R E M A ― KUA ANNUAL 2021「irregular reports:いびつな報告群と希望の兆し」
- 京都芸術大学 広報課
大学院を含め、通学課程の全学生から選抜された作家による企画展 KUA ANNUAL 2021 「irregular reports いびつな報告群と希望の兆し」。そのプレビュー展が、2020年12月に本学ギャルリ・オーブにて開催されました。
キュレーターに服部浩之(インディペンデント・キュレーター、秋田公立美術大学准教授)を迎え、150名を超える応募の中から幅広く服部が注目したプランをピックアップし、合計16名と1つのプロジェクト、17組28名が採用されました。
プレビュー展を終え、2021年2月に開催予定の「KUA ANNUAL 2021(東京展)」に向けて、4組のアーティストに話を伺いました。
今回は、R E M A (れま)さんを紹介します。
R E M A
大学院 美術工芸領域 総合造形分野 修士課程2年
R E M A は、変化する自然物に対する、影 ―イメージ― の焼き付け行為について追及してきた。彼女は日々描き続けるドローイングのイメージについて、「世界と私がふれあった時の現象」のようなものだと言う。今回の作品では、ドローイングによるイメージ・オブジェクト、柱、葉の3つの素材を用いている。ドローイングが施された柱と葉を媒体にして彼女は “自分と自分でないもの” について考える。平面作品では、葉の持つ有機的なテクスチャーに施された、人為的曲線とのコントラストを目の当たりにするだろう。平面と空間の構成に取り組んだ本作では、鑑賞者もまた世界と自分 ―世界でないもの― にふれあうことが出来るだろうか。
[文、楊昕鑫(アシスタント・キュレーター)、R E M A]
http://kuaannual.com/2021/
素材を選ぶときは「めぐり合い」
葉っぱを使っているから、自然に対して興味があるとか、環境について考えているとかではなくて、基本的に素材を選ぶときは「めぐり合い」です。素材に対するコンテクストは、正直あまりありません。
学部では、客観的にみた自分の表面的なアイデンティティと女性性などについて考えてきました。つまり「自分の外側と社会」みたいなものを考えてきたのですが、大学院に入ってからは自分のマインドに潜って、そこから立ち現れるイメージと小説からサンプリングしたテキストを組み合わせて、作品に作り替えるようになりました。イメージの表象とそれを補助する役割としてのテキスト、今はこの関係について考えることに興味があります。
「人の記憶」が入っていない素材に、禍々しさを施していく
ここ数年の作品の変化で一番大きな影響を受けているのは「骨董屋」で働いてきた環境です。自分と離れたところにある、今ここにいる自分が見ることのできない時間や記憶のようなものをすごく魅力的に感じています。
人が使っていたものやお皿のように「個の記憶」は見えないのに、たっぷりと時間が含まれているとわかるもの。木や植物などの自然のものも人間が読みとることができない、たくさんの時間を含んでいる。そういう媒体に私のドローイングが持っているローカルな「人の記憶」を焼き付けることによって作品としてのバランスを保っているのだと思います。
例えば「織り機」のようなものに私がドローイングをしたら、物語性が強すぎてバランスが悪くなる。でも「柱」自体なら、人の生活に触れていたものだけど、柱そのものからは個の記憶が読み取れない。そういうところに私が持っている、私が描いているドローイング独特の生々しさ、禍々しさみたいなものを施していく。その生っぽさ故によく「刺青的」という表現がされるのだと思います。私自身は作品を作っていて、刺青的な感じは特に受けないのですが、客観的にはそう見えるらしいです。
パスティシュ(模倣)とカットアップと自伝的な要素
ドローイングについての説明を求められると「キャシー・アッカーの宇宙人的、未来人的、予兆としての印のようなものです」というような答え方をしています。
指導教員の後藤繁雄先生から「R E M A は、キャシー・アッカーを読むべきだ」と一年ほど前に勧められました。よくわからないけれど読んでみようと。読んでみたら、すごくカチッとはまったんです。キャシー・アッカーは、主語と述語が一致しないような分裂した文体で、語り手が激しくスイッチングを繰り返します。それゆえに「わたし」という言葉の多様さ、曖昧さ、複雑さを考えることができる。そんなキャシー・アッカーのテキストをから、ドローイングを描いたり、あるいは、ドローイングを描いてからタイトルを付けるときに参照するようになりました。
私が今の世界に触れている人間、女性、アジア人として描いたドローイングの「表象」が、数十年前のキャシー・アッカーの作品の「表象」と重なる部分はかなり多いと感じています。
キャシー・アッカーと言ってしまうと、ジェンダー、ハード・フェミニストとなってしまうのですが、先日、瓜生通信で三木学さんが書いた文章、「パスティシュ(模倣)とカットアップと自伝的な要素を組み合わせる」という、それがキャシー・アッカーと自分の制作の仕方とリンクする部分ではないかなと思います。
無意識に立ち現れてくるモノ
プレビュー展の講評会で、やなぎみわ先生から言われてしっくりきたのが「写真と葉っぱはすごく完璧に作り込まれた工芸品のように見えるけれど、この柱は語り尽くせないものですよね」とおっしゃっていたことです。私もこの柱に対して、語り尽くすことが一切できないから語らないのだと思うんです。それが鑑賞者と共有できているのが良いのではないかと。
語り尽くせないものを語ろうとする必要はない、と私は思っているから「それは純粋にモノの魅力です」というふうにしか答えないし、説明しなくていいんだなと。
本展に向けて
技法的な問題なのですが、印刷物の「黒」の部分を沈ませる方法を考えています。今はかなり光に依存した展示になってしまっているので。写真単体で見たときの完成度のブラッシュアップですね。
展示した写真作品は、葉っぱが光って見えたじゃないですか。あれは、ピンスポットの力でしかないんです。それで、光を当てたときに黒が沈んで、葉っぱが浮き上がり、光っているようにみえたという結果なんです。逆に言えば、光が無いときは、印刷物感が強いということになる。光がなくても写真作品として良いものにみえるようにするには、どうしたら良いのか?ということを考えています。
(撮影:顧剣亨)
KUA ANNUAL 2021「irregular reports いびつな報告群と希望の兆し」プレビュー展
会期 | 2020年12月3日(木)~18日(金) 10:00~18:00 |
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場所 | 京都芸術大学 ギャルリ・オーブ |
KUA ANNUAL 2021「irregular reports いびつな報告群と希望の兆し」本展
会期 | 2021年2月23日(火)~26日(金)※予定 9:30~17:30 |
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場所 | 東京都美術館 |
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