REPORT2025.11.12

京都アート歴史教育

大燈呂ねぶたから学ぶ「感謝」の心 — 粟田大燈呂プロジェクト2025

edited by
  • 上村 裕香

熱暑の夏が過ぎ、秋の気配が濃くなってきた2025年10月12日(日)、京都東山にある粟田神社の粟田祭で「夜渡り神事(よわたりしんじ)」が行われました。本学の学生が制作した10基の中燈呂・大燈呂も、地域の方々に見守られながら三条通を巡行。多くの方が足を止め、色鮮やかな燈呂に見入っていました。

今回の記事では、巡行した10基のうち中燈呂の「午(うま)」と大燈呂である「奇稲田比賣命(クシイナダヒメノミコト)」、「出世恵美須」の3基を制作した本年度の粟田大燈呂プロジェクトのメンバーにインタビューしました。28名の制作メンバーを代表して、MS(マネジメント・スチューデント)の小塚奏音さん(舞台デザインコース 2年生)、午を制作した中口颯人さん(アートプロデュースコース 3年生)、クシイナダヒメノミコトを制作した森島咲乃さん(キャラクターデザインコース 1年生)、出世恵美須を制作した林沙央理さん(クロステックデザインコース 2年生)に粟田大燈呂プロジェクトの魅力や制作した大燈呂へのこだわりについてお聞きしました!


江戸時代から続く伝統を引き継いで

「粟田大燈呂(あわただいとうろ)」とは、毎年10月に行われる粟田神社最大の祭礼である「粟田祭」で巡行する、高さ4mにもなる大きな灯篭の山車で、干支や氏子地域ゆかりの祭神がモチーフとなっています。
大燈呂は粟田祭の1日目の御出祭(おいでまつり)・神賑行事(しんしんぎょうじ)にて粟田神社参道に展示され、2日目の「夜渡り神事」で夜渡行列の一部として、剣鉾や松明、笛太鼓とともに粟田の夜を鮮やかに彩りながら氏子区域を巡行します。

大燈呂実行委員会の前田嘉右衞門会長にお話を伺うと、大燈呂復活のきっかけは京都新聞の記事だったといいます。前田会長が「江戸時代にその歴史が途絶え、幻となってしまった大燈呂をなんとか復活したい」と考えていた2007年の夏に、本学の学生が授業の一環で製作した「瓜生山ねぶた」の写真を新聞記事で見かけ、大学に連絡を取ったのだそう。その後、大燈呂復活に向けての実行委員会が発足し、翌年の2008年に復活しました。


プロジェクトを通して芽生える地域への愛着と感謝

MSの小塚さんは昨年度も粟田大燈呂プロジェクトに制作メンバーとして参加し、「制作は大変なことも多かったのですが、神事に参加し、大燈呂の巡行に立ち会ったときとても感動したので、今年度も参加したいと思いました」と話します。
昨年度、プロジェクトに参加した学生たちも口を揃えて「粟田大燈呂プロジェクトには不思議な魔力がある」と話していました。地域の祭りに参加できるという高揚感があることはもちろん、毎年の祭りにはプロジェクトのOBやOGが駆けつけるなど、年代を超えた縦の繋がりが深いプロジェクトであることも関係しているそうです。そして、本プロジェクトの一番の特徴は、学生たちの「粟田地域を盛り上げたい」という思いの強さ。地域に対するその思い入れはどこから来るものなのでしょうか。

小塚さん:プロジェクトでは、4月のキックオフから約半年間でフィールドワークやデザインプレゼン、制作までを行います。その中でも、実際に粟田地域に足を運び、地域のことを知る経験が、地域への愛情に繋がっていると感じています。また、粟田祭という歴史ある行事に関わらせてもらっている感謝も、地域への思い入れの深さに関係していると思います。

森島さん:わたしはプロジェクトに参加するまで、粟田地域に行ったことがなかったんです。歴史を学ぶことが好きなので、粟田神社については知っていたのですが、実際に足を運んでみると、地域の方々の「地域愛」をすごく感じました。みなさん、地域愛に溢れていて、それにわたしたち学生も感化されていくような感覚がありましたね。制作を進める上で必要なリサーチのため、地域の方々との交流や、粟田地域の歴史や風土を詳しく調べる過程で、地域の魅力に気づいていきました。


制作はクオリティと締め切りとの戦い

デザイン案が決まると、夏期集中授業での本制作に向けて、10分の1サイズの模型や木組み模型を作ります。これらの模型をもとに、木組みをし、2種類の針金を使ってねぶたのアウトラインを作っていきます。針金の内側に電球を設置し、和紙を貼り、着彩。手順だけを聞くと単純そうですが、制作するのは高さ4メートルにもなる灯籠です。

小塚さん:木組みは非常にタイトなスケジュールで、罫書き(木材に切断や穴開けなどの加工を行うための位置を書き入れる作業)から木材の切り出し、組み立てまでを2日間で行いました。木組みが終わると、主軸となる太い針金でアウトラインを作り、和紙を貼る細い針金をグリッド状に張り巡らせていきます。和紙のサイズが大きすぎると、着彩でミスしてしまったときに剥がしてやり直す範囲が広くなってしまうので、グリッドは手のひらサイズに収まるように工夫していました。制作期間は常にクオリティと締め切りとの戦いでしたね。今年度は、過去に粟田大燈呂プロジェクトに参加したことのある学生が少なかったので、MSも積極的に制作に関わって進めていきました。


こだわりと工夫が詰まった3基のねぶた

そして、完成したのがこちらの3基のねぶたです。それぞれのねぶたのこだわったポイントについて、中口さん、森島さん、林さんは次のように話します。

今年新たに制作された3基のねぶた。点灯式の様子

中口さん:来年の干支である午(うま)を表現しました。祭後、東急ホテル東山のショーウィンドウに展示するため「中燈呂」というサイズです。大燈呂よりも小さいサイズなので、並んだときにインパクトを残せるよう、躍動感のあるポーズや着彩による表現にこだわりました。実際の馬の写真を見て筋肉の動きを観察して、立体的な濃淡のある着彩ができるよう心がけました。影の部分にも細かな墨入れをしたことで、同じ茶色でも上手く濃淡を表現できたんじゃないかなと思います。

午(うま)

森島さん:奇稲田比賣命(クシイナダヒメノミコト)は、粟田神社の主祭神の一柱で、衣食住守護のご利益があるといわれています。益鳥として大切にされてきたツバメと繁栄の象徴である稲の表現にこだわりました。稲は茎を筒状に作って、その上から粒を一粒ずつ針金で成形してつけていきました。今回の制作メンバーはデザインやイラストを学んでいる学生が多かったので、ツバメやクシイナダヒメノミコトは「塗りで立体的に見せていく」ことを意識していましたね。着物の色のグラデーションなども「これからの未来は一色だけじゃなく、さまざまな色に変化していく可能性がある」という未来への想いを込めて、ブラッシュアップを繰り返しながら着彩しました。

奇稲田比賣命(クシイナダヒメノミコト)

林さん:粟田神社の摂社である出世恵美須神社に祀られている細見の恵美須様を制作しました。恵比須様だけでなく、釣り竿や鯛、鶴や亀、宝袋など、モチーフが多くて、それぞれのクオリティを落とさずに、メインモチーフである恵比須様を目立たせるのが難しかったです。滑らかな女性の曲線が特徴的なクシイナダヒメノミコトと対照的に、出世恵比須では力強さを表現したいと思い、特に「墨入れ」に重点を置きました。墨入れは着彩の後にする工程なのですが、立体造形物に輪郭線を描くことの違和感や、失敗したら着彩からやり直さなければいけない怖さもあって、みんな尻込みして……なんとか最初の一筆を踏み出せたら、あとはスムーズに進みました。また、この青海波(せいがいは)模様は、湯煎した蝋で着彩する前の和紙に紋様を描いておく「蝋入れ(ろういれ)」という技法を使っているのですが、昨年プロジェクトに参加していたOGの方が「型紙を作っておくといいよ」とアドバイスをくださって、綺麗に仕上げることができました。縦の繋がりが深いプロジェクトなので、OBやOGからアドバイスをもらえるのはすごくありがたかったです。

出世恵美須

 

地域の方々からの感謝の言葉

巡行当日は曇り空でしたが、巡行が開始される17時には粟田神社の参道入り口や大通りの沿道に大勢の人が集まっていました。ずらりと並んだねぶたは、これまでに大燈呂プロジェクトで制作した7基と今年度制作した3基の合計10基です。こうして見ると壮観ですね。

夜渡り神事では、大燈呂の行列は粟田神社を出発し、瓜生石の周りを三度巡拝する「れいけん祭」を経て、粟田神社周辺の道を巡り、約4時間かけて粟田神社に帰着します。大通りはもちろん、住宅街や商店街の細い道も通るため、沿道の木や電線にねぶたが引っかからないように気を使います。
住宅街を通るときには地域住民の方々に非常に近い距離でねぶたを見てもらうことができます。窓から顔をのぞかせる人や、玄関で行列を待っている人も。この大燈呂の巡行が、毎年の行事として地域に根付いていることがわかります。

昨年度も粟田祭に参加した小塚さんは「昨年より見にきてくださる方が増えたような印象がありました。沿道にたくさんの方が来てくださって、声をかけていただいてありがたかったです」と巡行の感想を話してくれました。巡行で大燈呂を押すのは粟田祭実行委員会のみなさんと、制作した学生たち。自分が制作した作品を間近で見てもらい、地域の方々にその場で感想を言ってもらえるというのは、なかなかない経験です。

林さん:大燈呂を見た地域の方々が「がんばったね」とか「作ってくれてありがとう」とか、声をかけてくださって、それがとても嬉しかったです。大学で作品を制作して発表しても、「自分の作った作品が社会に出る」瞬間を間近で見ることって、なかなかないですよね。自分たちが妥協なくこだわり抜いた作品を魅力的だと感じてもらえること、そして、本当に間近で感想が聞けることが、すごく貴重な経験だなと思いました。

森島さん:実は、わたしたちのグループは他のグループに比べて制作が遅れていて、巡行が近づいてきても「クオリティをもっと上げないといけない」と悩んで、本当にギリギリまで制作していたんです。他のグループのメンバーにも手伝ってもらいながら、着彩や墨入れを最後までやっていて……なので、お披露目のときもすごく緊張していました。でも、いざ巡行がはじまると子どもから大人まで予想以上に多くの方が粟田祭に参加し、わたしたちの作品を見て「作ってくれてありがとう」と声をかけてくれて、本当にやってよかったなと思いました。高校時代、美術の先生に「作品を作るときはコンセプトも大事だけど、実際にその作品を見た人がどう思うか、どう変化するかを考えないといけないよ」と言われたことを思い出しました。粟田祭の巡行を通して、自分たちが制作した大燈呂を見た人の反応を間近で聞くことができて、作品を見た人の反応を知ることの大切さを実感しました。

粟田大燈呂プロジェクトは、ものづくりの技術だけでなく、地域との関わり方や感謝の心を学ぶ、本学ならではの貴重な学びの場となっています。制作の大変さを乗り越えた先に待つ、地域の方々からの温かい言葉。自分たちが制作したものが、地域のためになり、地域の方々からいただく感謝の声が自分たちに返ってくる。そうした循環の中で、地域への愛着や制作することの楽しさ、やりがいが生まれ、新たな創作の種が芽生えていくのかもしれません。
学生と地域が協働して継承する大燈呂の輝きを、ぜひ来年も見にきてくださいね。

 

(文=上村裕香、撮影=吉見崚)

 

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  • 上村 裕香Yuuka Kamimura

    2000年佐賀県生まれ。京都芸術大学 文芸表現学科卒業。2024年 京都芸術大学大学院入学。

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