SPECIAL TOPIC2026.03.17
革新的な試みで、生活の中にアートを取り戻すアーティストの祭典「ARTISTS' FAIR KYOTO 2026 (AFK2026) 」
- 京都芸術大学 広報課
人々の生活に芸術を取り戻し、生活できるアーティストを目指して
アート業界に春を告げる風物詩となって久しい「ARTISTS' FAIR KYOTO 2026 (AFK2026) 」が、今年もメイン会場、京都国立博物館明治古都館(2月21日~23日)と、AFK Resonance Exhibition会場である臨済宗大本山 東福寺(2月21日~3月1日)を舞台に開催された。
AFKは、「Art Singularity(アート・シンギュラリティ)」をテーマに、2018年から既存のアートフェアとは一線を画して、アーティストが直接、企画、運営、販売するアートフェアとして存在感を示してきた。当初は、アーティストが直接販売することに対して、アート作品の販売を担うコマーシャルギャラリーなどから懸念されていたこともある。しかし、今やアーティストが直接、コレクターやファンを持ち、実績を持っていることが、潜在的な市場性や批評性を示し、ギャラリーや美術館といった既存の制度を変容させる新たな生態系を築いている。
初期は京都芸術大学の教員のアーティストが中心となって、アドバイザリーボードとなり、若いアーティストを推薦してきたが、徐々にアーティストを他大学の教員などにも広げ、ニーズの高まりを受け、公募枠も広げている。
ディレクターである椿昇は、本年で9年目、来年10年目の節目を迎えることに対して、これまでの経緯を振り返った。
「多くのアーティストが制作で生活できない状況にある。だからまず卒展をアートフェアにし、作品を購入できるようにし、次にマイナビをはじめとしたスポンサーの応援をいただいて、AFKを開催してきた。明治以降、生活の中から美術が切り離され、美術館で鑑賞するものになった。そのため生活の中に美術を置くという豊かな営みがなくなった。アート市場で高額で取引されることは美術の機能として否定しないが、サラリーマンが自分の小遣いで買えるくらいの手軽な値段で提供して、多くの人が生活の中で美術を見ることを取り戻したい。毎年、AFKに来る人たちは審美眼がついてきて、本当によいものが売れるようになってきている。ぜひ多くの人に作品を買って当事者として参加してもらいたい。」

今回、椿昇(美術工芸学科教授、アルトテックディレクター)、ヤノベケンジ(美術工芸学科教授、ウルトラファクトリーディレクター)、名和晃平(大学院芸術研究科教授)、鬼頭健吾(大学院芸術研究科教授)、池田光弘(美術工芸学科准教授)、大庭大介(大学院芸術研究科准教授)ら17組のディレクター・アドバイザリーボードからの推薦と、公募により総勢40組のアーティストが選ばれた。また、リードパートナーのマイナビの後援によって「マイナビ ART AWARD」が設けられ、最優秀賞に選ばれた中西凜には個展開催、新作制作費として賞金100万円が贈呈された。さらに、優秀賞には、伊地知七絵、白籏花呼、髙橋凜、リベッカ・ドローレンの4名が選出された。加えて、若手批評家を育成するプロジェクト「歴史・批評・芸術」もあり、アーティストを育てる総合的な環境づくりを続けている。
当初AFKは、京都文化博物館別館をメイン会場としてはじまった。京都文化博物館別館内に家成俊勝 (空間演出デザイン学科教授)らが率いるドットアーキテクツの設計により鉄管の足場を組んで、フェンスを張り、2階建ての工事現場のような空間で、人数制限やヘルメットをしながら見る環境は、総合格闘技を見るようなスリルと熱気に溢れていた。京都新聞ビルの元印刷場のあった地下会場も、都市の異空間であり、インスタレーション作品の展示場所として絶好の空間であった。
一昨年からは京都国立博物館 明治古都館がメイン会場となり、今年は京都新聞ビルの建て替えに伴い、京都国立博物館 明治古都館のスペースを拡張して展開された。明治初期の近代建築の装飾的な空間を引き立てるミニマムなブースと、インスタレーションがなじむように、カーペットなどを敷いたブースなどが設けられ、非日常的な演出がなされた。
興味深いのは、ジョサイア・コンドルの最初の弟子のひとりであり、 宮内省所属の建築家、片山東熊の設計で、サロンが開催されていたルーヴル美術館などに代表される、バロック様式を基調とした宮殿建築の博物館に、現代の絵画や彫刻、インスタレーションが空間を覆うように展示されていることだろう。言わば日本の美術がFINE ART(美術)として、生活から切り離されたきっかけとなった空間でもある。逆に言えば、そこからやり直そうという意思表示とも見て取れる。
京都国立博物館会場で特筆すべきは、近代建築とは真逆の茶室「堪庵(たんあん)」であろう。江戸時代初期に数寄屋造り建築の一部として建設され、1958年に博物館に寄贈された。「堪庵」では特別展として、品川亮(大学院芸術研究科 芸術表現専攻修士課程修了)の展覧会「ひとの多い方へ」が開催された。
品川は、今や作品をつくればすぐに売れる人気の画家となった。金箔や墨などの伝統画材を使用し、琳派や狩野派、若冲ら奇想派を思わせる画風で知られているが、もともとは油画を専攻していた。ヨーロッパに留学し、ルネサンスなどの巨匠の絵を見るなかで、日本人の自分が絵を描く意味を考え、日本の画材を使用するようになった。しかし伝統回帰的なことではなく、すでに近代を経て、グローバルな情報を知る、現代の日本人が描く絵として、花鳥風月的なモチーフに加えて、抽象画的な幾何学的な文様が鮮烈な形で現れる。それらは2000年以降の若冲をはじめとした江戸絵画の再評価の影響も大きいだろう。
今回は、江戸から室町まで遡り、山水の手法を取り入れ、10年の画業の区切りに、海外に旅をしてきた経験をもとに、旅をテーマにした作品を茶室の空間に構成した。山水が、画面の下から上にいくに従い、描かれるモチーフと精神が上がるように、階層的になっている茶室にさまざまな作品を配置して、品川の旅を共有するという仕掛けになっている。また、日本の美術が、もともと建築の一部であったことを踏まえ、庭を含めて、建築に添えるように展示されており、ある種の絵画空間の中に入る体験に誘っている。

特に、メインの床の間には、旅先でスケッチしたセザンヌが描いたサント・ヴィクトワール山を墨で描き、畳床には旅先でのりんごをモチーフにした絵を置いている。もう一つの床の間には、縦長の和紙に、雨の絵を描いた。雨は、旅の足止めとして一般的には嫌われるが、「晴耕雨読」として前向きに捉え、畳床には、小さな書見台に本という形式の原点である「聖書」を置いた。古今東西のアーティストの技能や文化を旅をするように自由自在に往還している。
作品の購入自体も、自身が現物を選べないような仕掛けを施し、禅の「頓智」(頓悟)のような遊び心でお客をもてなしている。品川はまさに、画家、アーティストとして独立して活動するロールモデルといってもいいかもしれない。さらに品川の目標は高い。俵屋宗達や尾形光琳、狩野探幽、若冲のように、数百年後に自身の絵が残ることを目指し、耐久性のある素材で絵を描いており、過去を継承して、はるか未来を見据えている。
「ARTISTS' FAIR KYOTO」とともに成長するアーティスト
初期から参加しているアーティストのキャリアもすでに10年近く経つ。
3回目の出品となる品川美香(大学院芸術研究科 芸術表現専攻修士課程修了)も、初期から参加しているアーティストだが、人形のように見える赤紫の髪が特徴的な女の子と、背景に描かれた人工的な花鳥風月を組み合した細密描写による静的な作品が特徴であった。それはかつての牧歌的な風景ではなく、今日の人工と自然の危うい関係をも示唆していた。
しかし、子供が生まれ、生活を営むことを経て、筆致を活かした手法と、動きのある構図へと変化している。若冲やオディロン・ルドンといった東西の幾つもの画家を参照にしながらも、自身の生まれた熊本や現在暮らす京都の自然を子供と一緒に「センス・オブ・ワンダー」を意識して観察し、まさに目が開かれた状態で受けた印象を絵画にしている。それは環境問題に目を向けさせるきっかけをつくった生物学者、レイチェル・カーソンの発見を思わせる。

そのため、以前よりも、寒色の割合が減り、彩度が増えて画面全体が輝いているように見える。それはまさに、生活の中で得たリアルな感覚の描写といってよい。父の飼育している品種改良されたメダカなどが宙に浮いて描かれたりしているのも暗示的であるが、崩れゆく人工と自然のバランスをどう調停していくか、子供が迎える次の世界を切り拓くための新たなステージに立っているといえる。
松岡柚歩(大学院芸術研究科 芸術専攻修士課程修了)も2022年のAFKに参加し、その頃はチェックの背景をベースにカンヴァスを、水平に置いて回転させながら、異なる質感の色面を置いていく作品を制作していた。その後、京都芸術大学で非常勤講師をしながら制作を続け、コロナ禍の経験を経て、「見えないもの」の奥にある構造に関心を持つようになる。2024年の個展以降、多くの色と素材を見せる今までの方向から、すべてを見せる、見えている状態に置くのではなく、隠す、見えない状態をつくることによって、「見る」こと自体を問い、観客に能動的に見ることを促す作品を制作するようになった。

絵画の中央の大半が黒や砂色に塗られており、色彩が見えるのは画面の縁部分だけである。言わば額の中が黒や1色のような作品であるが、それらは後からスプレーで塗装したものであり、よく見ると画面は盛り上がっており、両端の色につながっている。だから鑑賞者は、そこに見えない色を脳で補完して見ることになる。松岡の場合は、かつて見えていた色である。「見えないことを悲観的に捉えるのではなく、面白いものへと変える」と松岡は言う。松岡のテーマは表現から、絵画による対話や想像へと移行したといってよいだろう。私たちは黒や無地の中に見る想像力を試されるのである。
椿野成身(大学院芸術研究科 芸術専攻修士課程修了)も、AFKに出品するのは2021年以来2回目となる。また、2020年には、片岡真実(森美術館館長、ICA京都所長)のキュレーションによる京都芸術大学の選抜展「KUAD ANNUAL 2020 フィールドワーク:世界の教科書としての現代アート」に、同級生の建築科の友人と組んだユニットで選出されたことがある。もともと個人で制作していたが、大学院の2年間のみユニットを組んで活動をしていた。その際、重力に縛られた建築の制限と、制限のない絵画との中間的な形態をテーマに、仮設的で軽やかな作品を制作した。

椿野は、都市や風景のフィールドワークをし、都市の一角や工事現場、風景の中に、記憶の中で同じ「型」を発見したとき写真を撮影している。その重なりの形を切り取り、断片化した上で、それらを組み合わせてコラージュを制作している。それは異なったものを併置させる、シュルレアリスムのデペイズマンの手法ともいるが、断片化された「型」は、一つの造形文字、記号となっており、それらが組み合されることで、言語となっているといえる。
それらのコラージュをある種の下絵として、絵画に仕上げた。油絵具とカンヴァスによる伝統的な油画といえるが、粗く塗っていて全体的に淡い色調になっているため、パステル画のように見える。軽やかで浮遊感のある絵画でありながら、抽象とも具象ともいえない造形文字を組み合わせた、一つの造形言語として精緻に構成されており、見るものの記憶に潜在する造形言語との対話を促している。図と地が同列に描かれており、見るたびに入れ替わる、自由度の高い空間的な構築物といってもいいかもしれない。自身の関心をある種の絵画のフォームに仕上げたといってよいだろう。
テキスタイルを学んだ広田郁也(大学院芸術研究科 芸術表現専攻修士課程修了)は、染料と布を使って、独自の手法を使った平面作品を作り出している。絞り染めのヒントを得て、独自の「絞らない絞り染め」といえる方法を編み出した。具体的な方法は記さないことにするが、巨大な平面に菊の花のような赤と青の斑点が反復されている。立体的な描写にも見えるが、一切の皺はなく、描いた筆致の痕跡もない。薄い布に描かれているが、描写というよりも、電子的なイメージにも見える。

赤と青が対照色相であるため、印象派に多大な影響を与えたミシェル・シュヴルールの指摘する「同時対比」と視覚混合の効果で、画面はチカチカとさらに輝きを増していることもその要因であろう。広田は8畳ほどの小さなアトリエで制作を行っており、広げられた布は、いわば広田の被膜といってもよいかもしれない。今回新たに全長17メートルに及ぶカーテン状の作品を制作した(今回は9メートルに収縮させて展示)。2メートル程度に折り畳んだ状態で、スプレーを吹き付けたり、絵具をかけたりしながら、複数の色を重ねていく。
広げられたカーテンは、折り畳まれて制作されることで絵具が当たらない箇所ができることや、広田の身体的な反復の痕跡があいまって、見たことのない遠くのイメージである「オーロラ」と日常の象徴としての「カーテン」がイメージの中で折り重なる。広田は一貫して巨大な布で空間を覆うことによる、色彩の経験を模索しているといえる。
新たなポートレートを描く試み
白簱花呼(大学院芸術研究科 芸術専攻修士課程修了)は、AFKには初めて参加するが、みずほ銀行京都支店で開催された「Skeptically Curious:価値の変成をめぐる複数の試み」などの展覧会に参加しており、大学の社会実装のプロジェクトがさまざまな経験をもたらしている。今回「マイナビ ART AWARD」の優秀賞を受賞した。今年新たに審査員となった神谷幸江(国立新美術館学芸課長)より、女性の肖像画は伝統的なモチーフだが、自身のポートレートを主体として新たな人物像をつくり出したと評された。また、そのアプローチは、南アフリカ出身の国際的な女性アーティスト、マルレーネ・デュマスを想起すると語る。白簱の絵画は、たしかに自身の顔が描かれているが、特に体に関しては、古今東西の様々な女性像が参照されている。
白簱は、今日では過去と現在が、すべてがデータ化されて並列化しているので、時間軸や体系を考えて描いているわけではなく、気になったものをピックアップしているという。例えば裸婦像のようなものもあるし、女性用の下着の広告のようなものもある。共通しているのは、男性の視線が投影されていて、性的に描かれていることに対する反発や怒りであるという。いっぽうで、古代の女性彫像のように、エロティックなものではなく、生命性の象徴のようなものにも心を寄せる。白簱は、古代ギリシャ語のスカート(衣類)をまくり上げ、性器を見せる動作を指す「アナ・スロマイ(ana-syrmai)」をテーマに、見られることを反転させ、女性像を再構築しようとしている。

そのなかに、手が複数ある作品があり、《ガブリエル・デストレとその妹》のような手つきがあったので確認すると、密教の仏像の印だという。もともと平安時代のややふくよかな仏像、特に平等院鳳凰堂の本尊「阿弥陀如来坐像」の作者で、「和様」の完成者である定朝の仏像に惹かれるという。たしかに平安期の仏像がもつような、ふくよかで柔らかなライン、ユニセックスなイメージが性的なモチーフを調停して、豊かに見せている。また、京都府立植物園でアルバイトしていた頃に関心を抱いた、熱帯植物の中にも同じような形態の面白さを見出し、それがまたポートレートにも反映されているところが興味深い。それらはある種種の性と聖を包括する生命性ともいえ、白簱の普遍的な関心につながっているともいえる。
白石効栽(大学院芸術研究科 芸術専攻修士課程修了)は、韓国の釜山で生まれ、幼い頃、長野県で過ごし、大学と大学院を京都芸術大学で油画を学んだ。現在は、特徴的な白い犬をモチーフに連作を描いている。時に政治的な対立を生む両国に挟まれることもあるため、どのような政治的なものからも逃れた「土着性」を描くために、自身の肖像画を選んだ。しかし、髪型や肌の色など、どうしても細かな自身の特徴が気になるため、釜山から連れて来た釜山犬の愛犬を代わりに自身の投影として描くことにする。愛犬も白石と同じ身で、言葉や環境が合わなかったのか、寂しい思いをしていたという。

釜山犬は、実際は柴犬と似た色をしているとのことだが、どの色にも染まりきれない自身を重ねて白色にした。少し細い輪郭の手足が長い釜山犬は、白石の特徴に似るという。抱き合う女性のモデルは、かつて恋人であった現在の妻である。極めて個人的でささやかな出来事を、犬に託して描いている。リチャード・ディーベンコーンのような抽象画になる寸前の具象画を好み、見るものにさまざまな想像の余地を与えている。全体的に澄んで透明感のある色彩は、蜜蝋を混ぜたり、下地に鮮やかな青を塗り、粗い筆で削るように描くため、下層の色が見え隠れすることで、雪の日に太陽光が反射するような静謐な画面をつくりだしている。その逆に、表面的な属性から切り離され、白石の温かな気持ちが伝わる美しい絵といえる。
松岡日菜子(美術工芸学科卒業)も公募で選ばれたアーティストであるが、京都芸術大学で学んで、京都市立芸術大学の大学院に進んだ。まさに、抽象画になる寸前の具象画といってもよいと思うが、特に実在の被写体があるというわけではない。また、さまざまな芸術作品は見るが、直接的に影響を受けて描くわけではなく、自分の中でろ過されたものから内発的に出て来たものを描き出し、7割程度の下絵と、6色程度の色をつくり、後は、偶然性を活かしながら、作品に仕上げていくという。

モチーフは選考委員の保坂健二朗(滋賀県立美術館ディレクター)の指摘するように、金魚鉢、鳥、女性といったものだが、写実ではなく、本人の中にあるものが、次第に形となって出てきたものといえる。松岡は、すでに世界の中にあるものは、描く必要がないと語る。自動書記とまではいかないまでも、ある種のシュルレアリスム的な手法であり、世界の中に現れることで、初めて意味を持つタイプの絵画であるといえる。
被写体を認識できるぎりぎりまでそぎ落とされた単純化された線と、限定された色が、上層と下層として並置されており、偶然性の中に精緻な構成力が見え隠れする。この揺らぎと構成力が完成度の高い絵画に仕上げているといえるだろう。
社会と自身のトラウマをテーマにしたのは伊地知七絵(大学院芸術研究科 芸術専攻修士課程修了)である。伊地知も、片岡真実のキュレーションによる学内選抜展「KUAD ANNUAL 2019 宇宙船地球号」に出品している。現在は、(株)ヒロココシノで働きながら、制作を行っており、今回は公募で選ばれ、沖縄の基地問題を個人の経験をもとに作品にし、牧口千夏(京都国立近代美術館主任研究員)らに評価され、「マイナビ ART AWARD」の優秀賞を受賞した。

今までは映像やインスタレーションで表現していたが、今回、しっかりと記憶と向き合うために、平面作品として定着することを選んだ。沖縄は、戦争の舞台となって多くの人が亡くなるだけではなく、戦後も基地問題など数多くの未解決の問題を現在進行形で抱えているため、ポストコロニアリズム的な文脈で作品のテーマとなることが多い。伊地知は、そのような社会的な問題ということであると同時に、極めて個人的なトラウマと結びついている。
伊地知が生まれる前の出来事であるが、1959年6月30日に米軍戦闘機が墜落し、自身が通う小学校の校舎に衝突する事故があった。死者18名(児童11名)、負傷者 210名の大事故であったが、パイロットは墜落直前にパラシュートで脱出して無事。事故後、まだアメリカの占領下であったため厳密な調査もなく、事故現場は急速に片付けられた。しかし、この事後は地元の語り部によって継承されており、事故そのものは経験していなくても、克明なイメージが脳裏に浮かぶように記憶の中に刻印されているという。今回、ブースの両端に向き合うように写真と絵画をかけた。写真は現在の小学校であるが、植栽の鮮やかな緑は画像加工で抜き取られ、生気がなくなっている。その緑色は、反対側にかけた事故直後の記録写真を元に描いた絵画に緑を反映させた。それは何度も事故が反芻されることで、暗い影を落とす現在の小学校と、同時に想起される事故現場の捻じれた関係の表象でもある。
向い合うように展示された小学校の絵画と写真の間に、アメリカの公文書館で公開されたパイロットと通信官の会話の翻訳や、体験者の記録集の文字を刺繍で縫い込んで、上からグレーの色を塗った絵画に仕上げた。絵画の上には、墜落した戦闘機F-100Dジェットのプラモデルをつくり、落ちていく様子を、再演して写真を撮影したものから、青焼きにした。まさに、記憶の中で焼き付けられたイメージであり、反芻される文字といってよいだろう。伊地知は、アーティストでしか表現できない社会的事件が、個人の心の中に及ぼす影響を形にしているといえる。
若手から中堅、継続するアーティストたち
山下雅己(美術科卒業)は、アーティストとしてのキャリアは長いが、現代美術のマーケットの本格的な参画は今回が初めてとなる。京都芸術大学が短期大学から4年制になった1期生である。現在、さまざまな場所で創作活動を経て、SNSなどのメディアも活かして存在感を発揮しており、池田光弘がそれを見て推薦した。もともとは油絵を描いていたが、モチーフである人形のようなものを木材でつくり、それに油絵を塗ることから「オイルヒューマン」という彫刻的な作品を制作するようになった。その後、陶芸作家の後輩の協力を得て、陶芸作品としても実現し「セラミックヒューマン」シリーズとなる。サボテンファンに受け入れられるようになり、まさに生活の中に溶け込む作品となっていったという。

近年では、「棍棒」を展示したり、販売したりして話題となった全日本棍棒協会とコラボレーションをして、「セラミックヒューマン」に小さな棍棒を持たせて、魔除け的に使用されるなど、ファンを増やしていっている。過去にはギャラリーに属していたが、現在はフリーの身で作品を販売し、制作活動を継続している。現在のアート業界の造形にはないような形態で、独特の世界観と魅力を放っており、他を圧倒しているのが印象的であった。
絵画作品も継続しており、「オイルヒューマン」や「セラミックヒューマン」が溶け込んでいるような時空が歪んだような油絵の完成度も高い。山下は、まさに道なき道を切り開いてきたパイオニアといってよいかもしれない。品川亮とは異なるが、ある種のロールモデルになるのではないか。
小笠原周(美術・工芸学科卒業)は、一貫して石による肖像のレリーフを制作している。小笠原は京都芸術大学の卒業生らで制作した共同スタジオ、山中suplexを制作拠点にして、制作活動を続けている。
大学生・大学院生、あるいは卒業した頃から参加しているアーティストは、いわばアーティストフェアが勃興した時期に作家活動を続けて来たといってよい。しかし、それ以前の卒業生は、芸術祭が盛んな時期と重なっており、地域課題をテーマにすることが多かった。その中で、どのように活動を続けるか模索してきたのが山中suplexで、現在は、関西のアート・コレクティブとして全国的に知られている。

小笠原は、古典的な石彫彫刻のカリキュラムが大学からなくなるなか、不要になった石材を譲り受け、多くのレリーフを制作してきた。芸術作品というよりも、人々が原始的に求める肖像レリーフのようなものであり、社会と結び付く職人的な在り方を求めている。今回は、後輩であり、AFKにも出品しているアーティストの米村優人が、50代になったときの姿をAIでつくり、それを彫ったり、抽象彫刻の中間形態として、誰もが日常的に食べるシュークリームのレリーフ、さらに自分が長年履いていたくつを、学生がトレーニングする鉛筆デッサンのように彫って作品にした。そしてもっとも巨大な作品として、推薦人でもあるヤノベケンジと、代表作である《SHIPS CAT》を彫った。生活の中でどのような石彫が求められるのか。小笠原の探求は続く。
すでに9回目を迎えるAFKに出展したアーティストには、国内外で活躍する例も増えている。その中から、展覧会の趣旨に合うアーティスト5組(Selected Artists)を選んで、アドバイザリーボードのアーティストと東福寺会場で共演する展覧会「AFK Resonance Exhibition」が今回初めて実施された。
その一人が、米村優人(美術工芸学科卒業卒業)である。米村は近年、京都市京セラ美術館や豊田市美術館などさまざまなところで展覧会を行い、キャリアを積み重ねている。
米村は、神話上の神々などの人智を超えた存在や、自分に起きた自身ではコントロールできない出来事を、「超人」として捉えて人体彫刻を制作している。例えば、「サモトラケのニケ」のような古典的なギリシア彫刻に加え、友達が亡くなったことや、恋人と別れたことなど、自分の心の中にあるがすでにない幻影のようなものを組み合わせている。

ニーチェの「超人」とは異なるが、信仰がなく生き続けるのは難しい。彫刻に例えると、ギリシア神話や聖書のモデルといった規範がない状態で、人体彫刻をどうつくるかは同様に困難を極めるだろう。ただ、「彫刻」といっても、単純に石や木を彫るわけではない。服や木材、ガムテープなどさまざまな素材をFRPで固めて塗装したりする。削るより加える立体作品である。今回は、東福寺会場の二か所に、かつて無数にいた路上生活をする人や、その逆に現在、大量にいる旅行者などをモデルに、人と彫刻における公共性、あいまいな共存をテーマに展示した。公共彫刻の人物像はある意味で理想化された「超人」といえるが、そうではない形態での、新たな公共における人体彫刻の可能性を追求している。
世界の混乱の中で見せるアーティストが示す精神性
昨年、アドバイザリーボーらの作品を方丈で展示していたが、今年は展示範囲が拡張されている。特に話題となったのは、竹林を切り開いて、竹製の「方丈」を滞在制作した「Selected Artists」の黒川岳であろう。

また、例年、Yottaの巨大こけし人形《花子》(2011~)を寝かした涅槃像が、AFKのシンボルのようになっているが、今年はその横にヤノベケンジが、バルーン製の眠り猫タイプの《SHIP’S CAT》像である、《宇宙猫涅槃像》(2026)を展示した。Yottaとのコラボレーションは、2年前の清水寺会場以来となる。

実はこの《宇宙猫涅槃像》は、昨年3月1日から8月31日まで開催されていた後藤繁雄(京都芸術大学名誉教授)のキュレーションによって埼玉県飯能市のハイパーミュージアム飯能で開催された「宇宙猫の秘密の島」展で、会場前の宮沢湖の中につくられた、人工の浮島に置かれていたバルーンの作品《宇宙猫の秘密の島》(2025)である。その時は専用の足こぎボードに乗らないと、浮島まで渡れず、中を見ることもできなかった。その時は、GINZA SIXの吹き抜け空間に展示された巨大インスタレーション作品《BIG CAT BANG》のサイドストーリーとして、地球に生命をもたらした「宇宙猫」の中の1匹が乗っていた偵察艇が不時着したのが飯能であり、その「宇宙猫」が特に創造性が高く、古代から現代までのあらゆる芸術作品を生み出し、その痕跡を見た人間が真似して芸術作品をつくるようになったという設定だった。さらに、その偵察艇が発見され、グランピング施設に改造されたという設定だったので、中の2つの部屋の1室にはバスルームがあり、もう一室にはあらゆる芸術作品のパロディが展示されていた。
今回は、旅をしてきた「宇宙猫」が静かに横たわる姿として展示され、仏教の涅槃像を無防備に眠る猫を通して表現している。しかし、それだけではない。バルーンの中に入ると、モデルとなった眠り猫タイプの《SHIP‘S CAT (Mofumofu22)》が展示されており、さらにとなりの部屋には、同タイプの小さな作品を円形鏡の上に置き、その横にはさらに小さな作品がが並んでいく。つまりマトリョーシカのように、中に入れば入れ子状に小さな《SHIP‘S CAT》の存在を眺めることになる。それはすなわち、日常の中の喧騒から離れ、静けさに身を置く場であると同時に、禅の精神である自分の中の仏性を見る「見性成仏」を何度もくりかえして、悟りに至る様子を表しているともいえる。
方丈に入ると、手前にはオブジェクトを透明の球体で覆う、名和晃平の代表的シリーズ《PixCell》から、鯉のオブジェを透明の球体で覆った作品《PixCell-Carp#9》(2025)が展示されている。それは重森三玲が作庭した「八相の庭」の南庭に広がる枯山水に、想像の池をつくって泳がすことを意図しているといえる。その奥には、中心軸から光輝性の絵具をスキージで回転して円形を描いた大庭大介の《M》(2025)が、外光を反射して輝いており、「八相の庭」の「砂紋(さもん)」と照応している。その裏側の空間に展示された、鬼頭健吾の《star cluster》(2026)も色の重なりの中に、白いフープの軌跡が反復しており、水の波紋のようである。禅が有から無に還る行為だとしたら、池田光弘の作品《afterimage/ghost no.1》(2026)は、無から有にイメージが生まれる過程を定着させているといえるだろう。


奥の床の間の前には、ヤノベケンジの《SHIP’S CAT》に漆芸を施すシリーズで、初めての見返り猫タイプ《黒漆天廻昇龍》(2026)が置かれ、背中から龍が昇る蒔絵が描かれている。法雨(ほうう)を降らせるために、禅宗寺院の天井に龍が描かれるように、猫が修行する人々を見守り、天に昇る龍を誘っている。
大きな床の間には、椿昇の小さな絵画に目が描かれた《The Elephant in the room XS》(2026)が掛けられている。巨大な象であるが目だけ切り取られ、後の体は想像するしかない。2026年、十和田市現代美術館で開催される椿昇の個展「椿昇 フリーダム(仮称)」の起点とされる。どのような展覧会になるかまだわからないが、近年、動物をモチーフに人工と自然の相克を描く、椿の展覧会の中核をなすものだろう。それは、禅問答のように鑑賞者に現在生きている意味を問いただす。それは禅宗に深く帰依する椿の「喝」と言ってもよいだろう。

アーティストもさることながら、2017年からの10年は世界でも激動が続いている。ロシアのウクライナ侵攻、新型コロナウィルスのパンデミック、パレスチナ・イスラエル戦争、第2次トランプ政権の誕生、能登半島地震 、そして地球規模の気候変動。人類はすでに絶滅寸前のところまで追いつめられている。それを見つめるのは、絶滅した恐竜のような生物かもしれない。わたしたちは、芸術活動をしながら、内と外の両方の目を養い、広く社会に目を向けなければならない。ARTISTS' FAIR KYOTOは、芸術活動によって精神的にも豊かな生活を取り戻すことの大切さを教えてくれるのではないか。
(文:三木 学)
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