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100年遡れるパンストリート、今出川通りを歩く
最近は全国的にも知られるようになった「パンの町・京都」。パン屋の数は相当数あろうが、京都府のパン組合も正確な件数は把握していないという。
市内には、美味しいパン屋が集まるエリアがいくつもある。なかでも今出川通りは、人気の店が軒を並べる中心地として知る人も多いだろう。
京都御苑の北門にも面し、京都大学、同志社大学、北野天満宮と重要なランドマークが立ち並ぶこの通り、じつは昭和50年代まで走っていた京都市電・今出川線の路線にあたる。京都といえば、日本で最初に路面電車が走った町。明治から昭和にかけ、当初は民間の京都電気鉄道が、そしてのちには市電が碁盤の目を縦横に巡っていた。50代以上の人なら、グリーンとベージュに塗り分けられた小さな車両が道路を走る光景が記憶に残っているのではないか。
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大正時代のはじめ頃は、千本から烏丸、寺町から河原町とそれぞれ短い路線に分かれて走っていた今出川線は、道路の拡張と市民の需要に合わせて少しずつ延伸された。昭和6年(1931年)に賀茂大橋ができると、鴨川手前で終わっていた通りが川の東岸につながる。
さらに昭和33年(1958年)、市電の西端が北野白梅町まで伸び、東は銀閣寺道から西は北野白梅町まで、全長6キロほどある通りをすべて踏破することになった。
西陣織とあんパン
なぜこの通りから「パンの町」の賑わいが始まると言われるのか?
「西陣織の職人さんらがよう食べはったから」。そう指摘したのは、パン組合の代表でもある山一パンの山本隆英社長である。
山本社長によれば、京都は昔から学生の町であり職人の町。学生ももちろんだが、戦後は景気もよく、忙しい職人や旦那衆らの食事やおやつにパン食が好まれた。当時人気の組み合わせはコーヒーとあんパン。コーヒーの消費量も全国的に高い。京都人には「新しもん好き」の気風があると指摘する。
金糸銀糸を豪華に織り込んだ帯地で知られる西陣織は、京都の代表的な伝統工芸品であり、今出川通りを基準に言えば、真ん中よりやや西に位置する西陣地区が生産拠点だ。
近年は往時の勢いは見られなくなったが、和装が生活に根づいていた明治から昭和にかけては、今とは比べものにならないくらい繁栄していたという。
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「一日中忙しい織子さんが食事をしはるのに、汁気のあるものだと溢(こぼ)してしまうでしょう? 汚さず手軽に食べられるということで、パンが喜ばれたみたいです」
先代から聞いたという話を語ってくれたのは、「大正製パン所」3代目の女将である河戸晴美さん。3代目の舜二さんは、高校生時代、パンの配達をよく手伝っていた。
「朝早うに起きて食パンをね。織屋さん以外にも、千本通りにたくさんあった呉服屋などのお店にも配達していました」
配達後、市電に乗って伏見まで通学していたという孝行息子だ。
昭和40年代頃までは、この地区の織物産業は栄えており、近隣の通りには機織りの音が響いていたという。とんとんからりといった手織りの風雅な音を想像したが、「いや、ガチャンガチャンという大きな音ですわ」と舜二さん。和服はもちろんネクタイや室内装飾など新興織物も盛んに作られていた当時は、力織機が一日中稼働していたらしい。
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だがご夫婦が結婚した昭和50年代(1970年代後半)になると、和装離れや地価の高騰他さまざまな理由から西陣の織物産業は低迷し、廃業する会社が続出。織屋がマンションに建て替わっていくようになり、廃棄される織機が通りに積み上がっていたという。現在は糸染め、織り、刺繍など、希少価値の高い伝統的な工房が中心となり、小さい規模で存続している。
ほぼ同じ時期の昭和51年(1976年)、市民の足だった市電の今出川線が廃止となり、201番の市バスに転換された。張りめぐらされた電線のもとツートンカラーの車両が路面を走る光景は、この時点で通りから消え去った。
地元が育て上げた店 大正製パン所
かつての市電停留所のほぼ真向かいに位置するという大正製パン所は、大正8年(1919年)創業で、100年以上の歴史を持つ。西陣・千本界隈の時間の流れを目の当たりにしてきたパン屋と言える。創業から3年ほど府庁近くで営業したのち、もともと炭屋だった店を改装して現在の場所に落ち着いた。
「昭和63年に今の店舗に建て替えるまでは井戸水でしたし、おくどさんもあって、銅釜であんパンのあんを炊いていたんですよ」
昔から置いていたのはあんパン、ジャムパン、クリームパンなど。地元に育ててもらった店だと晴美さんは語る。
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現在77歳の舜二さんは、立命館大学を卒業後いったんエンジニアになったが、先代の病気を機に店を継ぐことになり、その準備として東京の製パン学校で学んだ。
生地を仕込む舜二さんを手伝って、晴美さんも分割や成形を担当。生地作りは気温に大きく左右されるという。
「yahoo天気は必須ですわ。明日は冷え込むというと湯たんぽを横に置いたり、夏は氷を使ったり」
娘時代からカレー好きのため、カレーパンのフィリングも市販品では飽き足らず、3種類のペーストを調合して自前で作る。初めは甘口、後味はスパイシーに。いったん焼いてから揚げるのがこの店の特徴だ。
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店の歴史から町の沿革、パン作りの技術や工夫まで、次から次へと惜しみなく話してくれる晴美さん。この機転とバイタリティがお店の大きな力となっていると見た。
「でも私らも歳をとって、昔よりだいぶ楽をさせてもろうてます。今は朝の仕事も7時半ぐらいから」
10代から長年アルバイトとして働いていた鹿鳥惠理さんが、産休を経て強力な助っ人となってくれている。「将来パン屋をやりたい」と言ってくれている高校生のお孫さんがいるというのも頼もしい。
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赤い外観は通りの顔 ル・プチメック
大正製パン所創業から1世紀以上が過ぎ、通りの西から東まで味自慢のパン屋が点在する現在。そのいくつかは100年とは言わずとも、長きに渡って地元の信用を勝ち得ている。
大正製パン所のある千本今出川から東へ。大宮通りの手前で、お洒落な赤い建物が目に飛び込んでくる。この店こそ、今出川通り=パンストリートのブームを起こした火付け役、「ル・プチメック」だ。今では京都市内だけでなく、大阪や東京にも出店している同社の原点となるのが、1998年にオープンしたこの今出川店なのである。
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景観保護の観点から建物の規制が厳しい京都のこと。フランス風を求める店主がぜひにと願った赤の外観は許されず、当初店舗はグリーンだったとか。自治体と交渉の末、改装時にようやく認可されたという赤色は深みがあり、懸念をよそに近隣から浮くこともない。今やむしろ、「赤メック」の愛称とともに今出川通りの顔ともなっている。
店内に入れば、そこは古き良きパリのカフェそのもの。フランス国営ラジオRFIが流れ、テーブルには赤白のギンガムチェックのクロスがかかる。壁面を取り囲むルイ・マルの『地下鉄のザジ』、ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』、クロード・ソーテの『ギャルソン』といった映画ポスターが懐かしさを掻き立てる。
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種類豊富なパンの中でも、得意分野は低温長時間発酵のバゲットや自家製酵母を使用したカンパーニュなど。焼き込まれたパンからは小麦本来の香りや甘みが感じられる。
パリのカフェ風サンドやデザートのタルト・フィヌ(皮の薄いタルト)も味わいたい。非常勤の授業終わりにここでひと休みし、濃いコーヒーと甘いりんごのタルト・フィヌをいただくのは、筆者のささやかな愉しみでもある。
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こちらが寛ぐ間にも、パンを求めてひっきりなしに客が訪れ、シンプルな白衣姿のスタッフが手際よく応対を続ける。店名の「ル・プチメック」は「青二才」の意。今出川大宮にオープンして26年、現在のパン・ブームの先駆けは、決して老成し過ぎることなく、パンはもちろん、店全体でブレないスタイルを発信し続けている。
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「500円で満足できる店に」 パンドブルー
ル・プチメックからさらに東へ行くと、堀川通りの手前にあるのが「パンドブルー」。平日の午前中からお客さんが引きも切らない人気店だ。人気の秘密は値段の安さ。昨今の原材料費値上がりを受け、ほんの少々値上げされたが、それでも150円、180円といった手頃な値段の惣菜パンが並ぶのは今時あっぱれと言っていい。
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1号店は太秦にあり、2009年、2号店として今出川通りにオープンした。当初オーナーが考えたコンセプトは「子どもたちが500円で満足するだけ買える店」。創業時からパンドブルーで働く店長の新井英和さんが、店の姿勢を語ってくれた。
メロンパン、塩キャラメルパン、ホットドック、カレーパン……。次々運ばれてくる焼き立てパンはどれも美味しく、決して安かろう悪かろうではない。でもこのご時世、いったいどうやって?
「企業努力です(笑)。いや、たとえば出来合いのフィリングを調達してもそのまま使わず、数種類混ぜ込んだり、自前で何か足したり。味に深みを出せるよう工夫しています」
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開店当初、すでに近隣には競合のパン屋が並び、ここでの出店には不安もあった。だが毎月新作が3、4種は出る種類豊富な惣菜パンで次第に行列ができるほどの人気店に。学生や近所の会社員が足繁く足を運ぶ店に成長した。家族の分か、20個単位で買っていく客もいるという。
朝3時頃から仕込みに入るという新井さん。店に入った当初は技術を覚える面白さと大変さでいっぱいだったが、今では、「今日はお客さんが来てくれるか、いい商品が出せているか、満足してくれてはるか」、さまざまなことが気になって仕方ないそうだ。細やかな目配りの甲斐あって、午前中には焼きたてパンがぎっしり並び、閉店間際は気持ちよく空っぽになっている。
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京都御苑の西東 マリーフランスとエズ ブルー
京都御苑や同志社大学近くで昔からおなじみのパン屋といえば「マリーフランス」。この秋で創業40年にもなるといい、北山エリアの支店ともにつねに人気が絶えない。お店を訪ねたとき2階の工場では、創業者の桝本豊社長自ら翌日のためのデニッシュ生地を成形していた。
小さな店内には、メロンパンやクロワッサンなど多種類のパンが所狭しと並んでおり、同志社の学生が次々に買いに来る。ずっしりとして食べ応えのあるよもぎあんパンは定期的に買いたくなる味である。
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御所の外塀沿いを歩き、東端まで出れば、すぐ目の前にあるのが人気店「エズ ブルー」だ。名前の響きに、30年以上前、南仏の小村エズの崖上から見下ろした地中海の深い青が思い出された。聞いてみれば、やはり店名はあのエズ村に由来するとのこと。
店主の嶋田孝行さんはフランスの名門コルドン・ブルーでパン作りを学んだ。が、日々過ごすパリは曇天ばかり。たまたま旅行したエズの青空が忘れられないのだという。帰国後はドンクで修行を続け、22年前、妻の和子さんとこの地にパン屋を開いた。
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ハード系のパンやさくさくのクロワッサンが得意な店で、一番人気は筆者の朝食でも定番のベーコンスパイスだ。角切りにしたベーコンを包んだ生地にチーズがたっぷりかかり、かなり効かせた黒胡椒の辛さがやみつきになる。さらにお勧めは、隣の京都御苑に持ち込み、散歩がてら木々に囲まれたベンチでいただくこと。ちょっとしたピクニック気分が味わえ、気持ちよく一日のスタートを切ることができるだろう。
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取材をひと通り終え、原稿を書き進めるなか、たまたま西陣地区にある店で催された詩とウクレレのイベントに足を運ぶ機会があった。
千本通りよりさらに西、市電今出川線の終点も近い上七軒をほんの少し北に外れたところにあるカフェ・フロッシュ。古い木造の佇まいに何とも言えない味わいが感じられる。店内は天井が高く、畳の小上がりもあれば、ソファのある広い空間も、中庭もある。
聞けばもともと機屋の建物で、往時は機織りの音が通りにまで響いていたという。西陣近隣の機屋はすべてマンションに建て替わったかと思いきや、そのままの姿で今に息づく建物もあったのだ。
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水曜、日曜には、入口のガラスケースに天然の麹酵母を使った重めのパンがぎっしり並ぶ。作っているのはすぐご近所の石窯パンDANJIとのこと。有機ライ麦100パーセントのパンはとりわけリピーターが多いそうだ。
店をひとりで切り盛りする店主の定久すみさんによれば、店先の敷石は市電の廃止時、剥がされたものを貰い受けたのだという。
機織りの記憶も、市電の記憶も、完全に風化したわけではなく、現在も人々の営みの中に生き続けているのが嬉しい。
*次回は今出川通りをさらに東へ進みます。
参考文献
佛教大学西陣地域研究会・谷口浩司編『変容する西陣の暮らしと町』法律文化社、1993年。
『京都市電物語』京都新聞社、1978年。
京都市交通局編『83年の歩み さよなら京都市電』、毎日写真サービス、1978年。
今回取り上げた店
大正製パン所
京都市上京区今出川通千本東入る般舟院前町136
TEL 075-441-3888
営業時間: 8:30~18:00
定休日:日曜・月曜・祝日
ル・プチメック今出川店
京都市上京区元北小路町159
TEL 075-432-1444
営業時間 8:00〜18:00
無休
パンドブルー 堀川今出川本店
京都市上京区今出川通大宮東入2丁目西船橋町322
TEL 075-417-1007
営業時間 8:00〜17:00
定休日 木曜日(開いていることも)
マリーフランス
京都市上京区今出川通新町西入元本満寺町307パルハイツウエダ1F
TEL 075-451-0364
営業時間 平日7:00〜18:00 日曜日・祝日 〜18:00
定休日
毎週月曜日・火曜日、祝日
エズ ブルー
京都市上京区 今出川通寺町西入大原口町212 カーサビアンカビル 1F
TEL 075-231-7077
営業時間 7:00〜19:00
定休日 火曜日、第3月曜日
カフェ・フロッシュ
京都市上京区七本松通五辻上ル東柳町557−7
TEL 075-200-3900
営業時間 11:00〜17:00
定休日 木曜日、金曜日
(写真・文=大辻 都)
(マップイラスト=情報デザイン学科・イラストレーションコース 野嵜愛未)
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大辻 都Miyako Otsuji
京都芸術大学教授。専門はフランス語圏文学。現在は通信教育部でアートライティングコースを担当している。
主な著書に『渡りの文学』(法政大学出版局、2013年)、訳書にドミニク・レステル『肉食の哲学』(左右社、2020年)、マリーズ・コンデ『料理と人生』(左右社、2023年)などがある。