REPORT2023.10.01

文芸

―ボールを投げろ― 京都芸術大学徳山豊理事長に会う

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  • 京都芸術大学 広報課

京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会V」は、学生が視て経験した活動や作品を WEB マガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。

本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。

(取材・文:文芸表現学科 3年 崔佑碩)


「藝術立国」という言葉をご存知でしょうか。これは、今は亡き前理事長で、本学の創立者でもある徳山詳直が提唱した、本学の建学の理念です。アジアの平和、さらには世界平和のために尽力してきた前理事長の姿のように、「藝術立国」は、芸術で作り上げる世界平和、平和を希求する大学を作ろうという意味を持っています。また、前理事長は『藝術立国』と題した著書も出しています。前理事長が掲げた「藝術立国」の理念は、現在はどのような形で続いているのか。という疑問からこのインタビューにたどり着きました。

地位を見てその人物を想像するのは、よくある先入観の一つだと思います。だから私は今日のインタビュー相手の立場、本学の「理事長」という肩書きを見て、漠然と、気さくな人柄の年配の人物を想像していました。しかし、間もなく扉が開き、インタビューのために用意された教室に入ってきた徳山豊・現理事長は、私の想像とは違っていました。

「理事長」にお会いする場であり、予想していた姿とは相反する鋭い切れ味の人物が現れたので、心の中の緊張がさらに高まるのは仕方のないことでしょう。

そのため、私の質問は少し震えた声で、不明瞭な発音で始まりました。

 

徳山豊の「藝術立国」

ー前理事長の「藝術立国」の理念は、現在どのような形で受け継がれていますか?

まずはこの点をはっきりさせておきたいですね。私と先代、つまり父はそれほど深い関係ではなかったのです。だから、先代と私の「藝術立国」に対する考え方や文芸復興に対する考え方が密接に繋がっているかと問われれば、それは私にもわからないことです。私は、彼が残したその理念を私なりのやり方で解釈し、展開しているのです。

私にとっての平和を実現する方法は、人を作ることだと思います。 すべての教育は平和につながります。医学であれ、科学であれ、それを通して私たちは平和を実現しています。ただ、私たちの学校が芸術大学なので、私たちは「芸術」を通して平和を実現したいのです。

芸術の基本は、人間を、自然を理解することです。皆さんには、あらゆるものからインスピレーションを得てほしいと思います。もう少し広い視野で世界を見ましょう。人を理解すれば争いは起きないし、自然を理解すればその価値を知ることができます。すべてから何かを得てください。

私は本学の学生にボールを投げているのだと思っています。イルミネーションプロジェクト、お化け屋敷プロジェクト、壁プロジェクト、人間館に設置された自販機。このようなものを通じて「自分」の考えを広げてほしいですね。

 

ー今まで学校で行われたプロジェクトの中で、満足できるものはありましたか?

なかったと言わざるを得ませんね。確かに素晴らしい作品はたくさんあります。先日の壁のプロジェクトも、文芸表現学科のゼミ誌『アンデパンダン』という雑誌も、高いクオリティを示しています。誰かに誇らしげに見せられるようなものばかりだと思います。しかし、これらのプロジェクトは、ほとんどの場合、「完成!」と叫びながら仕上げているのではないでしょうか? これらを通して自分が何を得たのか、これらが他の人に何を与えることができるのか、もう一歩踏み込んで考えてほしいと思います。

この大学の主役は皆さんです。皆さんがいなければ、私も本学の教授たちも存在できません。

ただ、私たちに褒められるために、何かを完成させるために、過程を続けるのではなく、すべてのことに「なぜ?」と問いかけられたらいいなと思います。疑問は新しい発想を生むものです。これは本学で行われている尹東柱の献花式にもつながる話だと思いますが、いつからかこの献花式も行うことに意義を置いていると思います。このような自己反省も含め、皆さんにこの言葉を伝えたいと思います。

 

ー尹東柱の話に続いて、献花式はどのような気持ちで行われていますか?

私は尹東柱研究者でもなく、アーティストでもなく、詩人でもありません。ですから、彼についてよく理解しているわけではありませんが、彼が抑圧の時代に思想家として詩という非暴力的な手段で自分の命を賭けて声を上げたことは知っています。また、先代が尊敬し、現代の若者とは全く違う時代に生きた男の詩が今の若者の胸の中まで響いているということだけでも、彼に対して敬意を表する意味で行っています。

 

「自分」として生きること

徳山理事長は、テーブルの上に置かれていた徳山詳直著「藝術立国」を手に取り、想像を絶するような話を始めたのです。

実は私はこの本をまだ読んでいません。計画上は60歳を超えてから読む予定なので、2年後くらいに読むかもしれませんね。

私は感受性が豊かな方なので、読んだ瞬間に彼の思想にハマってしまいそうな気がします。もちろん、良い刺激、先代が感銘を受けた尹東柱のような良い刺激だけならばいいのですが、先ほども言ったように私は簡単に影響を受けてしまいます。つまり、「私」の判断が曖昧になると思います。ですから、私は他の人物の伝記もあまり読まない方ですね。

 

ー徳山理事長の今後の目標をお聞かせください。

私の夢は、子どもたちによる国際連合を作ることです。まだ明確に表現できない野望のようなものですが、もっとシンプルに、政治も宗教も思想も関係なく社会という枠を超えた子どもたちの考える平和を聞いてみたいですね。

例を挙げると、私たちがいう平等な世界、戦争のない世界が「平和」の正解でしょうか?
今でも水を一口飲むために数十キロの道を歩かなければならなかったり、何も食べられずに餓死する子供たちも少なくありません。そんな子どもたちが考える平和は、私たちのように食べるものが溢れ、命の心配がない人々と同じなのでしょうか。

私はいつもこの部分で平和に対する違和感を感じることがあります。平和を語るのは、平和な人々の口です。何の条件もなく、社会に染まっていない子どもたちが語る、彼らの平和は、今まで私たちが想像していなかった新しい答えになるかもしれません。

 

 

―最後に本学の在学生たちに何か話したいことはありませんか。

最後に、皆さんにさらに大きな目標を持ってほしい。その目標に向かって、いつも100パーセントじゃなくてもいいから、20パーセントでもいいから進んでください。それは誰かから見たら大したことではないかもしれないけれど、少しずつでも進んでいるのではないでしょうか。その目標はあなただけのものであり、あなただけが到達できるはずです。

 

インタビューの内容を整理した後、当初予定していた記事の枠を全部消しました。私は 徳山詳直という前理事長の息子として理事長を見ていたことに気づきました。

しかし、今日そこにいたのは徳山豊でした。自分のやり方で「藝術立国」を展開し、自分のやり方で平和を実現しようとしている本学の理事長でした。

彼はこれからも私たちにボールを投げ続けると思います。そのボールは床に転がってどこかに消えるかもしれませんし、誰かが拾って持っているかもしれません。しかし、私たちはそのボールをまた誰かに投げなければならないのではないでしょうか。それは役に立たない、何の意味のないボールかもしれませんが、誰かに届くかもしれないのですから。

 

 

崔佑碩
2021年京都芸術大学文芸表現学科入学、現在3回生。記事やノンフィクションの書き方を勉強中

 

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