SPECIAL TOPIC2017.04.22

京都建築アート歴史映像舞台

井上八千代×蜷川実花 対談「 受け継ぐということ」  ー井上八千代 受け継ぐということ #4

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  • 片山 達貴
  • 服部 千帆
  • 木下 花穂
  • 米川実果
  • 高橋 保世

京舞井上流を現代に受け継ぐ、五世井上八千代。そして稀代の演出家 蜷川幸雄を父に持つ、写真家 蜷川実花。偉大な先人から受け継いだものはなんだったのか、そして後世に残すべきものとは。クリエイティブディレクター 後藤繁雄をモデレーターに「継承」を語り合う。

 

「都をどり」 は劇場に足を踏み入れた瞬間から、
すべての世界観が完成しています。 (蜷川)

後藤 今日は過去と現在、そして未来をどう繋いでいくか。いわば「継承すること」を全体のテーマとしてお話を伺いたいと思います。実花さんには、ご自身の内に演出家のお父様、蜷川幸雄さんから受け継がれていることがあるのではないかと。一方で、200年以上の歴史を持つ京舞井上流のお家元にも、ただ伝統を守るだけではなく新しいものも積極的に吸収しようという姿勢をお見受けしています。まずは実花さんが感じている京都の魅力についてお聞きしたいと思います。

蜷川 小さい頃からよく旅行で京都に来ていたんですけれど、つい最近まで「どこから手をつけたらいいのかわからない場所」というイメージがありました。ずっと「京都を撮りたいな」と思いながらも、太刀打ちできる技術や精神が自分にはまだ育っていないとずっと感じていたんです。後藤さんに手を引いてもらって「今だったらちゃんと向き合えるかも」と思い、京都を撮影したのが2016年。その写真は「trans-kyoto展*」としてクアラルンプールの伊勢丹で展示をしました。そうしたら急に色んな縁が繋がったように京都での仕事が多くなりました。

 

trans-kyoto展、メインビジュアル
©︎mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

trans-kyoto展、展示風景(提供:ラッキースター)

 

井上 実花さんのように世界中を駆け回っている方とはちがって私は京都の中にずっといるようなものですけど、もし京都に魅力を感じていただける部分があるのであれば、京都に暮らす人間としてうれしいことですね。「trans-kyoto展」に展示された芸妓さんや舞妓さんの写真を見せていただきましたが、色彩が溢れている中に彼女たちがふっと浮かびあがる瞬間がとても美しくとらえられている。そこに私は惹かれます。私たち京舞井上流はどちらかといえばシンプルな舞台背景の中で舞を際立たせてきました。けれど実花さんの作品には、入り混じったものの中に浮かび上がる魅力があると感じます。

蜷川 私も去年初めて「都をどり」を拝見して「こんな世界があったんだ」と衝撃を受けました。東京のスタイリストや、先鋭的な仕事をいくつも経験しているクリエーターたちと観に行ったんですが、みんな口を開けてびっくりしてしまいました。「都をどり」の上演時間中だけではなく、祇園甲部歌舞練場に一歩足を踏み入れたときから、すべての世界観が完成している。あのエンターテイメントの素晴らしさは圧巻でした。

京都をどこか誇りに思う部分もあります。 (井上)

後藤 今は芸能に限らずインスタントなものが溢れかえる時代です。泡のようにいろんなものがつくられて終わっていく。当然京都という街もその「現代」を共有しているんだけど、この街にはインスタントとは隔絶したなにか深いものがある。

蜷川 不思議な街ですよね。祇園町は特にそう。まるで花見小路に入った瞬間から魔法がかかるみたい。「磁場」といったらいいのかな。場所の持つ力が強いですよね。長い年月をかけてじっくり完成されている文化なので、下手には立ち入れない魔力があるにも関わらず、どうしようもなく惹き付けられてしまう。

 

都をどりの舞台は、春の訪れを感じさせる青の衣装が魅力的だ

 

井上 中にいる我々から見ても、窮屈に感じることは多いし、面倒なことももちろんありますけれど、心の底では京都をどこか誇りに思う部分もあるんです。多くの人が繰り返し積み重ねてきて、壊れたものをまた再生してきた。そんな強さが京都にはあります。最近は日本のさまざまな地域で、自分たちの住んでいる町や土地に執着する人がだんだん少なくなっているように感じるんです。ですが、京都という街はそこに暮らす人の土地に対する思いがなくなると、その魅力が失われてしまうと思います。一方で、どう考えても生粋の京都人だけでは成り立たない街でもある。外から来ていただく方から影響を受けて、動かされることもときには必要です。特に今は、外の方から刺激を受けて、私たちの気持ちを呼び起こしていただかないといけないときだなと感じています。
これからは祇園も変わっていくのでしょう。そう思うと、これから耐震対策の始まるこの歌舞練場に対しても、より寂しさがこみ上げてきます。実花さんさえよければぜひ今の姿を写真に収めて欲しいです。

後藤 坂東玉三郎さんが、子どもの頃から育ってきた歌舞伎座が解体されるときに、篠山紀信さんに写真を撮ってもらっていました。写されているのはまるで玉三郎さんの目を通したような空間なんです。受付や古いテーブルも、隅々まで写されていて素晴らしかった。

蜷川 本当に、ぜひ撮らせていただきたいです。

後藤 京都の中でも特に劇場は神聖に感じます。実花さんはお父様が演出家だから、子どもの頃から舞台の側で育ってきましたよね。

子どもの頃から劇場や舞台は聖域。憧れも畏れも人一倍。 (蜷川)

蜷川 はい。子どものころから劇場や舞台は聖域だと考えています。私はもともと舞台女優になりたかったんです。結局写真が面白くなって写真家になったんですけれど。父の存在が大きすぎて、舞台に手を出せないままここまで来ているせいか、憧れも畏れも人一倍。「自分は写真家だから」と距離を置いていましたが、40歳を過ぎた頃に、やりたかったことや誘われたことは全部やってみようと思ったんです。そうしたら、舞台のお話もいただくようになりました。

後藤 不安もきっとあるだろうけど、ドキドキしますね。

蜷川 そうですね。中国でも活動していますが、場所ややることが変わると大変です。でも、必然的に120%の力を出さないと追いつかない状況になるので、新鮮な気持ちで常にドキドキできるんです。

 

対談は祇園甲部歌舞練場横にある八坂倶楽部にて行われた

 

後藤 京都って茶室のつくり方ひとつとっても、木目の間隔によって狭い空間を広く感じさせたりして、入ったときに目がどういうふうに移動するか考えられて造られています。京都にはそういった知恵の蓄積がいたるところにみられます。それは芸術の中にもありますよね。舞でいうと、手の所作にはさまざまな知恵が隠れているのではないでしょうか。

井上 そうですね。狭い空間で見ていただくならではのやり方というか。技術的な話でいえば、祖母もそうでしたが小さい体を大きく見せるために手足をできるだけのびのびと動かします。

後藤 なるほど。お家元に伺いたいんですが、京舞の家に生まれていざ先代から芸を引き継ぐとなったときの葛藤や重みってどういったものだったんでしょうか。我々には安易に想像しがたいものだと思うのですが。また、  ご自身が芸を教える立場になって、人間の生き方や所作を、芸を通して若い方に引き継いでいくことへの思いについても話していただけたら嬉しいです。

楽しくなければ、舞台にいる意味がないんです。 (井上)

井上 私の場合は生まれたときに舞で生きることが決まっていたようなものです。祖母の子どもは男3人兄弟で一代あいていましたから。生家は祖父や父も古典芸能に携わっていたので、さまざまな芸能に関わる人たちが出入りする家だったんです。ですから、小さい頃から芸に生きる人々の背中を見て育ちました。今でも思い出すのは、幼稚園の頃、歌舞伎座に連れられて観た祖母の舞台が子ども心にすばらしかった。家での祖母とは別人でした。その日から「この人は凄い」という思いを抱くと同時に、プレッシャーでもありました。けれど、古典芸能であってもその家に生まれた者だけでは後世に繋いではいけないんです。新たな人たちとの出会い、多くの人からのお言葉があるからこそ、舞をしている幸せや刺激を感じられる。「自分は好きな仕事をしている」という気持ちを思い出さないといけない。いつもそう思っています。舞を舞う人にはその喜びを感じてほしい。ある程度稽古を積むと、苦しさだけでなく楽しさを感じるようになります。楽しくなければ、舞台にいることの意味がありません。楽しさと苦しさは表裏一体なんです。

 

舞妓の舞姿、ひとつひとつの所作から美しさが生まれる

 

後藤 昔、テレビで先代が舞っていらっしゃるのを拝見したことがあります。90代の頃だと思います。それは喜々として舞われていたのをすごく覚えていますよ。まるで童心に返っているかのようでした。

蜷川 私の母はキルト作家なんですが、最近はもう少女のようですよ。とにかく無心に縫っていて、楽しくて仕方がないみたいで。けれどそういう夢中になれるものがあるって幸せなことですよね。

後藤 実花さんにとってそれは「写真」だったのでしょうね。「演出家 蜷川幸雄の娘」と言われることに対する反発もたくさんあったと思います。そんな中選んだのが「写真」だった。喜びを見つけるプロセスを経験させてくれた「写真」が実花さんにとってのお稽古だったんじゃなんじゃないかと思います。

 

不思議なことなんですけど、自分の気持ちと写真って直結するんです。 (蜷川)

蜷川 そうですね。「本当に綺麗だな」「本当に楽しいな」って思ったことだけが写真に写っていくんです。不思議なことなんですけど、自分の気持ちと撮れる写真って直結するんです。写真に対する不純物をどれだけなくすか、単純に撮る喜びをどこまで高められるかが重要なんです。

後藤 そういう心がけって、お父様から引き継いでいる部分もありますか。

蜷川 ものをつくるときの真剣さだったり、誠実に物事と対面しようという姿勢は、間近で見ているので私にも染み付いてますね。例えば作品を人様にお見せすることであったり、お金をいただく、足を運んでいただくことの重さは父から学んだと思います。

井上 新劇の世界から商業演劇の世界に移られたとき、お父様は苦しい状況でもなおご自身の意思を貫かれていましたよね。

後藤 新しいことを始めるのは勇気が必要だと思うんですよね。していいことと悪いことを判断するということがきっと一番大切なことだと思います。その基準を判断することは難しいけれど。

 

「祇園に魅了される理由がわかります」蜷川

 

井上 逆に言えば、今は何でもありの時代になりましたでしょう。舞踊や歌舞伎の世界では、かつては音曲は三味線音楽を使うのが当たり前だったけれど今ではちがいます。けれど何かを変える、変わることによって自分の色がまったくなくなってしまう可能性もあります。それならば私たちは色んなところへ大きく踏み出すんじゃなくて、勇気ある小さな一歩を大切にするべきかなと今は感じております。例えば、私は他流の方と一緒に舞台に立たない、つまり異流共演はしないんです。こだわるようだけれど、簡単には変えられないんです。これから先のことはわからないけれど、今のところは。今回「都をどりin春秋座」を公演するにあたっても、舞台美術や演出を大胆に変更するという案もありました。ですがそうではなく祖母の代からずっと支えてくれた技術者と共に伝統を踏襲した舞台にしたいと考えています。変わるなら、彼らと共に一歩を踏み出したい。「変わらないでいてほしい」というお客さんの声も大事にして、今年の「都をどりin春秋座」をつくっていけたらと思います。

後藤 小さな一歩って、大きな一歩でもありますよね、きっと。

 

色んなところに大きく踏み出すよりも勇気ある小さな一歩を。 (井上)

蜷川 今のお話って、最近の多くのことに繋がると思います。今は世界中が「なんでもあり」の状況になっていますよね。だからこそ、なんでもありの状況の中で自分がなにを選び取るのかが大きな問題だと思うんです。どんな基準でどういう一歩を踏み出すのか。それはものをつくる人だけじゃなくて、どんな人にも通じることですよね。

井上 そうですよね。実花さんは、この時代に「蜷川実花」であることをどういった形で表現したいですか?

 

蜷川の作品を眺める五世八千代

 

蜷川 「写真が好きだ」ってことですね。「これを残したい」っていう最初の動機と、シャッターを押す喜び。その大事な部分だけは守り続けようと思って写真を続けています。

後藤 それでは最後に、お家元には「都をどりin春秋座」にかける思いを、実花さんには今後京都でやりたいことをお聞かせいただければと思います。

井上 せっかくいただいた機会ですから、「京舞らしさ」を感じていただける公演をご覧いただきたいと、ただ願っております。

蜷川 私は今後も京都になるべく多く足を運んで、京都を撮り続けていきたいです。もちろん「都をどりin春秋座」も。

井上 うれしいですね。ぜひ。

 

*trans-kyoto展
2016年、「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」のオープンを記念してクアラルンプールで開催された展覧会。京都の伝統的な街並を写真家 蜷川実花が撮りおろした。

 

 

 

 

井上八千代 いのうえやちよ

1956年京都府生まれ。京舞井上流五世家元。2歳から舞の稽古を始める。2000年に井上八千代を襲名。2015年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。現在、京都造形芸術大学芸術学部教授。

蜷川実花 にながわみか

1972年東京都生まれ。写真家、映画監督。2001年に木村伊兵衛写真賞を受賞。主な監督作品に「ヘルタースケルター」など。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事を務める。

後藤繁雄 ごとうしげお

1954年大阪府生まれ。編集者、アートプロデューサー。京都造形芸術大学創造学習センター教授。「独特編集者」をモットーに写真集などの制作を行っており、蜷川氏の写真集の編集も手がけている。

 

 

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    1991年徳島県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科2014年度入学。写真を学ぶ。カメを飼ってる。

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    1996年大阪府生まれ。京都造形芸術大学 アートプロデュース学科2015年度入学。人と人、モノを介したコミュニケーションを学びながらサバイバル中。人生のバイブルは「クレヨンしんちゃん」。

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    1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。

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