京都芸術大学 文芸表現学科 社会実装科目「文芸と社会II」は、学生が視て経験した活動や作品をWebマガジン「瓜生通信」に大学広報記事として執筆するエディター・ライターの授業です。
本授業を受講した学生による記事を「文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信」と題し、みなさまにお届けします。
(構成・執筆:文芸表現学科2年:大城幸子)
「ぷちたび!」シリーズ他の記事はこちら
【ぷちたび!】赤信号は止まりますよ。だって芸大生ですもの-文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信
【ぷちたび!】京都市左京区北白川。青の英雄はここにいた。−文芸表現学科の学生が届ける瓜生通信
京都芸術大学をスタート地点に15分間歩き、どれだけの景色を見られるのか? 「ぷちたび!」は、そのときめきに光を当てる企画です。
この小さな「たび」はわたし独りでなく、3人の同行者と共に行われます。みんな同じ文芸表現学科の学生です。
4人の人間があるとは、すなわちここに4つの文脈があるということ。企画の捉え方、興味のベクトル、心の機微、そもそもの前提がまるで異なる4人なのです。共通する15分間とは裏腹に、内側に流れる時間にもまた差異があるはず。
企画の概要はだいたい冒頭で述べた通りですが、記事にするにあたっての形式は自由となっています。何を注視するか、何に筆を尽くすか、ちょっとした散歩にするもしないも個人の興味と書きぶり次第、それがこの企画の面白い点のひとつだとわたしは考えています。
本記事は2023年10月25日に行った、大学から銀閣寺方面へ向かって歩きだした「ぷちたび!」の記録です。
学校の大階段。伝わりますか? 急です。
登るも降るも気が滅入るけれど、平地にあるよりは高みにある方が学び舎という感じがするし、と自分に言い聞かせる日々です。
急斜が光に愛されるのか、この階段はいつも陽を浴びて、華やかで、たいてい脳内で小沢健二の『今夜はブギー・バック』が流れ出します。転んだら大変なところもダンスフロアーに似ている気がする。降り切ってから15分のカウントが始まります。
秋うらら、な鮮烈ブルー。行き会う人たちも多くが秋の装いに身を包んでいますが、まだすこし暑い……。額に汗が滲みます。
秋冬用の重くてあまい香水も、吹きかけるにはまだ早そう。この時期はみんな金木犀金木犀うるさいけど、あのうるささに俗っぽ風流を感じて好きなので、ちょっとさびしいです。早く涼しくならないかな。なんて思いながら、ぷちたび開始です。
(銀閣寺方面、といってもすこしわかりづらいでしょうか。学校の階段を降りて、左の方向に進んでいます。一度も曲がっていません)
軽い雑談をしながらゆっくり歩きだします。と、すこし進んだところで気を惹く光景があったのでぱしゃり。公衆電話です。
実は公衆電話、使ったことがないんです。
思い浮かぶのは、実際に電話をかけた思い出、積み上げる銅貨のひんやりとした感触……ではなく、公衆電話にまつわる好きな映画のシーンだけ。矢崎仁司の『三月のライオン』のあるワンシーン、「とくちょう:うそつき」の少女アイスがポロライドカメラで自分の顔を撮っては公衆電話に貼り付けてゆく姿がたまらなく好きなんです。
使用するのが当たり前な時代もあったのだろうけれど、わたしにとっては異物も異物、なんならエモーショナルの対象で。街中にきらきらしたガラス張りの密室がいきなり現れるって状況だけで、なんだか胸がときめきます。
そういえば、公衆電話は1台と数えるそうです。この記事を書くに当たって改めて調べたのですが、人生で公衆電話の単位を気にする時がくるとは思わなかったです。
でも、そもそも公衆電話って数えるものでもないじゃないですか。(あるにはあるのかもしれないけれど)同じ場所に2台も3台も並んでいるの見たことないし、単数でぽつねんとあるのが常で。数える機会もないのに単位なんて必要なのかな。
他の事物に与えられるのに独り除け者なんて可哀想だ、という温情から? それとも同調圧力的な意向から? なんだか変に考えてしまいます。実用性に応じて何かを取り上げろというのも醜い話だけど、でも単位を持たないって何だかひとつの枷から解放されたみたいで、ちょっとよくないですか。ぷち異次元にいくみたいで。
しらさぎみたいなごみが落ちていました。見えますか?
(ほぼ同じ理由で白鳥にも弱いのですが)、しらさぎってなんだかすきで。白いすがた、翼、清らかで高潔なイメージがあります。
鳥といえば、(マジカルバナナ的に)日本最古の漫画として有名な鳥獣人物戯画をわたしは起こすのですが、あれってタイトルに「鳥」と入ってるにも関わらず、ほとんど鳥が出てこないじゃないですか。どうしてなんだろうってずっと考えていて。京都の芸術大学で学ぶ身としては、一度じっくり取り組んでみたいテーマです。
(ちなみにWordにも鳥と認識されました)
BUS STOP!
以前「超歌手」の大森靖子さんのインタビューで読んだ、「全部考えてほしくて。だから反語をいつも使っているんです。〈STOP THE MUSIC〉と歌っているのも、『音楽を止めるな』と言われるよりも『音楽を止めろ』と言われるほうが、本当に止めたくないのか、ちゃんと考えるじゃないですか」(引用:https://realsound.jp/2020/07/post-592609_2.html)という言葉に、おおきく感銘を受けて。
その後から、ついついSTOPという単語に反応してしまいます。この一枚もそう。
あくまで反語の一例のはなしであって、STOPという単語そのものに過敏になるのはおかしいとわかっているけれど。でも、そうやって言葉を拾いイメージを関連づけていく作業は楽しいです。
さっきのとは別の、スタート地点からいちばん近いバス停。「BUS STOP」をかんぜんに排除した画角で撮ったものです。バスを待つ人の目線。なんだか窮屈ですね。
わたしはバス停に対して、ただ「止まる」というよりも、動いていたバスがしばし休止し、乗客を拾い、一拍おいてまた動き出す、「再生」のイメージの方を濃く持っています。
でも「STOP」を使うからこそ、その「再生」のイメージがより深く立ち昇るような気がする。スイカに塩をかけるみたいに。
終わりに、写真におさめられるものではなかったけれど、こんなもの見たよのシリーズです。さくさくいきます。
『車』
車を見たんです。道路の脇に停められていた、鮮烈なブルーの車。それが妙に印象に残って。風景に溶け込む淡くやさしい色とは反対に、ヴヴィッドカラーは世界とくっきりと、明確に隔てられる存在です。それが、芸大生にはわりと多い、世間には理解されない変わり者たち、のひとつの雛形に思えます。あるいはエール。
『すてきな女の子』
思わず見惚れちゃう女の子とすれ違ったんです……! 赤いミニスカート。ブラウンのハイソックスに黒のバレエシューズ。ファッションがお洒落で洗練されていて、姿勢がよくて、そこから自然とオーラが立ち昇るような。まるでフランスの女学生のような上品さ。思わずわたしも姿勢を正しました。
『郵便受け』
私有物だから写真を撮れないのがもどかしい。墨色で、華奢で、三角形のちいさな傷がついていて、とても愛らしい郵便受けだったんです。日の光を浴びている様子が印象的で。
後日、似たような鞄を古着屋さんで見つけて、ちょうど大学用の鞄が欲しかったし、とあれこれ言い訳して、物欲のままに買いました。
一緒にたびした畠山が隣にいて、「多分PCが入るサイズじゃないから大学には向いてないよ」とも助言をいただいたのですが……。
「使うあてはなくても買う! それが物欲に生きる者の嗜みなのです。何時なんどき仮面舞踏会への招待状が来ても対応可。こうでないといけません」。と、二階堂奥歯の『八本脚の蝶』より頼れる言葉を脳内で引用して、気づけばお迎えしていました。
以上、『車』『すてきな女の子』『郵便受け』の3本立てでたびの尾をお届けしました。15分ってみじかい……!
最後に。わたしにとってのぷちたびってなんだったのかな、と。
15分間ではことさら世界は広がらなかったし、生まれて初めての発見があったわけでもなく。ただ、企画のために普段は気にもとめない風景のひとつずつに注意を払うことは、ひどく繊細な体験でした。この15分間は、惰性で足を動かすだけでは洩れこぼれ落ちてしまうもの、それらを掬い上げて、血肉に迎えることができたのだと思います。
読み返してみると、公衆電話にバス停と、「言葉」への帰着が多い気がするのは文芸表現学科生ならではなのでしょうか。それともこのたびがそうさせた? いずれにせよ、これがぷちたびという感受性、なのではないでしょうか。とても楽しかったです。
(銀閣寺方面:1229歩)
構成・執筆 大城幸子
2022年京都芸術大学文芸表現学科クリエイティブ・ライティングコース入学。
京都芸術大学 Newsletter
京都芸術大学の教員が執筆するコラムと、クリエイター・研究者が選ぶ、世界を学ぶ最新トピックスを無料でお届けします。ご希望の方は、メールアドレスをご入力するだけで、来週水曜日より配信を開始します。以下よりお申し込みください。
-
京都芸術大学 広報課Office of Public Relations, Kyoto University of the Arts
所在地: 京都芸術大学 瓜生山キャンパス
連絡先: 075-791-9112
E-mail: kouhou@office.kyoto-art.ac.jp