京舞井上流の現家元として現代に京舞を継承する五世井上八千代。舞の世界に生まれ、舞とともに生きた人生を振り返り、舞の使命と京舞のこれからを語る。
迷いを振り払える場所。 それは稽古場でした。
20歳の頃は、私が一番舞に夢中やった時代です。そのときの私は、ただただ教わるだけの立場でした。目の前に覚えなければならない課題が山積していて、お師匠さんのもとで一心不乱に学びを積み重ねていく、苦しくも楽しい時代でした。そんな時代を過ぎると、やがて「自分ができること」は何なのかを見つけて、自分の頭で歩んでいく道を選ばなくてはならなくなります。30歳を迎える少し前に、「これまで積み重ねてきたものを次どう活かしていこか」と戸惑いを感じてしまったわけです。芸道を歩む誰もが最初に行き当たる壁なんでしょうかね。
そうやって行き詰まったとき、初心を取り戻すために、迷いを振り払える場所を探しました。私にとって、それは稽古場でした。今でも行き詰まったときは、朝起きて稽古場に向かいます。ただ、単純に、短いものも長いものも、毎日順番にさらう。そうすると、自分が立ち返るべき場所がわかってくるように思えます。
どれほど好きな曲であっても、あるときふと「好きやと思って舞ってたのになあ」と自分の気持ちがどこかへ行ってしまうことがあります。今「この曲ならいつでも舞いたいなあ」と思っていても、数年経ったらまったくちがうことを言っているかもしれません。ですが、今のところは「虫の音」。これは祖母が得意だった曲ですが、私自身も一番好きな曲です。
良い舞を舞いたい。そのためにも、和やかで、穏やかな心持ちを大事にしたいですね。どうしても高ぶるほどに気持ちが保てなくなりますけれど、そんなときこそ「平常心」という言葉を、常に念頭に置いておきたいものです。
お気に入りの舞「虫の音」について語る井上八千代。自然と笑みが零れる
もうひとつ、大事にしたいのは「衆人愛敬」ということ。うちの舞はとっつきにくい舞ですが、多くの人に受け入れていただいて、愛される舞でありたい。もちろん、自分の信じたものを舞うべきですけど、お客様に愛される京舞の在り方を探っていくことを頭の片隅にでも置いておかないといけないと思っております。芸を高めつつ、たくさんの人に楽しんでいただくためにはどのようにすべきか、葛藤は大きいです。そのためにも、京舞はやはり生で観ていただきたいですね。生の舞台が持っている臨場感というのは、他に代え難いものがありますから。
芸を高めつつ、 たくさんの人に楽しんでもらいたい。
今の舞台は、先に全部「こういうところが見どころですよ」と言ってしまう風潮があります。でも本当は、ご自分の感性を信じ、あらゆる先入観を抜きに観ていただいて、たったひとつでもどこかに好きなところを見つけてもらう。そういう観方をしてほしい。京舞にしてもそうです。10分の舞台なら10分の間に、心が動く瞬間を見つける、それでいいと思うんです。
「都をどり」がここまで続いてきたのも、京都の年中行事のひとつとして愛されてきたことが理由だと思います。京都の人って、季節の移ろいを楽しむことが好きですよね。同時に決まった行事には必ず行くという方も多く、「初天神」とか「終い弘法」、歌舞伎も普段はあまり見ないけど「顔見世」だけは行くというような方もいます。そんな京都らしい時間の流れの中で「都をどり」は愛されてきたんやと思います。祇園のそばですから、ついでにお遊びができるというのも魅力的だったんでしょうね。
公演の際には必ず四世の写真を持っていくという
一人の人間が人生を歩んでいく上で、
変化もあって良いと思います。
戦前戦後で京都の人々の暮らしは変わったようです。四世はよく「時代の差」というのを話してました。時代が変わるにつれて、人の心も変わったように思うと。
祇園という街にはさまざまな人がいます。中には戦争の難を逃れて移ってきた人も。地方として自分の技術を今までいた土地で活かせなくなった人がやってきたりしたわけです。そうした人を見ていると、どこかで戦後生まれの人の方がサバサバしているような気がします。一方で、これをやるしかないと信じて戦前の人はやっていたということでしょう。祖母の言わんとすることはそういうことだと受け取っております。「戦後はすごく変わった」という言い方をしていましたから。今も昔も、やはり時代の流れというものはあると思いますね。祖母も長い人生ですから、そのときどきの状況によって芸風が変わっていきました。私もそうですが、一人の人間が人生を歩んでいく上で、変化もあって良いと思います。
まずは京舞を絶やさんこと。これが今後の私にとって大事です。次の世代にちゃんと伝えていけるのかという不安はあります。襲名して17年ですが、自分の舞に夢中になりすぎていたかな、と振り返って反省することもあります。ここ2、3年は、京舞をどのように後世に伝えていくかを、自然と考えるようになりました。京舞を絶やさんためにも、舞っていて楽しいと思えるかはとても大切なことです。寂しい舞であってもどこかで楽しいと思える心をもつことが大事です。舞のあるべき姿というものは、やはり演じる人間が個々に掴んでいかないといけないですから。
もし仮に今祖母と話ができるのならば……ちょっと怖いですけど「今の京舞、いかがですか?」と、尋ねてみたいですね。
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片山 達貴Tatsuki Katayama
1991年徳島県生まれ。京都造形芸術大学 美術工芸学科2014年度入学。写真を学ぶ。カメを飼ってる。
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服部 千帆Chiho Hattori
1996年大阪府生まれ。京都造形芸術大学 アートプロデュース学科2015年度入学。人と人、モノを介したコミュニケーションを学びながらサバイバル中。人生のバイブルは「クレヨンしんちゃん」。
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木下 花穂Hanaho Kinoshita
1996年愛媛県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2016年度入学。ジャンルを問わずさまざまな芸術分野に興味があり、そのなかで情報デザインを学ぶ。尊敬するデザイナーは佐藤卓。
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米川実果Yonekawa Mika
1996年滋賀県生まれ。京都造形芸術大学 情報デザイン学科2015年度入学。デザインが地方に対してできることに興味があり、京都を中心にイベントなどの企画に関わってきた。人生のお供はくるりと穂村弘。
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高橋 保世Yasuyo Takahashi
1996年山口県生まれ。2018年京都造形芸術大学美術工芸学科 現代美術・写真コース卒業後、京都芸術大学臨時職員として勤務。その傍らフリーカメラマンとして活動中。