REPORT2025.09.01

アート教育

「旅」のはじまり──DOUBLE ANNUAL 2026 東京合宿レポート

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  • 京都芸術大学 広報課

 「遠くへ旅する者は多くの物語を語ることができる?/Long Ways, Long Lies?」——異国のことわざに着想を得た今年のテーマが学生たちに投げかけられた。京都芸術大学(京都)と東北芸術工科大学(山形)の精鋭が、この問いに応じて作品を構想し、互いに刺激を与え合いながら展覧会を作り上げる。旅と物語、真実と虚構が交錯する創造の現場へ、読者の皆さんもぜひ足を踏み入れてほしい。

 東京合宿1日目のレビューは、DOUBLE ANNUAL 2026にアート・プラクティショナーとして参加中の京都芸術大学アートプロデュース学科3年生、米林空が担当する。


DOUBLE ANNUALとは何か?

 「DOUBLE ANNUAL(ダブル・アニュアル)」は、京都芸術大学と東北芸術工科大学の全学部生・大学院生を対象とした合同学生選抜展だ。2016年に京都で始まった選抜展が2022年から両大学合同となり、現在の形に発展した。第一線で活躍するキュレーターを招聘し、その提示するテーマに学生たちが応じ、制作指導を受けながら作品と展覧会を作り上げる、というユニークな芸術教育プログラムである。選抜制ゆえの実践性とクオリティが求められ、学生ながら「アートになにができるのか?」と自問し挑戦する、刺激的でハードな場でもある。2025年度のテーマは「遠くへ旅する者は多くの物語を語ることができる?/Long Ways, Long Lies?」。これはベルギー・フランドル地方のことわざ「Wie verre reizen doet, kan veel verhalen(遠くへ旅する者は多くの物語を語る)」を疑問形に改めたものである。旅人の語る武勇伝には尾ひれが付き、真偽は定かでなくなる──そのような含意だ。考えてみれば、創造的な営みであるアートもまた、私たちを未知の世界へ連れ出しつつ、主観と想像に彩られた「旅」と「語り」の戯れを世に放つ行為なのかもしれない。旅が生む物語は必ずしも真実ばかりではなく、むしろ「嘘」や誇張によって普遍性を帯びることもある。それが芸術の効用でもある、と京都芸術大学側のディレクター堤拓也氏は指摘する。本テーマには、グローバルな激動の時代を踏まえつつも自分たちの足元のローカルな視座から問い直してほしいという狙いも込められている。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化や、イスラエルとパレスチナ間を象徴として表面化する植民地の問題、さらにポストパンデミック時代という言葉はすでに後退し、AIの本格的な台頭に加え、地政学的緊張や気候変動、公共圏をめぐる再編とその揺り戻しなど、転換期にある世界情勢を背景にしつつ、それでもなお「自分たちの日常から世界をどう見つめ、どんな物語を語り得るのか?」——学生たちはこの難問に挑むことになった。


東京合宿1日目

 「DOUBLE ANNUAL 2026」の公募は2025年春に幕を開けた。5月末の応募締切までに、京都芸術大学・東北芸術工科大学の両キャンパスから数多くの作品プランが寄せられる。6月中旬には書類選考の結果が通知され、同月下旬には京都と山形で対面による二次選考——プレゼンテーションと面接——が実施された。その熾烈な審査を経て最終的に選抜されたのは、両校合わせて11組16名の作家と7名のアート・プラクティショナーだった。7月初旬、両校の選抜メンバーは東京へ集結し、プログラムのキックオフとなる「東京合宿」に臨んだ。

東京合宿1日目、東京都港区に位置する外苑キャンパスの様子 

2025年7月5日、外苑キャンパス(京都芸術大学・東北芸術工科大学の東京拠点)で、1泊2日の合宿が静かに火蓋を切った。初日はプロジェクト全体のオリエンテーションに続き、各自の作品プランのプレゼンテーションが行われた。昼食を挟んだディスカッションは終始和やかで、夕刻には六本木界隈で交流会が催され、京都と東北の垣根を超えたチーム・ビルディングが図られた。


 今年度のテーマが突き付ける問いに応答すべく、学生たちは“旅”と“語り”のダイナミクスを読み替え、多彩な試みを提示した。そこから浮上したのは〈ローカルの普遍化〉と〈手続き/偶発の漂流〉という二つの連続的地平であり、いずれも旅の「距離」と「嘘」を複層的に可視化している。

 第一軸〈ローカルの普遍化〉が示すのは、きわめて個人的な経験を出発点にしながら、その記憶を別のスケールへ引き伸ばし、異質な素材や時間軸を縫い合わせることで普遍的な問いに着地させる方法論である。

作品プランを話す川口源太(東北芸術工科大学大学院 複合芸術研究領域 修士1年)

 川口源太(東北芸術工科大学大学院 複合芸術研究領域 修士1年)のプロジェクトは、このロジックを端的に可視化する。彼にとって植物のナガミヒナゲシは、子どものころ空き地でさやを弾いて遊んだ“春の遊具”であり、鮮烈な色彩と触覚を伴った私的な原風景だ。しかし同時にこの花は、19世紀の園芸ブームや戦後の物流網に乗って地中海沿岸から日本のアスファルト舗装へ根を下ろした外来種であり、いまや「強害雑草」として駆除ポスターに掲げられる存在でもある。川口はこの二重のタイムライン──身体に刻まれた幼少期の記憶と、世界規模の移動史──を“旅”というメタファーで束ね、個と世界、記憶と歴史の距離を交差させる。この過程で川口が狙うのは、ナガミヒナゲシをめぐる一元的な「駆除か否か」という世論に対してアンチテーゼを提示し、複数の価値軸が交錯する余白を創出することだ。雑草というレッテルを剝がし、素材・物語・記憶として再定位された花は、見る者に第三の選択肢を想像させる。つまり川口の作品は、ローカルな体験を異質なマテリアルへ翻訳することで、その背後に潜む環境倫理や文化史を可視化し、鑑賞者自身が生態系と記憶を再編集する契機を提供するのである。

 同様にローカルを拡大鏡にする試みは、スクリーン越しにしか存在しない遠距離恋愛の世界を素材変換によって共有可能な触覚へと開き直すTANG QINGYUや、山形県蔵王・竜山に残る山岳信仰の断片的な情報と嘘を掛け合わせて「信ずる」ことを問い直す〈FLO〉(佐々木陽和、佐藤創瑠)などにも見られ、第一軸は多層的な広がりを見せている。

 第二軸〈手続き/偶発の漂流〉は、手続きや偶発の中で漂流することを旅の本質とし、些細な出会いやズレをそのまま受け入れ、痕跡を折り重ねながら提示する実践である。

作品プランを話す宇野真太郎(京都芸術大学美術工芸学科 総合造形コース 4年)

 宇野真太郎(京都芸術大学美術工芸学科 総合造形コース 4年)のプランは、その漂流ぶりを端的に示す。彼が惹かれたのは、京都・出町柳の団地にある住民用喫煙所でベンチ代わりに放置されたコンクリート製の虎だった。ある日、自転車で虎の前を通り過ぎる瞬間にMAXの『TORA TORA TORA』を聴いていたところ、ストリーミングの自動再生で宇多田ヒカル『SAKURAドロップス』が続けて流れた。失恋と桜吹雪を重ねた歌詞と虎の姿がリンクし、自身の作品群には常に「SAKURAドロップス味」がかかっているのだと気付いたと宇野は語る。この思考の跳躍こそが、宇野にとっての旅の原動力となる。フィジカルな行為も同様に漂流的だ。学校近くのリサイクルショップで“2000円”の値札が貼られた小さな虎の置物を購入し、店内で売られていた端材の木で一からコピーを彫り上げ、再び店に持ち込んで同じ2000円のシールを貼ってもらう——流通と複製を一筆書きで往復させるプロセスそのものを作品化する計画である。また、6分間にわたって鳩が飛び立つのを待ち続けた映像、団地で偶然出会った少年の身振りなど、散歩中に拾い集めたモチーフを次々と組み込み、展示空間を“寄り道”の痕跡でパッチワークする構想も語られる。こうした断片は完成品というより、「まだどこにも定着しない」過程のレイヤーである。虎の彫刻は遊具と建築のあわいに位置し、コピーと原型、実物と置物、音楽と記憶が絶えずズレながら重なり直す。その編集の反復こそが〈手続き/偶発の漂流〉の本質であり、観客は“完成品を見る”のではなく、“漂流し続ける制作の現在地”と向き合うことになる。

 「漂流」を選んだ作家は他にも、山登りとドローイングを共通の呼吸に変え、「描く/登る/消す」を往復するプロセスを一枚の壁として編む〈飛聲〉(XU JUNYI、岩田奈海)、“疑似ダウジング”で決められた土地に訪れ、その様子をカメラとレコーダーで実況する〈忠丘巣迷(ただおかすまい)〉(チ田真之助、久保廣汰)などが挙げられ、第二軸はさらに予測不能の方位へ開かれている。

 もっとも、今回の東京合宿で示された多様なプランは単に二軸へ収束するわけではない。作家たちはその狭間を揺れ動き、ときに飛び出す射程を秘めている。2026年2月、東京・国立新美術館で幕を開ける本展までのあいだに、彼らの“旅”がどこへ辿り着くのか——その行方は誰にも計り知れない。こうした多様なプランを春から見届けてきたディレクターの2名は今年度の状況を以下のように評している。

テーマに迎合するのではない主体的探求

本年度で2年目の指揮となる東北芸術工科大学側のディレクターである慶野結香氏はまず、応募状況について昨年より応募者数が減少した理由を分析している。「DOUBLE ANNUAL自体の認知がまだ限定的なのかもしれないし、『どんな作品でも応募可能』と言いつつ現代美術的な了見の狭さが拭えないのかもしれない。また想像以上に学生にとって労力的・金銭的負担が大きいからか、学内外に機会が増え続ける中で、現役キュレーターの長期指導付きグループ展という機会がそこまで魅力的でないのかもしれない」と、多角的に言及する。さらに「大学の名のもとに行われるものに限らず、自分でチャンスを創出できる環境にあればそれに勝るものはない」と、現代の学生を取り巻く環境にも言及し、プログラムの在り方を常に考え続けたいと述べている。応募者減少への危機感から始まった慶野氏の選評だが、肝心の応募内容については「昨年度よりも力の入ったものが多く、思考の結果がきちんと言語化されている応募書類が印象に残った」と評価している。テーマの解釈についても、「テーマにただ応答して特別な作品を作ろうとするのではなく、自分が普段取り組んでいる実践の延長線上にある意欲的なプランを中心に据え、その上でテーマとの関連性を意識的にプロポーザルしている提案が魅力的に映った」と述べている。これは、テーマに迎合しすぎず自身の探求を貫いた応募者を高く評価したことを示している。さらに慶野氏は「作品単体ではなく、作品を社会化する意義を念頭に置き展示として展開可能なプランを支持したい」とも記し、作品世界を社会にどう開くかという視点を強調した。

未完成を肯定する「旅」と「語り」

京都芸術大学側のディレクターを昨年度から務める堤拓也氏は、多様なプランが集まった今年度の応募傾向を評し、「旅や語り、真実と虚構のあいだを行き来するような提案はもちろん、『遠くへ旅する』という行為自体を地理的移動だけでなく記憶や制度、歴史、個人の時間軸に置き換えて読み替える柔軟な応答が数多く見られた」と述べている。完成形を示すのではなく未完の可能性をあえて提示する意欲的なプランが多かったことも特徴だったと言う。選考を振り返り、「展示当日まで何がどう立ち上がるのか計り知れないプランが多く、10分程度の対話の中でその未来を予測するしかない審査だった」と明かすように、未知数の可能性に賭けるのがDOUBLE ANNUALの醍醐味なのだろう。過去作品を再構成すれば質を担保しやすい反面、DOUBLE ANNUALの枠組みでは安定性を一度手放すことからすべてが始まる。そのスリルとハードルを承知のうえで、堤氏は「限られた予算・空間・スケジュール…現実的な条件と折り合いをつけながら、それぞれの語りを社会に差し出す方法を皆さんと一緒に考えていきたい」と語る。テーマについて議論する堤氏の言葉は印象的だ。「アートとは何かを暴くための言葉であると同時に、何かを隠すための仮面でもある。真実かどうかではなく、その語りがどれだけ他者と交差し、鑑賞者に対して新たな旅を誘発するかどうか——そうした問いかけと想起に満ちた展示になることを心から期待している」。創造の営みにおける「語り」と「旅」の本質を捉えたこの視点は、まさに企画全体の方向性を示すものだろう。堤氏は参加学生たちに対し、個々の物語が社会と交差し、新たな旅路を鑑賞者に開かせるような展示を共に作り上げたいと願っている。

講評を行う慶野結香(右)と堤拓也(左)の様子

東京合宿2日目

 東京合宿2日目のレビューは、同じくDOUBLE ANNUAL 2026にアート・プラクティショナーとして参加している、京都芸術大学アートプロデュース学科3年生の坂本茉里恵が担当する。

 キャンパスを飛び出し、実際に美術館に赴いて見学する2日目。最初の見学場所・森美術館に集まったメンバーは、各々の顔にやや緊張が見えた合宿初日の朝からすっかり打ち解けた様子で、和やかに談笑する姿があちこちで見られた。森美術館を訪れるのは初めてというメンバーもいるなか(かくいう筆者もこれが念願の初訪問だ)、今回見学したのは開幕間もない展覧会「藤本壮介の建築:原初・未来・森」である。

 今まさに会期中である大阪万博の大屋根リングを手掛け、一層の注目を集める建築家の藤本壮介。本展は、彼がそのキャリアのなかで生み出してきた幾多ものプロジェクトを通観することで、北海道に生まれた藤本の原風景が「森」のイメージを鍵に都市への関心に接続され、未来都市のビジョンへと繋がっていくさま、まさに原初と未来の「円環」を描きだそうと試みるものである。大阪万博で実際に大屋根リングを目にしたメンバーもいるなか、「建築にフィーチャーした展示」がいかにして実現されるのかと高まる期待。そんな我々を会場で出迎えてくださったのが、森美術館の館長でありDOUBLE ANNUAL 2026の監修を務める片岡真実氏である。今回の見学はなんと、片岡氏による解説で展示を巡るという、またとない機会なのだ。

 より一層期待が高まるのを感じつつ展示会場へと入った我々の目に飛び込んできたのは、空間全体を埋め尽くすかの如く広がる、藤本の思索が形となった模型の数々。眼前に広がる圧倒的な物量と不思議な浮遊感に満ちた空間に、思わず皆が息を呑んだ。実際の建物こそが最終的な作品となる建築、とはいえそれを展示という形へと落とし込むにあたっては、「最終作品」を体験することができないという制限が常につきまとう。「建築そのものを空間として体感できないか」という問いからこの展覧会の制作が始まった、と語る片岡氏。この展示空間だけでも、実に100点以上の模型や図面、竣工写真が並んでいるという。

会場にて。展示空間の細部にも注目しつつ、片岡氏(中央)の解説に耳を傾ける一同。

 「あらゆるものが建築になる」という考えのもと、木材からポテトチップスまで(!)実に多様な物質を用いて、建築に内在する多元的な可能性の「森」をさまよっては手を動かし続ける藤本のクリエーションには、「囲われていながらひらかれてもいる」、つまり対極的なものが同時に存在する状態への志向が通底する。これを展示として再現すべく、台座を設置することで空間が窮屈な印象にならないよう展示物を天井から吊るす手法を駆使するほか、一般的な箱型の台座を使うのではなく、細い脚の台を高低差をつけて用いることで、フロアを占める物量の多さに対して軽やかな浮遊感を際立たせる空間がつくりだされた。実際の建築物は見ることができなくとも、展示空間を体験することを通じて、藤本の建築観に出会うことが可能となる構成。我々は展示物の間の入り組んだ通路を行ったり来たりしながら、視界いっぱいに広がる彼の試行錯誤から生まれた様々な「形」を観察すると同時に、「最終作品を実際に展示できない」という制限を飛び越え、藤本のキャリアを貫く建築や都市へのまなざしを鑑賞者が体感的に味わえる「体験」として構成された展示のあり方に目を注いだ。

 その後も、片岡氏による解説を熱心に聴きつつ、展示を見て回る。自然と都会の景色を「森」のイメージのもとに重ね合わせ、「自然/都市」「ひらかれる/閉じる」といった両義性を建築へと呼び入れてきた藤本。彼がこれまでに深く共鳴してきた思想の紹介にはじまり、彼のビジョンがいかにして建築の意匠へと託され具現化されてきたか、鑑賞者は展示を通じて辿ることになる。そして、今日的な社会のあるべき形を建築から考え続けてきた藤本が、今まさに志向する「ひらかれた未来都市」のビジョンが「試論」として鑑賞者に提示され、展覧会は結ばれる。「原初から未来へ」という明確な時間軸がある一方、原初と未来が同じ地平で繋がっていくような、リニアな時間軸を超えた藤本の建築・都市観が示されるこの展示は、展示そのものとしてまさに両義的でもあり、展示物に限らずこうした「見せる」ための趣向に注目して見学するメンバーの姿も見られた。

展覧会には、大屋根リングの部分模型も。展示で気になったポイントを記録しておくことも忘れない。

 展示を巡ったのち、片岡氏からは今年度のDOUBLE ANNUALに挑む学生たちに向けて助言をいただいた。2017年度から両校の学生選抜展に携わる片岡氏は、今年度に至るまでの学生選抜展の歩みをふまえつつ、DOUBLE ANNUALについて「平等な(作品展示に関わる経験の)機会を与える場としての教育」ではないことを強調する。アートの世界でプロとして生きていくならば、いつまでも平等ではいられない。大学を卒業してからも、目の前に現れたチャンスを着実に掴んでいけるような「自分だけの何か」を見出すための、公平性が必ずしも担保されない、少数で行われる強度の高い学生選抜展。それは、「芸大生」が一人のアーティストとなるにあたっての、リアリティに満ちた教育プログラムなのである。この片岡氏の言葉は、ディレクター陣による「私たちは、皆さんを学生ではなくアーティスト、アート関係者として扱っていく」という合宿1日目での言葉と通ずるものであるだろう。DOUBLE ANNUALに選抜された学生たちに今求められているのは、我々の前にひらかれているのがまさしく激烈であると同時に得難い経験であるという覚悟なのだ。片岡氏は我々に、「『自分が表現したい』ではなく知らない人が見た時に作品がどう映るか、という視点が重要。どうやって作品を見せて、人の心を掴むのかということを考えてください」と促す。

片岡氏からのメッセージに、DOUBLE ANNUAL本番に向けた学生たちの自覚は一層強まった。

 展覧会の見学から片岡氏による展示本番に向けた助言まで、各々の作品や展示プランを考えるにあたって多様な示唆に富んでいた森美術館での約2時間は、一瞬にして過ぎてしまった。我々の次なる目的地は、2月開催のDOUBLE ANNUAL本展における会場・国立新美術館である。

 うねうねとした波状の外壁をめざし、六本木の坂を登って辿り着いた国立新美術館。複数の公募展が開催されており、吹き抜けの開放的な館内が多くの来場者で賑わうなか、我々が向かうは来年2月にDOUBLE ANNUAL 2026の会場となる予定の展示室である。この時展示室では、書道の公募展が開催されていた。いざ実際に足を踏み入れてみると、想像以上に広い。展示会場については合宿1日目の時点で概要が共有されていたものの、いざ眼前にその空間が立ちあらわれると、奥行きの深さや天井の高さが体感的な広さを生み出していること、また展示室自体の形が空間全体の印象にどのような影響を与えうるかといったことに直面する。1日目に行われた各作家とディレクターとのディスカッションで語られた各々の展示プランは、この空間の規模感であれば互いの作品どうしが干渉し過ぎることなく実現できるように思える。その一方で、この空間に鑑賞者が足を踏み入れた瞬間、奥に向かって進むあいだ、各作品の「見せ方」はいかに作用するだろうかと考えると、空間全体を十分に活かせるような展示プランへのブラッシュアップの余地はまだまだありそうだ。会場を視察する皆もまた、昨日提案した展示プランや各自が展示内でやりたいことと照らし合わせつつ考えている様子である。他のメンバーと積極的に話しながら会場を歩き回る姿も見られた。また、前年度までのDOUBLE ANNUALに参加経験のある学生からは、「前回展示した際の反省をふまえつつ、今回異なったアプローチをどう見せようか思案している」という声もあった。

 そうしたなか、このとき展示されていた書道展のとある作品に注目が集まる。通常、作品を固定するにはビスを用いるため、展示する壁と作品の間にはどうしても若干の隙間が見えてしまうが、この作品は他と比べてみても殆どその隙間が目立たないのだ。学生とディレクターが、共に様々な位置からその手法を熱心に観察する。会場の制約と作家側のビジョンをいかに両立させていくか、一見すると些細だが時に鑑賞のノイズになりうるような要素をいかに取り除いていくのか。本展に向けて考慮すべきことが様々に判明した今回の会場視察であるが、森美術館での片岡氏の言葉のように、「作品をどう見せたいか」だけではなく「作品が鑑賞者によってどのように体験されるか」といった視点から、各々の展示プランを改めて検討することが今後の鍵となりそうだ。

会場視察では、ディレクターとともに展示プランの実現可能性や課題を再考する学生たちの姿が見られた。

 各々が1日目のディスカッションの際に発表した、東京合宿までの「宿題」であった展示プラン。これに対するディレクターからのフィードバックと会場の印象を照らし合わせながら、京都・山形に持ち帰る今夏の「宿題」をそれぞれ意識したところで、2日目のプログラムは終わり。これにて東京合宿も終了である。6月下旬の合格発表から日を経ずして実施された東京合宿は、闊達な意見交換の場となった各作家のディスカッションから、皆の真剣なまなざしが印象的であった美術館の見学まで、短い時間ながら非常に濃密なプログラムだったと言えるだろう。何より、2日間を共にするなかで、日頃は学年から専攻、属する大学までもが異なる学生間に交流が生まれた。そして互いの創作とその姿勢について知り、DOUBLE ANNUALという場を共につくりだしていくのだという意識が確かに醸成されつつあったということが、東京合宿の重要なポイントであったと思う。それは、まさに森美術館にて片岡氏が「作品を通じて自分なりの提案がなされていると共に、自らの作品と他の作家の作品との間に少しずつ繋がりが見えること。そしてそれらが1つの展覧会となったとき、どのような繋がりが生まれるか」が大切であると我々に伝えた言葉に通じる。

 展覧会全体として立ちあらわれる繋がり、それは一 1つの「物語」だ。ある旅人が皆に異郷の地での物語を語り聞かせるように、物語を語ること自体は一1人でもできる。その一方で、あなたの語りと私の語りがふと接続したとき、その繋がりによって見えてくる新たな物語の可能性というのも、確かに存在する。「遠くへ旅する者は多くの物語を語ることができる?」という問いかけから端を発したDOUBLE ANNUAL 2026はまさに、多様な語りが多様なままに繋がっては新たな物語を生み出していく、他者との関わりが生むダイナミズムによって成り立つ展示となる必要がある。そのように考えると、今回の東京合宿はDOUBLE ANNUAL 2026のスタートとして、確かに意義深いものになったと言えるのではないだろうか。

 

おわりに

「異郷への旅」と「語り」をめぐるDOUBLE ANNUAL 2026の問いかけに対して、学生たちは記憶を辿り言葉を模索し、今まさにそれぞれの物語を語り始めんとしている。それは、必ずしも一 1本の筋道からなる物語ではない。断片的、時には誇張やフィクションをも孕むだろう。だが、その語りを通じて他者と交差し、鑑賞者を新たな旅へ誘うことこそが芸術にとっての「語りうること」だとするなら、彼らの挑戦はまさに核心を突くものであると言えよう。
 京都と山形、異なる風土で研鑽を積んできた学生同士の新鮮な出会い、数々の刺激が一 1つの展覧会へと結実するDOUBLE ANNUAL。そのプロセス自体が「旅」となり、やがて彼らは卒業後の世界へと羽ばたいていく。このプロジェクトを通じて得た、問いかけの姿勢や共同制作の経験は、各々の創作と人生において大きな財産となるだろう。本展ディレクターの堤氏による期待の言葉を借りれば、「真実かどうかではなく、その語りがどれだけ他者と交差し、鑑賞者に新たな旅を誘発するか」という視点こそが本展の見どころであり、ゴールなのだ。来年2月、我々はどのような物語を互いに持ち寄り、語り合い、そして新たな物語を紡いでいくことになるだろうか。遠くの地への旅を経た学生たちの挑戦の成果を、読者の皆さんも是非その目で確かめてほしい。

森美術館にて、DOUBLE ANNUAL 2026メンバーでの集合写真。次は2月の東京展で!


撮影:
三浦宗民(京都芸術大学大学院 文化デザイン・芸術教育領域 修士2年)
文章:
米林空(京都芸術大学 アートプロデュース学科 3年)
坂本茉里恵(京都芸術大学 アートプロデュース学科 3年)

 

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