COLUMN2025.11.01

マンガ・アニメ教育

よっしーのマンガちなみに話 その3ーマンガの中のオノマトペとかについてのちなみに話。

edited by
  • 京都芸術大学 広報課

ちょっと考えてみたことありますか?

マンガの中に出てくる「シーーン」という音はいったいどういう音なのでしょう?
そう、マンガを読んでいると出てくる、描き文字で描かれているあの「シーーン」ですよ。
あなたはシーンという音を、現実世界において実際に耳にしたことがありますか?
無音という状態を音で表現するって日本のマンガにおける独特な表現なのでしょうか?。
では一体これって誰の発明なのでしょう?
手塚治虫先生?
とりあえずマンガ表現で初めにやったのはだいたい手塚治虫先生である説ってよく聞きますけれど、実際のところはどうなんでしょうね?
そもそも擬音、オノマトペはマンガ表現の専売特許ではないような気がしますし。
物が発する音を文字に置き換える表現は、マンガよりむしろ小説や戯曲などの文学の世界でもともとあったものですし。
「シーンと静まり返る」という文章表現は以前からあった気もするのです。
では「ジャーン!」は?「ガーン!」は?「ドドドドドドドドド」は誰の発明?
ま、ボクは研究者でも何でもないですし、ここで起源を解明するつもりもないのですが。
ただ、マンガの中のオノマトペは文字情報というよりもむしろ、「描き文字」という絵画的視覚表現になっているところがユニークだなと思うのです。

時代劇マンガでの侍の刀と刀がまみえる「キィィン」という描き文字の線はよりシャープに金属質であるべきでしょうし、SFマンガの巨大な宇宙船が爆発するときの「ズズゥン」は重低音でなければいけません。
ちなみに真空の宇宙空間では音はしないはずなのに、スターウォーズもガンダムもガンガン音出してますけどね。
音のない絵に音を付けて、しかもその音がどんな音質でどんな音量でその場面で鳴り響いているのか、はたまた主人公の心の中で鳴り響いている音を形にして表したい欲求の凄さよ!
もう絵じゃん!
そう、絵なのです。
書き文字を描いている時のマンガ家は、絵を描く意識でいると思うのです。
その音の出どころはどこかとか、描き文字にパースを付けてみたりとか明らかに絵の一部としてとらえてます。
文字をデザインしている意識とは根本的に違うんですよね。

日本のマンガが海外で翻訳されて出版されるようになってから久しいです。
そしていつの間にか「JAPANESE COMIC」が「MANGA」と表記されるようになりました。
日本のマンガは右から左に読むのが基本、というのは初回でも書いたかもしれませんが、そもそも日本語は縦書きでアメリカやヨーロッパなどの言語はほぼほぼ横書き。
縦書きの文章は上から下に文字を追い、そして右から左に行を進めて読んでいく。
マンガも、それに従っただけとも言えるでしょう。
なので日本のマンガは、雑誌も単行本も右開きが基本。
これを元々左開きで、左から右に読ませていく欧米の書籍の形態にあわせるためには、
左右を反転させて印刷することになるわけです。
フキダシの中の日本語のセリフも横書きになるため少し縦長だったフキダシの形を横長にしないと収まらなくなってきます。
絵も左右が反転するので、日本が舞台のマンガなのにクルマが全部左ハンドルになって、右車線を走ることになってしまいます。
お箸を持つのもペンを握るのもみぃんな左利き。
それらをまだ目をつぶって見過ごしたとしても、マンガ家にとっての最大の恐怖は、左右反転されることで、おのれのデッサン狂いが露呈されてしまうことでしょう。
少しでもマンガを描いてみたことがある人なら、アナログの原稿用紙にマンガの下書きを描いていて、試しに原稿用紙を裏返しにして光にかざしてみたりしたことってあるでしょ?
あるいはそんなことしてる人見たことあるでしょ?
デジタルだと、すぐに左右反転機能で出来ちゃうんだけど。
あれ、ほんとに辛い。
なんか今日は調子いいな。いつもより2割増しで可愛く描けてるかも…とか思いつつ原稿用紙を何気なく裏から見てみる。
だ、だれが描いたん、コレ?
そこからは、直しても直しても正解が見つからない、自分のデッサン力の稚拙さを思い知らされる地獄の時間が始まるのです。
フキダシの中の文字はともかく、厄介なのは絵の一部として表された描き文字によるオノマトペです。

以前、ボクの単行本が韓国で翻訳出版されたとき、右開きはそのままだったのですが、画面上の日本語で書かれたオノマトペを丁寧に消してハングル文字に直されていました。
しかも僕が描いた描き文字のタッチに一生懸命似せて描いてくれていたのです。
なんだか申し訳ない気になってしまったわけですが…。
最近の風潮として「MANGA」はできるだけオリジナルに忠実な状態で読みたい、読んで欲しいというニーズが海外のMANGAファンの間で広がっているみたいで、右から読む形のまま翻訳リリースされることも多くなってきているようです。
「しとしとしと」などといったオノマトペも、無理に翻訳せず、「小雨が降っている音」などとコマ外に注釈をつける手法がとられていたりします。

話を少し戻すのですが…あなたは「シーーーン」というオノマトペが入る場面...どんな場面を思い描きますか?
1 人気のない山奥?
2 ギャグがダダ滑りした時の観客席?
3 ただいまと言って帰ってきたらいるはずの家族が誰もいない自分の家の中?

1  は、遠くの山々まで、あるいは森の奥深くまで鳥の鳴く声すらも聞こえない感じに描きたいですよね。
2  は、せっかくお金出して笑いに来ているのにつまんないじゃん、どうしてくれるのさっていう目をした観客のモブが欲しいですよね。
3  は、いつもは明るくお帰りと返事してくれるはずのママがいない。テーブルの上には一通の置き手紙。サスペンスの始まりの予感が…。

そんなことを考えていたら思い出したのですが、最近、肖像権だとか著作権だとかやたらと厳しい話をよく耳にします。けど、マンガの世界ってそのへんがもともと緩いような気がしています。

今でこそ2次創作というジャンル(?)が広くマンガファンの間にも根付いていて、コミックマーケットのような同人誌即売会でも二次創作作品が大半を占めるようになって久しいですよね。

ただ、二次創作という言葉は最近使われ始めたようで、一昔前は「パロディー」と呼んでいたと思われます。

もともとパロディーとは、元ネタをほぼ忠実に再現しながらも、そこに元ネタへのリスペクトや批判精神を投影したものだったと思っていました。それに対して、いま主流の二次創作は、既存のキャラクターを自分の世界観に引き寄せて楽しむ、もう少し自由でフラットな遊びのようにも見えます。(ぼくは「そうそう、それもアリだよね」と思う派なんですが、こういう話は語るほどに賛否が割れそうなのでこの辺で…笑)

またまた話は変わりますが、「東京オリンピック」ってもうずいぶん前のような気がするけれど、2021年だから最近っちゃ最近ですよね。

「大阪関西万博」の人気に霞んでしまっているかもしれないけれど、その東京オリンピックの開会式をテレビで見ていて、なんだかすごい違和感を覚えたのです。

何かというと、各国の選手団が入場してくるときにその先頭を歩く選手が掲げていたプラカード。

いわゆるマンガのフキダシの中に国名が書かれていたんですけれど、そのフキダシの周りにいわゆる「集中線」とかが描かれていたのですけど、あれにすごく居心地の悪さを覚えてしまったのです。

これっていわゆるマンガのパロディーなのでしょうか?
これさえ書いとけばマンガっぽいでしょ、世界に誇る日本文化だよって言いたいんでしょうけれど…。

ちなみにここで使われていた集中線とは、いわゆるマンガ表現の中の効果線の一つで、物が早く動いたり、あるいは心が動いたりするような場面で使われるものなんですけど、その「これさえ書いとけば」的なインスタントな使われ方が引っかかってしまったわけです。

そもそもなんでこんな話をつらつら書いてきたかというと、マンガ作品には著作権が存在するけれども、マンガ表現に関してはそもそも無法地帯だということ。

どこかのマンガ家が、マンガの新しい技法を使って作品を発表する。

すると、別のマンガ家が「これってどうやって描いているんだ?」「新しいじゃん!」「ええやん!」と誌面を食い入るように見て「多分こうやっているに違いない」と“パクった”技法をさっそく次の週に自分の作品の中の表現として取り入れて発表してしまったりする。

やったもん勝ち。
こうして瞬く間に。そう、類似品が出回るなんてのんびりしたタイム感ではなく、まさに瞬く間にみんなが使っている当たり前のマンガ表現となってしまうのです。

要は、誰が最初に発明したかではなくって「マンガ表現」の一つとして共有財産的に広がっていくのです。

マンガ業界の中では技法を「パクる」行為は、日本の漫画界全体の表現力を豊かにしていく行為として、むしろ大歓迎されてきたようなところがありますよね。
まあその弊害として「マンガっぽい絵」とか「マンガっぽい表現」なんて軽い感じで扱われたりすることが往々にしてあるのかなぁなんて思ったりするのです。
「ぽい」って何なのさ!

ちなみに、漫画の中での爆発音の「ちゅどーーん」はいったい誰の発明なのでしょう?

「うる星やつら」の高橋留美子先生?はたまた「できんボーイ」の田村信先生?
定説では田村信先生が最初で、高橋留美子先生は田村先生へのオマージュとして使ったそうです。

定説というか、両先生がお互いにおっしゃっているので間違いはないでしょう。
この、ひらがなで表現されたオノマトペって緊張感がなくて脱力というかちょっと滑稽な響きに見えてしまいますよね。

そもそもオノマトペを最初にひらがなで表記しはじめたのは「がきデカ」の山上たつひこ先生だとか…?

山上たつひこ先生も劇画時代はオノマトペをカタカナで表記していて、「がきデカ」などのギャグマンガを描くようになってひらがなオノマトペを使い始めたようです。

ちなみに、リアルな爆発の時は「ちゅどーん」ではなくカタカナで「キュドオン」です。

映画などで使われている爆発シーンでの効果音をよく聞いてみると、最初に何かがきしむような「キュ」の後に重低音の「ドオン」が来る感じ、聞き取れると思います。

「ドカーン」や「バーン」とは一味違うリアルさがあります。

で、このちゅどーんの時に爆発で吹き飛ばされている人たちの、親指、人差し指、小指を立ててガニ股で飛ばされていく姿をちゅどーんポーズなんて言ったりします。

爆発と言っても、実際に爆弾が破裂するのではなく、「ギャグがド滑りして爆死」みたいなシーンに使われることが多いようです。

ただし、マンガの画面上では超リアルに描き込まれた爆発の絵の上に、滑稽なポーズで吹き飛ばされていくキャラたちと緊張感のない書体で描かれたちゅどーーんのオノマトペが乗っかることでマンガとしてのギャグ絵が成立するのです。

ちなみに、小指ではなく薬指を立てるのが楳図かずお先生の「まことちゃん」に登場するぐわしポーズ。
楳図かずお先生も、「まことちゃん」以前の作品はリアルに描き込まれた絵が恐ろしいホラーマンガを世に送り出してましたね。
ギャグマンガを成立させるためには、しっかりとした描写力、リアルに見せることができる画力が必要ということなんでしょう。
楳図ホラー作品に登場する「ギャアッ」や「ズズズズ…」といった震えるオノマトペは時折りどこいらの作品でギャグ的要素として使われていたりもしてますよね。
恐怖と笑いは表裏一体ってことですね。

で、ちゅどーんポーズの元祖は杉浦茂先生って話。
杉浦茂って誰?

戦前から活躍されていた、「猿飛佐助」などシュールでパンチの利いた作品を多く手掛けられたナンセンスギャグマンガ家です。
絵柄がポップでかわいらしかったりするため、近年でもグッズ化されたりしてその絵柄を目にしたことがある人も多いかもしれません。

ただ杉浦先生のマンガ作品をリアルタイムで読んだことがある人は、さすがに少ないと思います。何せ主な作品は戦前なもので…。

ちなみに、赤塚不二夫先生の「天才バカボン」に登場するレレレのおじさんは、杉浦キャラのオマージュだということは割とよく知られている話です。

これらはどれも今でいうところのリスペクトであって、つまり大好きで多大なる影響を受けたうえで今日の自分があるんだという敬意を表する意味や、友情、友愛の証や応援の意味として自分の作品に同世代作家のキャラを登場させたり表現を取り入れたりするのは、「パクり」とは違う次元の、マンガ愛に満ちた素敵なことだと思ったりするんですよね。


(文・イラスト=よしかわ哲郎
(ディレクション=井本圭祐

 

京都芸術大学 Newsletter

京都芸術大学の教員が執筆するコラムと、クリエイター・研究者が選ぶ、世界を学ぶ最新トピックスを無料でお届けします。ご希望の方は、メールアドレスをご入力するだけで、来週より配信を開始します。以下よりお申し込みください。

お申し込みはこちらから

  • 京都芸術大学 広報課Office of Public Relations, Kyoto University of the Arts

    所在地: 京都芸術大学 瓜生山キャンパス
    連絡先: 075-791-9112
    E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp

お気に入り登録しました

既に登録済みです。

お気に入り記事を削除します。
よろしいですか?