INTERVIEW2022.05.17

デザイン

「毎日の暮らし」を中心にまちづくりを考える ― プロジェクトデザイナー・山下賢太さん:卒業生からのメッセージ

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  • 京都芸術大学 広報課

鹿児島県の甑島(こしきじま)を拠点に、地域ブランディングに取り組むプロジェクトデザイナー、山下賢太さんへのインタビューをお届けします。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)環境デザイン学科 地域デザインコースを2008年度に卒業した後、地元でもある甑島へ戻り、小さな拠点づくりや地域経済の活性化に取り組んできました。その活動は高く評価され、2021年10月には本学の2021年度の「瓜生山学園賞」を受賞するなど、「芸術の社会実装の一つのモデルとなりうる存在」としても注目を集めています。離島発信のさまざまな事業を通して、モノづくり・コトづくりを精力的に実践する山下さんのお仕事や、大切にしている想いをお話しいただきました。

山下賢太 Kenta Yamashita

1985年、鹿児島県甑島生まれ。京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)環境デザイン学科 地域デザインコース2008年度卒業。東シナ海の小さな島ブランド株式会社と島守株式会社の創業者。JRA日本中央競馬会競馬学校を中退後、きびなご漁船の乗組員を経て、京都造形芸術大学環境デザイン学科卒業。日本の水産業に新たな選択肢をつくる FISHERMANS FESTや鹿児島離島文化経済圏を監修。「山下商店甑島本店」「FUJIYA HOSTEL」「コシキテラス」「オソノベーカリー」等、地域固有の建築空間や公共施設などの小さな拠点の再生に取り組みながら、農林水産物の生産現場から食卓まで一貫したデザイン経営と、あらゆる地域資源が循環するしあわせなもの・コトづくりを通じて「世界一暮らしたい集落づくり」を目指して、新時代の村づくりを実践している。
主な受賞に、かごしまの新特産品コンクール食品部門『漁師印のキビーニャカウダ』/「鹿児島県観光連盟会長賞」受賞(2019)、かごしま 人・まち・デザイン賞 都市デザイン部門/「優秀賞」受賞(2016)

無人販売から始まった、離島のまちづくり

「瓜生山学園賞」は開学40周年を記念して創設された、学園の卒業生・修了生を表彰する制度。その活動が、建学の理念「芸術的創造と哲学的思索によって、良心を手腕に運用する新しい人間観、世界観の創造を目指す」を体現し、広く社会に貢献している方に贈られるものです。
2021年度に「瓜生山学園賞」を受賞したプロジェクトデザイナー・山下賢太さんは、ふるさとである甑島(鹿児島)で、野菜の無人販売と手作り豆腐店「山下商店」から出発し、身近な人たちの課題を一緒に解決していくため、モノや生活、コミュニティなど、さまざまな領域のデザインに取り組んでいます。そのスタイルは表面的な形やコンセプトにとどまらず、そこで生活する人々の営みをいかに豊かにするか、自ら中心となって行動を起こしていきます。
現在は「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」を立ち上げ、真摯に地域の課題に向き合っている山下さん。多くの人に影響を与えながら活動を展開するスタイルは高く評価され、内閣官房ふるさと活性化支援チーム有識者委員として、総務省地域力創造グループのふるさと支援フォーラムでの講演や、自治体やJR東日本、ANA Journey+などで地域ブランディングに関する講演やプロジェクトも数多く行っています。


まずは、今回の受賞について山下さんに伺ってみました。
「僕の活動は、小さな島から共同体をつくりなおすことを大切にしていて、絵を描いたり彫刻をつくったりといったアーティスト的な表現ではありませんが、芸術の社会実装という点で我々の活動が評価されたことは、とてもうれしく思っています。
芸術の『芸』という字は、タネを植える行為をあらわしているのだと、大学在学中に聞いたことが印象に残っています。タネから芽が出て、花を咲かせ、やがて実をむすぶのを見届けるのと同じように、芸術と生活は遠く離れたところにあるものではなくて、日常の中に芸術があり、そこにある世界観や哲学が芸術だと、その言葉を聞いたときに感じました。今回の受賞は、そういった“日常にタネを植える未来への挑戦”が認められたんだと思いましたね」。


「瓜生山学園賞」の授賞式では、山下さんの活動拠点である甑島と京都をオンラインでつなぎ、山下さんの活動を紹介するプレゼンテーションも行われました。その発表を見て驚いたのは、山下さんの取り組む事業がとにかく多種多様なこと! 集落唯一の豆腐店にはじまり、飲食事業、観光事業、島景再生事業、地域デザイン事業、EC(通販)事業――。こんなにもたくさんの事業を同時進行する山下さんが、プロジェクトデザインのお仕事に携わることとなったきっかけは何だったのでしょうか?

 

山下さんが代表を務める「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」の事業一覧。

 

「便利さ」と引き換えに失ったものを見つめ、学ぶ

「まちづくりに関心をもったきっかけは、自分たちの大切にしていた原風景を失ったことでした」。くやしそうな表情で話し始める山下さんは、鹿児島県の離島、上甑島(かみこしきじま)で生まれ育ちました。高校2年生になったある日、実家から徒歩3分の港の工事が始まり、その工事によって島の風景は、大きく姿を変えてしまったそうです。


「上甑島には高校がないので、中学校を卒業するとみんな島を離れて、本土にある高校に進学するんですね。それで、高校が休みの日に久しぶりに甑島へ帰ってみると、僕が島の中で一番好きな風景が工事のために更地になっていました。そこは、大きなアコウの木が目印で、漁師さんの網小屋や畑、ベンチがある憩いの場所。夕方、ベンチで涼んでいると島で暮らす人達が自然と集まってくるようなところで、何でもない日常の風景がそこにあったんです。島のみんなが大事にしていた場所で、僕にとってはふるさとの原風景と呼べるような場だったんですが、それが失われていくことは、当時まだ高校生だった僕には理解ができませんでした。その港の工事は、島が便利になるために必要だったのかもしれないですが、そういった利便性と引き換えに失われたものは二度と取り戻せない、ということに大きく失望しました。


その出来事がきっかけとなって、将来はまちづくりを仕事にしたい、と考えるようになりました。それも、工学部のまちづくりではなく、芸術学部としてのまちづくりを学びたいと思ったんです。自分たちの大切にしている空間や豊かさは、どうすれば社会の中で失われずに残し続けていけるだろうか、ということを考えると、これから大切になるのは合理性ではなくて、幸せの新しい“ものさし”。そういう新しいものさしが僕自身だけでなく、甑島のみんなにとっても必要になるだろうと感じていたので、そういった視点を学ぶために京都造形芸術大学の環境デザイン学科に進学して、建築を基盤とした地域デザインを学びました」。

 

卒業制作展では、「島に生きる」というテーマで、甑島の武家屋敷周辺エリアの設計と観光交流拠点の建築並びに商品開発やイベント企画など、複合的な地域デザインとさらに、短編小説を執筆し、学長賞と学科賞をW受賞しました。



在学中のエピソードを伺うと、「先ほどお話しした『芸』という文字のなりたちの話もそうですが、先生や同級生をはじめ、在学中に出会った人も、ものごとも、とにかく刺激的でした」と山下さんは振り返ります。

「特に影響を受けたのは、環境デザイン学科の前田博先生ですね。『デザイナーっていうのは職業じゃなく、生き方のことだ』と前田先生は言いました。また、地域デザインというのは、建築設計や都市計画のことだけではなく、地域にとって必要なことをするのが地域デザインの役割であって、手法は何だって良いんだ、と。デザイナーの生き方が、地域のデザインの根本につながると聞いて、思い浮かんだのは地元、甑島の風景でした。経済を指標とするまちづくりではなく、そこに暮らす人の豊かさを中心にしたまちづくりや、地域にとって本当に必要なことを見極める視点が、いまの甑島には必要なんだとわかりました」。


いつかは地元に戻ってまちづくりをする、と心に決めていた山下さんは、在学中から甑島を活動のフィールドにして町並み再生プロジェクトなどをスタートしていたそうです。

「大学の同級生を誘って、甑島の空き家で滞在しました。風景の再生は、一人では実現できないので、大学の仲間にも運営に入ってもらっていましたが、そのとき大事にしていたのは、一緒につくっていくこと。コンセプトをしっかり伝えて理解してもらった上で関わってもらう。大切なのは、関わりしろの余白を残して運営していくことでした」。

 

山下さんの祖父である平嶺時彦さんが指揮を執り、大学の夏休みに環境デザイン学科の仲間たちと、甑島出身の高校生や大学生たちを交えて玉石垣の再生活動を行いました。

 

2009年春に卒業後、島に戻る前に、まちづくりを学ぶために就職したいと、京都で働きます。

「就職したのは、和装小物の製造卸が本業の会社。『商売で得た利益は、地域に還元して、文化に使う』という社長の考え方に共感しました。その傍で、町屋の再生や景観計画などにも力を入れていました。その企業への就職も前田先生がつないでくださったんですが、いずれ甑島に戻って事業を立ち上げ、自分が経営する側になったときに、雇われる側の気持ちもわかっておきたいと感じたのも就職した理由の一つでした。

その会社での仕事は経営に近い視点をもって携わることができ、1年ほどの在籍期間にも関わらず、多くの学びがありました。観光地として知られる天橋立の景観計画などにも関わったのですが、景観計画の仕事は、いうならば下地をつくること。現地ではどのような意見や要望があるのか、ていねいにヒアリングして、ファシリテーションをして、合意形成のための場をつくっていく。そういったプロセスを経て感じたのは、町の未来のことは、役人や政治家だけが考えるのではなく、そのまちを想う人々で考える必要があるということで、まちづくりのコンサルタントが提案することを鵜呑みするのでは意味がないんですよね。『この町に暮らす人にとって大切なこと』を、自分たちで創っていけるということに気づくことが重要なんだ、という学びは、甑島に戻ってからも活かすことができています。

もう一つ印象深いのは、会社の先輩が言っていた、『我々がここで生業をできているのは、前の世代が京都という街を残してくれたから』という言葉。京都という文化に還元できるように、という社長の考え方もそれに近いものがありますし、そういう考え方が自然と生まれるのも、歴史のある京都の街に本拠地があるからかもしれません。甑島に帰ってからも、そういった“地域に還元していく”という視点をもってまちづくりに関わっていきたいと改めて感じました」。

 

観光ガイドとしても活動する山下さん。いわゆる観光の名所や旧跡地を一切巡らないという「しまなびガイド」は、山下さんが企画している人気の体験プログラムの一つ。素朴で飾らない島の暮らしと、その日常の様子を伝えていく生活観光ガイド。島民にとっては、当たり前の風景も、島を訪れる人にとっては、非日常。素通りするだけだったまちの景色が、そこに「視点」を与えることで、特別な体験へと変化していく。

 

「暮らしの風景」を取り戻す仕組みづくり

「甑島に戻って最初にしたことは、耕作放棄地の再生でした」と語る山下さん。当時24歳でした。

「農業をしながら考えていたことは、島らしい風景とは何か。また、それを取り戻し、また新たに創っていくためにできることは何だろう?ということ。もともと、甑島では農業が産業として継続して成り立った歴史がほとんどないということもあり、多くの島民が諦めた産業だからこそ、僕がやる価値があると思いました。大切なのは、多くの人が農家になることではなく、「農のある暮らし」を継続していくことなんです。そうやって、将来に在りたい島の暮らしを中心に考えて、いろいろなプロジェクトを立ち上げていきました。

ターニングポイントになったのは、2013年に集落唯一の豆腐屋さんを始めたことですね。『山下商店 甑島本店』という屋号でやっていますが、“本店”と銘打っているものの、甑島にしかお店はありません(笑)。でもここが僕たちの本拠地なんだ、という想いを込めて名付けました」。

 

2013年に開業した「山下商店 甑島本店」。九州産の大豆と100%海水にがりにこだわり、早朝4:00から濃厚な豆腐を製造している。そのほかにも甑島産の加工品やお土産、情報も集まる、島のコミュニティスペース。


「このお店は、築100年を超える古民家をリノベーションしてつくったんです。ほとんど崩れかかっているようなボロボロの古民家でしたが、そんな状態でも、ここを再生してまた使えるようにしたい、と強く想ったのは、この民家がかつて人々の集まる場所だったことを地域のお年寄りから聞いていたから。人口の少ない島では、何かが失われることはあってもカフェのような新しい場が生まれにくいこともあり、豆腐屋という日常に欠かせない商いを始めることで、懐かしさのあるコミュニティを新たに作りたいという考えもありました。そうやって、島にかつてあった日常の風景を取り戻す試みを続けていくと、僕らが携わるプロジェクト以外にも、1つ、2つと島の風景が戻ってくるような試みが始まっていったように思います。

いま、島に戻ってから13年ほど経ちました。2012年4月に立ち上げた東シナ海の小さな島ブランド株式会社は今年で10周年を迎え、事業の幅はかなり広がり、ジャンル横断的に展開しています。でも、どの事業でも、その根っこにあるのは『たった一人を諦めない、豊かな島暮らしを中心としたまちづくりをしたい』という気持ち。やり方は違っても、島の原風景が少しずつ戻って、人々のつながりが再びできて、島のコミュニティに関わる人みんなが幸せに暮らし続けていける仕組みづくりをするためのものでありたい、と考えています」。

 

島景再生事業部では、甑島を中心に、空き家や遊休施設となった公共施設などの不動産を再生してきましたが、今後ますます空き家問題が深刻化していくことを踏まえて、山下さんは、2021年11月に「島守株式会社」という会社を新たに立ち上げ、不動産の保守・管理だけでなく運用にも取り組んでいます。あわせて、地域人材の発掘やUIターンなどの移住・定住者の促進や支援、オンラインスクールなどの人材育成にも取り組んでいます。


多岐にわたるプロジェクトを進めるにあたって大切にしていることを山下さんに伺うと、「無理に仲間集めをしないこと」という意外な答えが返ってきました。どういうことでしょう?


「何か新しいことを始めるとき、仲間を集めてから進めると、うまく行かないことが多い。仲間を集めてから進めるチーム戦になると、考え方や関わり方の温度感などの『ズレ』がどうしても起きてしまうので、まずは一人で始めてみる。たとえ応援してくれる人がいなくても、自分一人でやってみる。大事にするべきなのは、それでも『やりたいと思うかどうか』なんです。
進めるうちに、一人ではできないことが必ず出てきます。そういうとき、僕ができていないことができている人や、僕にはない得意分野をもっている人に頼ります。そうやって人を頼って、助けてもらって、ときにはぶつかっていく。その対等なやりとりを通して、本当の意味で相手に感謝することができる。結果として、いつも仲間ができています。そのプロセスを踏むからこそ『一人でできること』のその先へ行くことができる。そう考えながら日々、仕事に取り組んでいます」。

 

鹿児島の離島からつくる新しい文化経済圏

インタビューの最後に、山下さんがいま考えている離島の未来像について質問してみました。観光に携わる事業をたくさん手がけていますが、コロナ禍の影響はあったのでしょうか?


「もちろん影響がありました。甑島の観光事業は大きな打撃を受けて、売上が96%減となった時期も一時的にはありました。また、島のコミュニティは狭いので顔を知っている人/知らない人はすぐにわかりますから、島外から来た人への警戒心も少なからずあるという状況です。そういう感じが2年ほど続いていますが、ありがたいことに僕たちのプロジェクトは、コロナ前と比べてもそれほど変化していないんですね。
それは、私たちが大事にしてきたのは『島の日常』なので、これまで携わってきた『島の日常にある仕事』にはほとんど影響がありません。コロナ禍で、大切なのは足元にある日常なんだということを再確認できたと感じていますし、その重要性が改めて証明されたんじゃないでしょうか。観光産業に関わりながらも、島の日常にしっかりとベースを置いて、観光と日常のどちらか一方ではなく、在りたい日常を観光がいかに支えられるのかという視点から、プロジェクトを展開していくことに価値があると思います」。

 

離島に暮らす人の数が、国内で最も多い鹿児島県。離島から地域おこしをしようと、2019年には「鹿児島離島文化経済圏RITOLAB(リトラボ)」がスタート。山下さんも企画・運営に携わる。


「会社を設立して今年で10年が経って、次の10年を考えるようになった」と語る山下さん。次に取り組みたいのは、どういったプロジェクトなのでしょうか。


「鹿児島の離島をつなぐ新しい文化経済圏をつくることに、次の10年をかけて真剣に取り組みたいと考えています。甑島のほかにも、屋久島や種子島、奄美群島やトカラ列島など、鹿児島にはたくさんの魅力的な離島があります。2019年には「鹿児島離島文化経済圏RITOLAB(リトラボ)」を立ち上げて、離島から新しい流れを作っていこうとしています。

コロナ禍を機に、あらゆる前提条件が変わった、と感じています。『ある』ものが『なくなる』。『起こらない』と思っていたことが『起こって』しまう。かつて高校生の僕が港の工事で目の当たりにしたのと同じように、当たり前の日常を支えているものが、ある日突然、失われてしまう。教育や金融、インフラなど、暮らしを担保している『かたちのないもの』も作り直していかないといけない――そういう大きな変化の入口に僕たちはいま、立たされていると思います。
何か始めるにしても、『資金がないとできない』『仲間がいないとできない』という固定観念があるかもしれません。でも、いまはもう、たくさんのツールが開発されており、ある意味では、できない言い訳ができない世の中になっています。アイデアだけではなく、行動や実践にこそ価値がある時代です。お金もインフラも新しい概念によって仕組みを作っていく必要があると考えています。仲間づくりに関しても、若手をどうやって育てていくか、過疎地域での教育をどうやって作り直していくか、という課題もあります。

次の10年は、離島という少子高齢社会の最先端から大きな流れを作るために、どんどんチャレンジしていきたいですね。離島が井の中であるのだとしたら、そこに暮らすカエルの日常をぜひ覗きに来てください。甑島で、大笑いしてお待ちしています」。

 

(取材・文:杉谷紗香)

 

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