(左:尹東柱の写真/右:高原校舎の尹東柱の詩碑)
京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会V」は、学生が視て経験した活動や作品をWEBマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。
本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。
(取材・文:文芸表現学科3回生 椋本陽向)
尹東柱(ユンドンジュ)という人
皆さんは、尹東柱という詩人をご存知だろうか。
彼は1917年に満州・間島で生まれた韓国人で、韓国では有名な詩人である。
あまり学内では知られていないかもしれないが、実は、京都芸術大学と関わりが深い人なのだ。
2006年に前理事長・徳山詳直氏が高原校舎に尹東柱の誌碑を建立し、
以降、毎年、誌碑前にて献花式が執り行われている。
(献花式の様子→https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/1079)
〈在京都朝鮮人学生民族主義グループ事件〉、これが日本の警察がユンドンジュの関係した事件に付した名称だった。(引用:『尹東柱[ユンドンジュ]青春の詩人』P146 著・宋友恵 訳・伊吹郷 筑摩書房 1991年初版発行)
彼は、京都地方裁判所で、治安維持法違反の判決を受けた。そして第二次世界大戦の最中、福岡県の刑務所で獄中死したのだ。
その時、彼が書いた数多くの作品が警察に押収されてしまった。それらは現在も行方不明である。
誰にも知られず消えてしまった彼の言葉を思うと、やるせない思いでいっぱいになる。
心がタイムスリップする
尹東柱ドキュメンタリー映画の上映会があった2022年2月、本学の学生は春休み中で、私は実家の奈良県と京都府を行ったり来たりしていた。
尹東柱をテーマとして製作された映画の上映会への参加を、ゼミの中村純先生から勧められたのだ。ちょうどその頃から、ゼミ内で作っている文芸誌『アンデパンダン』のテーマに、「本や文字で日韓をつなぐ」というものがあったので、参加することにした。
『高原』という卒業生の作品が上映された。映画の中で、尹東柱の詩が韓国語で朗読された。
彼のことばに触れた。暗かった会場にあたたかな光が灯ったような気がした。彼のことばが、まっすぐ、なんの捻りもなく素直に私の中に届いてきた。寂しさも恥じらいも全部、彼の心の圧倒的な愛にくるまっていた。私の心がくらくらと揺れ動いた。
「たやすく書かれた詩」
窓の外に夜の雨が囁き 六畳部屋は他人の国、
詩人とは悲しい天命だと知りつつも ひとつ詩を書きとめてみるか、
・・・
人生は生きるのが難しいというのに
詩がこんなにもたやすく書かれるのは 恥ずかしいことだ。
六畳部屋は他人の国 窓の外に夜の雨が囁いているが、
燈火を点けて闇を少し追い払い、
時代のように来る朝を待つ最後の僕、
僕は僕に小さな手を差し延べ 涙と慰安で握る最初の握手。
(1942 6 3) 引用(『天と風と星と詩』 著・尹東柱 編訳・上野潤 詩画工房 1998年初版)
彼の詩を読む。思い通りにならないことへの苛立ちや落胆、そして同時に僅かな希望を感じる。ことばが彼の濁った感情をゆっくりと浄化して、その様はこちらまで清々しくさせる。すっと透き通るように胸の中に入ってくる。
不思議な人だと思う。彼がすぐ隣にいるような息遣いまで感じられる。それは下手に飾っていないからなのだろうか。文体が難しくないのは、彼がありのまま彼として生きることしかできなかったからなのだろうか。
清らかなもの、美しいもの、ときめかせるようなものを、愛したのだろうか。そんな風に見える。彼のことばは時々、とても大胆になる。力強くなるのだ。普段はずっと繊細で優しいのに、急に一つの語をこちらに投げる。それがまた、強烈に私の中に残ってしまうのだ。尹東柱という人が確かにこの世界に存在したということが、私の眼前に突きつけられるように感じた。
夜の高原、雨の日
京都芸術大学には高原校舎という建物がある。大階段のある人間館から、白川通を通って右に曲がると着く。
ここにはかつて、尹東柱が住んでいたアパートがあった。校舎の隣に尹東柱の詩碑が建てられてある。
私は高原校舎を3回目に訪れた。高原校舎の雨の夜の写真が撮りたかったからだった。「たやすく書かれた詩」の雨の夜に拘りたかった。
尹東柱が見た景色に、少しでも近づきたかった。
雨の日の高原校舎②
尹東柱がすぐ近くで、私と同じく本を読みながら雨の滴る音を静かに、静かに聞いていたのだ。故郷を植民地にした日本という国の中で、一人で、彼はどんなに深い闇に座っていたのだろう。そしてどれほどの、眩い玉のようなことばを産んできたのだろう。
私は、高原の雨の音を聴きながら、尹東柱に思いを馳せる。この場所で、尹東柱はきっとたくさんの言葉に出会った。そしてそれは、新しい自分に、新しい世界に出会うということでもある。
窓の外に夜の雨が囁き
六畳部屋は他人の国、
「たやすく書かれた詩」の最初の文章だ。
「夜の雨が囁き」という叙情。尹東柱の目でしか捉えられない感情がそこにあったのだろうか。
「他人の国」という短いことばに秘められた孤独、哀しみ。それは私の幼い日の寂しさを思い起こさせる。
彼のことばは、決して難しく書かれていないにも関わらず、人間の記憶を呼び起こす力を持っている。
興味がある方はぜひ、あの頃の尹東柱に会いに、高原校舎へ足を運んでみて欲しい。
尹東柱を感じて、新しい自分と出会うことができたなら幸いだ。
映画『空と風と星の詩人』
本学と関わりの深い尹東柱。芸術文化情報センターでも、彼について学ぶことができる。
尹東柱の人生を記した『空と風と星の詩人』という映画は学生や学校関係者なら誰でも視聴可能だ。
映画はまず、逮捕されている尹東柱が、日本人の男性に尋問されているところから始まる。その男性はシャツにベストという姿の、高等刑事だ。尹東柱の髪は坊主に刈られ、表情は重苦しい。
一体何について取り調べられているか。それは、尹東柱の従弟であり最愛の友人、宋夢奎
(ソンモンギュ)についてのことだった。宋の名前が出た時、話は過去へと遡る。舞台は韓国で、二人がまだ10代の頃だ。
尹東柱は、宋の執筆作品が入選したことに焦りを感じつつも、自分の詩の創作を続ける。
途中、父親から「文学なんてやって何になる」と厳しい叱責を受けるが、彼がすることは変わらなかった。詩の創作をやめることはなかったのだ。
また、文学を通じて出会った仲間たちと一緒に文芸誌の編集も行っていた。
彼の詩を読むと寂しくなるのは私だけではないらしく、劇中でも、仲間の一人である女学生イ・ヨジンが、「あなたの詩を読むと寂しくなる」と語っている。それを宋らは、「伝わったな、いひひひ」と冷やかしていた。
憧れていた先生から日本留学を勧められもする。作中では、日本に渡ることをきっかけに、自分の名前を日本名に改名するシーンがある。尹東柱がそのことで葛藤しているのを見ると、何だか、自分がこの優しい人を苦しめているような気がした。
そうして青春の日々は過ぎていき、尹東柱はとうとう宋とともに、日本に留学する。
宋は尹東柱には知らせていなかったが、日本で秘密裏に留学生を集めて、革命を起こそうとしていた。しかし革命は失敗する。宋は捕らえられ、尹東柱もしばらく後で、捕らえられた。
その頃尹東柱は、日本人の女性くみに、「英訳した詩を英国で出版したら、あなたの詩をたくさんの人に読んでもらえる」と提案されていた。その時に表題として提案したのが、
「天と風と星と詩」だった。
映画の視聴後、尹東柱という人の心の豊かさ、穏やかな優しさをあらためて実感した。
詩を愛していたんだな、詩が人の心を癒せると、深く信じていたんだなということが、一層強く伝わった。
また、宋のように政治的思想から行動しているわけでない尹東柱は、「このような(壮絶な)時代の中で詩人を志している自分が恥ずかしい」、ということを言っていた。
優しいからこそ言いたいことが言えない不器用さが、詩の中の孤独、恥じらいにも現れている。理不尽だと思うことがたくさんある世の中で、何も言えない、何かを変えることができない自分が、惨めだったのだろう。自分が無力だと感じることは、私も子どもの頃よくあった。穏やかで感受性が強い人だということが、目の動き、仕草から滲み出ていた。
一つ一つがとても強い思いだったからこそ、尹東柱が抱いた全ての感情は、詩の中できらきらと生きているのだろう。
ずっと、友達になりたい人
京都芸術大学に進学したことで、私と尹東柱との関わりは始まった。どちらかが京都という地を訪れなければ、この出会いはありえなかった。
今回、尹東柱を追って、たくさんの感情を持った。尹東柱のことばに心を動かされた瞬間がたくさんあった。彼のような穏やかで優しい人がひどい扱いを受けたことに、苦しさもあった。
日本、奈良県出身の私が、韓国出身の詩を愛した青年とつながることができたのは、ことばの力に他ならない。
文学には、遠く離れた人間を出会わせ、つなげる力がある。
尹東柱のことば、その人生、人柄、全てを胸にしまったまま、いつまでも忘れないで大切に持っていたいと思う。
【参考文献】
・『尹東柱[ユンドンジュ]青春の詩人』著・宋友恵 訳・伊吹郷 筑摩書房 1991年初版発行
・『天と風と星と詩』尹東柱詩集 編訳・上野潤 詩画工房 1998年 初版発行
椋本陽向
京都芸術大学 文芸表現学科 3回生
小説の創作、短歌、俳句、詩など、さまざまな形式の文学を学んでいる。
尹東柱を推している。
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