SPECIAL TOPIC2022.12.23

アート

激変する社会と内に秘めた熱 DOUBLE ANNUAL 2023「反応微熱-これからを生きるちから―」プレビュー展

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  • 京都芸術大学 広報課

学生選抜展「KUA ANNUAL」の成果と「DOUBLE ANNUAL」への展開

2022年12月17日、京都芸術大学で開催された。DOUBLE ANNUAL 2023 「反応微熱-これからを生きるちから―」プレビュー展で、共同ディレクターの金澤韻と服部浩之、総合ディレクターの片岡真実による講評会が行われた。実は、例年行われていた「KUA ANNUAL」は、今年から姉妹校である東北芸術工科大学との協力で大規模な学生選抜展「DOUBLE ANNUAL」に生まれかわり、2023年2月25日(土)~3月5日(日)、東京展として国立新美術館で展覧会が開催される。京都芸術大学を金澤、東北芸術工科大学を服部が担当し、全体のディレクションを片岡が担当するという布陣だ。前日の16日には、東北芸術工科大学のプレビュー展で3人による濃密な講評が行われていた。

左から金澤韻、服部浩之、片岡真実。


京都芸術大学では、2018年から2022年にわたり、5回にわたって学生選抜展「KUA ANNUAL」が開催されてきた。その特徴は、第一線で活躍しているキュレーターがテーマを提示し、全学部生と院生を対象に、それに応答するプランを広く募集して選抜、その後、キュレーターが直接指導しながら一緒に展覧会をつくり上げる実践的な教育プログラムにある。

それが今までにない実践的な経験と教育効果が得られることは、「KUA ANNUAL」出身の多くの作家が国内外の芸術祭や国際展で活躍していることからも証明されている。さらに、プレビュー展と銘打ち、まずは京都芸術大学内のギャルリ・オーブで中間発表として展覧会を開催し、そこで講評が行われ、その際の指導や対話を元にブラッシュアップして東京都美術館で本番を迎えるという、2回の展示経験が得られるのも大きい。

第1回目から第3回目までのキュレーションを担当したのは、片岡真実(森美術館館長、本学客員教授)であり、2018年は「シュレディンガーの猫」、2019年は「宇宙船地球号」、2020年は「フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」と題されて、展覧会が開催されてきた。片岡の方針は卒業制作展のような、作家と空間が等分化されたキュレーションされてない展覧会ではなく、プロフェッショナルなキュレーションとそれに見合う舞台でどのように見せればいいのか、制作と展示を通して体験させることだった。

「宇宙船地球号」展、制作指導の様子。
「フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」展、講評会の様子。


また、片岡は2018年に第21回シドニー・ビエンナーレの芸術監督を務めた際、そのタイトルを「SUPERPOSITION: Equilibrium and Engagement」(スーパーポジション:均衡とエンゲージメント)としている。「シュレディンガーの猫」展と同じく、量子力学の「重なり合い」がモチーフになっており、キュレーターがアートシーンに打ち出す世界認識を体験させる狙いもあっただろう。その際は、「シュレディンガーの猫」展に選出された井上亜美も、シドニー・ビエンナーレに招聘されている。

2020年の4月からは、「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」のキュレーターなどの実績のある服部浩之(インディペンデント・キュレーター、東北芸術工科大学客員教授、東京芸術大学大学院映像研究科准教授)が引き継ぎ、2021年の展覧会を担当することになったが、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが起こる。そこで服部は、そのようなイレギュラーな日常を体験している作家自身の状況報告として、「irregular reports:いびつな報告群と希望の兆し」展を企画した。このように、時代の変化に即時的に応答して提示することも、「KUA ANNUAL」の魅力だろう。さらに、コロナ禍が長引く2022年は、「C|接触と選択」をテーマにプランを募集し、迷宮のように出口がなく不穏な日々を過ごす作家たちのプランから、メジャーよりもマイナーのくすんだトーンを聴き取った。そして、「in Cm | ゴースト、迷宮、そして多元宇宙」展として迷宮的な展示をキュレーションした。

「irregular reports:いびつな報告群と希望の兆し」展
「in Cm | ゴースト、迷宮、そして多元宇宙」展


東北芸術工科大学からも学生選抜を行う展覧会へと発展した今回の「DOUBLE ANNUAL」では、新たに京都芸術大学での制作指導を、金澤韻(現代美術キュレーター、本学客員教授)が担当することになった。金澤は、本学グローバルゼミで特別講義をした経験があり、上海を拠点としながら、前職では十和田市現代美術のチーフキュレーターを務め、毛利悠子やAKI INOMATAといった注目すべき若手のアーティストの個展や藤浩志に加え、北澤潤、Nadegata Instant Partyらを招聘し、「地域アート」を批評的に取り上げた「ウソから出た、まこと」展を開催するなど、これからアートシーンを担う作家の可能性を拡げることに長けているからだ。金澤はプラン段階からミーティングや個別のチュートリアルを通して、何度も選抜された学生と議論を深め、具体的な展示に至るまで丁寧に指導していった。

いっぽう東北芸術工科大学を服部浩之が担当、さらに全体を見る総合ディレクターに片岡真実が就任することで、相互に連携しながら展覧会が組み立てられることになった。長引くコロナ禍やウクライナ侵攻といった世界の分断や対立が進む社会の中で、アートに何ができるか批評的に考えるキーワードとして、金澤は「抗体」、服部は「アジール(避難所)」、片岡は「ミラクル」を提示し、それに応答する学生をそれぞれの大学で募った。抗体やアジールは、社会や周囲の影響や刺激からの態度や対処法であるが、それをアートの実践によって、ミラクルな解決法やヴィジョンが提示されることを期待したものだ。論理的で弁証法的なアウフヘーベン(止揚)ではない奇想天外なヴィジョンこそがアートに求められるからだ。

4月に開催された募集説明会の様子。(撮影:広報課)
募集テーマの発表が行われた。
募集説明会は京都と山形をつなぎ、オンラインと対面のハイブリッド形式で開催。


結果的に形になった展示は、若者特有の感情のほとばしりのようなものではなく、注意深く真摯で丁寧なもので、内に込められた「熱」を感じるものだった。そこから、化学反応において発生する熱である「反応熱」を連想したディレクター陣は、微かだが確かにともる熱が、これからを生きる若者やアートの在り方であると捉え、本展を「反応微熱―これからを生きる力―」と題したのだ。

今回、京都芸術大学で選抜された6名の作家の作品と片岡、金澤、服部の3人による講評会について報告していきたい。まず、最初に担当ディレクターである金澤は国立新美術館に向けてより具体的な改良、ステップアップのための議論をしたいと述べ、片岡も国立新美術館で展示をするという貴重な機会に、自分個人の思いを一方的に伝えるだけではなく、不特定多数の観客の前で見せるプロフェッショナルな方法について学んでもらいたいと語った。
 

煩悩か信仰か?信じることの意味を問う

井本駿(美術工芸学科 総合造形コース3年生)は、自身の制作したフィギュアを80点ほど制作して、高さの異なる細い柱の上に置いて展示した。また、4つの等身大サイズの頭像と、3D化されたフィギュアと展示のシミュレーションによるポリゴン映像が上映されている。井本はもともとアメコミやハリウッド映画、リドリー・スコット監督による『プロメテウス』に登場する「エンジニア」のような、超人的な筋肉やシルエットを好むという。本作では、自身の趣味に耽溺することを煩悩と捉え、人間と動物の造形を組み合わせた108体のフィギュアを制作する計画だ。ここでは、『倶舎論』に説かれた煩悩の体系を参考に、4種の顔と、10種のボディに置き換え、「欲界」をカラー、「色界」を青、「無色界」を透明にカラーリングして表現されている。

井本駿《デザイアトイ》


井本が展示の照明が明るすぎることに対して懸念を示したことに対して、片岡は杉本博司が三十三間堂の千体一体の千手観音像を撮影した「仏の海」シリーズのエピソードを挙げ、並びを揃えて1つの角度からライトを当てるのも手かもしれないと述べた。杉本は、何年も交渉し、朝日による光で三十三間堂を撮影したという。末法思想が流行した当時、平等院鳳凰堂なども西方浄土の世界観が反映されており、西日が後光になるように計算されている。だから東向きに立てられているのだ。さらに、煩悩とフィギュアの関係性を表す図解などもあってよいという指摘がなされた。また井本は、フィギュアのサイズが小さく、インスタレーションとして強度を持てるか懸念していたが、服部は視線より上の彫刻作品を見上げる体験は少なく新鮮であると述べ、片岡は映像を大きく見せて、映像と実物をシームレスに見せるのがよいのではないかと提案した。


服部亜美(美術工芸学科 写真・映像コース4年)は、江戸時代初期のキリシタンへの弾圧をモチーフに、隠れキリシタンや宣教師の信仰への葛藤を描いた遠藤周作の名作『沈黙』を読み衝撃を受ける。そして、「神」や「信仰」について無自覚だった服部は、現存する隠れキリシタンの里へ数度の取材を敢行する。『沈黙』の舞台になった、長崎県の外海地方は、自然環境が厳しく、平地はなく土地は痩せていたため、迫害から逃れたキリシタンが多く住んでいた。一種のアジールである。そこには、神社を隠れ蓑にして信仰を続けるために、神父サン・ジワンを祀ったサン・ジワン枯松神社があり、傍らの石には十字架が刻まれ、約400年もの間、口伝で「オラショ」(祈祷文)が唱え続けられてきたのだ。

服部亜美《信仰と痕跡》


映像インスタレーションとして構成された作品は、手前に巨大な石に刻まれた十字架、左の面にサン・ジワン枯松神社で催されたオラショを読み上げる祭礼、奥には神社を守る帳方(=代表)である村上茂則氏の日常や、信仰などについて対話を重ねる映像が流れている。『沈黙』やそれを原作にしたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙―サイレンス―』に影響を受けた人は多いが、現代を生きる隠れキリシタンの子孫が、どのように神や信仰を考えているかという内面に迫る作品はなかなかない。その意味で、映像ドキュメンタリー作品として十分価値は高いだろう。撮影する過程で服部自身も映像の被写体となり、対話しながら村上氏との個人的な信頼関係を築くことで、今までにない神や信仰に対する告白を引き出していることが興味深い。それはカトリックの「告解」のアナロジーにもなっている。生活を共にする参与観察の一種ともいえるが、映像を見る私たちもその応答の中に引き込まれていく。


ただし、金澤は、ドキュメンタリーとしてだけではなく、現代美術の映像インスタレーション作品として展示することの効果は大きいもので、展示として成り立ったときの訴えるものの強さを信じて欲しいと述べ、現在の構成について議論が行われた。服部は3つの映像を一度に見せて、石に刻まれた十字架などの映像の認識が変わることを意図していると述べたが、服部浩之は現時点では音声が干渉しあっているので調整した方がいいのではないかと指摘した。片岡も、村上氏の映像は重要であるが、テロップが入れられているので大きくする必要はないのではとコメントしている。


たしかに、口伝として伝わっているオラショは、神道の祝詞の言い回しとカトリックの祈祷文が混在しており、音声としては一番価値が高いだろう。オラショの原曲であるグレゴリオ聖歌の特定が音楽史者の皆川達夫らによってなされており、もっとも説得力のある信仰の伝承として伝えるべきであろう。加えて、『沈黙』の作中でフェレイラ神父が指摘する「この国は沼だ」という言葉は、現代アートにおける美術評論家、椹木野衣の「悪い場所」論ともつながり、すべてを独自解釈し融合させる日本の心性を掘り起こすアクチュアルな作品になる可能性を秘めているといえよう。
 

内と外をつなぐ皮膚

中川桃子(美術工芸学科 写真・映像コース4年生)は、もともと都市の壁を撮影していたが、本作では、日野啓三の小説の影響もあり、コロナ禍の中で育て始めた粘菌を観察するなかで、人間の細胞も分裂を繰り返し、一定の周期で生まれ変わる「ターンオーバー」が行われていることに改めて気づかされたという。そこから、都市の表皮である壁と、人間の皮膚の新陳代謝に同じ構造を見出し、壁と皮膚を重ね合わす作品を着想する。そして、成人一人の皮膚の大きさに相当する畳一畳分の布に転写してインスタレーションとして展示した。さらに、それらを結び付けるように、粘菌を模したモールを配置している。

中川桃子《LOVE Patrol》


転写された皮膚は、中川が恋人に撮影されたものや、中川が友人とコミュニケーションしながら撮影したものだ。そこには、近年「幸せホルモン」「愛情ホルモン」などとして注目されている「オキシトシン」が分泌されていると考えられる。オキシトシンは、出産時の子宮収縮、分娩促進などに関わるホルモンとして知られていたが、触れ合ったり、見つめ合うことなどでも分泌され、愛することや人間同士の信頼に関係していると言われている。

都市において皮膚は、建築や建造物の壁にあたり、それを撮影することは触診することだと中川は言う。それは人間の報酬系を促進し、人間自身が都市におけるオキシトシンのような存在になるかもしれない。展示においてモールは、皮膚や都市の壁面を結び付け、新たな生成、ターンオーバーを促すホルモンのようなメディウム、媒介のメタファーとなっているのだ。


片岡は、オーガニックでカオティックなインスタレーションになっているが、もう少しそこにオーダー(秩序)があった方がいいのではないか、例えば、都市空間や建物を連想するように、布を矩形に吊ることで空間を作っても良いのではないかという指摘をした。また、服部も壁と皮膚のイメージが重ね合わせられているが、皮膚だけの印象が目立つので、もう少し壁のイメージがわかるものも入れた方がいいのではないかと具体的なアドバイスを行った。
 

キプロス出身のアリストテルス・ヤンニス Giannis Aristotelous (大学院 グローバル・ゼミ修士1年)は、イギリスのニューカッスル大学で学んだ後、ウィーン応用美術大学を経て、本学大学院グローバル・ゼミに在籍している。本展では、5点の絵画を出品し、東京展では合計8点の絵画で構成されたインスタレーションを予定している。

Giannis Aristotelous《formaldehyde,atoms,atoms,artery,hydrogen peroxide on slits,light,light,absence》※作品タイトルは詩の形式で言葉を繰り返しているものになります。


ヤンニスは、インスタレーションを通して、状況の物質的な関係や人体の不在に興味を持ち、崇高なもの、空虚なもの、通路の概念に近づこうとしているという。そして、目で見ることのできないもの、触れることのできないもの捉えようとしている。インスピレーションを受けた作家として36歳で没したキューバ系アメリカ人のアーティスト、アナ・メンディエタや河原温、ジェームズ・タレルを挙げている。


作品は「ホルマリン」「原子」「原子」「動脈」「切り口にオキシドール」「光」「光」「不在」などと題されている。それらは、永続と無常で分けられ、言葉を繰り返すことで言葉遊びが発生し、言葉が別のものになる可能性があることを示しているという。すべての作品に格子状の模様が描かれ、そのフレームから紫から赤にかけて重なった色が滲み出たり、隠れたりしている。内と外の境界、そしてその揺れ動くさまを表現していることがわかる。ヤンニスによると、バックライトによって、光と他の媒体の物質的な関係を示しているという。その光は、見るものに太陽光を直接見ているようなイメージを与え、ある側面を灰一色にさせる。描かれたモチーフはレントゲンや血をイメージしているとのことだが、谷崎潤一郎に関心を寄せるヤンニスにとって、それは檻であると同時に、障子でもある。光を通す膜のような存在であり、薄い和紙であるとともに、皮膚でもある。光と闇、生と死、自己と他者、意識と無意識が透過し入れ替わる、深い精神の空間に入るよう意図されている。8は無限大を表す∞の意味も込めているという。


新国立美術館では、8つの絵画で回廊をつくるように、囲むということであったが、オーブでの展示の高さが低かったため、5mの天井高のある国立新美術館では、それに合わせた高さを設定しないといけないが、ヤンニスが鑑賞者はレントゲンのようにスキャンするように見るものだと説明しているので、絵画の位置はもっと低くてもいいいのかもしれないと片岡は指摘した。空間において見せ方をどのように変更し、意図する展示を行うことができるかが重要になってくるだろう。
 

個人の自由と社会の規範の軋轢と抵抗

中国出身の趙彤陽 ZHAO TONGYANG(大学院 美術工芸領域 修士1年)は、新型コロナウイルス感染症の流行以降、マスクが自身の健康を守るため、社会的な感染爆発を防ぐための「盾」であると同時に、さまざまな原因でマスクをしていない人を攻撃し、社会を分断するための「矛」になっていることを表現した。そのために、マスクをスリングショット、いわゆる「パチンコ」にして、作家自身にパチンコ玉が投げつけられるパフォーマンス映像を制作した。

趙彤陽《ACCOMPLICE》


それはマスクが防御ではなく、武器に転化することを、直接的に表現したものだが、実際に公共機関などのマスクの非着用をめぐって、さまざまな暴行事件が起きている。その意味ではメタファーではあるものの、あながち荒唐無稽とは言えない。映像では、最低限の衣服を着用し、無防備となった趙が、「マスクのナショナリズム・マスクのポピュリズム、社会主義的マスク・全体主義的マスク・無政府主義的マスク、人間主義のマスク・自然主義のマスク、左のマスク・左のマスク…。」と次々に読み上げる。それらの主張を暴力で遮るように、マスクによってパチンコ玉が撃ち込まれていく。映像の前には、レーザーポインターが当てられ、「マスクのパチンコ」が撮影されたライトボックスが展示されている。つまり、私たちも加害者になりうるというわけである。

趙彤陽《ACCOMPLICE》


その他に、マスクの攻撃で血だらけとなった趙のポートレート、パチンコ玉を投げつけた人々、「マスクのパチンコ」によって割られたガラスの写真、射程距離の実験映像、世界中の街並みの映像に、「マスクのパチンコ」を重ねた映像、矛盾の由来となった逸話などが所狭しと展示されている。


片岡は、非常に強い印象を与える要素が多い一方で、作品数が多すぎることで全体が説明的になっているので、例えば3つくらいに展示作品を絞って、展示した方が伝わるとアドバイスした。また、音声についても必要であるものとないものがあることを服部も指摘している。また、モノクロにしているのでそれほど目立つわけではないが、体が傷つき、血が流れている映像を見たくない人もいるので、それに関しては展示の前に注釈を入れた方がいいというレギュレーションのアドバイスもなされた。
 

同じく中国出身のrajiogoogoo(大学院 美術工芸領域 修士2年)は、日本独特の文化といってもいい選挙の様式を用いて、「泣き子党」という架空の政党を立ち上げて展示した。泣くことは笑うことと同じ感情表現であり、選挙ではなく、「泣くな」と言う人、社会の勢力に対して勝つことを目標とする。「泣き子」は、泣きたいときに「泣くな」と言われた人すべてを指すという。そこには泣くことを自制する自分自身も含まれる。そのために、「泣き子党世論調査」として「泣き子」に該当する対象者や、最後に泣いた日やその理由についてアンケート調査を行った。それらを元に、ポスターや新聞、広報用のポケットティッシュ、選挙カー、選挙映像などによるインスタレーションを行った。

rajiogoogoo《泣き子党》


rajiogoogooがこの作品を制作した理由は大きく2つある。1つは、中国から来日した際、最初に訪れたのが東京であり、ちょうど東京都知事選挙の期間中で、実際の選挙活動を初めて見る機会を得たことだ。中国には選挙がないため、その独特な様式に驚いたという。また、地方選挙になれば、いわゆる「泡沫候補」と呼ばれるような荒唐無稽な選挙公約を掲げた候補者がたくさん出てくる。そのようなある種の敷居の低さ、自由さを見て自分でも出られるのではないかと考えたという。

もう1つは、幼少期から「泣くな」と言われることが多く、社会的な場所で泣くという感情を吐露することを禁止されることへの違和感があったという。特に日本の場合、「男なら人前で泣くな」というジェンダーを伴う場合が多かったが、世界中でジェンダーに関わらず言われることがあるという。


様式さえ揃えば、なんとなく政党に見えてしまうのが不思議だが、そのためには徹底する必要がある。片岡は、政見放送とか応援演説とか、選挙に不可欠な要素を入れるべきじゃないかとの指摘した。また、服部からも壁面の展示が、美術の様式になっているので、新聞を配布するなどもう少し選挙に即した展示にする必要があるのではないかとの指摘があった。国立新美術館では配布してはいけないとのことだが、rajiogoogooももう少し選挙の様式に合わせて、効果的に伝える方法を検討するということだった。プランから制作が仕上がるまで見ていた金澤は、収集されたファイリングされた「泣き子党世論調査」は、もらい泣きするような内容もあり、東京展では展示してもいいのではないかと述べた。撮影に使用したミニバンをFRPで型をつくっており、その着色が必要かどうかという課題も挙げられたが、おおむね必ずしも必要ないという意見だった。


全体を通して、単なる進捗報告ではなく、プレビュー展として具体的に展覧会にまで持ち込むことで、より展示や作品の課題が明確に浮かび上がることが改めて証明される形となった。今回、「反応微熱」と題されたように、爆発的な表現や奇想天外な作品はなく、現実を受け止め、社会と個人に真摯に向き合う作品が目立った。それは、パンデミックという非常事態が常態化し、さらにロシアのウクライナ侵攻によって、戦争の危機や物価の高騰などより状況が悪化していることと無関係ではないだろう。コロナ禍があけて、元の生活に戻るという楽観的な未来はもうここにはない。そのためには、一時的な熱ではなく、熱を蓄えながら燃やし続けなければならない。そのような現状認識と覚悟が伝わる内容であった。また、東北芸術工科大学で選抜された学生と合同の展示構成も含めて、国立新美術館という巨大な空間の中でどのような効果的な見せ方ができるのか、キュレーターとの対話によって、具体的に検討されていく様子が印象的であった。彼らの「反応微熱」が、プレビュー展と講評会を経て、どのように国立新美術館を温めるのか。さらなる進化を期待していきたい。

(取材・文:三木学)(撮影:顧剣亨)

DOUBLE ANNUAL 2023「反応微熱-これからを生きるちから―」プレビュー展

会期 2022年12月12日(月)~21日(水)
時間 10:00~18:00
場所 京都芸術大学 ギャルリ・オーブ
入場 会期中無休 入場無料

https://www.kyoto-art.ac.jp/events/2346

 

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