R-18文学賞で大賞を受賞!小説家になる夢に向けて ― 文芸表現学科3年生・上村裕香さん:在学生からのメッセージ
- 京都芸術大学 広報課
文芸表現学科3年生の上村裕香さんが、数々の有名作家を輩出してきた文学賞「第21回 女による女のためのR-18文学賞」(主催・新潮社)で大賞に選ばれ、さらに「第19回 民主文学新人賞」(主催・日本民主主義文学会)も受賞されました。小説家としての大きな一歩を踏み出した上村さん。R-18文学賞で大賞に選ばれた小説「救われてんじゃねえよ」は、どのようにして生まれることになったのでしょうか。学生生活で感じていることや理想とする小説像などについて、お話をうかがいました。
「遠くの人に届くもの」としての小説
─ 上村さんが小説家になりたいと思ったきっかけは何ですか?
小学4年生のときに国語の授業で物語を書いたことでした。そのとき書いた物語に対して、友だちのお母さんから「面白かったよ」という感想をもらっていたことを伝え聞いて。「ちゃんと遠くの人にも届くんだな」と思ったことが、小説を書き続けていきたいと思うきっかけになりました。
そのあとも中学・高校と書き続けて、高校では文芸部に所属して全国大会にも出させていただきました。しかし、最後の大会で2位になってしまって……。もちろん悔しかったんですが、悔しかったことよりも「ちゃんと悔しく感じるんだ」と、自分の小説に対する本気度に気がついたことが大きかったです。それで、大学で専門的に小説創作を学びたいと思い、文芸表現学科に進むことにしました。
─ 入学後、ご自身の小説に変化はありましたか?
書くことに対するスタンスが変わったなと思います。それまでは生きていくなかで自分が感じたこと、社会に対する思想など、自分の内側にあることを書こうとしていたんですけど、最近はそれよりもいま目の前に広がっている現実そのものを書きたいと思っています。
というのも、抽象的な思考に合わせて書くと物語が嘘っぽくなってしまうからです。思想的な答えを示すものになってしまう。大学で勉強していくうちに、現実のほうが面白いんじゃないかと考え方が変わっていって。たとえば、どこかですごく悲しいことが起こっていたとしますよね。「ここに絶望があります」という空間でも、よく観察すると、テレビから芸人の笑い声が聞こえていたり、そのことに感情がつられてしまったりすることがある。そういう風に、あるひとつの「悲劇」のように見える場面も、カメラを引いて全体を見ると喜劇なのかもしれない。その、周りにある空間も含めた全体こそが現実で、それを物語にしたいと思うようになりました。
─ そうした変化を感じるようになったのはなぜですか?
1年生のときに、リストアップされた100冊の本から毎週1冊ずつを読んでレポートを作成する「百讀(ひゃくどく)」の授業があったんですね。自身の読書体験としてだけでなく、他の学生の読書体験を知ることによって、自分と違う読み方に触れられたことが大きくて。小説の読み方が変わるのに比例するように、書く内容も更新されていった気がします。大げさでなく、それまでの価値観が壊れて再構築されるような体験でした。
大学で学ぶなかで、書く内容だけでなく書き方も変化していきました。2年生になって、現学科長で文芸創作を専門とする山田隆道先生のゼミに入ったんですが、山田先生はよく「ここはおもろいから、企画から書き直したら?」みたいなアドバイスをする人なので、1年のころは「ぜんぶ改稿は無理やろ……この先生合わへんな」と思っていました(笑)。けど、2年になったくらいのころにカチッとはまった瞬間があったんです。
あるとき先生からの改稿指示に対して、自分がその内容をちゃんと受け止めて改稿できたなと感じたときがありました。その原稿を読んだ先生からも「この改稿、自分でも良かったと思ったやろ。おれも良かったと思ったわ」と言っていただいて。その瞬間に「自分の書き方はこれだ!」と、新しい書き方と指導者が見つかったんです。
─ 芸術大学の中で小説を書くことについてはいかがですか?
私は元々「うまい」って言われるタイプの書き手だったんです。技巧的に文章がうまい、でもそれだけだなと。けど芸大に来てみると、そこは「うまい」でも「正しい」でもなく「おもろい」がほとんど唯一の評価基準の世界でした。
最近ゼミで「ある時期までは医薬品だったのに、ある時期からは法規制された薬物っておもろいよね」という話で盛り上がったことがあって。ある日まで当たり前だったものが、突然社会で許されなくなる状況や、その薬物を本当に必要としている人はどうなるのかなど、具体的な事柄からどんどん掘り下げられる奥行きのあるものって「おもろいな」と思います。
結局、誰にも思いつかないところを思いついて、それをどれだけ他者に届く形で作品化できるか、というのが「おもろい」なんじゃないかなといまは考えています。ある事柄に違う光を当てるという行為そのものも発想力ですし、切り取ったものをどう掘っていくかが創作力の根っこにあるものなんじゃないかと思います。
私の「救われてんじゃねえよ」という作品は、難病の母親と暮らす女子高生の話なんですが、ヤングケアラーという大きなテーマから入って、深堀りしていった結果、物語の終盤で芸人の小島よしおが登場するんですね。その奥行きって、何だか変でおもろいじゃないですか(笑)。
「救われてんじゃねえよ」が生まれるまで
─ 「救われてんじゃねえよ」は「女による女のためのR-18文学賞」で見事大賞に選ばれた作品ですね。小説家になる上でとても大きな受賞となりましたが、第一報を聞かれてどんなことを思いましたか?
最初は自分でも信じられなくて、事務局の方からお知らせがあったときも、一通り連絡事項を聞いたあとで「それって大賞ということですか?」と聞き返したくらいでした(笑)。最初は全く実感がわかず、でも、山田先生に良い報告ができたことだけは良かったなと思った記憶があります。
─ 周囲の方々からの反応はいかがでしたか?
「救われてんじゃねえよ」は、八畳一間のアパートで難病の母と散財癖のある父とヤングケアラーの女子高生が暮らす話なんですが、両親から執筆当初は「本当にこんな家庭やと思われるやん」とネガティブな反応もされました。でも、受賞したことで「受賞できて本当に良かったね」と言ってもらえて、私自身とても嬉しくなりました。
─ 執筆にはどれくらいの期間をかけたのでしょうか?
実は応募1ヶ月前くらいに書き始めました。最初の1週間くらいで初稿を書いて、それからは先生と面談したり、ゼミで生徒同士の合評を行ったりしながら改稿しました。かなりの頻度で書き直したので、最終的には初稿と全く違う原稿になっています。なので私一人で書いた作品というよりは、いろんな人の声を聞きながら、いろんな人の思考を使わせてもらって書いた作品だなと感じています。
─ 小説としては珍しい書き方なのではないでしょうか?
そうかもしれません。ただ私の場合、改稿作業の中で見つかるものがたくさんあるのでこの書き方がベストだと感じています。砂の城を作っているみたいな感覚で、3回くらいは波に流された気がします(笑)。
書き直す最中には、いただいたコメントから他者の思考に入り込んでいくような感じがしています。他者の脳みそを使って考えているみたいで、そのプロセスで自分が考えたことを作品に盛り込んでいく感覚ですね。
山田先生は小説家だけでなく、元々放送作家や脚本家もされていた方で「コンテンツが一番」「自分の作家性は二の次」とよく言われるんですが、私もそこに影響されています。この作品を書くのは私でなくてもいいけれど、この作品を世界に存在させたいと私が思うから書く、みたいな感じでしょうか。
過去にR-18文学賞を受賞された窪美澄先生の「セイタカアワダチソウの空」という作品があって、そこには貧困の象徴のような団地が登場するんですね。その作品を読んだときに「この団地をこの世に存在させてくれてありがとう」と強く感じました。
そんな風に、誰かの作品に対して「これを書いてくれてありがとう」と感じるときがあるんですが、現実に存在している「かもしれない」世界がちゃんと「ここにあるよ」と示してくれる作品が好きなんです。だから、私も作品を通じてちゃんと何かが「ここにあるよ」と示していきたいですね。
大賞を受賞して考える「これから」
─ 今回、大賞を受賞したことで感じた心境の変化などはありますか?
賞の贈呈式で、窪先生から「次の受賞者が発表される1年後までに、この作品をちゃんと本にして私に見せてくれると約束してください」と言っていただきました。
受賞発表があってからというもの、たくさんの方からお声掛けいただいたり、取材を受けたりするようになりました。でも周囲からの扱いが変われば変わるほど、「いや自分はすごくない」「調子に乗ってはいけない」と自制する心の向きのほうが強くなって。「すごくない」と自己否定することで謙虚であろうとしたんですね。
しかし最近はまた違う考えが生まれてきました。自分を卑下することと、賞の価値を軽くとらえることは違うな、と。そんな考えがあり、いまは賞の重みをしっかり受け止めないといけないと感じています。
窪先生や町田そのこ先生など、R-18文学賞はこれまでに錚々たる作家の方々を送り出してきました。その歴史の重みは確実にあって、これから自分の名前で作品を出すときには、絶対に中途半端なものは出せないなと感じています。
─ 今回「救われてんじゃねえよ」が高く評価された要因として、ご自身ではどんな点に最大のポイントがあったと考えますか?
評価はわかりませんが、書いているときには「現実」を誠実に書くことに意識を向けていました。この作品は基本的にフィクションなんですが、物語の中で主人公の沙智がお母さんと倒れ込んで笑い合うシーンは、実体験がベースになっています。その瞬間を書きたいと思って書きはじめたんです。小説の執筆に取りかかる前、何人かの人に「お母さんを家で介護しとったんやけど、こういうことがあってな」と話してみたことがありました。その時は「え、それ笑いごとじゃないやん……」みたいな反応をされてしまって。
でも、きっと高校生のときの私はそういう反応をされたくないと思うんです。当時私がその瞬間に抱いていた苦しみと同時に、倒れ込んでしまった瞬間の笑いが存在したことを形にしないと、高校生の自分を救うことができないと思いました。
確かに苦しみはあったけど、苦しみだけではなかった。それを書かないと、高校生の私に失礼になってしまうと思ったんです。過去の私に嘘をついたり、簡単にしたりしたくなかった。
だからそういう意味では、この作品を書くときにはちゃんと誠実に向き合いたいと思っていました。過去の私から「綺麗事にすんなよ」と言われないように、現実を誠実に書きたいな、と。
─ これからの目標について教えて下さい。
受賞後に出版社の方から「本を出すまでは、社内ではまだ作家ではなく、受賞者として扱っています」と言われたので、まずは本を出して「作家」になりたいと思っています。
でもさらに理想を言うと、現実を書きたい、人間を書きたいと思います。そのことを言い換えれば、社会の中に確実に存在するけど、クローズアップしたときに消えてしまうものを書きたいという感覚です。
社会から存在が掻き消されそうになっている人の物語を書くことで「いや、ここにおるで!」と、その存在を示していける作品が書けたらいいなと思っています。
(取材・文:藤生新)
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