COLUMN2024.09.04

教育

パンの都 パン愛がとまらない町、京都のいま昔#4

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  • 大辻 都
100年遡れるパンストリート、今出川通りを歩く(東編)

前回は、古くから美味しいパン屋が立ち並ぶ今出川通りの西半分を散策した。通りはまだまだ東へ続く。今回は魅力的な店が多過ぎて前回紹介しきれなかった東側もじっくり取り上げてみたい。
さて、昭和6年(1931年)に賀茂大橋が開通するまで、今出川通りは今のように鴨川を越えてつながる長い通りではなかった。今出川通りの東端は河原町通り。その東側には旧伏見宮邸の敷地が南北に長く横たわり、行き止まりになっていたという光景は、現在の京都を知る人ならちょっとした驚きを感じるのではないか。
立命館大学アート・リサーチセンターがオンライン上で公表している「近代京都オーバーレイマップ」で、大正元年、大正11年、昭和4年、昭和10年のこの付近の地図を重ねてみると、ほんの90年ほど前までは鴨川を渡る立派な橋も東に接続される大通りも存在しなかったことがわかる。左京区側の通りと言えば、西側の今出川通りとは直接つながらない、叡山電車出町柳駅前から百万遍に抜ける路地と言ってもいい小さな通りだけ。その路地と現存する百万遍から銀閣寺道まで続く通りを併せて東今出川通りと呼んでいたようだ。
京都市役所など数々の名建築で知られる武田五一設計の立派な橋を渡れば川縁にコンビニや人気のベーグル専門店が並ぶ現在の光景に「オーバーレイ」させてみると、夢を見ているような心地がしてくる。

大正元年(左)と昭和10年(右)の現・賀茂大橋周辺の地図

橋を開通させ、路面電車を延伸させるには続く道路も必要になる。昭和4年の地図上では現在の今出川通りを横断して南北に広く境内を有していた浄土宗の寺、竹谷山正定院を訪ねてみた。副住職の木村辰男さんによれば、道路の拡幅により立ち退いたというよりは、「境内地に今出川通りが通った」。それ以前はかつて流れていた小川の名をとって「砂川の三軒寺」と称される近隣の長徳寺、常林院と並んで、鴨川のある西を向いて門があったが、通りができ、市電が走るようになったのに伴って、門を通り沿いの南向きに付け替えたのだという。

現在の賀茂大橋
今出川通りに面した正定院山門

ブルゴーニュの味を今出川へ

鴨川の東西で道が分断されていたり、路面電車が行き交っていた少し前の時代のこの通りを想像すると、あまりに現在と様子が異なり、楽しくなって調べ始めてしまうのだが、メインテーマはパン屋だった。
前回訪ねたパン屋の東端は京都御苑のすぐ脇にあるエズブルー。京都の町にはパン屋がたくさんある一方、なくなっていく店も多く、筆者の記憶だけでもいくつかの名店が思い浮かぶ。さらに昭和まで遡れば、寺町今出川のこの界隈には、光月堂という評判のパン屋があった。薄紙に包まれた食パンや当時は珍しかった丸い塩パンが美味しく、近隣の同志社中学売店にも納められていたという。教えてくれたのは、前号で写真を提供してくれたカメラの大川のご主人だ。そのうち町から消えた幻のパン屋を集めて特集したいぐらいだが、今回は現存する店として、エズブルーの少し東、河原町通りに近いアルチザナルから話を始めよう。

スタイリッシュなアルチザナル入口
タイルのカウンターいっぱいに並んだパン

パン屋というよりブティックのような外観で、かつて筆者も入るのを躊躇ったことがある。勇気を出して扉を開けると可愛いタイル張りのカウンターいっぱいにパンが並び、店内もやはりお洒落。とはいえ、決して恐れるような値段でもなければ、気取った雰囲気でもない。店舗デザインを担当したのは、北山の&ブレッドやハラ・カフェでもお馴染みの村松英和さんだという。
経営するのは水口映貴さん、由樹子さんご夫婦。この場所に開店して12年経つ。
「アルチザナル」という店名は、かつて映貴さんが師事していたステファン・フルイエ氏がフランス・ブルゴーニュ地方の町ディジョンで開いていた店の名前から採ったそうだ。
「何の伝もなくフランスに行き、2日後ぐらいにステファンさんと巡り会えたという強運の持ち主なんです」と、映貴さんについて教えてくれるのは妻の由樹子さん。国内では、やはりなくなってしまった京都伝説のパン屋hohoemiでも修行していた。京都の製菓学校に通っていた10代の頃からの長いつき合いだけあり、シャイな映貴さんの代わりに由樹子さんが何でも答えてくれる。

オリーブが丸ごと入ったアンチョビオリーブの他、写真にはないがバニラビーンズたっぷりのクリームパンもお勧め

映貴さんの方は根っからの職人気質で、時間を惜しんでパンの研究と試行錯誤を続けている。定番のトラディション(バゲット)、パン・コンプレと、北海道産の粉の配合や水にもそれぞれこだわり、午前2時頃には起床して準備を始めるという。新作づくりにも余念がないそうで、「休んだらいいのに次々新しいものを考えて。研究のためにと、美味しいと聞いた店の食べ歩きもしてるんですよ。洋食でも和食でも自分ひとりで(笑)」と由樹子さん。
こちらの店は筆者も長年のファン。1日中教壇に立つような日は、お腹の調子を崩さないため、お昼はここのパンと温かいお茶に決めている。余計なものの入っていない定番は香ばしく滋味豊かで、何も挟まずとも、それだけで満足度が高いのだ。
ハラ・カフェ、ガンゲット、デルタ、グリーン……など、河原町今出川界隈の人気カフェでも、こちらの定番パンをメニューの一部として味わうことができる。

小麦の香りと旨みが広がるパン・コンプレ

パンも美味しいパティスリー

さて、大文字山を正面に眺めながら冒頭話題にした賀茂大橋を渡ると左京区に入る。この辺りのランドマークといえばもちろん京都大学だ。今出川通りを隔ててメインキャンパスの北側には、この連載の2回目でも取り上げた進々堂の喫茶室がある。北側の農学部キャンパスを過ぎると、店の前に「pâtisserie boulangerie」のお洒落な看板。ケーキが美味しいと評判の「パティスリー タツヒトサトイ」だ。入るなりガラスケースに魅力的なケーキが並ぶが、バゲット、食パンはもちろん、数種類あるクロワッサン、クリームパンなどパンの豊富さも負けていない。

ユウジアジキ仕込みの魅惑的なケーキが並ぶ

訪ねたのは山型パンが焼き上がったタイミング。お洒落な設えからのイメージをいくぶん裏切り、がっしりした体躯の里井達人さんがオーブンから勢いよくパンを取り出し、次々と並べてゆく。バゲットも人気商品だ。使うイーストは基本とされる量の100分の1ほど。その分発酵時間は2日ほどかかるが、イースト臭がなく小麦の香りが際立つという。

店主の里井達人さん
個性的なフォルムのバゲット

店名通り、元々は菓子職人。横浜のパティスリーの名店「ユウジアジキ」やレストランでも修行した。実家は京都市南区の喫茶店「ブラザーベイカリー」で、亡くなったお父様がコーヒーとともにデニッシュなどを出していたそうだ。
「中学生の頃から小遣い稼ぎとして店の掃除や洗い物などしていましたね」
修行後京都に戻り、この場所に自分の店を持って9年目。テイクアウトだけでなく、イートインコーナーもある。喫茶店の息子だけにコーヒーにも力が入り、店で出すものを選ぶのに「100杯ぐらい試飲した」とか。
小さいながらもほっこり落ち着ける店内で、通りの景色を眺めながらパンやケーキをいただけるのはありがたい。

路面電車とともに過ごした鴨東の老舗

さらに東へ進むと見えてくるのが赤い庇が目印の「白川製パン」。初代・久太郎氏が大正時代に創業したのち1928年(昭和3年)にこの地で開業し、あと少しで100周年を迎える界隈一の老舗である。かつては至近距離に「北白川停留所」もあり、鴨東エリアに市電が走っていた時代をいわば間近に見つめてきた店と言っていいだろう。
「創業した頃は、イーストの代わりに米麹を使っていたそうですよ」と、3代目となる渡部信弘さんの妻・牧子さんが時代ならではの逸話を教えてくれた。店内には創業当時を偲ばせる店舗と家族の写真が飾られている。

昭和3年、今出川通りに開店した白川製パン
予約しないとなかなか味わえない人気の食パン

小さめの店の壁一面に、定番の食パン、スペシャルブレッドとやや小ぶりのマイブレッドが並ぶ様子は壮観だ。90代まで現役だった先代・邦男さんの時代からの定番を毎日数十本、年季の入ったパン窯を微妙に加減しながら信弘さんが焼いている。聞けばほとんどが売約済みだ。
「同じ家族が2代、3代と世代を超えてずっと買いに来てくれはって。近所はもちろん、大阪、奈良、滋賀……。それに東京や神奈川、静岡、長崎、北海道からも。遠くのお客さんには宅急便でお送りしています」と牧子さん。
ハニーバターパンやジャムパンなど、最近のパン屋にはあまりない素朴な菓子パンの人気も高い。

遠方への宅配もしてくれる

牧子さん自身は伏見に育ち、結婚後、昭和40年代からこの店に立つ。接客の他、パンのカットや生地の小分けなどの仕事も担っているそうだ。20年ほど前、当時人気だったテレビ番組「どっちの料理ショー」で取り上げられ、客が殺到して以降、娘の松田真子さんも店を手伝うようになり、家族全員力を合わせて店を切り盛りしている。

一家総出でパン作りに取り組む

白川製パンの斜向かい、通りの南側にあるのは「マン シエール」。「天からの恵み」を意図した店名だ。小さな店内には、くるみパンやライ麦パンなど、シンプルで味わい深いパンが並ぶ。夫婦で始めた店は今年で創業30年になるとか。ご主人が休業され、現在は妻の竹内玲理さん、山内ちどりさん母娘がふたりで取り仕切る。

柳月堂から受け継がれたマン シエールのくるみパン

玲理さんのご実家は出町エリアの老舗「柳月堂」。看板のくるみパンには同店の製法が継承されている。娘のちどりさんは何と京都芸術大学の前身、京都芸術短大陶芸コースの卒業生だ。
「卒業する頃、ちょうど両親がこの店を開いて。頼まれて、1年のつもりで手伝い始めたんですが……」
それが今や、父親に代わってすべてのパンをひとりで焼き上げている。台湾風の胡椒餅など独自のメニューも得意。だが「今は父の作ってきたものをしっかり覚えていきたい」と意欲を語ってくれた。

奥深い味わいのライ麦パン

今出川通り6キロを踏破して

さて、5,577メートルにおよぶ今出川通りは、銀閣寺道と出会って終わる。はからずも、市電の終点から始点へと逆にたどってしまったことになる。道の東端のさらに東には緑豊かな哲学の道、そしてその向こうは大文字山を中央に南北に広がる東山の峰々だ。
銀閣寺道にも近い、今出川通りのほぼ東端にある人気店と言えば「ぱんや松」である。落ち着いた色調の木の桟を配した外観、漢字一字の暖簾がかかる入口。一見、和食の店かと見まごう。
店主の阿尾訓志さんはこの近隣で育った地元っ子。実家は銀閣寺参道にある小松漬物本舗だ。パン屋ながら、実家の店から1字もらい、屋号を「松」とした。もともと営業職だったという阿尾さんの職人デビューは決して早くないが、複数の店で修行を重ね、8年前に自分の店を出した。

パン屋とは思えない外観
銀閣寺界隈が地元だという阿尾訓志さん

筆者にとって松と言えば、すぐ目の前の大文字山をかたどったパン。ブリオッシュ生地でなだらかな山の形を作り、正面にチョコレートで「大」の字を入れ、頂上には粉砂糖の雪を降らせたパンは何ともフォトジェニックだ。見栄えだけでなく、中には大納言の小豆がぎっしり詰まり、抹茶味の生地ともよく馴染む。早い時間に売り切れてしまう人気商品だが、今回は撮影のためと称し、取り置きしていただくという幸運に恵まれた。

あっという間に売り切れてしまう「大文字」
マーブル生地の中には大納言がぎっしり

他にも多種類のパンが並ぶ。食パン、クロワッサン、各種デニッシュ……。また、いろいろな種の入ったライ麦パンなど、ハード系のパンも実は美味しい。

前号より、今出川通りを西から東へたどりながら、100年、数十年、あるいは10年とそれぞれの歴史を持つパン屋を紹介してきた。ひと通り訪ね終えたところで、通りの中ほどに新たな店を発見。早速訪ねてみることにした。

丸太町に本店があり、若い女性などに人気の高いRabbit Bagelsである。開店早々から、これでもかと多くの種類のベーグルが並ぶ。全粒粉を使ったプレーンやシュガーバター、抹茶とホワイトチョコレート、明太子バター……。見た目もネーミングも魅力的で選ぶのにもひと苦労だ。さらに店長の谷口小百合さんがこの店の特徴と言うのが、バラエティ溢れるベーグルサンド。魚のフライやB.E.C(ベーコン、卵、チーズ)、梅チキン、それにあんクリームチーズ、ラムレーズンとクリームチーズなどのスイーツ系も充実している。

さまざまな具を挟んだベーグルサンドが店の特徴

大きなガラス窓があるイートインコーナーでは、気に入ったベーグルを食べながらゆったりした時間を過ごせる。あるいは鴨川に面した通り沿いのベンチに座り、風を感じながら頬張るのもいい。

鴨川に面したガラス張りの店舗

冒頭に書いた通り、店の目の前の立派な賀茂大橋は昭和の初めまで存在しなかったし、お洒落なこの店も当時は寺の境内だった。かつて河原に砂の堆積する小川が流れていたことを示すよすがとして、店のすぐ脇には「砂川町」と記された看板が残る。

 

参考文献
佐和隆研他編『京都大辞典』淡交社、1984年。
立命館大学 近代京都オーバーレイマップ
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/ModernKyoto/
(2024年8月8日検索)

写真・文=大辻 都
マップイラスト=情報デザイン学科・イラストレーションコース 野嵜愛未
*「パンの都」インスタ始めました。フォローお願いします!
cum_panis_kyoto

 

今回取り上げた店

アルチザナル
〒602-0824京都市上京区一真町89
TEL 075-744-1839
営業時間 9:00〜19:00
定休日 水曜、木曜

パティスリー タツヒトサトイ
〒606-8224 京都府京都市左京区北白川追分町2番地E フラット北白川1F
TEL 075-285-1171
営業時間 8:00〜18:30
無休

白川製パン(ベーカリー白川)
〒606-8266京都府京都市左京区北白川久保田町64
TEL 075-781-2643
営業時間 8:00~18:30
火・水・木営業

マン シエール
〒606-8417京都市左京区浄土寺西田町108-7
営業時間 8:00〜21:00
定休日 水曜、日曜

ぱんや松
〒606-8417 京都市左京区浄土寺西田町73
TEL 075-771-7550
営業時間 7:00〜19:00 
定休日 月曜、木曜

Rabbit Bagels & Café
住所:〒606-8204 京都府京都市左京区田中下柳町41−1 
営業時間 10:30〜17:00(月〜金)
     10:30〜18:00(土日祝)
無休

 

 

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  • 大辻 都Miyako Otsuji

    京都芸術大学教授。専門はフランス語圏文学。現在は通信教育部でアートライティングコースを担当している。
    主な著書に『渡りの文学』(法政大学出版局、2013年)、訳書にドミニク・レステル『肉食の哲学』(左右社、2020年)、マリーズ・コンデ『料理と人生』(左右社、2023年)などがある。

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