多様性と持続可能性のあるアート業界を育てる
2018年から開催され、7年目になる「ARTISTS’ FAIR KYOTO」が、2024年3月1日(金)から3日(日)まで京都国立博物館 明治古都館、京都新聞ビル 地下1Fをメイン会場に開催され、アドバイザリーボード展覧会として音羽山 清水寺で3月10日(日)まで開催された。若手アーティストが自立できる生態系の構築を目指して始まった新たなスタイルのフェアは今年も進化を遂げていることを示した。初回から、京都文化博物館別館をメイン会場の一つとして開催されてきたが、今年は京都国立博物館に場所を移し、1897年(明治30年)年に開館した、歴史的な博物館を大胆に使って、多くのアーティストの作品が天井まで埋め尽くすように並べられた。明治古都館を設計した片山東熊は、文博別館を設計した辰野金吾と並ぶ近代建築家を代表する一人で、歴史ある古都京都の文化財保護の拠点で展示できる意義は大きい。
開幕に先立って京都府京都文化博物館 別館で開催された「マイナビ ART AWARD」の授賞式では、今回の出品者の中から最優秀賞・優秀賞が選ばれ、審査委員のコメントと受賞者の挨拶が行われた。なかでも今回、優秀賞を受賞した久村卓は、服の刺繍を追加して、フレームをつけて絵画に見立てたり、通行止めのバリケードに長椅子を足してベンチの背もたれに変えたりするなど、別の機能を加えて、価値や見え方を変える作品を制作で注目を浴びた。1977年生まれで作家歴もすでに20年を超えた中堅であり、キャリアもあるが、「若手」というくくりの年齢制限を大幅に上げたとディレクターの椿昇(美術工芸学科教授、アルトテック所長)は語る。アドバイザリーボードの推薦枠から公募枠など今や京都だけではない国内の多くの作家が集まっている。
椿は、最初は市場のないところから、アーティスト主導で現地で直接手売りするようなスタイルを確立させた。それはアーティストが大学卒業後も持続的に制作するための環境づくりであると同時に、コレクターを育てることでもあった。今や内覧会から多くのコレクターが集まり、作品を購入していくフェアへと成長した。それらの売上は100%アーティストに還元される。しかし、作家が成長していくに従い次のステップが必要となる。そのために審査委員によって審査されるアワードを設け、受賞者は制作費と個展の開催を特典につけた。来年は東京での個展も用意されているという。さらに、海外のアート関係者にも伝わり歴史に残るように、若手批評家と組み合わせて、カタログレゾネを制作するプログラム「歴史・批評・芸術」も追加した。同時に一線で活躍するアドバイザリーボードのアーティストが参加する会場も用意し「芸術祭」としての機能ももたせている。
順調に発展しているように見えるが、まだまだ足りないと椿は言う。例えば、今回出品している作家を集めて美術館で企画したり、海外を巡回したりするパッケージをつくることも十分可能だという。もっと美術館の協力が得られたり、スポンサーがいたりすれば海外に通用するが、そこまで至っていない。インバウンドを期待するだけではなく、もっと自分たちから世界に発信することが必要だと主張する。また、40代、50代の作家を拾い上げる仕組みはないが、その枠組みも工夫することはできるという。今回、初期から「ARTISTS’ FAIR KYOTO」に参加している品川美香(大学院修士課程修了)や西垣肇也樹(大学院修士課程修了)なども公募で採用され、再び展示しているが、それだけ「ARTISTS’ FAIR KYOTO」に出品する意味やリターンが大きい証拠だろう。通信教育部の講師で、X(旧・Twitter)でも120万以上のフォロワーを持つイラストレーター・アニメーターの米山舞や東京や地方からの参加者も多く、より多様で年齢層の広いフェアへと進化している。
過去と現在をつなぐ映像と形
毎年、京都新聞ビル地下 1Fでは、毎年、大型の彫刻やインスタレーションや映像作品が並ぶ。
米山舞(通信教育学部イラストレーションコース講師)は、京都新聞ビル地下1Fの正面奥に巨大な平面作品3点を展示した。といっても単なる平面作品ではない。もともとアクリルをカッティングし、何層にも重ねて、アニメーションのような感情や動きを表現する作品は制作していた。しかし今回は額はなく、人物やエフェクトの輪郭をそのままカッティングして繋ぎ合わせ、フレームのない多層的な作品を制作した。もともとこの手法は、昨年5月に渋谷パルコの個展「EYE」の際、共通造形工房ウルトラファクトリーの協力を得て考案・制作されたもので、今回シリーズとして発展させた。
その際は、台座に斜めに立てかけて見せたが、今回は70キロにも及ぶという作品を、足場パイプを組み上げたフェンスに吊り、より身体にダイナミックに動きが感じられる仕掛けにした。そのような大胆な展示ができるのも、AFKならではであろう。照明はRGB3色の光を当てた上で、画面上で混色したり、反射材を使ったりするほか、作品にネオン管を加えて、発光する演出も加えた。発光量も調整できるという。
米山は、自身のテーマは「変身」であり、その動的な変化を表現しているとともに、固定化しているイラストレーションの表現の枠組みを超えることも込めて、フレームのない方法を選んだという。韓国のアートフェアにも出品し、ますますアーティストの活動と表現の拡がりを示した。
倉知朋之介(Tomonosuke Kurachi)は、情報デザイン学科を卒業後、現在、東京藝術大学映像研究科メディア映像専攻に在籍しているアーティストだ。倉知は3面のスクリーンを使って、どこかにありそうな架空のサバイバルゲームを行っている映像を上映した。タイトルになっている「ラズベリーフィールド」とは、マルチ画面を同期させる基盤「ラズベリーパイ」からとったもので、基盤上のフィールドで行われているゲームという意味がある。
もともと6秒という短い動画をと投稿するSNS「Vine」やTikTokなどで動画作品を発表しており、大学入学後、ユーモラスな映像制作で知られるアーティストユニット「カワイオカムラ」の授業を受け、自身の作品がアートになることを知り、映像インスタレーションをするようになったという。YouTubeやTikTokの流れてくるような動画でもあり、テレビ番組のようでもあるが、3人のやりとりが3面に映し出される様子やエフェクトは、漫画のコマ割りの機能に似ており、画面同士が対話するという今までにない映像表現になっている点がユニークだ。
倉知の映像にも出演している美術工芸学科総合造形コース出身の米村優人(Yuto Yonemura)は、在学中にヤノベケンジ(美術工芸学科教授、ウルトラファクトリーディレクター)や名和晃平(大学院芸術研究科教授)の薫陶を受け、昨年、京都市京セラ美術館のトライアングルで個展「BAROM(あるいは幾つかの長い話)」を開催するなど若手の彫刻家として注目されている。米村は、人物像をさまざまなメディアを用いて制作しているが、自分に起きた自分ではコントールできない出来事を、「超人」として捉え、友達が亡くなったことや、恋人と別れたことなど、自分の心の中にあるがすでにない個人史と、彫刻史を掛け合わせて制作している。
《サモトラケのニケ》のような彫刻史の規範にあるような形態に見えて、実は、自身の服や新聞紙をFRPで固めて白く塗装するなど、メディウムを組み合せ不安定な形で自立している「超人像」は、欠損を抱えながら立つ自身の似姿でもあるだろう。その他にも、人類の規範の前の猿の彫像など、さまざまな素材を使って彫刻史と個人史の規定を揺さぶる作品を制作していることも興味深い。さまざまなメディウムに習熟できたのは、山中suplexなどとの交流も大きいという。先輩や後輩、大学を超えた交流が、現在の米村を形づくっているといえる。
同じく美術工芸学科総合造形コース出身の宮原野乃実(Nonomi Miyahara)は、在学中はヤノベケンジに習い明和電機の「ウルトラプロジェクト」に参加している。在学中から陶芸をメディアにし、現在は東京を拠点に制作している。今回は、東京湾で取れた漂流物、埼玉県の川越でとれた陶製手榴弾、東京湾岸の軍事基地に残るコンクリートなどから制作したシリーズを展示した。
東京湾で取れた漂流物は、さまざまな素材を重ねて陶器で固め、その上にジオラマのコンテナを乗せている。人為的かどうかは別として、それぞれ人工の漂流物であることは変らない。陶製の手榴弾、第二次世界大戦末期に鉄の不足で有田や波佐見で陶器部分がつくられた。しかし、起爆装置の部分は、陸軍造兵廠川越製造所と、その下請け工場である浅野カーリット埼玉工場で大量に生産され、硫黄島の戦いや沖縄戦に投入されたという。戦後、GHQへの発覚を恐れ、びん沼川に大量に廃棄された。宮原はそれらを拾い、現在はその歴史を知られず建てられているロードサイドの家やマンション、ガソリンスタンドの模型を乗せた。さらに、湾岸の砲台など元軍事要塞のコンクリートの上には、小さなゴミの模型やフェンスを金継ぎなどでくっつけている。
中央には、大量の陶製手榴弾と、陶製の漂流物を山積みにし、漂流物などに関する気になった新聞記事などを透明なガラスオーガンジーに手書きで書き写して展示している。また、作品の前には現場を撮影したポラロイドが貼られている。
近年、金継ぎは壊れた器に新たな価値を生む方法として世界的に注目されているが、漂流物や捨てられた陶器の上に現代の模型を継ぐことによって、「忘却されている」という事実そのものを可視化させる方法といっていいだろう。
具象と抽象、個人と社会の間を描く
例年、京都府京都文化博物館 別館で開催されていた展示は、そのまま京都国立博物館 明治古都館のエントランスとホールで展開されており、エントランス部分の過密な様子は移植されたイメージだったが、ホール部分に関しては、今までにない豊かな空間の展示になっていた。設計を担当したのは、家成俊勝(空間演出デザイン学科 空間デザインコース主任)率いるドットアーキテクツである。
例年平面作品が主であるが、抽象画よりもむしろ具象画や具象画と抽象画の中間的な表現が目立った。美術工芸学科日本画コース出身の岡本ビショワビクラムグルン(Bishwobikramgurung Okamoto)は、卒業制作では、淡く滲んで沈んでいくようなさまざまな色彩の水玉の作品が印象的であったが、その後、油画をメインの画材にし、もっと自由に抽象と具象の技法を試すようになったという。ストリートアートや自身の肖像画に近いものもあるが、それも最初から決めたものではなく、置いた色や形状から連想し、画面を構成していくという。色も滲むような手法から、突起物のような点描にしていく手法や、油絵具を加工して切り絵のように張り付けていく手法など、さまざまな美術史の手法を自分なりに反芻しながら、独自の世界観を切り開いていく過程が見て取れた。
美術工芸学科油画コース出身の西凌平(Ryohei Nishi)は具象画とはいえるが、写実的な絵画ではない。日本人を描いているわけでないが、どこかで見た絵のような既視感がある。しかしそれが何なのかはたどり着けない。かといって、西の心象を表したようなシュールレアリスム的な方法でもないという。一応、描きたいものや構図は決まっていて、それを元に描き始めるが、プロセスの中で変わっていくこともあり、どのようなものを描いたかは明示していないという。ただ、音楽ジャケットや物語のようなものには着想を得ることがある。
着色した色によって作品が変わることもあるとのことだが、特に背景に塗った色の、補色のような色を粗く重ねて前後の色が透けるような透明感と同時に複雑な色のニュアンスやマチエールになる手法が特徴的である。現実でも非現実でもない間の世界感を表現するのに適した方法だろう。
美術工芸学科油画コース出身の丸井花穂(Kaho Marui)は、日々思いついたことや出来事を大きな模造紙に下からペンでドローイングしていき、上まで到達すると別の紙にまた繰り返すということを日常的に行っている。ドローイングに物語はないが、ユーモラスな裸の人物画や植物や動物、記号、文字などが描かれ、それにまつわるエピソードを想像させる。ただし、抽象化しているのでそこから出来事を思い出すことはあまりないという。
所々色が塗られ、自分が気に入ったものが絵画になっている。また、中には背景がいらないものは発砲スチロールに布を貼ってその物体だけを抽出して絵にしているという。一見漫画的に見える独特なドローイングは、幼少期に漫画を読まず禁止された過去があるから自身で漫画のようなものを描き始めたという逆説的な経験から生まれたというのも興味深い。
ドローイングは独特なマインドマップのようでユーモラスで、ドローイングだけを展示しても十分面白いだろうし、そこから抽出した絵画やオブジェの関係性が可視化される展示ができればよりインパクトのあるものになるだろう。
国立台湾芸術大学 芸術学部 美術学科領域出身の廖元溢(Liao Yuan Yi)は、台湾出身で大学の頃は木彫をやっていたが、京都芸術大学の大学院に留学し、刺繍を始めた。木彫は制作に時間がかかることもあり、彫刻に展開する前のアイディアやメモとして連作をはじめ、刺繍の持つ立体性に加え、さまざまなテッシュペーパーを染色してから顔などに貼り付けたり、色鉛筆を上から塗ったり独特な淡い質感と、ユニークな線画と刺繍による独特な世界観を持つ作品に仕上がっている。それらは、すべて廖と人との関係を表しているという。
大学院のときの友人と自分の関係や、その他、いろんな場面での人間関係、人と人との結びつきが描かれている。はっきりした内容はわからないが、その色彩とメタファーのような絵から想像することはできる。作品の長期保存のことも考えて、和紙を使うことも検討しているという。刺繍画としての独自の表現を確立しており、彫刻も含めた今後の展開が楽しみでる。
美術工芸学科油画/版画コース出身の吉浦眞琴(Makoto Yoshiura)は、銅版画を行っており、現在は京都芸術大学の技官として働いている。当初は線画だけエッチングで、写真やスケッチを元にしたものではなく、記憶をたどりながら、植物的なモチーフや血管のようにも見える線によって、細密な画面を構成している。
大型の作品として、明日香村の甘樫丘の近くに雷丘(いかづちのおか)の由来として、『日本霊異記』に残る雷(神)をつかまえた雄略天皇の家臣の話を読み、実際に雷をつかまえられると思っていた古代の人々に想いを馳せた作品を展示している。空想的なモチーフでも、現実の人間関係の悩みや葛藤なども反映されており、それらの悩みがなくなると同時に、複雑な線画の形態がより軽やかになり、昨年からは色彩を使ったドライポイントに挑戦しているという。色彩を使った版画は、造形や色彩の対比と動物が文様的に描かれ、正倉院に収蔵されている刺繍や絵箱の文様を思わせる、天平風の造形や配色になっており、西洋由来の版画の技法を使いながら自分の太古とつながるイメージになっているのが興味深い。
ホールには、1回目に参加したという、大学院修士課程出身の品川美香(Mika Shinagawa)の巨大な作品と小作品が飾っている。品川によるとすべて2023年秋から2024年に制作した新作だというから驚く。品川は花鳥風月のような日本絵画風の背景と、人形とモデルを組み合わせた人物像を組み合わせ、非現実的な鮮やかな配色と人工感のある絵が特徴だが、子供が生まれたことによってその世界観が変わりつつある。人形の顔は自身の子供の顔と融合され、平面的な絵画から西洋画のモチーフや痕跡を意図的に残したタッチも加えており、そこには観念的な世界から、生命を育む毎日から得た生々しさやリアリティが入り込むようになっていることも要因にあるだろう。
そのこともあり、「命あるものの価値」を表現することが自分の絵画だと実感するようになったという。今回は新たに人物像ではなく「モノリス」のようなイメージで、2017年に発見された、太陽系の外からやってきた恒星間天体「オウムアムア(ハワイの言葉で遠方からの使者・斥候)」をモチーフにした石を描き、地球の外から生命の因子が来たことを思わせる作品や、頭蓋骨を初めて描き、「死を想え(メメント・モリ)」の警句であるヴァニタス(寓意的な静物画)を制作した。ヴァニタスもペストの流行と無関係ではないと言われているが、コロナ禍という死と隣り合わせの時代に子供を産み育てるという稀有な経験が、品川を次のステージへと運んだといえるだろう。品川は、子供を育てながらも制作を続けて来て人達を尊敬し、自分も続けられるように頑張りたいと語った。品川作品はさっそく評判となっており、中堅の作家にとっても多くのコレクターと話す貴重な機会となっていることが証明されていた。
歴史を遡り、未来を考える聖地
音羽山 清水寺は、アドバイザリーボードの作家たちが、花を添えた。一昨年に初めて会場となり、昨年は東本願寺の飛地境内地の池泉回遊式庭園「渉成園(枳殻邸)」で開催され、今年は2回目となる。コロナ禍の規制が緩和され、多くの外国人観光客が集まるなか、巨大なこけし像であるYottaの《花子》(2011~)とヤノベケンジの《SHIP’S CAT》シリーズの最新作で、巨大な羽を取り付けた、《SHIP’S CAT(Ultra Muse Black)》(2024)には多くの人が押し寄せ、熱心に写真を撮影していた。
さらに、経堂を使用した田村友一郎は、その名も能の演目『田村』をモチーフにした《田村/TAMURA》(2024)を発表した。『田村』は清水寺の創建に大きな役割を果たした、征夷大将軍、坂上田村麻呂の化身である箒を持っている少年が登場人物である。なんと昨年から田村は自身の田村姓であるという縁から本籍を清水寺にうつしており、経机には謡本と田村の戸籍が置かれている。経堂内には、同じ田村姓の少年が箒で堂内を掃いており、ときおり観客に話しかけ、来歴を語る。まさに、夢か現かわからない幽玄の世界を立ち上げることができるのは、清水寺という舞台ならではであろう。
前回も展示に使用された成就院では、玄関前の床の間にヤノベケンジと米山舞の共作である、《SHIP'S CAT(Sun Carrier)》(2024)が展示されている。これは、ヤノベの《《SHIP'S CAT》シリーズの中で、漆細工を施す小作品で、背中に円形のモニターを乗せている。そこには米山が制作した、ヤノベの《サン・チャイルド》(2011-2012)が持つ手の平の「太陽」が、 《サン・シスター》(2015)の手に渡り、また《サン・チャイルド》の手に戻るということを繰り返すオリジナルアニメーション映像が流れている。それはまるで、春日大社の白鹿が、鹿島神宮から春日大社まで武甕槌命を乗せていくという由来に基づいてつくられた彫刻「春日神鹿御正体」や「春日鹿曼荼羅」のようである。それを船乗り猫によって「太陽」が運ばれ、《サン・チャイルド》から《サン・シスター》に手渡されるというストーリーに仕立てるのがヤノベと米山のオリジナリティであり、彫刻とアニメーションの組み合せによってさらに独自性のある作品になっている。
同じく、庭の横にある大きな床の間には、ミヤケマイ(美術工芸学科教授)が巨大な掛け軸と3つの伊達冠石(だてかんむりいし)を合わせた。掛け軸の中央の円相には、点線の文字で「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」と記載されている。ラグビーでよく使われる合言葉として知られているが、フランスの文豪、アレクサンドル・デュマが書いた『三銃士』に出てくるダルタニヤンと三銃士との誓いの言葉である。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と理解されているが、「みんなは一つの目的のために」等の解釈がある。そこには西洋の騎士道的な精神が流れており、東洋思想にも近いと感じるとミヤケは言う。
ミヤケは西洋文化と日本文化の精神規範や象徴体系、有職故実を現代的な感覚で合わすことに長けているがこれもその一つだ。掛け軸の天地には今年の干支である龍が顔や胴体を覗かせ、三銃士の剣ならぬ玉を持っている。3つの玉が1つになったとき、中央の「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」の大きな玉になるといってよいだろう。
さらに大きな床畳の上に、床板を置きその上に2つの伊達冠石、隣の棚にも同様に伊達冠石が飾られている。3つの石は、それぞれ丸、三角、四角の形状に近いものが選ばれている。すなわち造形における3つ要素であり、仙厓義梵が禅画に描いたような宇宙を表す構成要素でもある。その上にはいくつかのガラスがつけられ水道水が入っているという。伊達冠石は、約2000万年前の火山活動によって形成された玄武岩溶岩・火成岩で非常に硬い。一方ガラスは割れる脆いものだが、主に石英粒からなる砂である珪砂で出来ており、ガラス自体は100万年経たないと風化しない。つまり現在の水道水のタイムカプセルでもあるというわけである。それは「永久」ともいえる時間であるが、何代も生き延びる芸術の命の象徴でもある。果たしてその未来を人類は見ることができるだろうか?
庭の水鉢の上に、黄金のヤンマを置いたのは椿昇である。産卵のために水面を叩く動作を表している。実は、3億年前の石炭紀、メガネウラと称された、30cm以上の大きさの肉食のトンボがおり、空を飛び回っていたという。古代の昆虫は当時の地球の大気の酸素濃度が高かったために巨大化したと言われている。現在、電気自動車への転換がはかられているが、中国などでは電力の依存度は石炭火力が大きく、二酸化炭素排出の解決に至っていない。それはまさに大森林に覆われたメガネウラの時代の遺産であり、これまた人新世の結果、人類が滅んでもトンボは残るという警句にもなっている。この1点を見ても、椿は短期的なスパンの成功を求めていないことがよくわかる。
清水寺という古い伝承が残るお寺と、現代を結びながら、さらにはるかな尺で人間を見つめようというアーティストの行為は現代社会を生きる上でも示唆を与えてくれるに違いない。寺院、近代建築、現代建築で開催される「ARTISTS’ FAIR KYOTO」は、京都から世界に発信する大きなプラットフォームに向けて着実に歩みを進めているといえるだろう。
(文=三木 学)
京都芸術大学 Newsletter
京都芸術大学の教員が執筆するコラムと、クリエイター・研究者が選ぶ、世界を学ぶ最新トピックスを無料でお届けします。ご希望の方は、メールアドレスをご入力するだけで、来週水曜日より配信を開始します。以下よりお申し込みください。
-
京都芸術大学 広報課Office of Public Relations, Kyoto University of the Arts
所在地: 京都芸術大学 瓜生山キャンパス
連絡先: 075-791-9112
E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp