世界へつながる関西のギャラリー文化の歴史
2021年5月29日から7月19日まで、岡崎エリアの京都市京セラ美術館の東側にあるMtK Contemporary Artで「タンキング・マシーン ― リバース 90年代のヤノベケンジ」展が開催されている。MtK Contemporary Artは今年3月、自動車販売事業を行う株式会社マツシマホールディングスが運営し、アーティストの鬼頭健吾(大学院美術工芸領域教授)がディレクションを担当する新しいギャラリーとして開廊し、オープニング展として鬼頭健吾、名和晃平(大学院美術工芸領域教授)、大庭大介(大学院美術工芸領域准教授)によるグループ展「太陽」が開催されて話題となった。
80年代まで日本の現代美術のシーンは、ギャラリーが牽引してきた。ただし、日本にまだコマーシャル・ギャラリーはなく、貸画廊が中心であった。貸画廊というのは、日本独自の形態と言われ、アーティストがお金を出してギャラリーを一定期間借りて展覧会をするシステムである。その起源は諸説あるが、アーティストがお金を払えば無審査で展示できるアンデパンダン展に由来するのではないかと思われる。戦後、多くの前衛芸術家が参加した読売アンデパンダン展は、1963年に終了したので、それ以降は同じシステムを分散化させた貸画廊が中心となったといえるだろう。
京都でも80年代から90年代初頭にかけて、貸画廊での展覧会がシーンを作っており、京都国立近代美術館と京都市美術館(現・京都市京セラ美術館)を擁する岡崎付近にあったアートスペース虹と、京阪三条駅近くのギャラリー16などが主な舞台となっており、美術館とギャラリー巡りが盛んに行われていた。例えば、ヤノベケンジ(美術工芸学科教授)ややなぎみわの「エレベーター・ガール」(1994〜1998)シリーズなど、実質的なデビュー作はアートスペース虹で発表され、森村泰昌の名画に扮する「美術史シリーズ」はギャラリー16で最初に発表されるなど、今では美術史・写真史のマスターピースに位置付けられる作品の多くが京都の街中のギャラリーで公開されてきたのだ。
アーティストは、貸画廊での活動によって、兵庫県立近代美術館の「アート・ナウ」や滋賀県立近代美術館の「シガ・アニュアル」等の若手アーティストを取り上げる展覧会で紹介される機会を得た。特に80年代は「関西ニューウェイブ」や「西高東低」と言われ、関西の現代美術に圧倒的に勢いがあり、ギャラリーに海外のキュレーターも訪ねてくるなど世界のシーンとつながっていた。それが1988年の森村泰昌が出品した第43回ヴェネチア・ビエンナーレのアペルト部門や椿昇らが参加した1989年の「アゲインスト・ネイチャー」展などに結実する。関西のギャラリーはまさにアーティストの孵卵器の役割を果たしていたのだ。
そのようなギャラリー文化は、90年代以降、冷戦の終結、グローバル経済の拡大に伴うコマーシャル・ギャラリーの台頭によって変貌を遂げていく。また、企業メセナやアワード、芸術祭なども増えていき、貸画廊の文化は衰退していった。そのいっぽう、コマーシャル・ギャラリーの少ない京都では、中堅からベテランが発表する機会がめっきり減っている。創作の拠点や住まいは京都にあったとしても、彼らの作品が見られるのは、地域の芸術祭か東京や海外などになっており、見る機会があったとしても美術館のコレクション展や大規模展の一部であったりして、個展形式で見られる機会はほとんどないといってよいだろう。それはひとえにコレクターが京都におらず、市場がないことが原因である。しかし、ここ数年、富裕層の京都への移住や、椿昇(美術工芸学科教授)が主導する「ARTISTS' FAIR KYOTO」などの隆盛もあり、購買の場所としても新たな展開を見せつつある。
アーティストが起こすエコノミーの革命「ARTISTS' FAIR KYOTO 2021」
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/804
新たなギャラリー文化の再興
「京都・西日本に住み、アトリエを構える中堅・ベテランのアーティストの発表の場所を京都に作りたかった」。ディレクターの鬼頭健吾は京都にギャラリーを開廊した理由を告げた。MtK Contemporary Art を運営するマツシマホールディングスは、京都最大の自動車ディーラーであるが、近年ではレストラン事業やジムの運営などのヘルスケア事業を手掛けており、今回、鬼頭との交流をきっかけに新たにアート事業も開始した。もともと日本初のスマート(smart)専売店として、ショールームとカフェが開設されていた場所だ。smartは、スウォッチとダイムラー・ベンツの協業によって誕生したマイクロカーで、スウォッチ(Swatch)の「s」と、メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz)の「m」に「art」を組み合わせて命名されたというのも象徴的だ。
鬼頭は2~3年前からマツシマホールディングスと交流をし、ギャラリーのビジョンを提案・共有する中で、今回実現に至った。その過程には「ARTISTS' FAIR KYOTO」が活況を呈したり、新興のコレクターが来京したりする中で、京都を中心とした新しいアート市場の潮流を感じたこともきっかけにあるという。鬼頭は、今までの交友関係の中で、是非作品を身近で見たいアーティストに声をかけ、ディレクションをした展覧会を実施するという。その最初の個展にヤノベケンジを選んだ。今回は、特にヤノベの90年代の作品をフィーチャーした展覧会になる。鬼頭はコロナ禍の中で、家族やコミュニティのフレンドシップの重要さが増しているという。ローカルなフレンドシップを重視しつつも、グローバルな視野と影響力、センセーションを起こす展覧会を実施していくと方針を語る。
鬼頭は、ヤノベの90年代の作品は、閉塞した中で考えることの重要性が含まれているのではないかと述べる。また、20代の作品を見ることは、教える学生たちも同世代なので、教育的な意義も大きいのではないかという。ヤノベは大学院生時代の24歳からデビューをしている。現在も一線で活躍しているので、雲の上のアーティストのように思えるが、同じ20代の時代の作品を見れば、自分との差をリアルに感じることができるだろう。
特に《タンキング・マシーン》は、1990年にアートスペース虹で最初に発表され、センセーションを起こした記念碑的作品でもある。生理食塩水を人肌程度に温めた隔離タンクに入り、視覚・聴覚・皮膚感覚などの外部刺激を抑制することで、深い瞑想状態に入れるという母体を模した体験型の彫刻作品で、「より作品をお楽しみになりたい方は水着をご持参下さい」と記載されたDMを見て訪れた多くの人々が参加した。その中には建畠晢(現・多摩美術大学学長)、中井康之(現・国立国際美術館学芸課長)、尾崎信一郎(現・鳥取県立博物館館長)など、著名な美術評論家も多かった。
しかし、残念ながら現在《タンキング・マシーン》を京都で見られる機会はない。近年では、2003年の国立国際美術館での個展「メガロマニア」、コレクションされている金沢21世紀美術館、2016年に開催された高松市美術館の個展「シネマタイズ」などに限られている。今回、MtK Contemporary Art に新たに設けられたスペースに展示されたのは、2019年にロサンゼルスのBLUM & POEで開催された、1980年代~90年代の日本の現代美術をテーマにした展覧会「パレルゴン」の際に再制作された《タンキング・マシーン ― リバース》(2019)である。
《タンキング・マシーン》が再び得た身体
今回、《タンキング・マシーン ― リバース》をはじめとして、90年代のヤノベの代表作が揃う。《タンキング・マシーン ― リバース》は、今回新たに日本家屋の玄関を改装したギャラリー・スペースに展示された。小さな空間全体を埋める巨大な作品は、アクリル板のドアからのぞくことができるため、前面の道を通りがかる人々はかなり驚くだろう。しかし、その光景こそ、アートスペース虹での展示に似たものだ。アートスペース虹は、東山の三条通沿いの店舗を改装して作られ、前面がガラス張りになっており、中の様子を通りからうかがうことができたのだ。当時、水着を着て体験した人々も「作品」の一部となっていた。
ヤノベがアートスペース虹を最初の個展の会場に選んだのも、通りから見えるそのシチュエーションがよいと考えたからである。そのため、ヤノベの身体サイズに加えて、わずか20平米(12畳)ほどの小さなギャラリー空間の全体に納まり、搬入が可能なように上下を分割して設計された。つまり、《タンキング・マシーン》は、ヤノベとアートスペース虹という、2つの「身体」によって出来た作品ともいえるのだ。今回新たに増設された空間は逆に、《タンキング・マシーン ― リバース》が搬入できるように設計されている。その意味では、新たな「身体」を確保したともいえよう。
元々、ショールームのスペースを改装したギャラリーは日本家屋風の外装になっている。その設計は名和晃平率いるSandwich(サンドイッチ)の監修によるものだ。京町屋のように奥に長い長方形の空間は、高さはそれほどないが、切妻型で中心が高くなっておりゆったりと感じる。石畳の床の雰囲気も京都らしくてよい。手前に庭園や腰掛(ベンチ)があり、茶室への露地を思わせるアプローチも粋である。庭園には小さい池があり、抑揚が効いた草木が植えられており、手入れも行き届いている。
中に入ると、中央には《アトム・カー(ホワイト)》(1998)、奥には《アトムスーツ No.7》(1999)がシンメトリーに置かれ、両脇には《アトムスーツ・プロジェクト》(1997〜1998)の写真作品が並ぶ。
《アトムスーツ・プロジェクト》は、原発事故後のチェルノブイリで撮影したシリーズと、帰国後に鳥取砂丘やトンネル、万博記念公園などで撮影した作品が合計9枚あり、砂丘やトンネルの作品は別カットなのでほとんど見た人はいないだろう。特に、チェルノブイリの廃墟と化した保育園を写した《アトムスーツ・プロジェクト:保育園4・チェルノブイリ》(1997)は、《ビバ・リバ・プロジェクト:スタンダ》(2001)の制作のきっかけとなった写真から新たに制作されたものであり、東日本大震災後に作られた《サン・チャイルド》(2011~2012)につながる貴重な作品である。
また、受付横には《ブンカー・ブンカー》(1998)の模型があり、入口手前には《サヴァイヴァル・ガチャポン》(1998)に入れられていた模型ケースが展示されている。これらの90年代のヤノベの主要な作品を間近で見る機会もほとんどないだろう。時折バチバチと、《アトムスーツ No.7》に取り付けられたガイガー=ミュラー管が放射線を検知して光を放ち、音を鳴らしているのがリアルだ。スーツが現在進行形で自然放射線を「感知」しているのだ。
さらに、《アトムスーツ・プロジェクト》でチェルノブイリを訪れた時の出来事を描いたドローイングのシリーズが展示されており、見えない放射線を体中で「感じる」スーツとして制作された《アトムスーツ》の背景を知ることができる。そこには克明に放射線やガイガー=ミュラー菅に関する解説が記されており、東日本大震災後の世界を生きる現代だからこそその意味がはっきりわかるが、今よりはるかに情報がない時代に得ていた知識に驚く。また、チェルノブイリの立入禁止区域(ZONE)内で住み続ける住民(サマショール)との交流も描かれたドローイングも展示されており、アートと現実に引き裂かれる様子が生々しく伝わってくる。
現在、マスクを日常的にして、見えないウイルスに戦々恐々する私たちだからこそ初めてリアルに感じることもある。ウイルスを「防護」し、「感知」するスーツといったように、現在の我々に置き換えて考えることが可能なのだ。
ヤノベケンジ90年代クロニクル
1989年から1999年までに制作されたヤノベの活動の資料展示は圧巻である。1989年、ヤノベは英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アーツに短期留学した際、ナショナルギャラリーで西洋芸術の至宝ともいうべき作品群を前にレクチャーを受ける小学生たちを見て、衝撃を受けた。そこから、自分が幼いころから親しんだ漫画やアニメ、SFや特撮の美学をもとに、新しい彫刻を作ることを決心する。
それが《タンキング・マシーン》であり、留学中にプロトタイプを制作している。その時のヤノベの心情を書いたノートや《タンキング・マシーン》の構想スケッチ、プロトタイプの写真、プロトタイプに使用したガスマスクなどが並ぶ。驚くのは、そのスケッチの正確さである。出来たものとほとんど変わらない。完成した作品をスケッチしたようにも思えるくらいである。ヤノベは着想した時が一番面白いというように、おそらく作品のイメージが浮かんだとき、それはほとんど完成形から制作方法、プロセスまで見えているのであろう。
アートスペース虹での展示の後、《タンキング・マシーン》の制作風景を含んだポートフォリオ映像を応募したヤノベは、「キリンプラザ大阪コンテンポラリー・アワード」の第1回受賞者になる。それは90年代から始める企業メセナなどの最初期のものである。キリンプラザ大阪では翌年の1991年に、大規模な個展「ヤノベケンジの奇妙な生活」を開催する。
1992年には約1か月間の滞在制作を経て、開館して間もない水戸芸術館で個展「妄想砦のヤノベケンジ」を開催する。同年には、レントゲン藝術研究所で椹木野衣キュレーションによる「アノーマリー」展に、中原浩大、村上隆らと参加。『美術手帖』も1992年3月号で特集「ポップ/ネオ・ポップ」と題して、中原浩大、村上隆、ヤノベケンジを取り上げ3人の座談会を掲載する。なかでもヤノベは一番若かったが、サブカルチャーを現代アートに翻案するアーティストとして最先端であった。
1994年には、ベルリンに拠点を移し、国際的なギャラリー、ペロタンなどで作品を発表する。1995年には、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件をベルリンで知ることになり、それをきっかけに《アトムスーツ・プロジェクト》を計画。1996年には、ニコラ・ブリオーがキュレーションし、「リレーショナル・アート」の端緒となった「トラフィック」展(CAPCボルドー現代美術館)に参加する。二コラ・ブリオーやリアム・ギリック、フィリップ・パレーノなどを含む、その時撮影された貴重な集合写真やカタログも展示されている。そして1997年に、原発事故後のチェルノブイリに放射線感知服《アトムスーツ》をまとって訪問する。
帰国後の1998年、KPOキリンプラザ大阪やキリンアートスペース原宿で帰国展「ルナ・プロジェクト-史上最後の遊園地」を開催。《アトム・カー》や《ブンカー・ブンカー》、《サヴァイヴァル・ガチャポン》などを発表する。《アトム・カー》制作時の記録写真には、アシスタントとしてヤノベのスタジオに出入りしていた若かりし頃の名和晃平や金氏撤平の姿も見える。そういう先輩・後輩で制作を手伝い、技能を習得する経験がウルトラファクトリーに活かされている。1999年には、椹木野衣のキュレーションによる「日本ゼロ年」展(水戸芸術館)に参加すると共に、10年のクロニクルが終了する。
デビュー作からこれほど濃密な活動した作家も数少ないだろう。紛れもなく90年代に最も活躍したアーティストの一人であるが、その後、現在に至るまで第一線で創作し続けることの方が大変かもしれない。創作を持続するヒントも最初の10年にあるのではないか。
平成の幕開けとともに、冷戦が終結し本格的なグローバリズムの世界が到来した。その真逆に、令和の幕開けとともに、訪れたのは新型コロナウイルスのパンデミックによる隔離社会の到来である。しかし、かつてペストの流行下で自宅待機を余儀なくされたため、故郷で思索を続け、「微分積分」「万有引力」「光学」に関する数々の発見を行ったニュートンのように、身近なコミュニティ、フレンドシップという親密な交流の中で、個人の思索を深めることで、次の世界のパラダイムを創る新たな創造が生まれることもある。
今回、再制作された《タンキング・マシーン ― リバース》は、社会全体が隔離される中、創造性を育み「再生」することを願って展示された。隔離装置から始まったヤノベのデビュー作から、90年代の驚くべき創作量やクオリティを示すことを紹介する本展は、今だからこそ振り返るべきだろう。会期は十分あるので、京都の新たなギャラリーシーンを築く、狼煙ともなる貴重な展覧会を是非ご覧いただきたい。
(文:三木学)
「タンキング・マシーン ― リバース 90年代のヤノベケンジ」展
会期 | 2021年5月29日(土)~7月19日(月) 10:00~18:00 |
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場所 | MtK Contemporary Art |
住所 | 京都市左京区岡崎南御所町20-1(smart center 京都, the garden敷地内) |
定休日 | 月曜日(7月19日は開廊) |
https://mtkcontemporaryart.com/
Instagram:@mtkcontemporaryart
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