REPORT2024.04.24

歴史教育

藝術立国―瓜生山学園京都芸術大学の建学の理念に立ち返る日-詩人・尹東柱追悼献花式

edited by
  • 京都芸術大学 広報課

京都芸術大学 高原校舎にある尹東柱詩碑は、2006年に建立

※本学文芸表現学科教員の中村純が、2023年2月16日に行われた尹東柱追悼献花式のあとに開催した、朗読と対話の会について報告します。

尹東柱と藝術立国

尹東柱は、日本統治下の北間島(プッカンド 旧満州)出身の朝鮮族の詩人です。
皇民化政策のもとで、日本人とされ、平沼東柱として日本に留学していた大学生です。
最初は立教大学英文科、そして同志社大学の英文科に移り、京都で暮らしていました。
東鞍馬口通りに面する京都芸術大学の高原校舎は、尹東柱が留学中に暮らした武田アパートの跡地に在ります。

 

京都芸術大学は、毎年尹東柱の命日の2月16日に尹東柱追悼献花式を執り行ってきました。この背景には、瓜生山学園の創設者である故・德山詳直前理事長の希求があります。
戦争中に青春時代を過ごし、朝鮮戦争に反対して幾度も治安維持法で逮捕された德山詳直前理事長は、藝術と教育の力で平和な世界にしようという願いのもとに、*藝術立国の理念を掲げ、京都芸術大学の前身となる京都芸術短期大学を創立されました。
瓜生山学園に集う学生、教職員の藝術活動、教育活動のDNAは、藝術立国が原点です。
その理念はそれぞれの表現や方法で引き継がれ、現在の*德山豊理事長の投げるボールも、すべて藝術立国です。


学生たちによる日本語・韓国語の尹東柱の詩の朗読と対話の会

韓国語で、尹東柱の詩を朗読

尹東柱は、戦時下日本の治安維持法により、独立運動の嫌疑で下鴨警察に逮捕され、福岡の刑務所で獄死させられたとき、27歳でした。尹東柱は皇民化政策のもとで禁止されていたハングルで詩を書いていただけの学生でした。
尹東柱は、亡くなる間際に母国語で、なにかを大きく叫んで息絶えたという、看守の証言があるそうです。その声は、私たちに今も聞こえているでしょうか。

 

想像してみてください。
尹東柱は文学が好きな学生で、私たちと共に学ぶ学生、あなたの友達と変わりなかったことを。

 

京都芸術大学通学課程芸術学部文芸表現学科の私(中村純)のゼミでは、本学客員教授の上野潤先生のご協力を得て、学生たちと尹東柱を読み深めてきました。
学生たちは、尹東柱の暮らした街で尹東柱の詩を読み合い、尹東柱を友として迎え、彼への返詩を書きました。
その記録が写真の「『返』尹東柱と対話する」です。学生たちが構成を考え、編集、印刷しました。尹東柱の原詩と上野潤先生が訳してくださった日本語の詩を掲載し、尹東柱に返信する詩を学生たちが書き、韓国からの留学生の崔佑碩(チェ・ウソク)さんが、それらを韓国語に翻訳してくれました。

学生たちが制作した記録冊子

 

今年は、尹東柱追悼献花式のあとに、学生たちによる日本語・韓国語の尹東柱の詩の朗読と対話の会を実施することにしました。

 

上野潤先生
文芸表現学科の学生の朗読

尹東柱は、*「時代のように来る朝」を最後まで願い、手を差し伸べ、最初の握手を願っていました。学生たちは、尹東柱を読むことで、この街で暮らしていた尹東柱の気配と記憶をたどりました。*椋本陽向さんは、雨の夜の北白川、高原を歩き、尹東柱を探しました。学生たちは尹東柱を、共に詩を語り合う友達、친구として迎えたのです。
繰り返しますが、獄死させられたとき、尹東柱は無垢な学生だったのです。ノートにひとりで詩を綴っている青年で、生前詩集を出版することは叶いませんでした。
今回、尹東柱の詩の朗読と対話の会に、思いもかけずたくさんの教職員、学生、地域の方たちがお集まりくださいました。韓民国民団京都府本部、在日本朝鮮人総連合会京都府本部、地域の草の根で平和や在日コリアンの人権擁護に関わる弁護士、研究者、ジャーナリスト、などの方たちです。
時空を超えて尹東柱と対話しようとする学生たち、対話をしようと集まってくださった多くの方たちを、本学の創設者の德山詳直前理事長にご覧いただきたかったと思います。
きっと、ともに社会を変えていこうと、私たちを励ましてくださったはずです。

 

尹東柱の骨は兄が持ち帰り、一部は玄海灘に還されました。
私の祖父は、その玄海灘を16歳で渡ってきて、日本で闘い続けて今の私の年齢で息絶えました。その骨は日本名で日本の墓に埋葬されています。彼は自分の名前に戻れないまま他郷(タヒャン)で暮らしたディアスポラ(故郷喪失者)です。尹東柱も「六畳一間は他人の国」とうたっています。彼は誰だったのでしょう。今も無数の尹東柱たちがいます。
尹東柱の願った朝に、私たちはたどり着いたのでしょうか。

 

参加者との対話

朗読と対話の会で、私と上野潤先生は韓服、伝統的な民族衣装チョゴリを着ました。
創氏改名で平沼東柱と名乗っていた尹東柱は、名前も服装も日本人であるかのように生きた。ゼミ生の崔佑碩さんに相談したところ、服は敬意を表す方法だから、尹東柱の命日に、今は着られるようになった韓服を着るのはよいことだと思う、と返事がきました。
崔佑碩さんは、日本統治下の韓国の抵抗詩人、文学者についての卒業論文を準備しています
私たちのゼミで読み合った芥川賞作家の李良枝は、高1のとき、山梨の家から家出して京都に来ました。京都の市電でチマ・チョゴリを着て韓国語を話す高校生を見て感動し、京都の旅館に住み込みで働き、京都府立鴨沂高等学校の夜間部に入学します。京都はチマ・チョゴリで歩ける街でした。
2010年前後、京都でもヘイトクライムがありました。チマ・チョゴリを着て街を歩きたくとも、着られなくなった子どもたちがいます。
私と上野潤先生のチマ・チョゴリは、*Fang-styleの黄優鮮さんが見立ててくださったものです。黄さんのお仕事にも深い願いがあります。
追悼献花式と朗読と対話の会に来てくださった方たちに、へイトクライムと闘い続けることで、未来への希望を生み出してきた方たちがいます。


今もまだ、朝鮮半島ルーツがあることを家族は隠してきた、自分自身も考えることを避けてきたと、そっと話しにきてくださる若い方たちがあります。
私は、*詩人の故・森崎和江さんに、「アジアの別の立場を体内にもつ幸せな人」と呼びかけられたことがあります。その時、森崎さんと一緒に見た玄界灘の海は、光に溢れ、美しく波打っていました。以来、私の中の玄界灘は、静かに光を孕んで波打つようになり、多くの友たちと出会える自由な翼となりました。
私たちの友、韓国からの留学生や詩人たち、在日コリアンの友たちは情が深く、決してあなたを見棄てたりしない。共に生き合うのです。
私たちもまた、共に生き合っている友たちの立場や願い、苦しみに無関心でいてはいけません。私たちには力があります。語ることのできない言葉を感受する力、聴く力、言葉の力、藝術の力が。その力は、光を孕んで静かに波打ち、やがて底から社会を変える力となるでしょう。あなたたちこそが、私たちこそが、時代なのです。
これを読んでくださった学生や教職員の皆さん、地域の方たちが、それぞれの表現、方法で共に時代を創ろう、「時代のように来る朝」を共に迎えよう、という呼びかけに応えてくださることを願っています。

 

奪われしもののために

献花式の様子

私たちを言葉の暴力が踏みにじるのならば、私たちはしずかにろうそくの火のように、横にひろがり、詩でつながっていきます。
詩で、チマ・チョゴリで、27歳の尹東柱と、16歳の李良枝と、16歳で日本に来た私の祖父、今も自分を隠さざるを得ない若い人たちの心を包みたいと思います。
いつでも誰でも、美しいものを美しいと、正しいことを正しいと言い、自分の言葉で表現すること、着たい服を着られること、自由を奪われないこと。
それは、教員であり、詩人である私の闘いでもあります。
尹東柱は、「すべての死にゆくものを愛さねば」と序詩で綴りました。
学生のひとりが、詩を書くことは「生きようとすることだ」と話してくれました。
「生きねば」、私はそう思います。傷みや困難の記憶や経験に深く沈む日も、生きねば。
なぜなら、私たちは学生よりは少し年を重ねてきたのですから。

 

 

夜明けの前の闇はとても深い。目を凝らしていないと見えず、耳を澄ませていないと聞こえない声がある。それは、私たちの日々の隣人の体と心の中に存在する歴史、傷みです。

そうした意味で、私たちは今とても深い闇の中にいて、戦争は終わらず、爆撃のなかで人の声はかき消され、詩は無力です。それでも、この歴史の狭間で、ことばを発するのが詩人の仕事です。それはきっと100年後の人々の闇を照らす一筋の光となるでしょう。
友よ。
새벽 앞의 어둠은 매우 깊다 친구야.

 

*藝術立国 https://www.kyoto-art.ac.jp/info/philosophy/

*德山豊現理事長への崔佑碩さんによるインタビュー
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/1132

*時代のように来る朝 「たやすく書かれた詩」にある。
尹東柱を求めて北白川を歩いた椋本陽向さんのエッセイ

https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/1134

*Fang-style 黄優鮮さんを文芸表現学科の学生たちがインタビュー
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/631

*森崎和江 1927年朝鮮大邱に生まれ、2022年に逝去された詩人、作家です。
敗戦を前に、父の故郷福岡に17歳で渡ってきましたが、朝鮮半島に育まれた森崎さんの心身は、故郷喪失者としての思いと植民者2世という加害の立場に引き裂かれました。
森崎さんが日本を知るために、炭坑の地下労働者の聞き書きをベースにした作品『まっくら』、性が商品化されていた時代の女の子たち、女性たちに思いをはせた『からゆきさん』はベストセラーとなりました。

(文=中村純)

 

京都芸術大学 Newsletter

京都芸術大学の教員が執筆するコラムと、クリエイター・研究者が選ぶ、世界を学ぶ最新トピックスを無料でお届けします。ご希望の方は、メールアドレスをご入力するだけで、来週水曜日より配信を開始します。以下よりお申し込みください。

お申し込みはこちらから

  • 京都芸術大学 広報課Office of Public Relations, Kyoto University of the Arts

    所在地: 京都芸術大学 瓜生山キャンパス
    連絡先: 075-791-9112
    E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp

お気に入り登録しました

既に登録済みです。

お気に入り記事を削除します。
よろしいですか?