INTERVIEW2020.11.12

アート教育

学び続けるのは大変だけど、最高だ。― 社会人学生に聞く、学び続ける喜び

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  • 京都芸術大学 広報課

本学通信教育部の写真コースを卒業し、通信制大学院の後藤繁雄ラボへと進学。修了後、さらに通学部の博士課程へと進学された、北桂樹さん。

社会人として学ぶということ、入学前後の心境の変化、この春から通い始めた博士課程の様子を語るエッセーをご紹介。

「大人の皆さんこそ、学生気分に浸ってみては?」と語ります。

北 桂樹さん

京都芸術大学 大学院 博士課程在籍。

コンテンポラリーアートにおける写真表現とその価値生成について研究、現代アート写真の領域拡張についての関心を持つ。

2011年、映像クリエーターとしてのキャリアアップのために京都造形芸術大学 通信教育学部情報デザインコース(イラストレーションクラス)に入学、翌年写真コースへ転籍。

それまでの与えられたテーマに対して応えてきたデザインから「芸術表現とはなにか?」ということに思考がシフトされる。

在学中に写真集出版とギャラリー展示を決意し、計6年をかけて卒業。2018年、アートワールドにおける写真表現の価値生成への尽きない興味の探求のため通信制大学院、超域プログラム 後藤繁雄ラボに入学、トーマス・ルフを中心とした現代写真の研究を修士論文とした。2020年4月より博士課程にて研究を続ける。

「ぜひ、学生気分に浸ってください」

9年前の5月、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)通信教育部の入学式にて、時期が時期だったので祝辞とは言っていなかったかもしれないが、学部長が新入生への挨拶の言葉の中、「東日本大震災のあったこの時期によくぞ入学を決意してくださいました」という言葉のあとに続けた言葉だ。

その言葉の受け止め方は、この9年間様々に変化はすれど、あれ以降、一度たりともこの言葉を忘れたことがない。

通信教育部なので社会人が多く、当時はそうは言っても10代の終わりにはじめて通う大学のようには「学生気分には浸れないのではないか?」と感じたものだった。心のどこかに自分の人生に多少の変化は与えても、根本的にひっくり返るようなことは起きないと思っていたのだ。すでに30代になっていた僕は自分の人生の方向はそれまででそこそこに決まってしまっていて、それなりに満足はしていたし、これからの学校生活はそれを少し上向けるものになればぐらいに思っていたのだ。

あれから9年が経って、今度は日本だけではなく世界中がCOVID-19によって混乱の時代となっている。昨年通信制大学院の修士課程を修了し、「通学ならば博士課程にも通えるよ」となって、資金繰りには奔走したものの入学の決意はすぐに固めた。

写真コース卒業時の卒業制作《AA》、瓜生山キャンパスでの展示風景。
通信制大学院・後藤繁雄ラボでの修士論文。


博士課程入試の面接時にはすでにマスクを着用した面接となっており、合格してからの半年間の授業はすべてオンラインによるモノとなっていた。

思い起こせばこの間、入学もその後の学校の対策にも、自身の学びに対してのCOVID-19に関しての迷いはほとんど何もなかった。博士課程の紀要論文のテーマ設定も、フィールドワークが難しい中、教授よりこれ以上ない設定をされ、新しく仲間になった博士課程の特論のクラスメイトたち(修士も含む)と研究助成金を申請し、秋に合同での研究発表会を企画し、毎週末にオンラインでディスカッションを続けている。

毎週月曜日の特論が、後期から段階的に対面の授業が可能となり、火曜日にオンラインで受けている特講も開催されるとのことで、済まそうと思えばオンラインですべて済んでしまうのだが、思い切って京都へ行くことにした。

朝イチの新幹線で京都へ向かい、特論の一時間前ほどには大学に着いた。博士課程は全員に大学院室という部屋に席が用意されることになっているので、その席を決めにはじめて行った。少しだけキレイな部活部屋のような殺伐とした部屋ではあるが、何となく居心地がよく感じるのは、最初に就職した会社以来の「自分の席」だったからなのかは、まだよくわからない。


ある程度片づけをして、特論の部屋へ向かうとフェイスマスクなどを配って教室への入室を管理していた。前に並んでいたのはたまたまともに研究発表をする仲間の一人だった。なんだか急に心が踊るようであった。「はじめまして」なのに全然「はじめまして」な感じはしない。当たり前のようにオンラインで話していたことの続きを話し、講義のあとは学校内展示や絶景スポットと自身のアトリエなどをお互いの話をしながら案内してもらった。

京都・瓜生山キャンパスより、京都市内を望む。


特論の休み時間と終了後には1月の入試面接以来の再会となる専攻長の先生などに話しかけ、秋の合同研究発表会の話や研究の進行など近況の話をしたりもした。大変な時期なのに実に上手く過ごされていて安心したということだった。これはすでに割と長くなっている大人になってからの大学生活の経験と、恵まれた人間関係によるものだと思う。

翌日は朝から大学院生室で本を読み、図書館で資料を借りて、昼に通信制大学院仲間とランチの待ち合わせをした。毎週何度もオンラインでの勉強会を続けているとはいえ、実際に会うのは昨年末のスクーリング以来であったが、相手に向かって「ひさしぶり」という言葉はそれほど適切でもないと感じられた。豊かなランチの時間を過ごして、ゼミの教授の授業に混ざり込み、そのまま自身の特講の授業までの時間を学びの時間とした。

特講の時間までの休み時間に博士の査読をお願いしている先生から話しかけられ、自身の研究の方向性と論文の話をした。5分、10分のやりとりであったがだいぶ重要な時間であったと思う。特講の講義中も実に充実したものであった。来週も特講やるか?となったのですぐに再度京都を訪れることが可能なのかを検討した。


この2日間。僕はまさしく「学生気分に浸っていた」と思う。


決まった未来ではなく、自分のこれからを不確定な要素も含めて、ラディカルに撹拌して創造している感覚であった。就職氷河期の時代に大学生だった自分としてはもしかしたら最初の大学生活の時には感じていなかった(気づけなかった)感覚でもあったと思う。

僕はおそらく、この大学に入って以来ずっと自分の人生の可能性を「知識」「機会」「人脈」といったあらゆる角度で再構築し、自分の未来を創っているのだと実感した。これこそが「学生気分に浸る」ということの本質であると思える。

「教育のオンライン化」は必要だとも思うが、それも全て学生気分に浸るためのひとつの要素だ。「知識」を得る「授業」だけならばそれで十分だし、なんなら大学でなくてもいいと思う。自分自身で本を読むなり、数多あるオンライン講座やYouTubeを見ればそれで済むことだろう。ただ「知識」だけでは自分の未来を根本的に再構築するのは難しい。頭だけじゃなく身体的に再構築を実感してはじめて何かが変わるんだと思う。


学校は「授業」だけじゃない。
未来を変える学びは、若い人たちだけの特権でもない。


大人になってからも本当の友人ができる。
当たり前に思っていた世界が、実はそうではないと知れる学びがある。
生きづらさを感じることは、実は人生を豊かにしていることだと気づける。


学び続けるのは大変だけど、最高だ。

人生を変える学びがあります。学生気分に浸りに来てみては。

 

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