REPORT2020.10.11

アート

喪われた時を変異させ、前へ。(後編)― 展覧会3.0「テレイグジスタンスと窓の外」undiscovered children

edited by
  • 中村 純

展覧会場のギャルリ・オーブの2階は、リアル展とVR(バーチャルリアリティー)展が交錯した空間である。テレイグジスタンス(遠隔臨場感)により、リアルとVRの多元的現実の共存する時空間に吸引される。

2階にあがると、なだらかな女性の裸体の曲線が縁どられた写真が目に留まる。

竹山富貴 《女体03(2人きり)》 写真、カッティングシート

 知人男性にカメラを渡し、恋人の裸体を撮影してもらった。親密な関係のもとで見せる女の裸体の曲線は無防備だ。竹山は、女性の裸体に関心があり、ストリップ劇場にも足を運んだ。ストリップの女性の顔や手は男性にメッセージを送っているが、乳房や肢体を支えている足は変化せず、自意識からも解放されているかに見えた。竹山が作品に顔を載せなかった理由がここにある。そこにあるのは植物のような肢体の曲線。

 日本で女性の裸体のおかれているコンテクストを変異させ、イノセンスな文脈を作り出そうとしているのか。消費される女性の体へのアンチでもなく、竹山の描く線は、性やエロスでもなくただ美しさに向かう。

 

 芸術館の扉を開けると、「窓の中」に閉ざされる。

 


大野裕和 《untitled》 リアルタイムヴィデオプロジェクター

 大野は、前期展覧会のVR映像を作成したアーティストである。今回の映像は、自身の身体にモーションキャプチャーを装着させ、VR空間内の仮想のギャルリ・オーブのアバターの動きと連動させる。現実と仮想が交錯する空間が現出する。この世界は、大野の頭のなかにある妄想の神話である。

 大野は、まず作品の世界観を日本語と英語のバイリンガルの詩で表し、次にスケッチブックに多元な時間の箱をデッサンし、VR世界を構築する。

スケッチブックに描かれた、VR世界の構想


 昨年11月からVRに関わるようになったという大野にとって、この作品は、ストーリーやステイトメント世界観を言語化し、テクニカルな面も実験的に試みた研究過程のひとつの成果である。時間だけでなく、ストーリーも枝分かれする実験的な映像作品となっている。

 作品概念は、相対性理論やブロック・ユニバース理論に基づいている。ブロック・ユニバース理論では、過去も未来も永遠に続く無限の時間となる。私たちは一方通行の現実を生きているが、ここではエントロピーで時間が逆行し複数の時間が錯綜する。仮想のギャルリ・オーブの空間内で多発している世界。世界が終末に向かうにつれてカタストロフィーが訪れる。

 映像は太陽で始まるが、ミラーリングにより、視る自分の反対側に同じ世界がある、まるで能舞台の鏡の松さながらである。


 VRで作品をつくることについて訊いた。大野は「コロナの自粛期間中はバーチャル内が精神の避難所だった」と語る。そこでは喪われた時間が錯綜しているが、自由 —フリーダムではなく、リバティーがあるという。

 大野のVR空間には、undiscoverd children のすべての展示作品が物語として内包されている。圧縮還元された時空に、乱雑にストーリーと時間が重なる。質量的に作品をたくさん容れて、それが錘となり、カタストロフィーを誘発する。

 仮想のギャルリ・オーブは、大野の手を離れて、連綿と仮想現実として繰り返され、やがて劣化し、デジタル媒体そのものが終焉し虚無が続いていく。虚無が抱えている一炊の夢。
それはなぐさめにもならないと大野は言う。その「現実」を突き詰めて終わる。

 ブラックアウトした世界に残像だけが残り、大野が話した「現実」も、もう思い出すことができない。


 大野に、師匠であるヤノベケンジについて訊いた。キャパシティーが膨大で先見の明がある現代アートの先駆者だ、と答える。ヤノベの背中から大野が学んでいるのは、問いを発することのできるインテリジェンスと、現代文明に対してのサバイブリティーである。

 3年生の大野は、ヤノベの福島でのサンチャイルド撤去事件も知る「世代」だと自らをいう。それはその後の表現の不自由展の伏線のようだ。ヤノベのことを、ゴルゴタの丘で磔にされる基督、アーティストの贖罪だというのである。

 私にはヤノベは現代文明に立ち現れた阿修羅に見える。ヤノベが現代文明に打ち立てるのは希望であり、大野はカタストロフィーからの再生を試みる。ヤノベと大野の関係を訊いたら、スターウォーズのマスターとジェダイだという答えがかえってきた。何ともうらやましい関係である。

 筆者は、破壊された者が立ち上がるときの尊厳、その輝きが詩で、文学だと思っている。

 既に世界は破壊されているが、だからこそ、ここに芸術と詩が必要なのだと信じている。

 

始まり
それは一つの小さな光から生まれた
超越者は光にすべての設計図を残し、そばで見守ることを指針とした。
魂にも似たその光は特異点と呼ばれた。

The beginning
It was born from one little light
The transcendent left all the blueprints in the light, and the guideline was to watch by his side.
The light, which resembles the soul, was called a singularity.


灰の世界
世界はまだ分かたれず、霧に覆われ、
灰色の海と岩ばかりがあった。

World of ashes
The world is still undivided and covered in fog.
There was only gray sea and rocks.


はじめて火がおこった。
火とともに差異がもたらされた。
熱と冷たさ
生と死と
そして、光と闇と

The fire broke out for the first time.
The fire made a difference.
Heat and cold
Life and death
And with light and darkness


今人の世となった
世界は避難所となり、忌ものたちのゆりかごとなった。

It became the world of people now
The world has become a refuge and a cradle of goddamn things.


未来
そう呼ばれる時代にはすべてがコードの羅列へと変貌した世界、実態はなく、
機械の群体がまるで一つの主として機能するがごとく生物として繁栄を謳歌した。

future
In the so-called era, everything was transformed into a list of chords, and there was no reality,
and the colony of machines enjoyed prosperity as a living thing as if it functioned as one main.


吹き溜まり
そう呼ばれるにふさわしい世界。
かつての繁栄はいざしれず、錬成炉に投げ込まれた世界は永遠の継代化を強いられ、
それはまさに「夢見る老人の世界」そのものだった。

Snowdrift
A world that deserves to be called.
The prosperity of the past was irrelevant, and the world thrown into the smelting furnace was forced into an eternal succession,
which was exactly the "world of the dreaming old man."


主なき世界
数限りない世界が生まれ生命たちは抗い続けたが、それは虚無の前に見る一時の夢だった。

The main world
Innumerable worlds were born and life continued to resist, but it was a temporary dream before the void.

 

原麻琴 《レイ》 サウンドインスタレーション

 大野の展開するVRの隣の部屋では、暗闇のなか、波の音が流れ続けている。時に波音を刻んだ原のサウンドインスタレーションである。

 原は、埼玉県川口市の工業地帯、住宅地に育った。埼玉には海がない。川口は光化学スモック注意報の放送がよく流れる地域である。原は、山懐に抱かれた京都に来て、より自然をそばで呼吸することになった。本来は、人間も自然であるはずが、人間が自ら自然と自分たちを傷つけ自滅している。波は一定のリズムがあり、人間の体にも月経や呼吸のサイクルがある。喪われた身体性を取り戻すべく、暗闇の中、ただ波の音に瞑想をする。海はだれのものでもない。匿名の無名の、だれの心の中にもある海。原は家族で訪れた千葉の海を語った。東京出身の筆者と同じ房総の海を見ていたかもしれない。

 原が10歳の時、東日本大震災があった。筆者もそのとき東京にいて2歳の子どもを育てていた。大地を揺るがす人間ではコントロールできないエネルギー。その上にある原子力発電所。原と私はしばし、暗闇の静かの海の中、羊水の中にいる時間に、311からの日々のことを語り合った。
 


 undiscoverd children というのは、それぞれのアーティストの中にある、憧れや無垢な創(きず)を発見する旅の過程だったかもしれない。創作の創は「きず」のことだ。創から再生をする旅こそ、尊厳と自己を深め、世界との関係、世界そのものを変える旅となる。

 3日間のギャルリ・オーブの旅の間、筆者が感じていたのは、この芸術大学に集う若いアーティストたちの身体と思考の中にすでに胚胎されている作品、未来だった。日々の違和感や絶望を感知し、思考に高める知性。作品を生み出し、自己を再生させるエネルギー。権威に縁どられない無名の若いアーティストたちの繊細なイノセンス。若い人たちの、尊厳を買い叩かれていない誇りにこそ、真実がある。私が思い出させてもらったようだ。


(文:文芸表現学科 教員 中村純、撮影:高橋保世、広報課)

展覧会3.0「テレイグジスタンスと窓の外」

会期 2020年10月3日〜13日
場所 ギャルリ・オーブ、芸術館、人間館1階ラウンジ

https://r-narita5056.wixsite.com/hengokuenosokou/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

 

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  • 中村 純Jun Nakamura

    京都芸術大学 文芸表現学科 教員(編集者、詩人)

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