SPECIAL TOPIC2019.12.13

建築アート染織映像デザイン

学びと問いを横断する「フィールドワーク」からアートへ -「KUAD ANNUAL 2020」プレビュー展

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  • 京都芸術大学 広報課
  • 高橋 保世

第一線のキュレーターの関心にリンクする展覧会

京都造形芸術大学では、「KUAD ANNUAL」として、2017年度から東京都美術館において、学部生・院生の卒業制作や選抜企画展を第一線で活躍するキュレーター、片岡真実(大学院教授、森美術館副館長兼チーフ・キュレーター)が指導しながら展覧会を作り上げていくという、今までに類例のない実践的な方式を採用してきた。

今回、2020年2月23日から26日まで東京都美術館で開催される「KUAD ANNUAL 2020 フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」のプレビュー展が、2019年12月3日(火)から15日(日)まで、京都造形芸術大学人間館1階ギャルリ・オーブで開催されている。オープニングの12月3日(火)には、片岡をはじめ、浅田彰(大学院芸術研究科教授・大学院学術研究センター所長、批評家)、後藤繁雄(大学院芸術研究科教授、編集者)、椿昇(美術工芸学科教授、アーティスト)、ヤノベケンジ(美術工芸学科教授・ウルトラファクトリー ディレクター、アーティスト)を交えた公開講評会が行われた。

プレビュー展初日には、名だたる教授陣による公開講評会が開催された

「フィールドワーク」をテーマに、学部3年生から院生を対象に出品作家を募集し、12人と3組のアーティストを書類審査と面接によって選抜した上で、指導を行ってきた片岡。森美術館の次期館長、さらに、国際美術館会議(CIMAM)のアジア人初の新会長に就任することが決定しており、美術界でその挙動が最も注目されている一人と言っても過言ではない。片岡は、2018年に開催された「KUAD ANNUAL 2018」では「シュレーディンガーの猫」、2019年に開催された「KUAD ANNUAL 2019」では「宇宙船地球号」というテーマのもとに展覧会をキュレーションしてきた。それらは片岡の現在進行形の問題意識と重なっており、単なる学生展のテーマと捉えるのは早計である。

「KUAD ANNUAL 2018 シュレーディンガーの猫」(撮影:表恒匡)
「KUAD ANNUAL 2019 宇宙船地球号」(撮影:顧剣亨)

「シュレーディンガーの猫」とは、量子力学のパラドックスを表す比喩で、密閉空間に入れられた猫が生きている状態と死んでいる状態が同居する「重ね合わせ(superposition)」のことを指す。「KUAD ANNUAL 2018」と同年に開催された「第21回シドニー・ビエンナーレ」のキュレーターに就任していた片岡は、「スーパーポジション:均衡とエンゲージメント」をテーマにしている。「スーパーポジション」とは、まさに「重ね合わせ」のことであり、複雑な状況が同時に存在する現代を、同じく量子力学の用語で表そうと試みたのだ。つまり、「KUAD ANNUAL」には、世界の現代アートの潮流を誰よりも感じているキュレーターが、大規模国際展と近いテーマを学生に提示し、指導した上で展覧会にまで仕上げる、という他にはない面白さがあるのだ。

世界の観察と問いを表現する生きた教科書

今回のテーマである「フィールドワーク」は、民俗学・人類学・社会学・建築などの観察手法として知られているが、近年の現代アートでは「白いキャンバス」ではなく、社会の中の出来事を観察し、さまざまな問題意識を表現することが主流になっている。90年代から増加する、フィールドワークを芸術的に記述するアーティストを、美術批評家のハル・フォスターは、「民族誌家としてのアーティスト」と評している。そこからさらに世界の状況は激化しており、現代においてグローバリズムや気候変動による自然と人工のさまざまな分断と混乱を記述し、共有・共感できるようにする芸術的手法や表現が求められているといえるだろう。

本田莉子≪儀式のように織る―大漁旗3.11―≫(撮影:表恒匡)

今回、参加者は自身の今までの作品に加えて、それぞれの関心に基づいてフィールドワークを実施しながら、新しい表現を獲得していくことを試みている。副題にある「世界の教科書」とは、義務教育的な教科書を指すわけではない。多様な世界のありようを示すガイドやカタログであると同時に、さまざまな学問と接続し、いまだ記述されてない出来事を表現する現代アートの可能性を指している。おそらく参照例として、思想家・建築家のバックミンスター・フラーの示した「宇宙船地球号」に影響を受けた著名な編集者、スチュアート・ブランドによる『ホール・アース・カタログ(全地球カタログ)』という、世界をサヴァイヴァルするさまざまなノウハウを集積させたカタログ風の雑誌がある。

201 artects.≪Raum Painting for Kyoto≫(撮影:表恒匡)

当時の西海岸のヒッピー文化や若者たちに大きな影響を与えており、アップル創業者のスティーブ・ジョブズもその一人である。スタンフォード大学の卒業式の式辞で語った最後の言葉「Stay hungry. Stay foolish.』とは、『ホール・アース・カタログ』の廃刊号の裏表紙に書かれていたフレーズである。いかにジョブズが影響を受け、ヒッピー文化とコンピュータ文化が融合していったかわかるだろう。それは、地球上のどこでもサヴァイヴァルするためのDIYの指南書でもあった。つまり片岡は、2019年の「宇宙船地球号」というテーマを継承し、現代アーティストが示しているさまざまな表現は、今日において『ホール・アース・カタログ』のような「生きるための教科書」「生きた教科書」でもあるということを示唆しているのである。

New Villagescape《生きる建築》(撮影:表恒匡)

禁止された伝統と両義的イメージ

そのような片岡の意図から、選ばれた作家たちをみていくと、大きな傾向が見てくる。吉田彩華(よしだ・あやか)がテーマにした「大麻」、川上春奈(かわかみ・はるな)がテーマにした「白川砂」、人見詩央里(ひとみ・しおり)がテーマにした「野焼き」は、いずれも法律・法令によって禁止や制限がされたものであるが、古くから日本の地域に根付いた伝統文化であった。

「大麻」は現在でこそ法律によって所持が取り締まられているが、日本では古くから織物のために栽培されてきた。世界最古の繊維作物としても知られており、今年行われた天皇即位の大嘗祭でも麻で作った麁服(あらたえ)が調進された。また、「麻の葉文様」は古くは神社の神紋、平安時代には仏教の尊像の衣服の図柄、江戸時代には着物の流行の図柄として、美術工芸でもなじみ深い。吉田はそのような麻と親しく生活してきた日本人の歴史や背景を明らかにし、大麻繊維によるカーテンを自ら編んで間仕切りの空間を作り、物事の表裏を表した。

吉田彩華≪大麻布―真実と混沌の狭間で―≫

川上は、白川の上流の山麓にあるスタジオで制作をしており、かつては寺社仏閣で使われている上質な白砂「白川砂」の採掘場が、災害防除や風致の観点から1969年以降採掘が禁止された結果、産業廃棄物が不法投棄される山に変貌したことを知る。川上は自ら重機を操り土地を掘り起こし、ゴミと土が混じりあうアンビバレントな状況を、「白川砂」と朽ちた重機のバケットの断片を使った「枯山水」によって表した。

川上春奈≪浸食の山≫

京都府の郊外、亀岡市で過ごした人見は、幼いころからなじみ深い「野焼き」が2001年に禁止となり、農家の一部でしか許可されていないなか、近隣住民とトラブルが発生している状況を憂い、消えてしまうかもしれない「野焼き」の光景を記録するとともに、古くから農耕と対であった野焼きによる「土器」を制作した。いずれも失われていく記憶を自らの身体を使いながら呼び起こす試みである。

人見詩央里≪ある風景≫

平面と立体の越境と錯乱する都市の表象

山本奎(やまもと・けい)は、海外の複数の都市を観察しながら、日本の空間表現に着目した。床の間的なしつらえの空間を意識しながら、絵画と彫刻の中間的表現を、線を媒介に平面と立体の両方を使って追求した。山本の「平面」作品は、「彫って」線を描いている。木材やベニヤ板に膠(にかわ)とジェッソと(白い下地材)を塗り、彫りながら模様を描く。自らノコギリで切ったベニヤ板や木材の支持体は、正方形でないばかりか、壁と平行でもない。今回新たに挑戦した「生け花」に見立てた床置きの枝による立体作品も、空間を切り裂き、模様を描くような平面的なアプローチであり、「線」が両者をまたいでいる。

山本奎≪ささやかな旅≫

一方、内納耀平(うちのう・ようへい)、椿野成身(つばきの・なるみ)は、画家と建築家によるユニット「201 artects.」として、平面と空間を多次元的に変換しながらインスタレーションに仕上げている。それらは錯綜する都市の表象であり、透過性のあるトタンや、蛍光塗料が塗られた棒、蛍光灯など、光や色彩などの中間的メディアを駆使して錯乱する空間を演出している。

201 artects.≪Raum Painting for Kyoto≫

環境との一体化と身体による記譜法

講評陣の評価も高かった太田桃香(おおた・ももか)は、キャンバスや段ボールなどを支持体にオイルやアクリルでペインティングをしている。太田の出身地は静岡で、山は富士山が突出して見えている状態であったが京都に引っ越しして山に囲まれて過ごしているうちに、山の絵を描くようになったという。毎日見る景色や登った経験など身体的な記憶を統合し、キュビスム的な多視点的、多面的な描写法からさらに踏み込んで、距離や時間が消失している。太田は描くことで山々と「一体化」しており、遠景と近景、情景と記憶、具象と抽象が入り混じっている。山が稜線を描くように、時に視線がフォーカスを変えるように、大小の作品が群として架けられている展示手法も効果的である。タイトルの《山でダンス》とは、場と身体・記憶が一体化するメタファーであると同時に、太田が影響を受けた画家のひとりであるマティスの援用だろう。

太田桃香≪山でダンス≫

梶原瑞生(かじはら・みずき)の《罰せられた放蕩者または》は、音楽的経験を身体と距離に置き換えて映像化し、さらに身体と地理による伸縮を記譜化する試みである。

モーツアルトはオペラ『ドン・ジョバンニ』を初演する際、ウィーンからプラハの移動中も未完であり、「序曲」に関しては初演前夜まで未完だったという。移動中のモーツアルトの状況を想像しながら、ウィーンからプラハまでの289キロを自転車でなんと17時間かけて走破し、その間を『ドン・ジョバンニ』の「序曲」をハーモニカで演奏し続けている。序曲の289小節を1キロずつ対応させ、約6分の曲が17時間に引き伸ばされている。ただしその行程には、アップダウンがあり、体調によって速いときも遅いときもあるため、小節ごとの演奏速度も異なる。その伸縮を圧縮して再び楽譜にし、ピアニストに演奏してもらっている。

自転車から撮影した映像は、流れる風景とともに時々「プー」と鳴るという滑稽なものだが、運転によって「編曲」された楽譜が、身体と地理に結び付けられたジオグラフィカルな路線図にもなっていることに着目して欲しい。

梶原瑞生≪罰せられた放蕩者または≫

災害の記憶と祈りと伝承のハコブネ

本田莉子(ほんだ・まりこ)と山本友梨香(やまもと・ゆりか)の作品は近年激化する自然災害と深く関係している。福島出身の本田は、東日本大震災と福島第一原発事故によって被害を受けた福島の相馬市やいわき市を訪れ、大漁祈願のための大漁旗が復興祈願の象徴へと変化していることに気付く。そして、大漁旗を集め「ストゥーパ」のような祈りの山を織り上げている。大漁旗も大漁の願いとともに、無事に帰ってくることの祈りの両面があり、被災地の治癒と回復への祈りの表象になっている。

本田莉子≪儀式のように織る―大漁旗3.11―≫

一方、山本の出身地である大分県津久見市も2017年の台風18号の被害を受け、大規模な洪水被害にあった。大量に出る産業廃棄物を溶接してつなぎ合わせ、廃船の土台の上に魚型のフレームを付けた巨大なオブジェを作り上げた。船の上には災害を伝えるモニターが並び、船の中には水を入れ、水を運ぶ船にもなっている。それは水害の記憶でもある。ともに巨大な作品であるが、その思いの強さに比例していると言ってよい。それは災害が心に与える痛みや悲しみの強さでもあるだろう。

山本友梨香≪はこぶね≫

自然と人間、異世界への参与と介入

中国出身の孫天宇(そん・てんう)は、来日し日本の都市を回ったが、グローバリズムの影響もあり、どこの国でも変わらなくなっていることに気付く。そして、都市よりも地方に日本の独自性があると考え、地方をフィールドワークの対象とした。特に「山の島」「海の島」というテーマをもとに調査しており、出品作は「山の島」に相当する。三重と長野の山中をフィールドワークし、ドキュメンタリー的な映像を制作すると同時に、その対比として都市部の映像や山の木々で作られている奈良の東大寺など日本の古い木造建築の映像を上映している。森に分け入り林業関係者のインタビューなどを行っているが、興味深いのは犬が野生の鹿を追う映像である。奈良の鹿のイメージがあり、鹿が人間と近く大切にされていると考えていた孫は、駆除対象となり追われる鹿にショックを受ける。犬と一緒に鹿を追いかける一連の映像は、最後にカメラが取り付けられた犬の視点から鹿が捕まる生々しい状況が明らかにされる。そこには人間が犯した生態系の歪みが垣間見られる。

孫天宇≪島とは何が≫

石黒健一(いしぐろ・けんいち)は、ミクロネシア連邦のヤップ島の石貨に着目し、貨幣価値が彫刻に表象されていることについて追求してきた。しかし石貨の価値は、近代的貨幣のような交換価値が客観的に計量的なものではなく、石貨が持つ来歴、ストーリーによって決まることを知る。ヤップ島の石貨は、パラオ島の石灰岩をカヌーで運んできたのだが、何人が参加し、どれくらいの時間がかかったかなどによって価値が「変動」する。

ヤップ島の古代の石貨の使われ方をアメリカ人の探検家が調査し、その報告を読んでヒントを得たとされるのがマクロ経済学を確立させたケインズであり、さらに近年ではブロックチェーンとの共通性を見出されている。

しかし、ヤップ島やパラオの調査で、さまざまな植民地支配を経て、多文化が交じり合ったり、パラオで日本統治時代の鳥居が現地住民によって再建されている事実を知る中で、貨幣や彫刻という概念や物だけでは自律しない人間の心理を知り、自分のストーリーを現地の職人に伝えて、伝統工芸化したストーリーボードや鞄を作ってもらったり、新たに現地の光景やストーリーをモチーフに彫刻を作り価値が生成・反転されていくプロセスを見せるという意欲作になっている。

石黒健一≪Work in Progress from Research in Palau and Yap≫

役に立たない機械・役に立つ道具

高田美乃莉(たかだ・みのり)は、役に立たないチープな道具を延々と考え続け、作り続けている。その透明なアクリル材で作られた小さな道具は、ダ・ヴィンチの「手稿」のように、構想を描いたシートとともに並べられている。その中の一つが巨大化し、回転するとスライムが少しずつ落ちてくるような仕掛けである。ゾワザワする心地よい刺激として近年流行している、ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)を発生させるような、「独身者」のための装置である。ASMRは疼痛やストレスの軽減をもたらすという研究もあり、役に立たないと思われていた機械が、実は役に立つという逆説的な作品になるかもしれない。

高田美乃莉≪装置No.5≫≪装置No.6~No.36≫

風間大槻(かざま・たいき)は、トーテムを参照しながら、生物の脊椎をシミュレーションし、日常的な塩ビパイプをつなぎ合わせて、空間に吊り上げて浮かべている。それは本来の使い方ではないが、たしかに「脊椎」に見えてくる。その「脊椎」の先にある足や手をも想像させ、空間を越えて人々の心理にまで到達する。現代のトーテムが動植物ではなく、塩ビの日用品でできていることが、自然との乖離を表象しているようだ。

風間大槻≪聖別儀礼≫

建築家集団「dot architects」と慶応義塾大学SFC松川研究室によるウルトラプロジェクト「New Villagescape」は、《生きる建築》として、まさに「宇宙船地球号」「ホール・アース・カタログ」的なアプローチであり、災害などで極限的状態に置かれたとき、いかに環境と適合して生き延びることが可能かをサーベイし、建築的に実装するスタディになっている。

巨大化した都市とエネルギーシステムがインフラ化し、個々の家とつながることで現代の生活は成り立っている。しかし、自然災害が激しくなりインフラが寸断されると端末としての機能を失ってしまう。今回のプロジェクトでは、近代以前の自律(自立)的な家に回帰するのではなく、自律的であると同時に、分散的なネットワークでつながる未来の家の形を構想しようとしている。28のスタディのいくつかが実際に、瓜生山の中腹に実装されており、さらに増えていく予定である。

New Villagescape《生きる建築》

上下左右によるアート教育の試み

同時に、大学院グローバルゼミの共同研究として、1964年から1970年にかけて京都国立近代美術館で開催されていた企画展「現代美術の動向展」を学術的に調査し、「RESONANCES:現代美術の動向展・リサーチ」展として展覧会に仕立てあげ、ホテルアンテルーム京都内Gallery9.5で開催している。「現代美術の動向展」で展開された、コンセプチュアル、キネティック、インスタレーションなど、今日につながる新しい現代美術の萌芽を、新聞、雑誌、カタログ、出品作家のインタビューによって掘り起こしていき、今日の表現との共振性と差異を示している。アーティストの「フィールドワーク」と対をなしており、厚みを与えている。

「RESONANCES:現代美術の動向展・リサーチ」

京都造形芸術大学大学院グローバル・ゼミの共同研究展

会期 12月4日(水)〜 2020年1月13日(月)
時間 12:00 〜 19:00
会場 HOTEL ANTEROOM KYOTO l Gallery9.5(〒601-8044 京都府京都市南区東九条明田町7番)
料金 無料
主催 京都造形芸術大学大学院 グローバル・ゼミ
お問合せ 京都造形芸術大学(代表) 075-791-9122

学生展を高いレベルに引き上げたのは、キュレーションの力であると同時に、大学内の共通工房ウルトラファクトリーの全面的な制作支援にもよる。さらに、公開講評会では、批評家、編集者、アーティストの視点、あるいは彼ら自体が越境的なので、さらに複数の視点から鋭い指摘を次々と入れ、当人たちも気付かない可能性を押し広げていた。上・下・左右による厚い支援があることは特筆すべきだろう。

浅田彰教授
後藤繁雄教授

今回、フィールドワークによって得られた作品群は、いわゆる「教科書」ではないが、多領域の学問と接続し、あるいは切断し、生きていくためのさまざまなヒントを提示している。それは片岡の指摘するように今日の現代アートの役割そのものであろう。多様な社会のフィールドワークから生み出された多彩な表現は、我々の日常への狭い視野を広げ、裏側に回り込み、内側を見直すきっかけとなる。

東京都美術館ではさらに空間を変えて展開される予定であるが、京都造形芸術大学でしか感じられない空間体験を是非堪能していただきたい。

(文・三木学)

<プレビュー展の作品一覧>(撮影:表恒匡)

※東京都美術館での本展ではアップデートされた作品が展示されます。

201 artects.≪Raum Painting for Kyoto≫
山本奎≪ささやかな旅≫
石黒健一≪Work in Progress from Research in Palau and Yap≫
孫天宇≪島とは何が≫
吉田彩華≪大麻布―真実と混沌の狭間で―≫
人見詩央里≪ある風景≫
川上春奈≪浸食の山≫
梶原瑞生≪罰せられた放蕩者または≫
風間大槻≪聖別儀礼≫
太田桃香≪山でダンス≫
本田莉子≪儀式のように織る―大漁旗3.11―≫
高田美乃莉≪装置No.5≫≪装置No.6~No.36≫
山本友梨香≪はこぶね≫
New Villagescape《生きる建築》

 

KUAD ANNUAL 2020 フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート 【プレビュー展】

京都造形芸術大学・学生選抜展「KUAD ANNUAL 2020(東京展)」のプレビュー展を瓜生山キャンパス人間館ギャルリ・オーブで開催。

※「KUAD ANNUAL 2020(東京展)」は、2020年2月23日(日)から26日(水)まで東京都美術館で開催される。

会期 12月3日(火)〜 12月15日(日)10:00 〜 18:00(会期中無休)
会場 京都造形芸術大学人間館1階ギャルリ・オーブ
料金 無料

https://www.kyoto-art.ac.jp/events/2085

 

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    E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp

  • 高橋 保世Yasuyo Takahashi

    1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。

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