京舞へのいざない ー井上八千代 受け継ぐということ #1
- 片山 達貴
- 服部 千帆
- 木下 花穂
- 米川実果
- 高橋 保世
江戸末期の創始から200年以上の間、連綿と続く京舞井上流。力強さと繊細さを併せ持ったその舞姿を現代に継承するのは、京舞井上流五世家元、京都造形芸術大学芸術学部教授の、井上八千代である。
2017年、京舞井上流とともに歴史を紡いできた「都をどり」は、祇園甲部歌舞練場から京都芸術劇場 春秋座に所を移して開催される。京都の歴史に刻まれるこの転換点に、舞の世界に生まれ舞とともに生きる五世井上八千代の姿を通して「受け継いでいくこと」の意義を探る。
特集「井上八千代 受け継ぐということ」。第1回は、京舞井上流家元「井上八千代」の名を頂き鮮やかな舞を代々受け継いできた、5人の女性。流派を創始した初世から、新たな歴史を更新し続ける五世まで、力強く芸道を歩み続けた継承の物語を辿る。
時代の窮地を救った、「都をどり」
明治維新に端を発する東京への遷都。明治2年に起こったその出来事は、京都の人々に、京都衰退の危機感を抱かせた。遷都とはつまり天皇のお膝元として機能していた御所周辺の公家町の大部分が、機能を失うことを意味する。これは、それまで首都として栄えた京都の街に甚大な経済的ダメージを与えることを予測させるものであった。「千年の都 京都」の荒廃の予感はやがて恐れとなり、人々は衰退の恐怖に打ち勝つために、伝統と革新の溶け合った、新たなる京都の繁栄を目指すこととなった。
明治5年、京都再興に向けた手立てのひとつとして開催された京都博覧会。〈第1回 都をどり〉はその余興(附博覧)として、三世井上八千代によって創始された。それは、元来座敷舞であり、少数で舞う「京舞」を、舞台上において集団で披露するという、それまで女性が舞台で舞い踊る興行が存在しなかった日本において極めて大胆な試みであった。三世井上八千代は振り付けや指導のすべてを担当。春夏秋冬を長唄と共に表現し、日本が世界に誇る四季の風情を大いに披露した。クライマックス、冬の場面を終えた舞台は一瞬暗転し、静寂が広がる。その後背景が転換すると、満開の桜が咲き誇り、芸舞妓が総出で艶やかな青い衣装を身に纏い、めぐり来る春を全身で表現する。そのさまはまるで、冬の時代に喘ぐ京都にもいつの日か必ず春の陽射しが訪れることを暗示するようでもある。
およそ100年にわたり都をどりが演じられてきた祇園甲部歌舞練場
「都をどり」は激動の時代に動揺する人々の心を、京都の街が育んだ文化の粋ともいえる艶やかな舞で明るく照らしだした。そこには危機感や不安や恐れに対し、圧倒的な「美」をもって答えようとする井上流の姿勢がある。〈第1回 都をどり〉は、京舞が、ひいては女性が内に秘めた力強さをそのまま世界中の来場者に提示するような、凛とした舞台であっただろう。
京都博覧会は、京都と京文化の健在を全世界に示す絶好の機会となり、来場者数は47,700人にのぼる大成功を収めた。そしてこの成功は、京舞と祇園の結びつきを強固なものとし、これを契機に京舞井上流は唯一無二の「祇園の舞」として知られることとなる。
井上流の身体技法の伝統
京舞井上流の起源は、明和4年に長州浪人の娘として生まれた井上サトによって創始された座敷舞に辿ることができる。後に初世井上八千代となる井上サトは、幼少期より皇室ゆかりの近衛家に仕え、そこで学んだあらゆる芸能をベースに井上流を生み出した。「おいど(お尻)をおろす」と言われる腰を落としたままにすり足で動き、体の芯を残したまま舞う身体技法に特徴を持つ井上流は、能の型や人形浄瑠璃の振りなどといった別ジャンルの表現を、舞に取り入れることで完成されたものである。つまり、井上流はその起源から他の芸能を柔軟に取り込むという「挑戦」を内包した舞といえる。
井上流は「人の心のありようを伝える」静の舞である。振りは少なく、直線的でキレのよい動きが印象的だ。また、あらゆる感情表現を表情ではなく、身体の動きによって表現する。他流派の舞とは異なり、笑顔は厳に戒められ、動かないことで女性の身体の線を際立たせる。鑑賞者と真正面から対峙し、静かに訴えかけてくるような舞。その、嘘偽りなき表現は、現代まで生き続けた井上流の強さに相似する。
五世井上八千代のたおやかな舞姿には息を呑むほどの緊張感がある
井上流は、初世が創造した舞の骨格を二世が流派として体系的に肉付けし、三世が創始した「都をどり」によって祇園と強く結びついた。そして、四世井上八千代は、進化と洗練を遂げた井上流の保存と発展に向かい合うこととなる。振りの少ない京舞にとって、身体の大きさは舞の見栄えを左右する重要な要素のひとつ。三世井上八千代は、男性と見間違われるほどに身体つきが大きく、その舞姿は井上流の持つ力強さをひときわ印象的なものとした。対して小柄であった四世は、舞における身体技法を探求することで自身の表現を確立する。いかにして、自らの小柄な身体と舞のダイナミズムを引き合わせるか。四世の舞は、爪の先まで神経を行き渡らせた繊細な動きと雄大な振りを併せ持つ特徴的ものとなる。ひとりの人間が極限まで稽古を重ね哲学を熟成させることで至る芸の極地は、世界から惜しみなく絶賛を浴び、いつしか伝説の舞手と呼ばれることとなった。
四世の孫であり、現在京舞井上流の家元である五世井上八千代は、2歳の頃から舞いを学ぶ。祖母と同じく小柄な身体つきの五世井上八千代にとって、天才と謳われた四世は憧れであったという。五世はその芸風を「大地に根の生えたような力強さと、生まれたての瑞々しさを併せ持つ」と振り返る。代々が培ってきた京舞井上流の伝統を背負い、五世井上八千代はいま、現代という混迷の時代にあって京舞はどのように在りつづけるべきかに思いを馳せる。2017年4月、祇園甲部歌舞練場の耐震対策に伴い、伝統の「都をどり」を「京都芸術劇場 春秋座」で開催するという大きな決断をした五世井上八千代。代々の家元がそうであったように、五世の身体にも挑戦の熱い血が流れている。
創始より200年を超えて継承され続ける人間の心の表現、京舞。その舞手は、時を超える語り部である。その舞姿に、私たちは時代のうねりに立ち向かう人間の強さと美しさを見いだす。
[文・片山達貴(美術工芸学科4年)/監修・田口章子(創造学習センター教授)]
「特集:井上八千代 受け継ぐということ」は京都造形芸術大学 広報誌「瓜生通信69号」に掲載されています。「瓜生通信69号」はAmazon.co.jpからご購入いただけます。
瓜生通信69号[特集:井上八千代 受け継ぐということ]
特集は京舞井上流五世家元であり、京都造形芸術学部 教授 井上八千代氏を取り上げた「井上八千代 受け継ぐということ」。井上教授へのインタビューをはじめ、祇園町の風景や舞妓を撮影した写真集、写真家 蜷川実花さんとの対談や、五世井上八千代氏の娘であり、未来の井上流を支える舞手、井上安寿子氏による裏表紙の舞姿も見所。
発行 | 京都造形芸術大学 |
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ISBN | 978-4908658044 |
発売日 | 2017年4月1日 |
価格 | 400円(税込) |
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片山 達貴Tatsuki Katayama
1991年徳島県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科2014年度入学。写真を学ぶ。カメを飼ってる。
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服部 千帆Chiho Hattori
1996年大阪府生まれ。京都造形芸術大学 アートプロデュース学科2015年度入学。人と人、モノを介したコミュニケーションを学びながらサバイバル中。人生のバイブルは「クレヨンしんちゃん」。
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木下 花穂Hanaho Kinoshita
1996年愛媛県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2016年度入学。ジャンルを問わずさまざまな芸術分野に興味があり、そのなかで情報デザインを学ぶ。尊敬するデザイナーは佐藤卓。
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米川実果Yonekawa Mika
1996年滋賀県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2015年度入学。デザインが地方に対してできることに興味があり、京都を中心にイベントなどの企画に関わってきた。人生のお供はくるりと穂村弘。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。