル、場所によってはもっと高い津波が段々と侵入していった。京都市の中心部と同程度の面積が全て津波に襲われると考えると、どれだけの被害か想像しやすいだろう。
また、津波という未曽有の大災害に加えて放射能という原発の被害にも襲われ、言葉にできないほど辛い現状を強いられた。

「半径20キロ圏内の住人が全員避難している状態なんて想像つかないでしょ。京都市に人が誰もいない、なんならもっと広い範囲の人が誰もいないんですよ。浪江町に行った時、駅の前にバスが止まったまま放置されていて、他にも急いで逃げた状態のままのものがありました。崩れている家もあれば新築のまま残っているものもあって、とにかく人が住んでいないという状況も怖かったです」。

震災当時は3月。つい2ヶ月前のお正月には親戚や友人と集まりながら家でお祝いをしていただろう。一瞬にして人々から幸せを奪い取り、ただ建っているだけの空っぽの家や跡形もなく崩れてしまった家はあまりにも悲劇的で、人工的な音が一切聞こえない街の怖さを林さんは神妙な面持ちで語った。
林さんは海側にある小学校にも訪れた。少し前まではたくさんの小学生で賑わっていたはずの小学校の無残な光景を見て、とても悲しかったとつづけて話された。

 

ゆっくり、ゆっくり、病気がやってくる

半径20キロ圏内に住む大勢の人たちが逃げなければいけないというのは、どれほどにまで怖いものなのだろうか。林さんは、4キロ圏内までは近づくことができたが、その先には入ることができなかったのだと言う。

「僕らが行ったのは震災直後ではなくて何年か後ですからね。街に放射線の濃度を測るゲージがいっぱいあって、とても異常な光景を見ました。今、帰っていいよと言われているエリアはあるけど、子どもがいる家庭なんかは特にそう簡単に帰られないと思います。なんせ、恐ろしいのは放射能を浴びたら症状がすぐ出るわけではないということです」。

この地域では、代々農家をやってきた人が多い。広大な自然豊かな土地があり、故郷への愛着はもちろん、ご先祖様から代々と引き継いだ様々なものがあるというのに立ち退かなければいけなかったのだ。
そして、現状が改善しているかと言われると、はっきりとはわからないのだと林さんは言う。元通りになるのに100年だと言われているけど、果たして本当にそうなのか。もっとかかるのではないかと林さんは懐疑的な様子を見せた。

「二度と起こってほしくない、二度と」。

作品中では、目に見えない放射能に色が付けられている。映画という映像作品の特長を活かし、色を付けることで怖さが目に見えてわかるのだ。ほかにも原発や放射能そのものの恐ろしさの演出に工夫が凝らされていて、二度と起こってほしくないという林さんの力強い気持ちがひしひしと伝わってくる。

 

俺は若い人に見てほしいんだ、本当に

林さんは京都芸術大学(当時:京都造形芸術大学)にいた時に、北白川派という学生がプロに交じりながら映画を製作するプロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトの3本目の作品である『彌勒 MIROKU』は、林さんが監督として撮影したもの。学生と共に映画を撮ったことは、林さん自身にとっても学生にとっても良いものになったのだと語る。
『BOLT』は、東北芸術工科大学と京都芸術大学の学生が合体してひとつのチームとして撮影されたもので、計35名の学生が携わっている。プロのスタッフは、監督・助監督・カメラマン・録音のたったの4人。

「これは学生の力の映画です。2つの大学が結んだ映画なんです」。

山形と京都の学生が主体となって制作された『BOLT』。現在稼働している原子力発電所は少ないものの、日本各地に多数の原子力発電所は存在する。地震大国と呼ばれる日本に住む限り、原発事故という問題は誰もが考えなければいけない大きな問題で、他人事に考えてはいけない。林さんは、特に若い人たちに見てほしいのだと話す。

「原発問題をテーマにした映画で、映画としてはかなりかっこいい仕上がりになっていると思います。そのかっこよさと共に、福島の原発のことを伝えたいです。日本に住む限り地震というのは他人事ではありません。自分が当事者のような気持ち、そんなものが観客の心の中に起こったらいいなと思います。他人事から自分事に変わったらいいなと」。

今回、「3.11を改めて考える~原発問題を中心に~」が開催されたことで、また多くの人に原発事故の恐ろしさを伝えた『BOLT』。この映画を非常に真っすぐ見ていただいて作ってよかったなと、林さんは嬉しそうに話した。

作品中に、「誰かがやらなければいけない」という台詞がある。『BOLT』には、原発事故を繰り返し起こしてはいけないというメッセージが込められているように私は感じた。そして、これを次の世代へと伝えるのは私たち若者の役目なのだと思う。
『BOLT』は、映画という形に残る媒体として、これからも日本にとって重要なメッセージを残し続けるだろう。

 

 

インタビュイー

林 海象
東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科教授
株式会社映像探偵社代表取締役社長
映画監督、映画プロデューサー、脚本家
1957年京都府生まれ。デビュー作は、『夢みるように眠りたい』(1986年)。そのほかに、代表作として『探偵事務所5シリーズ』(2005年~2009年)、『BOLT』(2020年)などが挙げられる。

 

インタビュアー

松村 昂樹
2001年生まれ。三重県出身。
京都芸術大学文芸表現学科2020年度入学。
ゼミで文芸総合誌『アンデパンダン』を編集している。好きな食べ物はアイスクリーム。

 

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