SPECIAL TOPIC2022.03.16

アート

混迷の時代を切り拓く、多国籍、異文化が揃うアート実践の場「KUA ANNUAL 2022 in Cm | ゴースト、迷宮、そして多元宇宙」東京展

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  • 京都芸術大学 広報課

2022年2月24日(木)から26日(土)まで、学生選抜展「KUA ANNUAL 2022 in Cm | ゴースト、迷宮、そして多元宇宙」が東京都美術館で開催され、800名を超える方々にお越しいただきました。「KUA ANNUAL」は、第一線で活躍するキュレーターを招聘し、キュレーターの提示したテーマに応答する形で、全大学院生・学部生を対象に幅広くプランを集い、制作指導と対話を続けながら実際の展覧会をつくり上げていく、実践的なプログラムです。今年度は全学生から87組106名の応募があり、15組18名の作家が選出されました。

その大きな特徴の一つは、美術館や芸術祭の展覧会と同じようにプロのキュレーターによるキュレーションが行われること。キュレーターの提示したテーマに合わせて、それぞれプランを提示し、キュレーターと対話しながら制作がなされます。2017年度から開催されており、今回で5年目。1年目から3年目までは、片岡真実先生(森美術館館長、国際芸術祭「あいち2022」芸術監督、本学客員教授)が担い、4年目からは、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館のキュレーターである服部浩之先生(インディペンデント・キュレーター、本学客員教授、秋田公立美術大学大学院特任准教授、東京藝術大学大学院准教授)にバトンタッチし、さらなる展開を見せています。

学内にあるギャルリ・オーブで開催されるプレビュー展で各作家の作品が発表され、そこでの講評を受けて、それぞれがブラッシュアップした上で、東京都美術館で東京展が開催されました。

出口の見えない迷宮における思索と試作「in Cm | ゴースト、迷宮、そして多元宇宙」KUA ANNUAL 2022 プレビュー展
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/928


では、展覧会場で展開された「in Cm」の不穏な迷宮世界をご紹介いたします。

ごあいさつ

出口が見えない、先が見通せない。
そんな日々が2年近く続いています。
この状況下で学生生活を送る作家たちは公募時のテーマ「C|接触と選択」に対して、不確実な日々を敏感に感受し、迷宮を彷徨いながらも異なる世界のあらわれを予 するように、どこか不穏さ漂う表現を提示しました。かつて謳われた「明るい未来」という響きが白々しいと実感する彼らからは呑気で無邪気な提案はほぼ見受けられず、彼らの活動を解釈するようにこちらもチューニングを合わせていきたいと思いました。
作曲家テリー・ライリーは《in C》においてメジャーコードの音の連なりにより即興演奏・ミニマル音楽の新境地を切り開きました。限られた要素が反復しつつ複雑変容し独特な迷宮世界を形成していくこの楽曲と通ずるものを、若い作家たちの実践の集合に感じました。ただしメジャーコードではなく、マイナーコード「Cm」の半音ずれた響きで。
劇的に動きつづける世界を感得し、自らの位置を見出そうとする彼らの表現は、その不安や不確実さをあらわすに留まらず、ときに不協和音を奏でつつも複雑な思慮深さとともに新たな行動への気概も見え隠れします。ただ、明確な答えや、明るい出口のようなものは簡単には見つからないでしょう。
ゴースト、迷宮、そして多元宇宙へようこそ。


KUA ANNUAL 2022 ディレクター 服服浩之

2022年2月23日(水)に関係者を招いて行われた内覧会の様子。

 

 

戸田樹 《貴方の中に、貴方が最も忌み嫌うものを見出す》


幅・奥行きともに3m超の巨大なオブジェは、迷宮というモチーフを立体的に立ち上げたもので、これ自体が音を発するスピーカーとなっている。迷宮をあらわす内部の構造は、普段は見えないスピーカーの内側の構造でもあり、あるいは人間の腸を思わせるようなかたちでもある。戸田は時折、自身が今まで距離をおき忌み嫌っていたものの存在を自身の内に感じることがあるという。自分の外側にあると思っていたその存在を自分の内側にも見出してしまうことは、誰しもがもつ感覚であると戸田は考える。その考えに基づいた本作は、身体そのものをあらわすメタファーのようでもあり、その内蔵から発せられる音が響くさまは、どこか幽霊的でもあるだろう。

〈作家ステートメント〉
エリコの城壁でトランペットが鳴り響いて以来、音楽は戦争行為とともにあった。
スピーカーから発せられるポップミュージックは、グアンタナモ収容所やアブグレイブ刑務所における捕虜への拷問に用いられたプレイリストの一部を借用している。
迷宮の「内外の境界が存在しない」トポロジカルな性質のように、弓を起源に持つとされる音楽もまた原初から暴力を内包しているといえよう。

 

シャンツァー・アルマ 《Shadow Portraits》


シャンツァー・アルマは社交を避けて生活をする人々のオンライン上のコミュニティにSNSなどを通じてアプローチし、ひとりひとりと対話を重ね、彼/彼女らから自らの影を写した写真を受け取った。そしてそれぞれに合わせて設えた空間に影の写真を投影し、大判カメラで撮影した。これらはガラス板に像を直接焼き付ける湿板写真(アンブロ・タイプ)で、小さな家に見立てられた木箱に入れられる。それは、人間の身体がデジタルのアバターに入れ替わるSNSの存在により、人間の身体的な存在感がコミュニケーションにおいて希薄になっていきつつある現代社会において、人と人の触れ合いや人々の関係性が大きく変化していることをあらわすようである。誰もがもつ「影」を投影した作品に対面することで、社会から距離をおく人々に対してもってしまう偏見に気づいたり、あるいは自らの影をそこに重ねるように過去の経験を見つめ直す契機となるだろう。

 

高橋順平 《セルフ・ポートレイト(侵食された境界面)》


空間を埋めるように天井から垂れ下がる筒状の布は、風になびき、観客の肌に触れる。高橋順平は、自身の皮膚をクロース・アップで撮影した写真を「自分の身代わり」として地中に埋め、毎日水やりをして腐敗を進行させた。それを掘り起こしたのちに再び撮影したものが、吊り下げられた布にプリントされている。遠くから見ると鮮やかな美しい模様も、近づけば毛穴や体毛が顕現し、これが人の皮膚を捉えた画像であると気づく。 地中に埋められた写真は腐食し分解され、画像はほころびている。これまでも、高橋は自分の身体の内と外のあいだの境界がどのようなものか写真を通じて模索してきた。本作は、高橋のセルフ・ポートレートを空間化したインスタレーションであり、高橋自身が持つ身体が拡張・融解される感覚をあらわす。観客は、柔らかで生々しい内側へと誘いこまれ、知らずに作品に侵食していくこととなるだろう。

 

吉田コム 《30dBのサイン #3》


吉田コムは、自身の作品について「道に転がっていた石が、その時間、その地点に、ある速度で歩行してきた人間に蹴られ、道の脇へ転がっていった事が、その20km先の地点で犬が吠えた事とどのような関係があるのか考えるようなものだ」という。それは、物の構造や私たちの生活、思考など、さまざまな事物やあらゆる現象が相互に作用し繋がっているシステムとして世界を捉える姿勢である。これまで吉田は、自身の手の内で作品を完結させず、偶然道ですれ違うような見知らぬ他者を介在させ、この世界の制度や仕組み、都市の構造の中にさまざまな仕掛けを施すことで、意図的な偶発をもたらしズレを構造化してきた。本作が展示される場である「展覧会」もまた、作品や観客に加え、会期や美術館のレギュレーション、建築構造などの要素によって形成されるシステムである。本展で吉田が投げ入れた作品は、システムの一部を担いながら、同時にそのシステムを脱臼させる試みでもある。

 

岩橋優花 《Portraits》


岩橋優花が自身の眼差しを重ねながら、身近な存在を撮影したポートレート。彼女は、過去に撮影した対象のイメージを不織布に向かってプロジェクターで投影し、フィルム・カメラで撮影した。さらに、撮影した写真を焼き付ける際に印画紙の上に植物の根など新たなモチーフを重ね、イメージを生成した。こうして何層にもレイヤーが重ねられた人やモノのイメージは、暗く、はっきりとは見えない。それは、時間が経つにつれて次第にぼやけていく岩橋自身の記憶をリリースするようである。人と直接会う機会が減り、過去の記憶に思いを馳せることが多くなったいま、観客はこれらのイメージになにをみるだろうか。移ろいつづけるイメージの過程を写し出した本作は、光を灯してもはっきりとは見えない暗闇のように、照らしても見えない過去を他者に想像させる契機となる。

 

柴田眞緒 《おもちゃやめぐり》


日常生活の中で気づけばあらゆるものを保存・保管してしまう柴田眞緒。床に並ぶのは、彼女にとって「要らないけど、捨てられないもの」を樹脂によって固めた作品である。透明な板の中に固められているのは、使用済みの絵の具のチューブ、文字の消えたレシートやコロナウイルスのワクチン接種後の絆創膏など、通常であれば捨ててしまうものや、イメージが不明瞭な写真や落書きのようなものなど、形も用途も多種多様である。観客は、なにが固められているのか大まかに捉えられるものの、それらをはっきりと見ることも読むこともできない。日々蓄積されていく膨大なものは、彼女自身の視点によって選択され、樹脂の中に封入されていく。四角い枠の中にさまざまなものを配置・構成する彼女の手つきは、どこか絵画的でもあるだろう。こうしてさまざまなものが凍結された樹脂は、硬く丈夫に見えていても、簡単に割れてしまいそうな危うさも感じさせる。

 

高尾岳央 《Characters Landscape Train window》


連続して並べられた大きな6枚の絵画は、都市に溢れる情報や電車に座って外を眺めた際に見える文字など、生活のなかで作家自身の目に自然と飛び込んでくる風景をモチーフに描かれている。人の身体を超えるほどの大きなキャンバスにエアブラシで描かれる線は、太さや動きの変化に富み、鮮明な線からボケ感のある曖昧な線まで多様に重なりイメージを生成している。それは、近づくと鮮明に見え、離れるとぼやけるという物事を認識する際の複数の視点が、一つの画面に存在しているようである。そこには、本来人間が一度に捉えることのできない複数の時間と空間があらわれる。こうした高尾岳央の姿勢は、膨大な情報を含む現代の「風景」を、新たに捉え直す試みでもあるだろう。

 

長田綾美 《floating ballast》


長田綾美は、ブルー・シートや辞書、輪ゴムなどの日用品をモチーフに、「絞る」、「編む」といった規則的な行為を膨大な時間をかけて行うことで作品を制作する。本作では、バラス石(砕石)を不織布で包み、「絞る」行為を繰り返した。バラス石は、バランスを保つ「Ballast」として、かつて運航の際に船が転倒するのを防ぐために重石として利用されていた。いっぽう不織布は繊細で不安定さを感じさせる。この対極の要素を含む素材を用いて、膨大な時間をかけて一つ一つの石を丁寧に絞っていく。集合することで力を増すバラス石を個に分けるように、ひたすら絞る行為を繰り返すことで、元ある布の姿とは異なる新たな形状へと変化させていく。小さな素材が集合し巨大な作品として目の前に現れるとき、「安定」と「不安定」が共存する複雑な風景が見出されるだろう。

 

向珮瑜 《ええ、結構です。》


レシートを模したテクストとさまざまな色に発光するネオンで構成される本作は、現代社会と性的マイノリティの複雑な関係を描きだす。向珮瑜は、自身の研究の中でLGBTQ+の東アジア女性を中心にインタビューを行ってきた。映像によって記録された彼女たちとの対話は、テクストに起こされレシートへと変換されたのち、わたしたちの元へ掲示される。1969年に権力からの迫害に立ち向かったLGBTQ+当事者らによる「ストーンウォールの反乱」以後繰り返される議論と同様に、感熱紙へと打ち込まれた彼女たちのテクストは、時間が経つと共に消え、そしてまた浮き上がる可能性を持つ。点々と光る抽象的で曖昧な造形のネオンは、人びとが人工的な煌びやかさに依存し続けていることを示唆するようでもある。表面化せず隠されてしまいがちな彼女たちの声へと近づくことで、わたしたちはなにを視るだろうか。

 

柯琳琳 《DDR, Distortion Diary Remains》


柯琳琳は、自身が持つ独特な身体動作の癖を「ダンス」と捉え、体操の教則映像のように、身体を動かしながらスクリーンの前にいる観客に同じ動きをするよう促す。同時に柯の個人的な経験が語られており、観客は指示に従いながらゲームに応じて身体を主体的に動かしつつ、彼女の物語を受け入れることとなる。作家と同じ動きをするように指示を受けた観客が、他方で作家の気持ちに感情移入していく状況は、多層的なコミュニケーションを生じさせる。また、通常のゲームは設定されたタスクをクリアすることでレベル・アップする成長物語を前提とするが、このゲームはクリアを目的とするものとは一線を画す。成長志向に疑問をもつ現代的な感覚とともに、安易な出口などない迷宮のなかで自身や他者への問いを誘う、ゲームという形式を通じた対話の場となっている。

 

太田恵以 《Portmanteau (Nostos)》


日本で生まれ27年間アメリカで育った太田恵以。彼女は、1つの言葉に2つの意味が内包される「Portmanteau(混成語)」に、複数の文化や言語が入り混じる自身のアイデンティティを重ね合わせる。太田は、ギリシャ語の里帰り「Nostos」と痛み「Algos」が組み合わさった語、ノスタルジア「Nostalgia」(自身の故郷や過去の記憶に思いを馳せる望郷)をテーマとし、ビデオ作品《Nostos》を制作した。シュルレアリスム的な映像の中では、自身のバレエダンサーとしての経験から得た身体と心が繋がっている感覚を、イタリアの哲学者ジュリオ・カミッロによる頭で想像した場所に記憶を定着させる記憶術に照らし合わせる。映像は、何層にも重なった半透明の布に投影され、時折小さく揺れ動く。それはまるで太田自身のアイデンティティをあらわすようである。太田は、夢と現実、文化とアイデンティティのあいだを探求する。

 

東九条耕す計画ただいも 《ただのいも》


「東九条耕す計画・ただいも」は、2020年5月から京都市南区東九条周辺の使われていない土地を耕しはじめた。「普通(ただのいも)」やどこか安心感のある「ただいま」という言葉、「無料(ただ)」を掛け合わせ生まれた「ただいも」。彼女たちが耕す畑には、年齢や職業、国籍などを問わず多様な人びとが訪れ、さまざまな植物が生い茂り、土の中には捉え切れないほど多くの虫や微生物がうごめいている。ただいもは、「畑を耕す」という活動を起点としつつも、畑の土を使って布を染めたり、採れた野菜でごはんを作ったり、川の掃除をしたり、ときには畑周辺の飲食店のお手伝いまで、その実践はさまざま。だれかの小さな提案を種にして、人が集まり、そこから活動が生まれていくのである。ただいもは、植物や人、あらゆる生物を受け入れるゆたかさを持つ土壌を耕し、そこから萌えたつ小さな芽を共に育てている。

 

大澤巴瑠 《cat No.1–No.7》


大澤巴瑠は、7点の絵画作品を提示する。作品はすべて、大澤が猫をモチーフに描いた1 枚のドローイングから生まれたものだ。彼女は1 枚のドローイングをコピー機で複写するのだが、複写ごとに紙を少しずつ動かしてズレを生じさせる。1 枚のオリジナルから取り出した7様の歪んだコピーを原画として、それぞれをアクリル絵具と墨でなぞり、パネルに麻布を敷いたキャンバスへ描き写す。コピー機を通して生まれたズレを、さらに彼女自身が「なぞって描く」という複写を施すことで、さらなるズレを起こす。いくつも生じるズレは、コントロールしきれない身体性や偶然性のあらわれでもある。大澤は、機械や自身の身体を介した複製行為によって生じるズレを通して、オリジナルとコピーのあいだの新たな応答関係を探求する。それは、物事の認識や判断、認知の仕方を問い直す試みでもあるだろう。

 

松田ハル 《不完全の版画》《Human Sculpture》《Inverted Sculptures #1》《Inverted Sculptures #2》


松田ハルは、二次元の複製である版画と三次元を複製する3Dスキャンを用いて、現実空間とVR(Virtual Reality)を交え制作を行った。松田は自身の顔やフェイクグリーンを3DスキャンしたものをVR空間上で加工し、それを元に現実空間のシルクスクリーンや木箱にドローイングを施すなど、複写を繰り返しながらイメージを生成した。現実空間には、モチーフとなったフェイクグリーンや彼自身が描画を加えた木箱、シルクスクリーンによる版画が展示されており、それらはVR空間の反映に見えるが、所々どこかが欠落していたり、オブジェクトのイメージは異なっている。観客は、ヘッドセットを装着し作品空間を体験することで、仮想空間と現実空間を往復し、その境が曖昧になる異世界的な感覚を得る。虚構と真実が混じり合う昨今のポストトゥルース的状況にあって、オリジナルと複製の関係がクリティカルに問い直される。

 

大野裕和 《Unrealistic Mirrors》


3DCGやインターネット空間の表現を探求する大野裕和。近年では、実空間と仮想空間を交えながら作品制作を行っている。京都芸術大学ギャルリ・オーブで開催されたKUA ANNUAL 2022プレビュー展では、仮想空間上に描出したギャルリ・オーブに個々の出展作家の作品を複製し、パラ展覧会を設計した。プレビュー展に続く本展では、展覧会場となる東京都美術館の展示室を描出する。大野は制作にあたり、各作家の作品をすべてオンライン上のデジタルデータとして収集した。データによって複製された作品は、実空間とは異なりスケールや構成などを自由に変容させることが可能な仮想空間に設置されることで新たな姿を見せる。大野、そしてマシーンという装置が作り出す展覧会のなかで、作品たちはどのような存在として浮かび上がるだろうか。

 

アシスタント・キュレーター 《The Movements of KUA ANNUAL 2022》


展覧会の運営や広報、作家サポートなどを行ってきたアシスタント・キュレーター。彼女たちは、KUA ANNUAL 2021から続く定期刊行物『CURATOR JOURNAL』を引き継ぎ、デザインを一新して今年度も発行している。壁に広がるのは、『CURATOR JOURNAL』のデザインを元にして制作したKUA ANNUAL 2022の年表である。そこには展覧会関係者全体で実施した定期的なミーティングなど全体の動きと、キュレーターやデザイン・チームによる度重なる打ち合わせなどの個別の動きが提示されている。そのような記録のなかに、キュレーターや作家、アシスタント・キュレーターのささやかなメモ書きも紛れ込む。そこからは、作品や展覧会だけでは見えない個人の体験が垣間見える。展覧会は、一つの組織的な動きでもありながら、その内部ではさまざまな個人が存在し、連携しあい、作られていくのである。

 

(作品撮影:顧剣亨、講評会撮影:広報課)

KUA ANNUAL 2022「in Cm | ゴースト, 迷宮, そして多元宇宙 in Cm | Ghost, Labyrinth and Multiverse」

会期 2022年2月24日(木)~26日(土)
会場 東京都美術館1階 第2・第3展示室
入場 無料

https://www.kyoto-art.ac.jp/kuaannual2022/

 

 

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